第119話

 夜闇に馬が駆ける音がする。

 それも一頭ではない。三頭分の蹄の音が街に聞こえていた。

 先頭を走るのは城で着ていた司祭服を脱ぎ、昔から変わらない神父服を着て、松明を持って駆けるフュンフの栗毛馬。それに続いてアルギンとアルカネットが乗っている黒馬、そしてソルビットとミュゼの乗った白馬だ。二人乗りの馬は、鞍を取り払っていた。

 速度を出して駆ける馬に一番戸惑っているのはアルカネットだ。これが初めての乗馬体験であるが故に、作法も体重移動のやり方も解っていない。ただひたすら手を伸ばし手綱を握り、これやんなきゃ落ちるぞと脅された両膝での自分の体の固定で必死だ。

 対してミュゼは慣れた様子だ。前に乗っているソルビットがミュゼに


「慣れてるな」


 と、騎士隊長然とした言い方で話しかける、その返答は。


「まぁね。散々扱かれてたから」


 それで会話は終わる。

 先頭のフュンフは道を躊躇うことなく馬を走らせている。時折片腕ずつをあげて曲がる方角を示しており、急の方向転換などはない。指揮官として手慣れた様子が解る。

 三頭が向かう先は―――二番街。走り、走り、次第に街の雰囲気が変わる。五人が走ってきた方角に、夜にも関わらず人が流れていた。

 嫌な予感がアルギンを襲う。しかし、今は街の者達に何事かを問う前に自分達で確認したかった。

 人の波はアルギン達を避ける。その表情は不安に包まれていた。荷物を持って逃げようとするものまでいるくらいだ。

 まだ走る。まだ着かない。そろそろ後ろのアルカネットが疲労で落馬するんじゃないか、と思った時―――


「…………なん、だ」


 先頭のフュンフが止まる。場所は、まだ三番街の端辺り。城下には川が幾筋も流れていて、それにより区画が分けられている。その川を超える橋をまだ超えていない。そんな所でフュンフが進まなくなったのが気になって、アルギンがフュンフの隣に馬を歩かせる。


「―――。」


 川が、無かった。

 橋も、無かった。

 目の前に晒されている光景は、三番街の端をも道連れに、街全体が落ち窪んだ虚空に飲み込まれてしまったようだった。

 夜闇に何も見えない。しかし、何も無い事は解る。遠い向こう側に、一番街との境の壁らしいものがあるのが見えた。

 アルギンに続きアルカネットが息を飲む。ソルビットとミュゼも言葉が出てこない様子だ。冬の風が吹いても、その寒さに身動ぎさえ忘れて五人が馬から下りた。

 不気味な程静かな街。この周囲の住民はもう逃げ出しているようだった。


「なんだ、これは」


 フュンフが声を出す。


「……これが、お前さん達が後生大事に守ろうとしている王家のしたことだろうさ」


 アルギンが、動揺を隠しきれないフュンフに返す。

 フュンフが一番動揺していた。アルカネットもそうだが、ソルビットもミュゼもどこか現実味を感じられないような顔をしている。これが現実で起こった事だと、アルギンだって正直信じられていない。

 それでもそこにあった二番街の代わりにぽっかりと空いた地面の穴は、只事ではないと暗に告げている。


「どうする、この穴。下りてみるか」

「じょっ……冗談だろ!?」


 アルギンが軽く口にした提案を、ミュゼが勢いよく否定する。この暗さで、何があるか解らない穴の中に入るなんて自殺行為も良い所だ。


「ソルビット。フュンフ。お前さん達、これ、知ってたんだろ」

「………。」

「それは、……全部を知っていた訳では」

「……お前さん達、そんなに王家が大事か。民草の命なんてどうだっていいってか。これで何人犠牲になったよ」


 アルギンが座り込んで、少しでも近くで穴の中を覗こうとする。しかし、やはり少し近付いたところではなにも見えなくて。アルギンが自分の慎ましい胸元に手を入れる。その中から出したのは煙草一本。


「ちっ、やっぱ見えないな」

「……たいちょ、幾ら平たい胸って言ってもそんなので上げ底にしないでも……」

「うるせぇ。舞踏会なんてあんな面倒臭い所行くんだから吸わんでやってられるかよ。おいフュンフ、火ぃつけられるか」

「松明で良ければ。……、動くな」

「そっちこそ気を付けてくれ」


 フュンフが手にしていた松明がアルギンに向けられる。アルギンが立ち上がり、フュンフの側に寄った。フュンフはアルギンが咥えた煙草の先端に、そっと松明を近づける。アルギンが煙草を更に寄せて、着火完了。

 そのまま再びアルギンが煙草を吸いながら穴に近付いて行く、その時。

 アルギンの煙草の火が、突然消えた。


「………へ……?」


 アルギンにとっては突然で、理解の出来ない事。しかし、アルギン以外には驚きの目を以てあるものを見ていた。

 穴の中から現れた、煙草の火を消したそれは、アルギンの目の前に存在していた。

 まるで大樹の幹のような太さまでに絡み合った蔦。アルギンがもし腕を回せたとしても、決して蔦の半分にも回らないだろう。松明の灯りで辛うじて見えるそれは、あまりに異形の存在だった。

 それが空高く、うぞうぞと蠢いていた。アルギンが煙草を落とす。


「アルギン、逃げろ!!」


 アルカネットの声が、アルギンを正気に戻す。蔦の四本がアルギンを狙い、しなる速さで向かってくる。それを何とか地に伏せて転がり避けたアルギンだが、後続とばかりに蔦が再び襲ってくる。

 馬の嘶きが聞こえた。一頭、馬が捕まっていた。ソルビットとミュゼが乗っていたものだ。


「あっ………!!」


 ソルビットが声を上げる。

 みるみるうちに馬に群がる蔦。

 雁字搦めにされた馬が宙に浮く。

 蔦はそれを自分たちの頭上に掲げ。


「―――――!!!」


 血飛沫。

 絡まる蔦が形を変え、中のものを圧縮するように動く。そして、その触手の塊が半分ほどまで小さくなり、夜闇に血の香りが漂った。アルギンの頬に何かが掛かったような気がした。その正体は考えるまでも無く、馬の血液。


「……逃げるぞ」


 撤退を指示するアルギンの顔が青い。四人は、無言で頷いた。

 フュンフがミュゼを自分の馬に誘導した。ソルビットとアルギンは同じ馬に乗り、アルカネットは手綱を手に走るつもりのようだ。五人が一瞬目配せしあい、未だ馬を文字通り絞り上げる蔦達を尻目に―――走り出した。

 蔦は、追ってこなかった。

 やがて、誰もいなくなった場所で、蔦もその姿を穴の中に消す。馬だった肉塊を連れて。




 走った。

 走った。走った。駆けた駆けた駆けた。

 今居たのとは逆方の、四番街との境の三番街の端まで全速力で。

 馬脚には流石に付いてこれずアルカネットが脱落したが、端で待っていると暫くして追い付いてきた。

 蔦が追ってくる気配は無い。勿論、本当に追って来ているのであれば、アルカネットは犠牲になっていただろう。

 アルギンが馬から下りた。ミュゼも馬から下りて、馬上にはフュンフとソルビット。漸く追いついたアルカネットを労うように、アルギンとミュゼが迎えた。


「……何なのだ、あれは………」


 アルカネットの姿を見て、もう追ってこないであろう蔦に安堵したのか、フュンフが先に口を開いた。


「………王妃が考えてる事が『アレ』なら、答えは一つだけだろ」

「プロフェス・ヒュムネ……」


 あの蔦の集合体をプロフェス・ヒュムネと言って良いのか解らなかった。しかしこの面子の中で、あれをそれ以上に的確に表現できるものを他に知らない。

 ソルビットは苦い顔をしていた。そして自分の眼帯に触れる。


「……忌々しいっすねぇ……。思い出しちまう」

「ソルビット?」

「あたしがこっちの目を無くした時も、あんなん見た気がするっすよ」

「そうか、ソルビットは……」


 かつてアルギンが夫を亡くした戦場。

 その場所に、ソルビットも居た。そして、片目を失ってしまった。


「ソルビット、フュンフ、これからどうする」

「……どうする、とは」

「……一旦帰んないと、ですねぇ。指揮系統は大いに乱れてるでしょうし、今城に残ってる隊長がカリオンとアールヴァリンだけっすし……」

「アールヴァリン……」


 アルギンの脳裏に、その名を持つ人物の顔が浮かぶ。

 今のアルセンに何が起こっているか、そして王妃が何を企んでいるか知っているであろう人物。

 ―――そういえば、あの場所にひとり、足りなかったような。


「そういや、今アールリト王女はどうしてんだ」

「………。」

「……王女は」


 二人が途端に口籠った。互いに目を合わせるが、それ以上何も言わない。

 そんな二人に焦れて、アルギンがひとつ提案をした。


「ちょっと二人とも、アタシの酒場に来ないか」

「えっ」

「アルギン、それは」

「いーだろ、ちょっと遠回りするだけだから。お前さん達も疲れてんだろ」


 確かに、この五人は疲れている。フュンフやソルビットもあれを目にして、肉体的にも精神的にも。

 だが、と言いかけたフュンフの言葉を遮るように、アルギンが再び口を出す。


「よし、決まり。ここからなら歩ける距離だろ、少し急げば日付変わる前には城にも帰れる」

「……たいちょ、……もう、あたしらは隊長に迷惑かけるなんて」

「何が迷惑だ。そう思うんならこんな事態になる前に何とかしておいてくれよ」


 そう言うアルギンに、ソルビットが言葉を詰まらせた。

 アルギンとミュゼは馬の手綱を引いて、酒場までの道程をアルカネットと一緒に歩くことにした。

 馬上の二人は戸惑っていた。けれど、もう振り払って城に帰る気はないらしい。


「……たいちょーのお店、久し振りに寄ります」


 呟いたソルビットの言葉には。


「そうだな、何年振りだ。この不調法者め」


 アルギンの責める言葉が重なった。


「さーせん」


 言葉を返すソルビットの口許は、笑っていた。

 それはフュンフにとっても、数年振りに見る妹の微笑みだった。


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