第128話
その日は、一旦お開きになった。騎士の四人が帰っていき、クプラは椅子に座ったまま脱力してしまっている。
最後まで、あの四人に関することは何も言わなかった。クプラも聞かなかった。しかし、話の内容でただ事では無い事は知っただろう。
ジャスミンとユイルアルトがクプラを部屋まで送って行く。アルギンは後片付けをしキッチンに引っ込んでいき、アルカネットは、というと。
「すみませーん! アルカネットさんいますかー!?」
こんな夜更けにも関わらず、酒場の扉をドンドンと叩いてくる尋ね人がいた。
扉を開けると松明を持ったトーマスがいた。何やら外回りの最中らしい。
「トーマス……。こんな時間だぞ、家人は寝てると思え」
「中に灯りついてたのが見えたんで。緊急招集です、早く来てください!!」
「……あー、もう」
アルカネットはそのまま出て行ってしまった。静かになったホールで、ミュゼが黙って煙草に火を点けた。
「自警団様ってのは賑やかだなぁ?」
「……普段の貴女も変わらず賑やかですよ、ミュゼさん」
「………。」
紫煙が舞う。ミュゼの束ねた金糸の毛先と同じ形に、波打ちながら消えていく。シスター服のミュゼが喫煙する姿は、とてもあべこべな存在に見えて。
「アクエリア」
声が、彼を呼ぶ。
「呼び捨てにしてくれていいぜ。……いつかのアルギンもソルビット嬢に言ってたが、なんか、アクエリアにさん付けされたりすると、頭痛がする」
「なんでですか、気のせいですよその頭痛」
「いやいや。本当。……本当だから、参ってる」
吐息に紫煙が混ざる。その呟きは、喫煙者の声にしては綺麗なもので。アクエリアが言葉の真意を図りかねて、口を噤んだ。
「なぁ、アクエリア」
ミュゼが場所を移動した。アクエリアの側まで来て、その肩に手を置いた。二人の身長は頭一つ分も無い状態、ミュゼがアクエリアを見上げる。
「王妃のとこ、行くなよ」
その言葉に、アクエリアが息を飲む。
「もう無理すんなよ、アクエリアの愛した女はもう死んだんだ。あそこに行っても、お前さんの望むものは残ってない」
「―――……。何で、知ってる」
それはアクエリアの心の中を暴いたような言葉だった。今まで、スカイやアルギンにしか語る事の無かった言葉で、王妃の事はアルギンは気付いているようだったことで、それでアクエリアの表情は激情に染まる。
「誰から聞いた!!」
「……。」
「アルギン……、アルギンですかっ!!」
「違うよ、アクエリア」
紫煙を口から話したミュゼは、それをアクエリアに咥えさせた。否定と同時のその行動に、アクエリアは混乱してそれをそのまま咥えてしまった。少し濡れた感覚のある煙草、それを一度だけ吸った。
「……間接キス」
ミュゼが、今まで誰にも見せたことのないような表情で笑う。それを一言でいうなら妖艶。瞳を伏せ、上目遣いで、艶のある唇を少し緩めて、ただ一人、アクエリアだけを瞳に映す。
「アクエリア、頼むよ」
「………な、に、を」
「『ミュゼ』って、呼んでくれ。そんで、あの女は別人だと、私が何度でも言うから、私の言葉を信じてくれ」
名前を大声で呼ばれた気がして急いで出て来たアルギンは、只事でない二人の様子にまたキッチンに引っ込んでいった。と、見せかけてキッチンの入り口側で覗き見し始めた。
ミュゼは更に体を密着させていく。主張の少ない胸元が、アクエリアの腕を捉えた。アクエリアが落ち着いたのを見て、ミュゼの細い指が煙草を回収する。
「アクエリア」
声が、近い。吐息も近くなって、ミュゼは直ぐ側に居る事実に、アクエリアは寒気とは違う何かを背中に感じていた。ミュゼも黙っていれば綺麗な顔立ちをしている。アクエリアも、未だに想う存在さえいなければ、ミュゼのこんな姿に何かを感じたかもしれない。
「ミュゼ、さん」
「『ミュゼ』。……いいや、この際『ミョゾティス』でもいい。ちゃんと呼んでくれ」
「……貴女は、何を知っているんですか」
「呼んでくれないと、答えない」
そこだけ、ミュゼは頑なだった。
アクエリアは視線を巡らせ、助けになるものをさがした。しかしそこからはアルギンが死角に入っているため、何に縋ることも出来なかった。
「……ミュゼ」
仕方なしに、その名を呼び捨てた。
するとミュゼは、まるで乙女のように白い頬が紅色に色づく。瞳は僅か潤み、とても嬉しそうに。
「……やっと、呼んでくれた」
「ミュゼ、だから、何が」
「アクエリア。……アクエリア、……ふふ、やっぱり何回呼んでも変な感じ」
それは恋する乙女の顔だ。アクエリアはその表情の変化に動揺する。明らかに、自分に好意を抱いている女の顔。昔、愛しい人が同じ表情をしていた。
アクエリアは動揺した。それはミュゼがそんな顔をしたからではない。その表情をされるのに、嫌ではない自分がいることに気付いたからだった。
「信じて、アクエリア」
ミュゼは煙草を床に落とした。その上で踏み潰す。踏み潰された煙草はやがて煙を出さなくなり、そしてその頃には、ミュゼがアクエリアを抱き締めていた。
「貴方は独りじゃない。孤独じゃない。スカイもいる、アルギンもいる。だから、お願い」
ミュゼの掌が、アクエリアの頬を撫でて、その手は唇に。
「『その時』が来たら、アルギンを止めてあげて。その時は、アクエリアにしか出来ない事だから」
「止め、る? 何を」
その問いには答えない。
「好きだよ、アクエリア。……ははっ、『もう』、言えちゃった」
唇をなぞったミュゼの指は、そのまま彼女の唇の上を滑る。僅か朱に染まる頬に、一筋の雫が流れて落ちる。
「………違うんだ」
ころころとよく表情が変わる。アクエリアはそんな彼女の変化について行けなかった。瞳一杯に涙を溜めたそれが、幾筋も軌跡を残して床に流れ落ちていく。流れる。流れて、また溜まる。
「私が好きなのは、アクエリアだけど、アクエリアじゃない。私が愛してるのはお前じゃない、でも好きなんだ。ずっと好きだった。私の頭を撫でるお前の手が好きで、私を守ってくれたお前が好きで、でもお前は私の事を知らないんだろう。私はずっと好きだったってのに、こんなの、こんなの」
アクエリアに縋って泣くミュゼを、彼は振り解けなかった。例え、ミュゼの言葉の意味が解らなくても。
そのくらい、短くない間、互いを知ってしまった。アクエリアの知っているミュゼは、こんな風に男の胸の中で泣くような女では無かったけれど。その肩に触れるのは憚られた。手枷になっているのは、今側に居ない愛しい人への執着の感情。アクエリアの服で涙を拭う素振りを見せて、暫くしたらミュゼは自分から体を離した。
「……覚えてろ、アクエリア。私はこの先未来永劫、お前が好きだからな」
「……それに、返事をする方がいいですか」
「止めろ! 答えなんぞ要らん!! 私今から死にかねない!!!」
ぎゃん、とミュゼが吼える。吼えて、そのまま二階に続く階段を駆け上がっていった。軽い足音が部屋の扉を開いて閉めて、それからはもう聞こえなくなってからアクエリアが溜息を吐いて肩を落とした。
そんなアクエリアを見ながら、アルギンが姿を現す。
「……色恋沙汰は気まずくならない範囲で頼むぞ、アクエリア」
「うわっ……、見てたんですか、アルギン。……趣味が悪いですよ」
「悪趣味上等。……にしても、熱烈な愛の告白だったなぁ? アタシでもあの人にあんな告白してないと思うぞ」
腕を組んで、ミュゼの去っていった階段の方角を見る。もう誰も降りて来る気配は無い。それを確認してから、アルギンがアクエリアにからかい半分で声を掛ける。
「にしても、アクエリア。あんな熱い告白を受けるくらい、女殺ししてたって訳?」
「知りませんよ。ミュゼ……さんだって、ニ十歳は超えてるでしょう。その頃の俺でも多分、ミリア一筋でしたから」
「随分入れ込んでたようだけど、本当に心当り無いの」
「無いです。子供に何かしたら俺はダークエルフとか関係なく迫害対象でしょう」
「んー……? でも、ミュゼはやけにお前さんの事知ってる風だったなぁ?」
「………。」
アルギンが考え込んでいる間、アクエリアは胸に引っかかった言葉の意味を考えていた。
『お前は私の事を知らないんだろう』
『私はずっと好きだった』
そんな事を言える間柄ではなかったはずだ。少なくとも、アクエリアにとってのミュゼはギルドメンバーであり、それ以上でも以下でも無い。こんな意味不明な言動を、アクエリアは何回か感じていた。時折ミュゼの口に上る、意味不明の発言。……今更それは殆ど、アクエリアに関して言われていた言葉だと思い至る。
「……俺はそこまで薄情じゃないつもりですけどね。ミリアに出会ってからは」
「そこ注釈つくんだなアクエリア。アタシの中のアクエリア像がちょっと変わった」
「仕方ないでしょう、若かったんです。子供笑うな来た道だ、ですよ」
「そんな説得力の無い言葉今言う?」
付き合いきれない、とばかりにアルギンはまたキッチンに引っ込んでいた。覗き見していた分、片付けがまだ残っているらしい。
アクエリアも階段に向かって歩き始める。けれど途中で足を止めてキッチンの方に振り向いた。
『その時』が来たら、アルギンを止めてあげて。
ミュゼの言葉が蘇る。止める? 何を? 問い掛けても答えは無かった。きっと、明日の彼女に問うてもしらばっくれられるのだろう。
アクエリアの胸に、言い表しようがない不安が広がるのが解った。何かとんでもない事を頼まれた気がして、じわりと額に汗が滲む。
帰城した騎士四人。
聞いてはいけない話を聞いてしまって不安を抱えたクプラ。
呼び出しを受けて自警団員として仕事に向かったアルカネット。
植物の様子を見ては窓から見える景色に溜息を吐くユイルアルト。
そんなユイルアルトの様子を横目で見ながら床に就くジャスミン。
ミュゼの言葉を反芻しながら物思いに耽るアクエリア。
聞かせてしまった言うつもりのない言葉まで話してしまった事を後悔しているミュゼ。
そして、そんな面々をどう守ろうかと思案するアルギン。
それぞれの夜は更ける。
表面上はなにもなく、しかし、それぞれの心は確実に動いていた。
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