第72話

「逢わずに帰らせていいのですかな、隊長」

「………。」


 『花』隊が帰城する。

 帰城の為の隊列が緩んでいるのも、皆が皆、早く帰りたいと思っているからだろう。

 『月』の面々は皆、それを遠目から見ていた。

 帰りたい気持ちは皆同じだ。しかし、『月』はそれで気が緩んでしまう程練度が低い訳ではない。

 勿論、それは『花』だって同じ。しかし帰れる者と帰れない者の差はどうしたって出てしまう。

 そんな中、天幕待機中の『月』隊長。その側に控えていた副隊長、フュンフ・ツェーンは抱いていた疑問を隊長に投げ掛けた。


「隊を率いる者が浮ついたら示しがつかないであろう」

「浮つく? 隊長がですか?」

「いや、アルギンがだ。……あの者は我の事になると足元が危うい」

「ああ」


 『月』隊長の言葉に納得する。

 『花』隊長であるアルギンは、結婚以来少しは落ち着いたとはいえ、『月』隊長に骨抜きになっているのは以前からの事だ。

 彼女は『月』隊長が関わると、彼に対して相当の馬鹿になる。一人の時はその肩書きに相応しい優秀な指揮官ではあるのだが。


「いっそ、本当に酒場にだけ専念させては如何ですか」

「……この戦時中にか。いずれそうなるとしても、あの者が隊長の座を退くのは今ではない」

「……そうですか」


 彼の言葉に、フュンフはその場は大人しく引き下がる。

 彼はいつだって冷静だ。その姿が取り乱した所を、フュンフは一度だって見た事がない。

 先日フュンフの妹であるソルビットが「聞いてよ兄貴! 『月』隊長の笑顔初めて見た!!」と息巻いて報告してきた時、フュンフは己の耳を疑った。

 その冷徹さと美しい外見から『人形』と揶揄される事もある『月』隊長。副隊長として、決して短くない期間彼の側で働いていたフュンフも、一回たりともその笑顔とやらを見た事がない。

 彼は、今もこうして自分の伴侶が帰っていくというのに見送りに行く様子を見せない。……フュンフの方が少しだけ焦れていた。


「………アルギン様は貴方を待っているかも知れませんよ」


 フュンフだって、彼の笑顔を一度でいいから見てみたかった。

 天幕の外を眺めながら、フュンフが再び口を開く。……彼の眉がピクリと動いた。


「……余計な世話だ」


 それでも彼は動かない。視線は天幕の外に向いていても、だ。


「顔をお見せになるだけでも、あの方は狂喜乱舞で貴方に向かって手を振るでしょうな」

「……………。」

「まるで飼い主を見つけた子犬のように。駆け寄ってくるまでは流石にしないでしょうが、その姿がまるで目に浮かぶようです」

「フュンフ」


 大分不機嫌そうな表情を隠そうともせず、彼がフュンフの名を呼んだ。


「我は子犬を娶った覚えはない」

「……は」


 突っ込む所そこなのか。

 フュンフが口に出さず心中でそう呟いた。顔には出ているかも知れないが、彼の視線はフュンフにはない。

 人形と子犬の夫婦―――。フュンフの脳裏にその言葉が出てくるが、それを振り払うようにフュンフが咳払いをする。


「あの者は、汝の言った通りの行動を取る女では無い。そのような浮ついた態度を見せれば、反感の芽が出てくるであろう」

「……隊長は、随分あの方の肩を持つのですね」


 当然のような言葉を口に上らせて、フュンフが自嘲する。

 妻の肩を夫が持つのは当たり前だろう。それも結婚して少ししか経っていないような仲なのに。

 その自嘲は、次の彼の言葉で霧散した。


「あの者は、隊長としての身の振りを弁えている。……そのような事も考えられない愚か者なら、伴侶に選ばぬ」


 彼の中では、いつまでも彼女は『花』隊長なのだ。

 幾ら周りが夫婦として扱っていても、彼は今でも彼女を『花』隊の隊長として見ている。……そして漸く、フュンフは彼は公私混同しない性格だと改めて実感する。

 公人状態の、隊を率いる者である彼は、『花』の見送りはしない。

 では、『私人』である彼は―――どうなのだろう?


「……隊長は、私の前ではいつも『隊長』なのですね」

「……? 当然であろう」


 彼の私生活のその一切を知らないフュンフ。これまでは知っても仕方ないとさえ思っていた。彼どころか、他の誰の私生活に対しても興味など一切無かった。

 それが、いつまでも笑顔を見られない理由だと気が付いた。


「……私も、いつかはアルギン様の酒場に行ってみたいと思っています」

「―――そうか」


 『花』が、隊列を揃えて進みだした。

 それを、二人は何も言わず、天幕の中から見送った。




 久し振りに戻ったアルセンの城下は、アルギンが思っていた以上に活気があった。

 これまでも活気に溢れた国だった。しかし、戦時中の国は荒れるのが道理。しかし今回の戦争では何かが違った。

 冒険者が出入りする冒険者ギルド――アルギン達の言う『表ギルド』――では、これまでの戦時下でも無かったくらいの盛況ぶりらしい。戦争で帝国の部が悪いと見た冒険者が、傭兵や自警団経由の仕事を求めてやってきている、と。

 冒険者が来ているとなると、店も閉めてばかりはいられない。飲食店から土産物屋に至るまで、街は賑やかだった。


 城での仕事を三日引き籠って終わらせたアルギンは、帰城して四日目の夜に漸く酒場に帰ることが出来た。

 それまで酒場はずっと閉まっているとばかり思っていたアルギン。しかし、通りにも聞こえるくらいの喧騒を以て、酒場の扉は開いていた。


「……どういう事……?」


 中に入ると、常連新規入り乱れての乱痴気騒ぎ。それ自体はアルギンのいた頃から良く見た光景なので大丈夫なのだが。

 カウンターに視線を向けると、知らない男が立っている。青紫色の髪をした、中肉中背の男だった。

 ―――そこは兄さんの場所だ。

 叫びかけたアルギンが、言葉を詰まらせた。どことなく兄に似ていたような気がしたからだ。


「!! アルギンさん!」


 扉のベルが鳴って、アルギンの帰還に気付いたオルキデとマゼンタがホールに出て来た。


「手伝ってください!!」

「え、なに、ちょ、え」

「人手が足りないんです! お願いします!!」


 姉妹二人に気圧されながら、アルギンが両腕を引っ張られた。

 まだ配膳されていない料理が並ぶカウンターとホールを行き来する。常連には労いの言葉を掛けられるアルギンだが、その常連はアルコールが入っていて何を言っているのか解らないので軽くいなして配膳に集中。

 時折入るアルコールの注文は、何故か見知らぬ男が受けていた。




「んで?」


 ……漸く酒場内が落ち着いた頃。既に店内には客は疎らにしかいない。

 オルキデとマゼンタ、そして見知らぬ男をカウンターに並べる。見知らぬ男は所在無げだ。


「………何でアタシが居ないのに店開いてんの」

「……………冒険者が多くて」

「で?」

「他の店も殆ど満員で、稼ぎ時なのに店を開けてないのが悔しくて」

「……それで?」

「冒険者ギルドに、『酒場店員募集・住み込み可』って下げたら、この人が来てくれて」

「…………………。」


 マゼンタの言葉にアルギンが眩暈を覚えた。

 責めることはしたくない。店を思ってくれての事だった。確かに、稼ぎ時に店を閉めているのは勿体ない。アルギンが脳内で自分にそう言い聞かせた。


「マゼンタが勝手に人員募集して店の仕込みをしていたので、給料を払う為に店を開かない訳には行かず。……面目ありません」

「……いや、まぁ、……良いけど」

「何か訳アリの店だったようですね。……俺が適当に仕事を受けたので俺は何も言えません」


 見知らぬ男は気不味そうにそう言った。そこで漸くアルギンがその男をまじまじと見た。

 青紫の髪。白い肌。目鼻立ちは確かにエイスを思わせる所はあるが、彼はエルフのようだった。


「……オニイサン、名前は」

「アクエリア、と言います」

「アクエリア。了解。なんだかアルコールの心得があるようだね?」

「酒は好きなので。簡単なものの提供なら出来ます」

「冒険者?」

「人を探して旅をしています。路銀の為に働けて寝るところまであるなら、と応募しました」


 それはアルギンによる面接のようだった。実際アルギンにとってはそうなのだろう。

 アクエリアは物怖じする様子も無くアルギンからの問いに答えている。


「採用」

「えっ」

「アクエリア、ここは貸し宿もしている酒場だ。働いてくれるなら給料も出すし宿代も免除しよう」

「………アルギンさん、もうアクエリアさん働いて貰って一か月経ってます……」

「マジか。じゃあ本採用ってことで」


 アクエリアはどこか安心したような、拍子抜けしたような様子だ。


「俺、そろそろまた旅に出ようかと思っていたんですが」

「え、困る。アタシ本業があるから酒場の手が増えるなら嬉しいって思ってた」

「……本業?」


 訝し気なアクエリアの様子に、アルギンが困った顔をする。

 旅をしていて、ふらりとこの国に入ったなら確かにアルギンの事を知らなくても当然だ。 


「アタシはこの国で騎士をしている。一応、隊を預からせて貰ってる立場だ」

「騎士? ……それは、何とも不思議な話ですね。騎士が酒場の経営に手を出しているなんて」

「それには込み入った事情があるんだが……、まぁいい。オルキデ、ちょっと何か食べたいな。簡単に作って持ってきてくれないか」


 アルギンの注文に、いそいそとオルキデが引っ込んでいく。そんな姉の背中を見送っていたマゼンタが、大きな欠伸を一回。


「……ん? ああ、気付かなくてすまん。マゼンタ、今日はもう遅いから寝な」

「でも……片付け終わってません……」

「いーんだよ。本当は子供がこんな時間まで働いちゃいけないんだ。あとはやっとくから、風呂入って寝なよ」

「……はぁい」


 まだ成人にもなっていないマゼンタは目を擦りながら、これまた奥に引っ込んでいく。

 残ったのはアルギンとアクエリアだが、アクエリアは若干居心地が悪そうだ。そんなアクエリアに、アルギンが声を掛ける。


「アタシのこの店は、亡くなった兄から継いだものだ」

「兄? お兄さん、亡くなったんですか」

「育ての親みたいなものだ。血は繋がってなかったけど……兄さんって慕ってた」


 オルキデが奥から皿を運んでくる。皿に乗っていたのはハムと野菜のサンドイッチだ。

 それを両手で持ったアルギン。優雅とは言えない大きな口を開けて、それに齧り付く。


「……、良い店ですね。良く来ると言っていたお客さんは優しかった」

「だろ? ……静かな店じゃないけど、煩さに苦情出すほどお行儀のいい客は来ないし、気楽なもんだ。無銭飲食は締め上げるだけの簡単な業務さえ出来ればな」

「締め上げ……」


 サンドイッチはみるみるその姿を変えていく。最後の一切れがアルギンの口に放り込まれた後、アクエリアがぽつりと話をし始めた。


「……俺は、行方不明になった恋人を探しています」

「恋人?」

「何年も前、置手紙を残して消えた。その彼女を探す為に、俺は各地を転々としている」

「……この国でも?」

「見つかりませんね。虱潰しにした訳ではありませんが、ここにも彼女の気配は無い」

「この国は色んな人間が出入りしているからね。……それで、これから旅に出る路銀は幾らか溜まったのか?」

「………。」


 アルギンの質問は、アクエリアの苦笑で答えが解る。たった一か月働いた程度で、簡単に金が溜まる訳は無い。……一体日当幾らで雇用契約が結ばれたかは解らないが。


「働きぶり見てたけどアタシは文句言わない。お前さんが満足する額溜まるまで、ここにいてくれたらアタシは嬉しい」

「………。不思議ですね、旅人なんて得体の知れない奴を従業員に雇って、まだ居ても良いなんて」

「だって、金持って逃げるならもう逃げてただろ。一か月も働いてくれたのに、それでまだ信用しない方が可笑しい」


 その言葉に、アクエリアが笑みを零す。単純な思考回路から導き出された答えは、アクエリアの心に触れたようだ。


「わかりました。……もう暫く厄介になります」

「ありがたい。宜しく、アクエリア」


 二人は笑って、改めての挨拶を交わす。

 それがアルギンとアクエリアの初めての出会いだった。


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