第118話
傷ついた裸足で階段を駆け下り、長い廊下を走りながら髪を解いた。走りにくいドレスは脱ぐことも出来なかったが、そのまま来た道をただ走る。
会場に続く使用人用の扉を開くと、舞踏会は止まっていた。どうしていいか解らない賓客が、中央に寄っていたり、使用人たちの誘導で続々と出口に向かって歩いている様子が見えた。この状態で再度舞踏を、という気分にもなれないだろう。
アルギンが会場を見渡すと、立食形式で用意されていた食事や飲み物はテーブルごと床に倒れて悲惨な状態になっており、楽団もあわただしく楽器などをケースに仕舞い込んでいて、花瓶などは全て床に落ちて割れていた。
「アルギン」
呼ぶ声が聞こえた方を見てみると、ギルドメンバーの全員は固まって壁際に寄っていた。怯えた様子のジャスミンとユイルアルト、その二人を守るように背中に囲うミュゼとアクエリア、アルカネット。
その五人の側にアルギンが走り寄り、現状を確認する。
「大丈夫か、皆」
「ユイルアルトが転んだ以外は大丈夫だ」
「イル、大丈夫か?」
「ちょっと驚いただけです。……心配には及びません、ですが……」
ユイルアルトが口を閉ざした。先ほどの地震が恐ろしかったのだろう。こんな時でも、ミュゼは毅然とした態度だった。二人を背に庇う姿は、さながら女騎士のようで。
アクエリアがアルギンの姿を認めたことで、少し窓に寄る。窓は割れておらず、外の様子を窺う事が出来た。
「どうします、アルギン。外は安全だと思いますか」
「今頃迎え待つお貴族様達で一杯だろうし、もう少し待ちたいところだな。でも、アタシとしてはもうココには居たくない」
「……何があったんですか」
アルギンは髪を解き、裸足で絨毯の上に立っている。それだけ見て、何か一悶着あったらしいことは解った。軽く首を振ってなんでもない、と示すアルギンに、アクエリアはそれ以上何も聞かない。
「皆さん!!」
その六人の側に走って来たのはフィヴィエルだった。
変わらずタキシード姿ではあるが、息せき切って来たのは賓客の誘導をしていたからだろう。遅れてゾデルもやって来た。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
「馬車の用意は出来ています、お乗りになりますか?」
「こっちに怪我はないそうだ。……ああ、送ってくれ」
アルギンは、そっとジャスミンとユイルアルトの背を押した。
「フィヴィエル、ゾデル。馬を借りられるか」
アルギンの言葉に、ゾデルが聞き返す。
「馬!?」
「アタシは見に行く場所が出来た。一頭で良いから貸してくれ」
「勝手な真似は困りますね、マスター・アルギン」
騎士相手に交渉を始めたアルギンの背中に、冷たい女性の声が掛かる。それはアルギンが知っているようで知らない声。
振り返るとそこにいたのはソルビットだった。先程皆の前に姿を現したのと同じ眼帯とドレス姿のまま。
「陛下と殿下の御前を中座するなど、無礼にも程があります」
「……ソルビット」
「馬は必要時以外は乗り出し禁止です。それも、一般の世に戻った貴女に貸し出す馬はありません」
「そんな事言ってる場合か!?」
ソルビットは全く慌てた様子が無い。それでアルギンも、ソルビットはこのことを知っていたと勘づくことが出来た。顔中を憎悪で歪め、ソルビットの胸倉を掴む。ドレスの生地が僅かだが伸びた。
「ソルビット、お前、こんな状態になって平気な顔してんだなぁ!?」
「………離しなさい、マスター・アルギン」
「お前はアタシの知ってるソルビットじゃない。王家から何聞かされたか知らんが、さっきの地震が王家のせいって知ってんのか」
「………離せ、と」
ソルビットの手が、胸倉を掴むアルギンの手に伸びてくる。手首を掴み、そのまま締め上げるように握った。
「言っているでしょう」
アルギンの顔が痛みに歪む。しかしアルギンも意地だ。そのまま手を離すことは無い。
ぎりぎりと、そのまま膠着状態が続いた。その間に割って入ったのは。
「―――二人とも、止めないか。此処がどこか解っているのか」
白い司祭服が視界に入った。
二人を押しやるように左右の手で引き離す。最初に離れたのはソルビットの手だ。それからアルギンが手を離す。
「兄貴―――フュンフ。邪魔をするな」
「マスター・アルギン、厩舎に行け。どんな馬でも構わぬなら連れて行くといい」
「本当か!?」
「フュンフ!!」
「無理をするな、ソル。本当はお前とて、アルギンの力になりたいだろうに」
「あたしはっ………」
ソルビットの声が震えた。フュンフの言葉を聞いて、アルギンがソルビットを改めて見る。
知らないソルビットだった。アルギンの知っているソルビットは、仕事熱心で、でもどこか大雑把で、こんな喋り方でアルギンに接しない。
ソルビットは、こんな時に震えたりしない。
涙を浮かべた目で、アルギンを見たりしない。
「……おねがいです、たいちょ」
こんなに震えているソルビットの声なんて、殆ど聞いたことがない。
「もうこれ以上、危ない事しないでください……。安全な場所にいてください……」
「ソル、……ビット」
「何でっすか。十番街にさえいれば、貴女の身の安全は守られます。あたしが守ります。なんで殿下の言葉を振り切ったっすか」
「お前さん、」
「王家のせいって知ってます。知ってて言ってます。あたしじゃどうしようもないんです、王家に挟める口を、あたしは持ってないんです」
腕が伸びてきた。それを避けず、アルギンはされるがままになった。
ソルビットの手はそっとアルギンの頬を撫で、肩に位置付く。そして俯いたソルビットの目から、涙が零れて落ちた。
「王家はこの城下を、選別しています。選別して、評価外の存在を、滅ぼそうとしてます。冒険者達が入り乱れるこの国は自由過ぎて、王妃のお気に召さないようです」
「そん、な」
「二番街は、今、全体が落盤している筈です。元の面影が無いくらいに。そんなところに行かないでください、たいちょ」
そんな三人の姿を見守っていたギルドメンバーとフィヴィエル、ゾデル。
フィヴィエルが居心地悪そうに、全員を見渡して言った。
「……、僕は、誰を送ればいいですか」
その声に返したのはアルギンだった。
「……ジャス、イル、ミュゼ。先に帰れ。アルカネットとアクエリア、三人を無事に酒場に帰らせろ」
それはギルドメンバーにした指示だった。しかし、その指示に首を振った者がいる。
「いや」
「……ミュゼ?」
「私も見に行く。アルギン一人じゃ心配だからな。ん」
言うだけ言うと、ミュゼはアルカネットに向かって手を出した。
「……何だ、この手は」
「刃物持ってんだろ、ちょっと貸せよ」
「お前、騎士の前で平気でそんな事言うなよ。……仕方ないな」
するとアルカネットが溜息を吐きながらも、スラックスのベルト部分から小指程度の小さなナイフを出した。それを見てゾデルが驚いた顔をする。
「身体検査したんじゃないんですか!?」
「暁が同伴したお陰で目視で終わった」
「なんという………」
ゾデルが嘆いてみせた。そんなのも知らない振りで、ミュゼがナイフを受け取り、屈んでドレスの裾を摘まみ、一気に太腿の中間辺りまで一気に引き裂いた。マーメイドラインの裾に荒いスリットが入った形になる。チラ見えする太腿にはベルトが巻かれており、そこに長い針の形をした暗器が仕込まれているのを見てゾデルが卒倒しそうになる。
「よし、これで動ける」
「あ、ミュゼ。アタシもアタシも」
「はいよ」
ミュゼからナイフを受け取ったアルギンが、こちらも躊躇わずドレスを裂いた。裂け目から覗く脚は、ミュゼもアルギンも違わず美脚。行く気満々な二人の様子を見て、ソルビットが溜息を吐いた。
「……本当は、止めて欲しいっすけど。ねぇたいちょ。貴女が行くならあたしも行きます」
「はぁ? ソルビット、お前が城空けて平気なの」
「今日の事は、騎士隊長四人には事前通達されています。兄貴が多分残ってくれるから、あたしは居なくても平気」
「……待てソル。何故私が残る事前提なのだ」
「へぇ? 兄貴も行くの? マジで? 嘘でしょ」
「え、フュンフも行くならアタシ馬どうすりゃいいんだよ。フュンフの借りようと思ってたのに」
ごね始めるアルギンと兄妹を横目に、フィヴィエルとゾデルがジャスミンとユイルアルトを誘導して外に向かう。その後ろをアクエリアだけ付いていった。
アルギンがそれに気付くのは、三人の言い争いが一旦落ち着いた時だ。
「あれ、アルカネット? 他の奴等は?」
「気付いてなかったのか、あいつらは帰っていった。アクエリアは護衛で行ったぞ」
「……お前さんはどうして残ってるの?」
「俺は自警団員だからな。何があったか確認しなきゃならない。騎士様に任せていられるか」
ソルビットとフュンフを見ながら、吐き捨てるように言ったアルカネット。その様子に憮然としながらも、フュンフは残った全員の顔を見渡す。
「……馬は適当に連れて行くと良い。この状況だ、今が非常事態でなくて何になる」
「お、マジで!? やったあ、カリオンの馬借りよー」
「あの馬は止めておけ、気が荒すぎて駄目だ」
「ちぇー」
この場に残ったのはアルギン、ソルビット、フュンフ、ミュゼ、アルカネット。
ギルドメンバーを誘導し終えて帰ってきたゾデルに「行ってくる」とだけ告げて、五人が厩舎に向かった。そこで手近な馬を選んで、五人が出発する。
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