第116話

 楽団の音楽が止まったことで、招待客の舞踏も会話も止まる。静けさはギルドメンバー達にも感じる事が出来たようで、全員が戸惑うような、或いは周囲の様子を窺うような表情になって。

 それから暫くして。

 会場の最奥、アルギン達が入って来たのとは違う扉無しの出入り口、そこから正装の人物が四人現れた。


「静粛に」


 神父として最上級の白の司祭服に冠、長い癖のある茶髪を三つ編みに束ねて声を発したのは、『月』隊長フュンフ・ツェーンだった。ぐるりと会場内を見渡した彼は、その場が静まったのを確かめてから小さく頷いた。

 その横に位置付いたのは、白を基調に金の刺繍、赤のストールを合わせたスレンダーラインドレスを着た、それだけは武骨で違和感がある茶色の眼帯をした女性。フュンフと似た色の髪を緩く巻いて、毛先を遊ばせている。


「国王陛下、ガレイス・R・アルセン様の御成りです」


 女性らしい格好とはかけ離れている、冷たく響く声。アルギンがその女性の姿を見て、誰にも聞こえない程の声量で呟いた。


「―――ソルビット」


 それはかつて、自分が従えた『花』副隊長、そして『花』現隊長の名前。今、彼女の正装を見る事になるなんて思わなかった。確かに、近隣諸国の有力者と『遊ぶ』だけの美貌の持ち主だ。今は無くなってしまった彼女の片目は、彼女に底知れぬ神秘さを齎している。

 ソルビットが不意に、アルギンを見た。


「―――。」


 一瞬彼女の瞳が見開かれた、ように見えた。しかし彼女はそれきり目を逸らし、これから登場するであろう人物の為に兄と共に左右に分かれる。

 最初に姿を現したのは、『風』隊長のアールヴァリン・R・アルセンだった。彼も騎士としての漆黒の鎧を身に着け、フュンフやソルビットと同じように、正面を分けてフュンフのいる右側に寄る。

 そして。


「………皆の者、集まって、くれて」


 現れたのは、国王陛下。

 アルギンはその姿を見て、言葉を失った。

 衣装こそ国王として身に着ける最上級のものではあるが、まるで骸骨に皮だけ着せたような顔、衣装に着られた弱り切ってやせ細った体、杖を突かねば歩いていられないような不安定さ。その国王を支えるように、国王が杖を持つ手とは逆の手を支えるのは。


「ありがたく、思う」


 今日もまた、ドレスとヴェールという姿の女王殿下。その姿はいつ見ても変わらない。

 国王の後ろを守るかのように姿を現したのは白銀の甲冑を身に着けた『月』隊長のカリオン・コトフォール。彼もまた、ソルビット側についた。

 その瞬間、四人が国王に向かい膝を付いて頭を垂れる。それに倣い、来客も同じように膝を付いた。暁とミュゼは招待客と同じタイミングで、ジャスミンとユイルアルト、そしてアルギンとアクエリアは一拍遅れで。アルカネットは一番最後に膝を付いた。


「我が快気祝いで、皆に集って貰い、嬉しく、思う」


 アルギンが顔を青に染める。

 何が快気祝いだ。全然良くなったように見えない。それどころか、今にも死んでしまいそうなのに。

 かつてはこの国王に仕えた。その頃を考えても、ここまで酷い有様になっているなんて思わなかった。

 暁が言った通りだ。近々崩御されると聞いても、いざ本人を目の当たりにすれば疑いようがない。


「私を、病魔如きが、殺せるはずはない。私は、アルセンは、不滅である」


 国王の宣言と同時、皆が立ち上がり拍手が鳴り始めた。

 暁も笑顔で拍手をしている。アルギンはまだ膝を付いたまま、そんな暁を睨むような視線で見た。まだ膝を付いているのは、暁とミュゼ、アクエリア除くギルドメンバーのみ。ミュゼとアクエリアは流石周りの空気に合わせるのが得意で、他の客に混ざって拍手をしている。しかしミュゼだけは表情が険しい。


「ささやか、ながら……祝いの席を、設け、……させてもらった。皆の者……、存分に楽しんで行かれよ」


 その言葉と同時、再び国王は安定しない足取りで来た道を戻っていく。それを支えるようにしている王妃―――の筈、だったが、王が動き出すのに王妃は一方向を見ながら動かなかった。


「―――。」


 アルギンがその方向に視線を向ける。

 そこにいたのは、アクエリアだった。

 アクエリアもまた、王妃を見ているようだった。その表情は、困惑しているように見える。

 やっと退場し始めた国王と王妃の後ろを、四隊長が付いて去っていく。

 今回の主役が去った後、再び楽団による音楽が鳴り始めた。それを合図に、招待客は皆歓談やダンスに戻っていく。同時、暁がアルギンを促す。


「アルギン、こちらへ」

「……どこ行くんだよ」

「こちらよりも、もっとイイトコロです」


 再びのエスコートの為に差し出された腕。アルギンに選択肢は、それを取る以外に残されていなく、暁が進む先に大人しく付いていくだけ。暁は一番側にある使用人用の扉に手を掛けた。


「アタシを満足させきれなかったら、ブチ殺すからな」

「それは怖い。ですが、ウチは何があったって貴女を一番愛してますよ」


 そんな言葉遊びも早々に終わり、アルギンがギルドメンバー達を振り返った。

 他の面々は、難有りがいながらも無難に会場で今の時間を過ごしていた。ミュゼなんかは他にもダンスのお誘いがあったようで忙しそうだ。アクエリアの取り巻きは更に七人に増えている。ジャスミンとユイルアルトは男性客と歓談をしているようで、アルカネットは逆に女性客に話しかけられている。妙齢の女性なので、領主夫人といった所か。


「アタシの最愛を愚弄したその唇で、よくそんな事が言えるな」


 暁が扉を開く。その中は会場に比べてとても暗く、点々と通路を照らす蝋燭があるのみ。


「それが、ウチの『愛してる』って意味ですよ。貴女以外はなんだって、どうだっていい」


 白い悪魔の囁きは、眼前に広がる通路のように暗く、重いものだった。暁の手を振り解き、顎で前を歩けと指示をする。暁はやれやれといった具合に肩を窄めた後、アルギンの前を歩き始めた。

 後ろについて歩くアルギンは、舞踏会を邪魔する音をさせないよう、そっと扉を閉めた。


「少し暗いですけど、目もすぐ慣れると思いますよぉ」

「慣れた所で、ずっとここにいる訳でもない。早く帰って一服したいところだな」


 使用人用の通路でも、狭くて通りにくいという訳ではない。給仕係が通るからという事もあるだろう、ドレス姿のアルギンが暁と横に並んでも普通に歩ける程度の広さだった。勿論、二人が並んで歩く訳は無いのだが。

 アルギンのヒールの音が廊下に響く。慣れない靴に、既にアルギンの足は痛み始めていた。


「またそんなこと言って。お話が終わったら会場で一緒に踊りましょうねぇ」

「アタシに何本骨折られたら懲りるんだお前さんはよ」


 暁の甘ったるい声によるお誘いも軽く流して、暁が先に進む。巡回中の騎士と擦れ違い、突き当りの階段を登り、更に登り、そして城の中でも一番最後の階段を登る。アルギンが最後の階段を登るとき、目に見えて嫌な顔をした。足は痛いが、それ以上にこの先が嫌だったのだ。ここから先は何があるか知っていたから。

 この先は、王家の居住階。アルギンが騎士として仕えていた時ですら、一度として足を踏み入れた事のない場所だった。そしてそこは階段下にはいつも、『鳥』隊の上級騎士が組を作って番をしている。

 暁は躊躇う事なく階段を先に進んでいく。もう一歩たりとも進みたくないアルギンだったが、都合よくここで上級騎士が足止めをしてくれる訳ではなかった。無言の張り子のような騎士は、暁とアルギンの訪問を黙って通す。

 階段を登り終えたフロアでは、階段のある場所を小部屋で仕切り、そこから四方に廊下が伸びている。その廊下は少し距離があり、その先が王家の者それぞれの部屋となっている、……ということを、騎士時代に聞いたことがある。それだけ、この場所は他者を受け付けない場所だったのだ。

 廊下は暗い森を思わせる深い緑色をした絨毯が敷かれ、点々と置かれた花瓶に白や赤、桃色や青色など色鮮やかな花が咲いている。舞踏会会場へ向かうまでの通路でもそうだったが、季節を疑うようなその光景に不気味さを感じて寒気がする。季節は冬だ、なのに咲き誇る花はこの場所の異常さを伝えているようで。

 暁は四本の廊下の内、一本を選んで歩き出した。アルギンは渋々歩こうとしたが、足に痛みを覚えて立ち止まってしまった。


「っ……!」


 その痛みは皮膚が剥けた痛み。アルギンが壁に手を付いてヒールを脱ぐと、真新しい靴擦れの跡があった。白い足もところどころ圧迫の赤みを持って、痛みは一箇所だけではない。その傷口に触れると、びりびりとした痛みが走った。


「怪我ですかぁ、アルギン?」

「……慣れない靴だからな。ここまで歩かせたお前さんのせいだ」

「そんなご無体なぁ。低いヒールでも良かったんですよ、貴女の美貌は身長なんか関係ありませんからぁ」


 今はそんな話してないだろ、と思いながら暁を睨むアルギン。暁はそんな視線も知らない振りで近寄って、そして。


「えっ、うわ」

「よいしょっと」


 暁は着やせする細腕で、アルギンを横抱きに抱き上げた。俗に言うお姫様抱っこだ。

 アルギンは持っていたヒールを落としたが、それも暁が拾い上げて持った。その様はさながら王子様。間近になった二人の顔。暁は今の状況に動揺しているアルギンにウインクをひとつ。


「ウチのお姫様は羽のように軽いですねぇ。このままずっとこうしていましょうか?」

「……その発言、後から後悔すんなよ」


 相変わらずの気障ったらしい言葉はアルギンの気に召さなかったらしく、低い声で返された。暁はそれにもめげる事なく、再び廊下を歩き始める。

 辿り着く先なんて見たくなかった。アルギンは不機嫌に目を閉じ、顔を背けてされるがまま、連れて行かれるまま。


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