第124話
燃やせ、燃やせ、燃やせ。
朽ち果てるその最期まで精霊への畏怖を刻み付けろ。
ユイルアルトはアクエリアの詠唱を聞いていた。その詠唱は腹にズンと響く低温で、それを唱えている人物が普段のアクエリアとは結び付かない。
焦げるような香りがする。周囲を風が吹きすさぶ。アクエリアの周囲で何か小さな悲鳴が聞こえた気がしたが、ユイルアルトにはそれが何か解らない。小さな悲鳴は精霊の叫び。今から発動させようとしている魔法は、精霊の方が悲鳴を上げるくらい強力なもの。
燃やせ。燃やせ。燃やせ。
我が命ずるのは破壊と荒廃、塵も残さず灰へと変われ。
アルギンは詠唱を続けるアクエリアを見ながら、煙草を持った手を穴の上に伸ばす。アルギンの顔は強張っているが、それに気付く者はいない。
やがて『それ』は、地鳴りとともにやって来た。
「っ―――!!」
地鳴りに怯えたのはユイルアルト。
真剣な目つきになるのはアルギン。
詠唱を途切れさせないアクエリア。
詠唱は続く。途切れさせたところで破壊力は相当なその魔法だが、詠唱破棄で発動させるよりも完全詠唱で発動させたものの方が、威力は段違いに高い。
三人の前に姿を現した『それ』は、アルギンが昨晩見たのと同じもの。
「な、っ………」
「どうだ、イル。これも見た事ないか」
「あるっ……わけ、ないっ……! こんなっ……!!」
出現と同時、地鳴りは止んだ。その姿に、日光を遮られて三人に影が落ちる。
巨大な蔦の集合体だ。大小絡み合い、聳え立つ姿はまるで城の尖塔のようだ。季節に似つかわしくない強い日光に、照らされて影を落とすその姿はあまりに凶悪で。
まるで煙草の火を狙うかのように、アルギンに向かって蔦が勢いよく飛ぶように伸びてくる。数は三本。
「アルギン!!」
それをアルギンは、躱すので精一杯だった。まだ火のついた煙草を煙草を植物の方向に放り投げ、アルギンを捉えようとするそれらを避ける。
ユイルアルトは少し離れた場所にいたが、アルギンが避けた蔦の一本がその姿を見つけて伸びてくる。助けを呼ぶような叫びに、弾かれたようにユイルアルトを見る。
「イル!!」
アルギンが走り、短剣の一閃。しかし、それは蔦に食い込んだだけで切り伏せられない。半分程まで切られた蔦が、今度はアルギンの短剣に絡みついた。
「しまっ……!!」
足りなかったのは単純な力か、切り込む速度か。短剣から腕に伸びてくる蔦を避ける為に、アルギンが手を離す。するとそれは短剣を取り上げたまま、アルギンの手の届かない高さまで上がっていった。
敵の無力化について知能がある。その事実にアルギンの血の気が引いた。火だけに反応するのではないらしい。
「イル、逃げろ!!」
そう叫んでも、ユイルアルトは身動きが出来なかった。膝が震えて、尻から地面に落ちた。いつもは綺麗に扱われている黒のワンピースが、無残に砂で汚れる。その蔦の巨大さに、そして蠢く恐ろしさに、ユイルアルトが震えている。アルギンは舌打ちして、ユイルアルトの側まで走った。今の状態では、アルギンに武器も何もない。
ユイルアルトを背に庇うようにして立つと、蔦が今度はアクエリアに狙いを定めたのが見えた。巨大になるまで絡み合った蔦が、大きくしなる。それはまるで、鞭のように勢いをつける姿に見えた。
「アクエリア!!?」
動かないアクエリア。蔦の姿は見えている筈だ。まだ詠唱は続いているようで、低い声だけは聞こえてくる。
深い灰色の髪が、彼を取り巻く風に合わせて動いている。それからは、一瞬だった。
「『インフェルノ』」
その呟きが最後、激しい高温の風が吹き荒れた。思わずアルギンはユイルアルトを庇う。
アクエリアは立っていた。髪を靡かせて、指は蔦の方を示している。
肌を焼くような高温。アルギンは目を瞑り、ユイルアルトと共に地面に臥せった。
「もう大丈夫ですよ」
高温に耐えきれないというのに、アクエリアの声だけは涼やかだ。恐る恐る目を開いてみると、周囲は何も変わっていないように見えた。
しかし確実に暑い。熱い、と言ってもいいかもしれない。今の季節は冬だというのに、まるで夏が勢力を増して戻って来たようだ。こんな暑さは、夏でも感じたことがないかもしれない。何もしていないのに肌には汗が浮かび、眩暈さえするような熱。
気付けば、アクエリアの前から蔦は消えていた。
「……これ、何……? アクエリア、何したの?」
「下を御覧なさい」
下、と言われてアルギンが恐々穴に近付いた。その後ろをユイルアルトが付いていく。
そこに広がっていたのは、黒く赤い池だった。
「……ひっ」
アルギンが小さな悲鳴を漏らす。それはアルギンにとって、一度として見た事がない物だった。
溶岩。火山の無い城下付近では本でしかその存在を知らしめられない灼熱。それがもとは二番街だったその落盤跡に広がっていた。
先ほどまで巨大な蔦だったそれらが、溶岩に足元から飲み込まれて行っている。地獄の業火のようなそれらに、蔦はやがて姿を消した。
後に残るのは、ただひたすら熱い温度と広がる溶岩のみ。
「暫くこの辺りはこのまま暑いですよ」
「……どういう事?」
「溶岩ですからね。冷え切るまでだいぶ時間を要します。冷え切った後に土でも被せたら、良い地盤にでもなるんじゃないですか」
なんてことも無い風に言うアクエリア。こんな魔法があるなんて、とアルギンは戦慄する。軽い調子で強い魔法を、と言った結果がこれだった。ユイルアルトは恐ろしいものを見るような視線をアクエリアに投げ掛けている。
穴の中ではぼこり、と溶岩が音を立てる。ゆっくり、穴に落ちないようにアルギンとユイルアルトが後ずさりをした。
「落ちても助けてあげますから大丈夫ですよ」
「……絶対落ちない。絶対死にたくない」
「これ……本当に、アクエリアさんがやったんですか……?」
「土地もこうなってしまいますし、精霊が疲れてしまうから頻繁には使えないんですけどね。今回は落盤跡だからいいかな、と」
「そんな、だって、落盤って昨日で、それで、まだ、生きている人とか」
「いた、と。……思いますか?」
ユイルアルトが動揺していたのは、地震の中、瓦礫に埋もれても生きている人がいたかもしれないという希望にだった。それをアクエリアが聞きなおして落ち着かせる。
あんな蔦が這いずり回る地中、生き残りがいたとは思えない。ユイルアルトもそれに気付いて、深く息を吸い込んだ。吸った空気は熱い。
「……アクエリア、助かった。助かったけど、お前さんこんなの使えたんだな」
「使ったのは今日が初めてですよ。そんな頻繁に街を火の海に沈めてたんじゃ効率悪いでしょう」
「本当か? 本当に初めてか? あ、いや、疑ってる訳じゃないゴメン」
「初めてですよ。……そんなに怯えなくても良いでしょう」
三人は暫く落盤跡の溶岩を眺めていた。三人がいる間は、誰も寄ってはこなかった。時折ごぽりと音を立てる、凶悪な溶岩。それを見つつ、ユイルアルトが自分の服の下を探っていた。
「イル?」
「もう、使わなくてよくなったかも知れませんけど……」
服の下からかちゃかちゃと音を立てていたものの正体。それは円筒形の薬瓶だった。それが専用のベルトに数本刺さっている。
「初めて見る草です。何らかの薬効が期待されるかも、と思いましたが……、これはこの場所にあってはいけないもののように感じます。人の住む場所に在るには危なすぎる」
そう言って、ユイルアルトは植物たちの根元に何かの液体を振りまいていく。点在する植物に、一つずつ、ゆっくりと。
振りかけられた液体で、今すぐ何かが変わるという訳では無いらしい。アルギンはその様子が気になって、ユイルアルトに尋ねた。
「なにそれ」
「これですか」
問いかけに、ユイルアルトは薄く笑みを浮かべただけ。
「企業秘密です」
二番街ではそれ以上の収穫は無く、三人は大人しく酒場に戻った。アクエリアはそれから外出し、夜まで帰って来なかった。
夜になってアルカネットが仕事から帰って来ると、「二番街跡地に溶岩が噴き出したそうだ、地震の影響か」などと言っていたので、噂にはなっているようだ。
街への影響を考えると、強力過ぎると言うのも考え物だ。夕食時をかなり過ぎて帰って来たアクエリアに、もう少し加減できないか、と聞くと。
「加減……してもいいですが。今回詠唱込みで魔法使ったのは、貴女の希望だったことを忘れないですくださいね?」
と返された。それに関しては反論の余地も無く、アクエリアが今回の随伴と魔法詠唱の対価として希望した『家賃ひと月無料』を受け入れるしかなかった。
この夜も、酒場を閉めての会議が始まる。酒場を開いたところで、気が立っていないまともな客が来るかも怪しいものだ。
クプラには、部屋まで夕食を持って行って、部屋から出ないよう言い含めておいた。彼女に聞かれたくない話が、山ほどある。
「……それじゃ、俺から話してもいいか」
会議は、暁以外のギルドメンバーが揃っていた。
その日一日の周囲の様子や変化を話すという段階になって、アルカネットが最初に口を開く。
「ちょっと待て」
そのアルカネットを制して、アルギンが外の様子を伺った。一度だけだったが、店の開店を知るためか扉が揺れ、その反動でベルが鳴った。誰か外にいるらしいのが全員に伝わる。しかし今、その扉は閂で閉ざされていた。
「ミュゼ、閂外せ」
「え? ……ああ、解った」
ミュゼに命令すると、その意図に気付いた様子のミュゼが扉に掛けていた閂を外す。アルギンが「開いてんぜ」と扉に声を投げると、外からは外套を被った姿が四人ほど入って来た。背格好には少しばかりばらつきがある。
「おーおー、大所帯なこって」
「昨日、来ると伝えたはずだ。扉が閉まっていたぞ」
「こんな不安な時期にずっと開けてられるか。……閂閉めてくれ、面倒を呼び込みたくないんだ」
アルギンがその姿に半笑いで声を掛けると、外套の主たちは閂を律義に閉め、それから徐に外套を脱いでいく。
現れたのは『月』隊長フュンフ・ツェーン、『花』隊長ソルビット。そして。
「……まさか、こんなに大事になるなんて思いませんでしたよ」
『鳥』隊長カリオン・コトフォールと、その部下フィヴィエル・トナーだった。
予想だにしなかったフィヴィエルの登場に驚いていたのはギルドの医者二人だ。特にユイルアルトは顔を真っ赤に染めている。それに気付いてにやにやしているものアルギン。
嫌な顔をしたのはアルカネットだった。騎士嫌いが染み付いているのに、この場所には四人の騎士、三人もの騎士隊長がいる。しかもうち一人はその総纏め役だ。
「お疲れ様です、アルギンさん。言われた通り、カリオン隊長をお連れしました」
「ありがと、フィヴィエル。……んで、その隊長さんはここに来た理由が分かってんのかねぇ?」
フィヴィエルににこやかにお礼を言った直後、アルギンがカリオンを睨み付ける。それはギルドマスターとしても滅多に見せる事のない表情。怒りに満ちて、でも凛として。その平手が、テーブルを大きな音で叩いた。
「カリオン!! お前さんがいながら城下があの有様なんてどういう訳!?」
「………。返す言葉も、ありません」
「誰の仕業か解ってんだろ!? そんなんだから自警団の目の敵にされんだよ!! 王家の為なら民草は無視するって事か!」
アルギンの言葉を、目を伏せて聞くカリオン。引き結んだ唇から、反論や言い訳が出てくることは無い。アルカネットは騎士が嫌いでありながら、カリオンのその姿勢は嫌いではなかった。だから、最初に口を挟んだのはアルカネットだった。
「……その騎士の責任を放り投げてこっちに戻って来たお前が言う事じゃないよな」
「っ―――。」
その一言はアルギンにとって痛かったらしい。口を開いたまま固まってしまった。
初手のアルギンの怒りがそれで止まったことで、四人が空いている席に座り始める。騎士四人は全員が同じテーブルでは無かったが、近くに固まるような席選びをした。
「……さて、アルギン。頭数は足りているかね。足りているなら話を始めたいところだが」
フュンフの無感情な声が酒場内に広がる。ソルビットは心配そうにアルギンを見ているが、カリオンは沈痛な面持ちで椅子に座って俯いていた。フィヴィエルは隊長三人の姿を伺っては居心地悪そうにしているだけ。
「……足りたよ。足りてるよ、畜生。……そんじゃあ、アルカネットから話を聞こうかね」
心的ダメージを堪えたアルギンが、口を開いた。
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