第127話
全員が聞いた、階段の鳴る音。フュンフやカリオンはその音の発生源を咄嗟に見ることは出来なかった。しかし、この場所に住み慣れたギルドメンバーは全員が同じ方向を見ていた。
アルカネット以外のギルドメンバーは顔が青ざめている。アルカネットは、現状が理解できていない顔だ。
しまった。
ギルドメンバーの殆どは、同じことを思っていた。
「あ、……あの、わたし、お手洗いに………」
全員の視線に晒されたクプラは、怯えたような顔をしていた。
「……誰っすか、あんた」
ソルビットが誰よりも先に口を開く。手は腰に下げた短刀の柄に掛かっていて、アルギンが青ざめる。動揺しているクプラはしどろもどろになっていて、それを何とかしようと問い掛けた。
「……クプラ、どこから聞いてた?」
「え、……そ、その、話の内容がよく解らなくて……。王妃派がどう、って声が、断片的に」
「あー」
それを聞かれていてはもう駄目だ。アルギンが頭を抱えた。こうなるのは予測できていた筈なのに、対策をしていなかったアルギンの落ち度だ。
クプラを初めて見たアルカネットは、その腹部を見てから溜息を吐く。訳ありな様子なのは一目で分かった。
「アルギン、お前また拾ったのか」
「また言うな」
「わ、私……す、すみません」
クプラは酒場ホールにいる面々の様子が只事で無いと解って、ただ謝罪の言葉を口にする。見ていられなくなったミュゼが席を立ち、クプラを支えながら手洗い場まで誘導した。
ミュゼがいなくなって九人。重たい空気にフュンフがアルギンを睨み付けた。
「部外者がいるとは聞いていない」
「だろうな。アタシ言ってないもん。はいはいアタシが悪かったです」
「あの者は、一体何だ」
「三番街からの避難民、……って、言って良いのかな。見ての通り身重だ、倒れた所を保護した」
「保護? このような酒場で保護とはな」
フュンフは心底馬鹿にしたような口調でアルギンを責める。確かに保護場所としては色んな意味で劣悪な環境かも知れない。それでも、アルギンが出来る精一杯がこれだったのだ。混乱しているであろう教会やその他の場所に、一人きりで不安な妊婦を送り出せる訳がない。
あまり雰囲気の宜しくない状態に、ソルビットが姿勢を崩して椅子に寄りかかった。
「あーあー、どうしますアルギン。聞かれちゃったら都合が悪い事バッチリ聞かれちゃったじゃないっすか」
「……どうする、ったってよ……。そりゃ」
アルギンがこの場にいるギルドメンバー全員の顔を見る。それぞれが暗い面持ちだ。
「コイツらみたいに、口封じして手元に置くしかないじゃんか……」
「あら、私はいつかこうなるって思っていましたが」
「そーかよ、イル。別にアタシはただ保護したまま、街が落ち着いたら元の暮らしに戻してあげてもいいかなって思ってたんだけどさ」
「元の暮らし? 元居たこの酒場より汚い所に住まわせて、子供抱えて一人で生きて行けって言うつもりだったんですか?」
ユイルアルトの言葉はアルギンの言い訳を封じていく。もごもごと口内で言葉は噛み潰されて行き、舌戦はユイルアルトの勝利。あのクプラを酒場の一室に置いておこうとしたのもユイルアルトだ、その決心は揺るがない。
そんな強気の攻勢を見たフュンフが興味深げにユイルアルトを眺める。親子ほど年の離れているその強気な女性に、何かしら心に触れるものがあったらしい。
「君は、アルギンに対してそのように振る舞うのだな」
「……いけませんか? 私は、自分が間違っているとは思いません」
「いや、面白いものを見た気分になっただけだ。かつてアルギンが騎士だったころ、彼女に盾突いたものは皆その鉄拳の餌食になっていたものだが」
「んな昔の話したって仕方ねーだろ。その頃のアタシを知らないんだもんさ、こいつらはよ」
その中で知ろうともしなかったのがアルカネットで、知ろうとしてもなんやかんやで出来なかったのがアクエリア。他の面々は、期間的に出来なかった。
取り留めのない話をしている間に、ミュゼとクプラが戻って来た。クプラの顔はまだ沈んでいた。
「お帰り、クプラ」
「は……い」
「部屋戻る? それとも、ここにいる?」
「……私、聞いちゃいけなかったこと聞いたんです、よね……?」
アルギンの言葉にも、たどたどしい返事しか返せない。ミュゼにちらりと視線をやるが、肩を竦めて首を振られるだけ。もう隠していても仕方ないので、クプラを空いている席に座らせて会議を再開した。
そんなクプラを気遣う為か、ジャスミンがキッチンからホットミルクを出してきた。クプラの席のテーブルに置く。
「クプラ、これからアタシ達が何言ってても、気にしないで。でも絶対外には漏らさないでね」
「は、はい」
とんでもないところに来てしまった、とクプラの表情が雄弁に語っていた。その自覚があるアルギンは苦笑で誤魔化す。
次に席を立ったのはアクエリアだった。
「じゃ、俺の番って事でいいですかね」
それに異論は返らない。取り敢えず自分たちの報告を終えたフュンフとカリオンは特に無反応だ。アクエリアは全員の顔を見渡すこともせず、話し始める。
「明日、スカイをこちらに一時的に帰らせることにしました」
そんな事を、何でもない事のように。
一番に反応したのはアルギンだった。フュンフは目を閉じたまま無反応。それはもう、二人が既に直接この件に話しているという事に他ならなくて。
「はぁ!?」
「今、何が起きるか解りませんからね。しかもプロフェス・ヒュムネが一枚噛んでいる話なら、スカイがいつ危険な目に遭うか解りません。一度王妃と面会して自分達に付けと言われたそうじゃないですか、聞いてませんよそんな事」
「……面会に来たなら話す内容だ、暫くこちらに来なかったのはそちらだろう」
アクエリアとフュンフが少しだけ言い争う中で、アルギンが再び頭を抱えている。アルギンがマスター就任後、初めての大所帯になるかも知れない事態。もしかするとちっちゃいのが更に増えるかもしれないというのに、この国の状況は良い訳ではない。
それでも、反旗を翻す、なんて大それたことを言った以上、今更引き下がるわけにはいかない。
「……スカイの部屋、またお前さんと相部屋で良い……?」
もう今更何が駄目で何が良いなんて考えていられなかった。アルギンはそっとそう質問すると、アクエリアは一回だけ頷いて、それだけ。
「それから、今からは何が起きるか解りませんし、なるべく戦闘要員の方は最低一人常時酒場に残っていただきたいと思うのですが」
「……戦闘要員?」
「ミュゼさんとアルカネットさんでしょう」
「はぁ?」
「へ?」
「……え?」
それは酒場の非戦闘員の事を考えた言葉だったかも知れない。しかし、アクエリアが出した名前が二つだけであることにギルドメンバーの全員が否を唱えた。ジャスミンはアクエリアの正体について知らないので、空気に合わせて声を出しただけだが。
ジト目で戦闘要員の二人がアクエリアを見る。アルギンもユイルアルトも、二人とも不満そうな顔だ。
「……なんですか、皆さん」
「アクエリアは戦闘要員だろ。スカイ帰って来るなら外出る理由がだいぶ減るね。はい解決」
「そうだな、俺も自警団の仕事があるし……アクエリアいるなら酒場は平気だろう」
「絶対私アクエリアの事非戦闘員なんて思わないからな。アクエリアが非戦闘員なら私だって無力なシスターだ」
「……あんなの見せられて、はいそうですかなんて言えません……」
「イル? ねぇ、何見たの? ねえイル」
ジャスミンだけが戸惑っていた。隣に座るユイルアルトの肩を揺するが、望む返答は得られなかったようだ。騎士の四人は話の内容について行けず置いてけぼりにされている。
「急場しのぎの戦闘要員が必要なら、冒険者でも雇ってみればどうかな」
「冒険者?」
その提案をしたのはカリオンだった。彼もまた会話の内容が解らない一人ではあったが、戦闘力不足だという事だけは理解できたようで。
アルギンがその話に食い付いた。今まで存在や機能は知っていても利用したことがあるのはマゼンタだけで、冒険者というのは今の今まで『客』としてしか見た事がなかったからだ。
魔物を狩り、人を護衛し、時には物の配達も行い、仕事としては『何でも屋』な者が多い。アルギンが暫し考えを巡らせるが、表情は明るくなる事は無かった。
「……カリオン、お前さんも解ってると思うが、この店はこんな感じだ」
アルギンが店内を指し示す。そこは前より少し手を入れ改装した店だ。そしてその中に、今客はいない。……店が開けない、とも言う。こんな状況では。
「うちには金がない。……あっても、冒険者に渡してやれる金は無い。今養ってる奴等で精一杯だ」
「よく言うぜ、余裕あるの知ってるんだぞこっちは」
「キッチンの改装に幾ら掛かったか覚えていますよ」
横から茶々が入る。それを完全に無視して、話しは続く。
「それによ、自由を謳うこの国で、冒険者って不安じゃないか? いつ店の備品盗んで逃げるかも解らんのに」
「冒険者は信頼が第一だから、実績のある冒険者を選んだら間違いないよ。うちの家でも時折配達をお願いしてる」
「ええー……。」
悪意ないカリオンの提案に困るアルギン。それを無視してアクエリアが再び口を開く。
「それから、国王の崩御に伴う『大粛清』の事なんですが」
その件を口にするアクエリアは、騎士四人を見ていた。騎士四人も、また。
「もう時間はないものと考えていいんですよね」
「……ああ。何が行われるか解らないが、恐らくは」
「時間がないなら、このまま手をこまねいている訳にも行かないんでしょう」
こうしている間にも、時間は進んでいく。止まったりも、巻き戻ったりもしない。
「直接、話を伺いに行くことは出来ませんか?」
なのに、その一瞬だけ、時が止まったような感覚を全員が覚えた。アルギンが言葉を失い、騎士四人が口を噤む。
まるで魔法のように、その一言でこの場所にいる全員の呼吸をほんの一瞬止めてしまった。アクエリアの口から流れる言葉は、まだ止まらない。
「……そんな事をしては、無礼だと止められてしまう」
「別に反逆しようなんて思っていませんよ。……もし、そうなってしまったら―――」
アクエリアの瞳にも言葉にも、迷いはない。しかし、その視界にはきっと、ここにはいない人の姿が映っているのだろう。
「俺はきっと、誰かを殺してでも王妃殿下に詰め寄るでしょうけれど」
ヴェールで顔を隠した女性。この国の中でも一番に近い権力を持っている、その人。
国王を喪った今、彼女を駆り立てるものは何なのか。
ヴェール越し、遠目でも、アクエリアは気付いてしまったのかもしれない。
愛する人から漂う、花のような香りに。
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