第132話

 アルギンが、冒険者ギルドの係の者に追加を言われた応募条件。

 それにアルギンが追加した項目は、要はひとつ。

 『新生児の扱いに長けている者。具体的には三日ほどつきっきりで世話が出来る者。その実績がある者』

 それだけで充分な足切りが出来ると考えていた。冒険者たるもの、体力に自信があっても新生児の世話という繊細な仕事は門外漢が多い。勿論、直ぐにクプラの子が産まれる訳ではないだろうし、産まれたとしても実際世話をさせるかは解らない。アルギンだって経産婦で、医者はギルドに二人もいる。だから、予備人員としてしか考えていなかったのだが。

 アルギンは最終面談として、酒場に来た初老の男性と顔を合わせていた。柔和な雰囲気の初老の男性は、ユイルアルトが運んで来た紅茶を笑顔で受け取る。彼の座るテーブル席の真向かいに座り、彼から感じる無意識の圧に肩を竦めていた。勿論、圧なんて出している訳じゃない。アルギンが勝手に委縮しているだけなのだが。その証拠に、ユイルアルトは何がなんだか解っていない。給仕を終わらせた後は、何か珍しいものを見る感覚で邪魔にならない場所のテーブルに陣取って二人を眺めている。

 八百屋の買い物は後回しにした。先に何事かとアルギンに視線で聞いて来たミュゼとジャスミンには、「用事が出来たから先に行っててくれ」とだけ伝えて追い出した。


「……こうして、顔を合わせるのはいつ振りですかな」


 初老の男性から発せられるバリトンボイス。この声を聞くのも久し振りだったアルギンは、今まで誰にも見せなかったしどろもどろの状態で視線を彷徨わせる。


「……ダーリャ様の退任祝い以来では無いでしょうか」

「様、などと。どうぞ気軽に呼び捨てて構いませんよ。こちら、一応経歴書をお持ちしましたので、目を通して頂ければ」


 ダーリャ、と呼ばれた男性は苦笑する。その顔のまま、羊皮紙をアルギンに向けて差し出した。


「……いつごろ、お戻りになられたのです。『月』退任後は諸国を旅すると伺いましたが」

「独り身の旅など気楽なものです。時間つぶしに冒険者の真似事をしているとですね、回りたい国が幾つも出てくる。今回戻ったのはたまたまですよ、ですが、何やら不穏な空気ですね。今のアルセンは」

「……はい」

「貴女の噂は聞きましたよ。……色々大変だったそうですね」


 色々、の言葉に感じる重みにアルギンが瞼を伏せがちに頷いた。それから、差し出された羊皮紙を受けとって内容をざっと見る。そこに書かれていたのは冒険者ダーリャとしての実績だが、アルギンはそれ以前の騎士時代の実績を知っている。

 ダーリャはアルセン国に於いて神父だった。

 同時に、『月』隊を預かる騎士だった。

 彼自体の戦歴は然程でもない。しかし後方部隊を指揮する能力はずば抜けていた。かつてアルギンの夫だった男も、ダーリャの指揮下で武勲を上げて行ったのだ。人心掌握術、とでもいうのだろうか。それに長けていたダーリャに副隊長として起用されていた今は亡きアルギンの夫も、彼の指揮下でなら文句を言うことは無かった。そしてそんな彼を、ダーリャはよく『使った』。

 そしてある戦場での戦争終結の折、彼は、アルギンの夫に隊を託して城を離れた。


「アタシも大変でしたけど、……まぁ、色々無かったって言ったら嘘になりますね」

「今の騎士は様変わりしているようですね。あまり、良い噂を聞きませんが」

「……アタシも、騎士を辞めて大分経ちますし……。戦死者も多く、出ましたから」

「今、『月』を指揮しているのはどなたですかな?」


 ぐ、とアルギンの息が詰まった。あまり言いたい事では無い。未だに、彼のいなくなった心の傷を塞ぎ切れていないアルギンだから。


「……今は、フュンフが」

「と、いう事は……、私が聞いたあの噂は本当だったのですか」

「噂って」

「彼が、戦死したという噂ですよ」


 彼。

 アルギンの顔がどんどん俯いていく。彼のいない世界を、第三者から、改めて聞かされる。アルギンの表情が沈むのを、ダーリャは無言で見守っていた。


「……はい。あの人は、私を逃がすために、死地に残りました」

「………そうですか」


 ダーリャはそれだけ口に上らせると、黙って紅茶を傾ける。


「でも、遺してくれたものもあります。……彼はそれを知らないまま、いなくなってしまいましたが」

「ほう?」

「子供です」


 ぶふぉっ。

 ダーリャが飲んでいた紅茶を噴き出した。数回咳き込むのを、アルギンが心配そうに見る。


「だ、大丈夫ですか」

「こ、子供ぉ? 誰が、え、そんな、まさか」

「…………ですよね」


 ダーリャはそれまで柔和な態度を崩してまで動揺している。それは彼を―――アルギンの夫を―――知っているから。

 冷徹で、誰に関してもほぼ無関心で、人形の美貌を持つ氷のような男。その認識はダーリャにしても同じだ。ダーリャは自前の白いハンカチで、髭についた紅茶を拭う。その間、頭の中を整理しているように何かしらぶつぶつ呟いている。


「失礼ながら、アルギン様」

「ダーリャ様、貴方こそアタシに様付けはよして下さい」

「……アルギン。その、子供というのは」

「アタシと、彼の子供です。……ちょっとあって、今は手元にいないんですけど」

「貴女と……彼の……。ああ、神よ……、真にこの国を見限った訳では無いのですね」


 ダーリャは動揺が過ぎた様子でその場で神に祈り始めた。副隊長を任せるくらいには感情があった彼に、まさか子供がいたなんて考えていなかったのだろう。無理もない、彼はそれだけの振る舞いをしていたのだから。


「……そうか。アルギン、貴方は確か彼の事を……」

「は、恥ずかしいですね、今その話をするのは。まぁ、懸想していたのは確かです。……いえ、今でも」

「何を恥ずかしがることがありますか。そうですか、彼は応えたのですね」


 ダーリャは笑顔だ。それは心底その事実が嬉しいとでもいうように。しかしアルギンの顔は浮かない。失ってしまったものの大きさを、改めて感じてしまうから。


「懐かしい話に花が咲く前に、アルギン。私の採用不採用を決めて頂いて宜しいですかな?」


 ダーリャが切り出したのも、この話をすれば日が暮れてしまいそうになる予感を覚えてしまったから。アルギンとしては、答えは既に決まっている。


「そりゃ、採用で」


 ユイルアルトが遠くからほー、と声を漏らした。


「元とはいえ『月』隊長の応募とあれば不採用にする理由は無いでしょう。特に、子供相手の仕事はダーリャ様は得意と来てる」

「暫く新生児の相手はしていませんがね。お力添えは出来ると思いますよ」


 ユイルアルトに見せたダーリャの笑顔も、変わらず初老の男性のそれだ。ユイルアルトにしてみれば、この温和そうな男性のどこに、アルギンの応募条件を満たす能力があるのかいまいち解っていない。採用を言い渡されて安心した様子のダーリャが、その表情のままアルギンに声を掛ける。


「その、アルギン。ひとつ、お願いしたい事があるのですが」

「はい?」

「……『彼』との子供、どうにかしてこの目に見ることは出来ますか」


 それは好奇心だろうか。それとも、『彼』に抱いていた親心からだろうか。

 そのどちらでも、アルギンは構わなかった。破顔して、一度大きく頷く。


「酒場の買い物がありますが、その後で良かったら」

「ありがとうございます」

「イル、ちょっと出てくるから。ダーリャ様を掃除終わってる三階の部屋に案内してくれ。鍵が開いてるとこな」

「え、そ、それどこですか」

「階段上がってすぐ。宜しく」


 そう言うとアルギンは足早に酒場を出て行った。残されたユイルアルトは動揺しきりだ。ダーリャは、忙しそうな昔の知己を見て朗らかに笑っている。


「酒場のマスターも忙しそうですな。……階段を上がってすぐ、と仰られましたな」

「は、はい」

「案内を頼んでも宜しいですか、可憐なお嬢さん。部屋の場所が解っても、手洗い場が解らないと無作法をしかねませんからな」


 ふふ、と笑いながら言う彼に、ユイルアルトは然程嫌な空気は感じなかった。それどころか、どこか親しみを感じている。取り敢えず一階の手洗い場と風呂を簡単に案内する。それから、二階の簡単な説明をしてから三階へ。言われた通り階段を上がってすぐの部屋の扉に手を掛けると、鍵が掛かっていないそこはすんなりと開いた。

 中はいつの間に整えたのか、ベッドも床も綺麗にしてあり、埃は殆ど見られない。カーテンだけは掛かっていないが、ここが三階なのもあり他所からの視線は気にならない。問題は、眩しい朝日にどれだけ耐えられるかだ。


「なかなかいい部屋ですね」


 ダーリャはそう言って、持参していた荷物を床に下ろす。冒険者としての荷物だろうそれは、独り身の旅に最低限のものしか入っていないように見えた。


「……しかし、アルギンも少し変わりましたな」


 案内を終えたユイルアルトが部屋を出て行こうとする。その背中に、ダーリャの声が投げられた。それに振り向いてみると、ダーリャの表情は少し暗いものになっていた。


「変わった?」

「昔は無鉄砲でお転婆だったのですよ? 今はこうして酒場を経営して、誰かの事を考えながら生きている。変わったのだな、と思いまして」

「無鉄砲……。お転婆……」


 特に変わっていませんよ、という言葉がユイルアルトの喉元まで出かかった。特に思い出すのはスカイの件での逆襲事件だ。


「彼女の前で、口を滑らせすぎてしまいました」

「口を……?」

「まさか彼がアルギンと恋仲になっているとも知らず、その悲しみも癒えていないだろうに余計な事を。少し、悲しい顔をさせてしまいました」


 それは、ユイルアルトも見た。アルギンの表情は、無理に表情を取り繕っていない時以外は比較的わかりやすい。さっきまでの表情は、ユイルアルトさえも少し沈痛な気持ちになってしまう程に。

 ユイルアルトはダーリャに掛ける言葉を探しあぐねていた。結局探しきれず、無言のまま扉を閉める。

 誰が悪い訳でもない。二人が話していたのはあくまでも事実だ。それを口にしたからって、咎められる謂れはない。

 ダーリャのその優しさは、ユイルアルトの心を静かに波打たせる。ユイルアルトの知らない時間を、アルギンとダーリャは知っている。どこか取り残されたような感覚が、ユイルアルトの心を苛んでいった。


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