第90話


 数日後、アルギン達の酒場の記事が載った。


 記事内容は半分が事件に関する内容、もう半分が店自体についてだ。味やメニューに関しても好意的に書いてあり、緻密なハムステーキの絵が一緒に記載されていた。新聞を見て来店した客は―――残念ながらあまりいなかった。それもそう、既にそこそこ知られている店だから。

 一応とばかりにその記事の載っている部分を切り抜いて店の壁に貼り付けてみた。けれど来店する客の殆どは、そんな新聞になど目もくれず各々楽しい時間を過ごしていた。

 今日の酒場も繁盛している。楽し気な客の笑い声は、店の外まで響いていた。


「……こんばんはー」


 そんな店に、顔を出したオリビエ。

 空いているカウンター席に座った彼女は、慣れない空間にきょろきょろと視線を動かしていた。


「いらっしゃい、オリビエ」


 アルギンはアルコール類の提供をしながら、そんな彼女を招き入れる。

 取材は終わったので、もう余所行きの接客態度ではない。そんなアルギンに少し怖気づきながら、オリビエは軽く会釈した。


「何飲む?」

「え。……えっと、じゃあコーヒーを……」

「はいよ。……こんな時間に飲んで大丈夫?」


 そう言いながらもアルギンは、彼女にとコーヒーを用意する。こだわりなんて何にもない、ただ砕いた豆に湯を注いで漉して―――そんな簡単なコーヒー。それをとてもほっこりするような顔で飲んでいるオリビエ。砂糖もミルクも入っていないと言うのに。


「あんまり、寝てないんです。新しい記事を書くのに忙しくて」

「また仕事の話? ……本当に仕事が好きだねぇ」

「はい。この前の新聞のお陰で、広告記事を書いてほしいって人が来てくれて。マスターさんの広告記事が新しい仕事に繋がるなんて思いませんでした」

「良かったじゃんか、首は免れたんだね?」

「はい!」


 寝不足の原因は忙しいだけでなく、仕事に関する情熱から。アルギンはその気持ちが解るような気もしている。

 コーヒーを啜るオリビエは、途中でカップを横に置いてからアルギンに話し始める。

 オリビエの故郷は遠い農村。毎日が農作業の手伝いだった子供時代。学がある訳ではなかったが、新聞記者の夢を諦められずに成人してから城下にやって来た。夢は一面を自分の書いた記事で飾る事。

 オリビエの瞳はアルギンから見てもきらきらしていた。夢を持つ女とはこうも輝いて見えるものなのか、とアルギンが微笑んで聞いている。話は長かったが、酔客の自慢話の方がもっと長くて鬱陶しいのでそれは平気だった。


「……ごちそうさまでした」


 オリビエのコーヒーが空になる。それと同時、彼女がカウンターに代金を置いた。


「もう良いの?」

「はい。……また仕事に戻らないと。また来ても良いですか?」

「そりゃ勿論。またおいで」

「ありがとうございます!」


 オリビエは、本当にコーヒー一杯だけで帰っていった。

 ……それを見ていたのが、テーブル席で食事を摂っていたユイルアルトとジャスミン。二人は顔を見合わせつつ、新聞記者の動向を見守っていた。

 オリビエが酒場を出て行く。酒場の扉が閉まった時、ジャスミンが手を挙げた。それに反応したのはマゼンタだった。


「注文ですか?」

「そう、コーヒーを」

「二つ。お願いします」

「承知しました。待っててくださいね」


 マゼンタは注文を受け、カウンターまで歩いていく。その背中を見ながら、小声でジャスミンがユイルアルトに話しかける。


「……気付いた?」

「ええ……。マゼンタさん、あの人に何したんでしょうか」


 二人は見てしまった。

 店内を忙しく回るマゼンタが、彼女の後ろを通った際に、そっと一瞬鞄に触っていた所を。

 それが他の客であるなら窃盗かとも思うだろうが、それがマゼンタであったことと一瞬での出来事に、二人もただ見ているしか出来なかった。


 マゼンタが注文を取りに来た時残していった、ふわりと香る花の匂いが二人の側を漂っている。




 暫くの間、アルギンも新聞を自分で買うくらいにはオリビエの記事を楽しみにしていた。結局最後は油物の処理に使われることになる新聞だが、アルギンは記事を読んでいる間は楽しそうだった。

 今日はこの記事。昨日はこっちの記事。一昨日のはもう使っちまった。

 まるで昔からの知己の事のように、アルギンはオルキデが仕事で上手くやって行っていることを喜んでいた。


 新聞にその報が載るまでは。




 新暦776年 11月24日


 行方不明者情報

 当新聞社に勤めるオリビエ・ディンレが11月21日から行方不明になっています

 情報をお持ちの方は新聞社、もしくは自警団までお願いします。

 着ていた服は―――




 この国の新聞に、行方不明の報が載る事は珍しくない。先程まで新聞に目を通していたアルギンがそれをカウンター上へと放り投げた。

 表情が明らかに曇っている。浮かない表情を隠すように、カウンターに肘をついて俯いた。


「マスター、掃除終わりました」

「……ああ、お疲れ」


 時間的にはまだ朝。俯いたままのアルギンを心配してか、モップを手にしたままマゼンタが近寄る。何事かとその新聞を覗こうとする、それをアルギンが新聞を寄せる事で制した。


「んだよ、どうした。終わったなら休憩して良いぞ」

「……解りました」


 軽く丸めた新聞紙を、古紙入れにしている木箱の中に投げ入れる。マゼンタはそんなアルギンを不可解に思いながらも、モップを片付けて酒場のホールを後にした。

 アルギンも煙草を一本燻らせて、それから一度だけ新聞に視線を投げて、その場所を後にした。




「どういう事だ」


 その夜、アルギンは仕事終わりで帰って来たアルカネットを捕まえて尋問していた。酒場の仕事も放り投げて、キッチン奥のバックヤードまで引っ張り込んでいる。


「オリビエが行方不明なんだろ、新聞で見た。どこまで情報集まってる」

「……俺に解る訳ないだろ、俺はその話の担当じゃない。他の奴等だって、そんなに真剣に探してなんかない―――ここがアルセンだからな」


 アルセンだから。

 そんな言葉で片付いてしまうくらいには、この国の命は軽い。

 それをアルギンは解っている筈なのに、その表情は真剣そのもので。


「……行方不明になった日、仕事終わりの時間。それから目撃情報は途絶えてる」

「仕事終わり?」

「何か花の香りがしたんだと。だから、同僚は香水でも振ってデートに行くんだろう、って思ったそうだ」

「デートぉ? 相手は?」

「知るか。……いや、正確には『誰も知らない』んだと。浮いた話なんて聞かないししない、仕事に熱心で要領が悪い女。それがオリビエの評判だそうだ」


 納得したような納得してないような、複雑そうなアルギンの顔。

 その表情を見て、アルカネットが微笑する。


「……惚れたか?」

「馬鹿言え、アタシにゃ今でも最愛の旦那様が居るんだよ。それこそ、お前さんも担当が違う割には随分情報持ってんな?」

「そりゃそうだ、俺も一応情報共有はされてる。まぁ、これ以上の情報が欲しかったらオーナーが自分で自警団に乗り込む方が早……いや、面倒な事になりそうだからそれは止めてくれ」


 アルギンの向こう見ずな性格はアルカネットだって良く知っている。だからそれ以上言うのを止めたけれど。

 面倒なことになりそう、と言われて何故か鼻高々になっているアルギンの顔を見てアルカネットが溜息。この女には勝てそうにない、そういった意味合いだ。


「……解ったよ、少しは俺も情報仕入れといてやる」

「流石アルカネット君! その労を労い今日の夕飯は無料にしてやろう!!」

「安すぎないか」


 アルカネットの抗議も知らない振りで、アルギンが仕事に戻っていく。

 二人が酒場に戻った時、慣れないアルコールの注文にてんやわんやになっているマゼンタが居た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る