case5 花鳥風月・下 ―――そして

第70話


 アタシは神なんてもの、居るとしたら許さない。


 信じただけ馬鹿を見る。

 神は人を造った後は知らない振りなんだ。


 流石は神が見捨てた国だ、じゃあアタシらは裁きなんて怖くない。

 アタシらを裁けはしない神に下げる頭も捧げる供物も何も無い。


 でももし、神がいるというのなら


 お願い、アタシにあの人を返して






 アルギンと『月』隊長の結婚式は少数を招いて、求婚から一か月後に行われた。戦争寸前という事もあり、隊長副隊長が全員揃う事はなかった。

 『鳥』隊長カリオン、『花』副隊長ソルビット、『月』副隊長フュンフ。式の進行はフュンフが行う事になった。


「そもそも、『月』隊長って妻帯出来るんすか?」


 花嫁の用意が済むまで新郎と話す、そんなソルビットの疑問は


「……我は神父ではない。『月』隊長に就くには神父でなければならぬ、という訳ではない」


 『月』の彼の言葉によって解かれる。


「え!? 神父じゃないんっすか!! 孤児院の視察とかあるっていうのはどういう事っすか!?」

「孤児院関連の仕事は『月』であるから行うのみ。それを言っては『月』全員が聖職者で無ければならぬ。そもそも神父も妻帯は可能だ」

「ほええええ、初めて知ったっすよ」


 空気は和やかだ。

 そこに、小さくノックの音が聞こえた。


「どーぞ」


 ソルビットの言葉で扉が開かれる。

 メイドの先導で現れたのは、白を基調にした、床に引きずるほど長く華麗な花嫁衣裳を身に纏ったアルギン。


「……お待たせ」


 アルギンの視線は、既に彼に搦め取られていた。

 彼もまた、豪奢な新郎の衣装だ。豪奢ではあるが、彼の人形めいた白い肌と美貌に良く似合っている。

 見つめ合う二人を邪魔しないよう、メイドを連れてソルビットが部屋を出る。退室の声を掛けることもしなかった。


「……とっても似合ってる。格好いい」

「―――汝も」


 二人きりになった空間は、とても静かで。彼が差し出した、白手袋に覆われた手を、アルギンもまたレースで出来た手袋をした手で取る。


「今日の汝のその姿は、我の為のものだと思うと気分が良い」

「……そうだよ、でも」


 二人繋いだ手で、指を絡める。とても、とても静かだった。


「『花』としてのアタシは国に捧げた。でも、『アルギン』としてのアタシのこれからは、今日から、全部、貴方の為にある」

「―――……。」

「妻としては不出来かもしれないけど、貴方の背中を守るから。ずっと、一緒に居させてください」


 その静謐な空間で、二人だけで行われる儀式。

 彼はアルギンの手を引き、手袋越しの手の甲に唇を落とした。


「―――誰かと共に生きるなど、考えたことも無かった」


 そのまま彼は膝を付き、アルギンの手を恭しく握る。


「汝が我の背を守るなら、我は汝の前に立とう。……汝が我の側に居るというなら、我が汝に振り掛かる火の粉を払おう」

「……ありがとう」


 それは一般からしたら考えられない話の内容かも知れなかった。けれど、二人はそれで満足している。

 二人は手を繋いで、扉から部屋の外に出る。


 アルギンの幸せは、彼の側に居る事にあった。

 彼はそれを厭わなかったし、また、彼もアルギンの側に居る事を選んでいた。


 結婚式は形式だけは保たれた、華やかなものではなかった。

 けれど参列した誰もが笑顔で、二人は祝福の中夫婦として認められた。




「……っと、良し」


 エイスが亡くなって一月経って、結婚したアルギン達の生活も、エイスが居なくても成り立って来た頃。

 馴染みの客からも要望が増えてきて、酒場『J'A DORE』を再び開ける事にした。

 オルキデとマゼンタが店を切り盛りしてくれるとはいえ、アルギンだってエイスの下で働いて来た時がある。アルギンが開けると決めた日だけではあるが、また酒場として経営することを皆で決めたのだ。


「アルギン、野菜が届いたが厨房に運んでいいのか」

「ありがとう! 助かるよ」


 隊舎は引き払っていないが、二人はその日の執務が終わると酒場に帰ってくる。

 彼も積極的とは言わないが酒場の開店の手伝いをしてくれるようになった。

 その日はアルギンも彼も休暇を取っていて、朝から酒場の開店準備に勤しんでいた。

 今日が再開店初日だ。


「運び終わった。他にすることはあるか」

「んー、今は無いかな。少しゆっくりしててよ。お茶飲む?」


 オルキデもマゼンタも買い出しに出ている今、二人きりの酒場店内。

 アルギンがカウンターに座った彼の為に出すお茶の用意をしていると、店の入り口のベルが鳴った。


「お邪魔します」


 その声には二人とも聞き覚えがあった。

 アルギンは手を止め、『月』の彼は立ち上がる。


「……悪いが、暁。今は開店時間じゃないし、アタシ達は休みだ」

「相変わらずつれない人ですねぇ。……今日はウチはお祝いに来たんですよ」


 暁が持って来たのは、暗い色をした硝子で出来たボトルに入っているワインだった。恐らく赤だろう。

 暁は自分の隊の隊長を無視して、アルギンにそれを渡す。受け取らない理由がないアルギンはそれをそのまま受け取った。


「ご結婚、おめでとうございます。ウチがもうちょっと行動が早ければ、言う側じゃなくて言われる側だったかも知れませんねぇ」


 狐顔の暁からは笑顔が剥がれない。

 言外の意味を察したアルギンが眉根を顰め、彼もまた憮然とした雰囲気になる。勿論、その雰囲気を察することが出来るのはアルギンだけだ。


「―――用はそれだけか」


 早くこの男を追い出したいとでもいうように、彼は暁に向かって冷たく言い放つ。アルギンも、止めていた手作業を再開させ、『月』の彼の前だけにお茶を出した。

 二人ともが、暁を邪険に扱う。そんな空気もまるで意に介していないように、暁がカウンター席を陣取った。


「勿論、それだけじゃないんですよぉ」

「じゃあ、早く言ってくれないかね。生憎こっちも忙しいんだ」

「それじゃ言いましょう。―――『二番街に人身売買の動き有。その実態を調査の後に動きがあれば頭を潰せ』」


 座り直した『月』の彼が、お茶を飲む手を止めた。

 アルギンが、その言葉に大きく震えた。

 暁はまだ笑顔のままだ。二人の出方を楽しんで待って見ているようにしか見えない。


「あはぁ、アルギン様、漸くウチを見てくれましたねぇ?」

「……暁、お前……」

「エイスさん? でしたっけ? あの人がいなくなってぇ、心配だからってぇ、王妃様はなんとウチを『監査役』にしてくれたんですよぉ」


 暁は笑顔だ。しかしアルギンは、その笑顔に底冷えするような何かを感じていた。

 笑顔。それが、とても邪悪なものに感じる。


「……ウチってですねぇ。好きな人の表情なら、どんなものだって大好きなんですよぉ。ソルビット様には理解してもらえませんでしたが、好きな人が苛立つ顔も、怯える顔も、どんな表情だって大好きで―――」


 細い暁の目が、悪意を持って開かれていた。その悪意を感じ取れない程、アルギンは鈍っていなかった。


「……それがウチに向いてないなら、壊したくなるほど。……大好きなんですよぉ」


 隠されもしない悪意に、アルギンの震えが止まらない。それに気付いた『月』がアルギンを背に庇う。

 暁はそれさえ面白く無さそうに、笑顔を消して悪意で出来た表情を『月』に向ける。


「……その仕事は、我が請け負おう」

「……へぇ? 隊長、ご自分の執務で忙しいんじゃないんですかぁ? もうすぐ国境への配備の日ですよねぇ」

「構わぬ。……続きは我が聞くと言っている。後で城に向かう、それまで待っていろ」

「またまた。暫定マスターであるアルギン様を差し置いて話なんて―――」

「待っていろ、と、我は言った」


 彼の語気が圧を持つ。


「……三度、言わせるな。……葬儀の方法を、我は心得ている」

「………貴方が隊長でさえなかったら、そのお綺麗な顔を誰か判別できないくらいにしたい所ですけれど……。仕方ないですね、今日の所は引き下がります」


 二人の会話は剣呑なものだったが、大人しく暁が出て行ったことで収束した。

 二人の会話を聞いていたアルギンも気が気では無かったが、アルギンを見た彼がいつもの表情に戻っていたので安心し、カウンター内に座り込んだ。


「……くそ、もうギルドに仕事持ってくんのかよ………」


 アルギンの震えは、仕事内容から来るものではない。

 エイスが亡くなって、こんなに早く仕事を言いつけられるとは思っていなかった事。大掛かりな仕事。ついには『監査役』まで出来た事。

 いっそ『花』でも指揮して大取物にでもした方が―――アルギンはすぐそんな考えを否定する。

 ここは『自由国家アルセン』だ。自警団でもなく、騎士が城下の問題に手を出していると知られれば、謳っている『自由』に傷がつく。同時、帝国に『城下に問題あり、騎士が人員を割いている』と知られれば、今が好機と兵を出してくるかもしれない。

 だからあるのだ。『j'a dore』が。表立って処理できない問題を片付ける為に。


 しかし、今このギルドには人手が無かった。

 専任として動けるだけの人手など、最初から無かった。


「……案ずるな」


 気付くと彼が、カウンターを覗き込んでいた。掛けられた声に我に返り、その場から立ち上がる。


「我は、暫く空ける。……フュンフにも、その旨伝えておく」

「……行く気? アタシに言われた仕事だ、アタシが行く」

「無理をするな。隊長、酒場、そしてギルドの仕事となれば、汝は体を壊しかねない」

「でも」

「でも、は無しだ。……次の出立までに片をつける、それまで暫し離れるが―――汝も、無理はするな」


 その言葉を残して、彼が酒場を後にする。

 残されたアルギンは、暫くの間自分の無力さに打ちひしがれて動けなかった。



 

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