第148話

 食事の片付けが終わり、日が完全に沈んでも、外の騎士の葬列は途絶えていなかった。

 こう長いと、国王の棺はどの辺りなのかが解らなくなる。まだ来ていないのか、もう行ったのか。カーテンの向こうで人の気配はすれど、今カーテンを取り払う事は出来ない。室内には、王女がいる。その王女も、食事が終われば再び布団を被り直してはいたが。

 カーテンの隙間から、アルカネットが外の様子を伺っている。不愉快ならば見るのを止めればいいのに、時折眉間に皺を寄せては舌打ちを繰り返す。その姿にアルギンは苦笑を浮かべ、アールリトは申し訳なさそうに下を向いた。

 腹も落ち着いて来たところで、各々が部屋に戻るか―――。そんな空気をさせていた頃。


 突然の大きな音。

 外出禁止令が出ている筈、しかもまだ騎士の列も切れていない筈の外から、扉を叩く音がする。

 その音を初めて聞く王女は肩を震わせた。スカイも驚いて身を竦ませている。アクエリアがその肩に手を置きながら、扉の方を見た。

 アルカネットは―――これ以上無いという風な、不快で染めた表情をアルギンに見せた。その位置から、来客が見えたようだ。


「アルギン、それ隠せ。ジャスミン、ユイルアルト、部屋に戻っていろ」


 それ、と言われた王女が動揺した。アルカネットの言葉に『よくない雰囲気』を感じ取ったアルギンが、王女を連れて奥に引っ込んでいく。ミュゼが無言で、自分の太腿を触る。そこには折り畳み式の槍が仕込まれている事はほぼ全員が知っていた。

 ジャスミンとユイルアルトは言われるがまま、階段を上がっていく。

 残った面々は、アルカネットが閂を外すのを黙って見ていた。


「………皆さん、お久しぶりです」


 その人物を知っている者の背中に駆ける違和感。

 扉を開いて現れたのは、この酒場を出て行ったマゼンタだった。その姿は、酒場で給仕をしていた時の服ではない。どこかの令嬢と言われても不思議ではないようなドレスを着ている。色は黒で、喪服のつもりなのだろうか。

 マゼンタは笑顔だった。自分が招かれざるものだと解っていないような、否、解っていての表情だと誰もが気付いた。この状況で酒場を訪れる違和感に、スカイもアクエリアの背中で服を掴んで顔を顰めている。ミュゼは二本目の煙草に火を点けた。ダーリャは、いきなり雰囲気を変えたギルドメンバーの様子に戸惑っている。目の前の女が、この酒場にとってどんな人物なのかが解っていないからだ。

 低いヒールが床を叩く音がする。扉が音を立てて閉まった。再び外界と隔絶された室内に、マゼンタの声が再び響く。


「相変わらず汚い酒場ですねぇ? ……でも、なんですか、コレ? 私がいた時でもここまで汚れてなかった筈ですよ」


 これ見よがしに、窓の桟を指でなぞる。指に付いた埃を息を吹きかけて飛ばした。嫌味なその行動に、ミュゼの眉間に更に皺が寄る。ギルドメンバーが無言なのをいいことに、マゼンタはスカイの姿を見つけてそちら側に歩み寄った。


「スカイ君、お久しぶりですね。何でこんな所にいるんです?」

「……あ、その」

「同じプロフェス・ヒュムネの誼です。今からでも遅くないですよ、私と一緒に行きませんか?」


 にこやかに話しかけるマゼンタではあるが、スカイの表情は暗い。話しかけるな、と暗に言っている表情に気付いていない訳でも無いだろうに。マゼンタはそれでも楽しそうに声を掛けている。

 見かねたアクエリアがスカイの肩に手を回し、無言でマゼンタを見下げるように睨み付けた。それを見て漸く、マゼンタも観念する。


「……はいはい、保護者さんは怖いですね。解りましたよ」

「解った解らないの話では無くて。……何しに戻って来たんですか。今は国葬中で外出禁止の筈でしょう?」

「戻った? 遊びに来ただけですよ。私はもうこんな所の一員じゃない、私にはもう帰る場所があるんですから。それに、私は王家の縁者なのでそんな下々の者への言いつけが通じる訳ないじゃない」


 マゼンタは朗らかに笑った。その笑顔だけは、この酒場の一員であった時の笑顔と何も変わらなかった。こんな所、と切り捨てられた苛立ちに、マゼンタを見る全員の視線が更に冷たくなる。それはダーリャも同じだった。

 今度はダーリャがマゼンタに歩み寄る。それに気付いた様子のマゼンタは、冷笑でダーリャを歓迎した。


「……見ない顔ですね。どなたです?」

「失礼、美しいお嬢さん。私はこの酒場に雇われている用心棒でして。今回の来訪、大変嬉しく思いますが用向きを聞かせて貰えますかな?」

「あはっ、用心棒? そこまでここは人手が足りなくなったの? あはははっ、惨め!!」


 マゼンタの哄笑は店内に響く。温和なダーリャの視線はますます冷え切り、その二人のやり取りをギルドメンバーは落ち着かない様子で見守った。ひとしきり笑ったマゼンタは目元に浮かぶ涙を指で拭いながら、笑いで痛んでいるらしい腹を庇いつつ質問への答えを返す。


「別に、用事がある訳じゃないんですよ。ただ、どうなってるかなぁって思って」

「……暇潰し、という訳ですか、お嬢さん?」

「暇潰しなんて人聞きが悪いわ。私だってこれでも忙しいんですから、こんな所で潰す暇なんてある訳ないじゃない」

「―――あ?」


 マゼンタの物言いに、一番に耐えられなくなったのはミュゼだった。まだ耐えている様子のアルカネットも、冷静を装うために組んだ腕の拳が握られて震えている。

 ミュゼの苛々に、マゼンタが顔を向けた。表情は変わらずの冷笑だ。


「マゼンタ、言うようになったなぁ。こんな所とやらで給仕してたのはどこのどいつだ?」

「少なくとも、貴女がこの酒場に身を寄せるようになるずっと前から私が給仕していましたねぇ? そんな事も忘れてしまったの、ミュゼさん?」

「王家と縁があるくらいで、自分まで偉くなったつもりかマゼンタ。そういうのはお子ちゃまな内に直しとけ、じゃないと恥ずかちいでちゅからねー」

「御心配ありがとう! でも結構ですよ、今何言われても、やっかみにしか聞こえませんから」

「―――それくらいにしとけ」


 アルギンが奥から戻って来た。ミュゼとマゼンタのやり取りを、一言で止めさせる。ミュゼの苛々は限界近くにまで達しているようで、しきりに太腿の槍の位置をシスター服の上から確認している。

 マゼンタはアルギンの姿に言葉を止めたが、次の瞬間には嬉しそうな表情に切り替えてアルギンが寄ってくるのを待っている。それだけ見ると、酒場にいた頃のマゼンタと何も変わらない。


「随分城に礼儀を忘れて来たようだな、マゼンタ? それとも元からだったか」

「礼儀なんて今更じゃないですか。私とこの酒場の皆の仲でしょう?」

「そうかぁ? これまで築いてきた関係が弾け飛んでったような顔、皆してんだが」

「まぁ、心外。私にどんな理想を抱いてたんでしょうね? 私は私ですよ、誰かに決めつけられた私の姿なんて、そんなの本当の私なんかじゃない」

「理想、っつーかさぁ……」


 アルギンはパーティーの夜、マゼンタの言った事を自分の耳で聞いている。彼女の言った通りであるなら、二番街の崩落は彼女達による人為的なもので、それはギルドメンバー全員が知っている。マゼンタに対する対応は無理からぬものなのだが。

  

「……まぁいい。そんで? 惨めで汚い酒場に今更何の御用で? 冷やかししてる時間も無いくらい忙しいマゼンタ様よ」

「んー。用が無くっちゃ来ちゃ駄目? そんなに心狭かったですっけ、マスター」

「アタシの心は狭いぞ。アタシにどんな理想抱いてたっての? アタシの心の広さを勝手に決めんでくれ、迷惑だ」


 言い返すアルギンの表情は変わらない。特に何でもない、と言いたげな無表情だ。自分が発した言葉と同じものを言い返されてマゼンタの眉間に僅かに皺が寄る。


「……本当、マスターって私にも容赦無い。私と姉様ほど、この店に貢献した人っていないんじゃないですか? なのにその扱い、酷い」

「そうだな、お前さんたちはよくやってくれた。……それこそ兄さんの代からな」

「エイスさんの? ……あははっ、あはははははははははははは!!」


 エイス。その名前を聞いた瞬間から、マゼンタは突然笑い始めた。その声はこの場にいる者の鼓膜を揺さぶるほどの大きな声。その声が不愉快に思った者は、耳を塞ぎはしないまでも、顔を顰めて舌打ちをする。

 その名前に何故笑い始めたのか。アルギンはマゼンタの顔をじっと見ていた。その笑いに、何か嫌な気配を肌に感じたからだ。


「エイスさんはぁ。……エイスさんも、馬鹿でしたよねぇ。勝手にギルド縮小しようとして。自分のやらかした罪の償い代わりにギルド運営を命じられてたのに、それを隙あらば止めて逃げ出そうとかしてたから。だから殺されちゃった」

「―――マゼンタ、……? 何を、言って」

「もう、ここに居る事も無くなったから言っちゃっていいかなぁ?」


 マゼンタの口から出る名前に憶えのある人間は、その続きの言葉に絶句することになる。


「エイスさん、私達が殺しちゃったの! 呆気なくて拍子抜けしたけど、まさかあんなに簡単に死ぬなんて思って無かったわ」


 アルカネットも。

 アクエリアも。

 アルギンも。

 マゼンタが何を言っているか解らなかった。


「こないだ、その話を姉様と話してたのをリシューさんに聞かれちゃって……。だから、リシューさんも殺し……ああ、幽霊を殺す、なんて変な話ね? 消しちゃった。泣きながら最後まで『許さない』なんて言われたっけ。許さないからなんだって話だけど」


 マゼンタの口から吐息のように漏れる笑みの数だけ、アルカネットの憎悪が増していく。アルカネットだって、この姉妹の事を疑ったことが無い訳ではない。しかし、これまで被られていた猫と塗り固められた嘘に完全に騙されていた。

 アクエリアは無言だった。無言で、自分の固めた拳を見ている。

 アルギンは。


「―――今生の言葉はそれで終わりでいいな」


 噛みしめた唇から血を流していた。

 怒りに目を見開き、充血させ、今にも溢れ出しそうな感情を堪えている。震える声は低く、これまで誰かに見せた怒りの、そのどれとも種類が違っていた。

 マゼンタの表情は愉悦に満ちている。それはアルギンの反応を心から喜んでいる顔。まるで、その顔を見たいがために今の今まで喋るのを我慢していたような、そんな表情。


「マスター……。マスター。私、その顔が見たかったの。いつも人を小馬鹿にして、余裕ぶって、本当は誰よりお人好しな癖に、無理に冷酷になろうとして。貴女が純粋に人を殺したいって、憎んでるって、そう心の底から思ってる顔をいつか見たいと思っていたの」

「黙れ。今まで貴様みたいな女共を側に置いていたアタシの人を見る目の無さに吐き気がする」

「黙らない。ねぇマスター、私、貴女が気に入ってるの。折角今日ここまで来たんだし、貴女を一緒に城まで連れて帰るわ」


 樹の軋む音がする。

 葉擦れの音が聞こえる。

 マゼンタの足はその場で形を変え、地を這いずる樹木の根のような形になった。左腕が変化して葉を茂らせた枝は高く天井近くまで伸び、二股に分かれた幹に座るようにマゼンタが位置付いた。

 それはプロフェス・ヒュムネとしての姿だった。神の子として、地上の何よりも優れた存在だと自認する、驕り高ぶった種族。


「多少犠牲者が出ても仕方ないわよね。死人が出た方が逆らう気も起きなくなるでしょう?」

「……マゼンタ……」


 アルギンは憎々し気に名を呼んで、マゼンタを睨み付ける。

 口から滲んだ血を指で拭った。


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