case4 花鳥風月・上
第49話
自由国家アルセン王国、それがその国の名前だった。
自由を謳うこの国は、現在も存在しているどの国よりも神話の存在が身近にある。
何も無かったこの地に三人の神が降り立った。神はこの地に命を芽吹かせ、秩序をもたらし、人間が生きていく土台を作り上げた。世界に存在する全ての生き物はこの地より生まれたとされている。
人間をつくり、人間に失望した神達が最初に作り上げた国。アルセンは、三人の神の中でも最後まで人間の『欲望』に望みを失わなかった神が築いたものとされている。
神が創造し、神さえ見捨てた国、アルセン。
神は自らの分身を王に据え、その血筋が王族として国を支えているとされる。
国に住んでいる種族は人間を始め様々で、職業も魔術師や剣闘士、学者や騎士など挙げればキリが無い。種族や職業、そして善と悪も内包した『なんでもあり』な国。
アルセン国には近衛騎士に四つの符号が割り振られている。そしてその符号の隊長四人が国の兵を率いる。
当時の『花』『鳥』『風』『月』の隊長四人は、それぞれが前衛と後衛の割り振りもしており、関係性もそれなりに良好だった。
アルセンは敵国と言える存在がいない訳では無かった。友好国『ファルビィティス』が落城してからは、その原因となった近隣の帝国と戦争状態にあった。何度も開戦と停戦を繰り返し、その頃も停戦状態にありながら一触即発の状態が続き、国中が絶えず緊迫した空気に包まれていた。
十数年という年月、その状態が続いているこの国で、アルギンは隊長として騎士の位にいた。
「ほーーーーらぁ! まだまだ行けるだろ!!」
露出の無い身軽な服に胸鎧を身に着け、木で作られた練習用の剣を手に兵を煽る声がする。声を張ると同時、後頭部で一つに結んだ銀色の髪が左右に揺れた。
城下町の兵隊屯所、練兵中のその中に混じってアルギンが今日も元気に兵を扱いていた。修練場の外周を鎧を着て帯刀したまま、かれこれ十五周はさせられているアルギンの部下達八人が息も切れ切れに走っている。
時折アルギンに向かって不満を漏らす者もいたが、そんな声にはからからと笑って
「はっはっは、まだ元気だなぁお前ら! あと十周追加でいいか!?」
と、大声で返すのだった。
アルギンの事を一部では横暴だと漏らす兵もいたが、基本的に面倒見は良く、多くの者に慕われていた。出す指令や訓練内容も、多少厳しめだが理不尽という訳では無かった。
そんな中。
「アルギン」
彼女の背後から聞こえる静かなテノール。
「っ、はいっ」
一瞬で、まるでその周辺だけ花が咲いたような空気になった。
その声で名前を呼ばれ、アルギンの態度が一変する。仄かに桃色に染まる頬、挙動不審な仕草、上擦った声。途端、外周を走らされていた兵の全員がそちらを向いた。速度もやや遅くなり、二人の成り行きを見ている。
「書類を届けに来た―――、訓練中か」
「あ、ありがとう。うん、そう。うん」
そのテノールの主と目を合わせる事が出来ず、アルギンの視線は何処かしらを彷徨っていた。差し出された書類を受け取ると、その書類を大事そうに抱き締めてから、ここまで届けてくれた礼を言う。男と過ごす時間が一秒、また一秒と長くなるにつれ、その頬の朱が濃くなっていっている気さえした。
兵たちの走りがますます遅くなる。豪放磊落、とまでは言わないが、男勝りで大っぴらなアルギンについて回る噂の一つを目の当たりに出来ているのだ。
「邪魔をしたか」
「そっ、……そんな事、無い。大丈夫だから」
曰く―――アルギンは恋をしている。
「……では、失礼する」
二人は必要以上の会話もせず、寧ろアルギンには出来ず、男が用は済んだとばかりに先にその場を後にする。まるで教会の神父が身に纏うような、黒一色の服を着ていた男だった。腰に下げているのは、柄が鈍い銀色に光る長剣。
男は騎士だった。それもただの騎士ではない、騎士団『月』―――アルギンとは違う隊の隊長だ。
「アルギン様!」
「もうちょっとガーっと行かなきゃ気付いてくれませんよあの人!!」
「っかー、あの方も鈍いんだから! でもアルギン様だって食事に誘っても良かったんですぜ!!」
「っ、お前ら訓練はどうした訓練は!!」
二人の会話が終わるのを待って、先程まで外周を走っていたはずの兵士が一気に詰め寄る。好き放題言う兵士たちを近くから追い払いながら、面目を保つかのように一度偉そうな咳払い。
しかし顔が最早トマトのように真っ赤なので、本人は気付いていないが全然面目は保たれていない。
「気付く、だの、食事だの、何の話だ」
「もうちょっと『花』と『月』の隊長の親睦を深めたりとかですね、そういうの無いんですか」
「無い。アタシ達は今の所充分な連携が取れている。余分なものに費やす時間はアタシにも、あの人にも無い」
「……隊長が『あの人』って言うの『月』の隊長にだけなんですよねー」
「………!!」
見透かされているような、冷やかす兵達の言葉に、否定の言葉を詰まらせているアルギン。顔色はもうこれ以上ないという程に赤かったのでもう変わりようがない。書類を持つのと逆の手が強く握られてぶるぶると戦慄いている。
「……お前達、アタシで遊んでない? アタシが魔法使えないと思ったら大間違いだぞ?」
「ソルビット様が言うには蚊に刺された程度の魔法ってグハぁ!!」
「ついでに言うならアタシの拳はいつでも使えるんだなぁこの馬鹿共!!」
口を滑らせた兵に力を込めた拳の一撃。
……実際、アルギンは初歩中の初歩の魔法と、とある触媒を必要とする魔法なら使える。尤も、アルギンは戦場以外なら先に手が出る性質ではあるのだが。
そうこうしている内に、一人の人影が近寄って来た。兵達とアルギンが楽しそうにじゃれ合っている所に、にたりと下弦の月を唇に張り付けたような女が歩いてくる。
「たーいちょ」
その声は掠れている。聞き覚えのある声に、アルギンがその方角を向いた。
「……ソルビット」
上半身は胸元を開いてはいるものの、しっかりとした造りの鎧。下半身は短いスリットスカート、そして踝までのショートブーツという、上と下で防御力に酷い差があるような格好の女だ。髪は濃い茶色で天然に癖がついていて、ふわふわと言えば聞こえはいいが落ち着きのない毛先があちこちを向いている。
『花』副隊長、ソルビット。姿をアルギンが認めると同時、その眉が僅かに寄った。
「楽しそーっすね、あたしも混ぜてくださいよ」
「……こんなもんに混ざるな。もう終わる」
「ちぇ」
ちっとも残念がっていないような表情で、楽しそうに唇を尖らせるソルビット。どこか掴めないその仕草を、なるべく視界に入れないようにしてアルギンが手を叩いた。
「ほら、皆は訓練再開!! あと十周!」
「えー!」
「隊長厳しいっすよ!!」
「無駄口を叩くな! あとアタシの事隊長として敬え!!」
「たぁーいちょー」
嫌に間延びした声で、アルギンの背中に抱き着くソルビット。勢いに少しよろめいたアルギンだったが、なんとか倒れることは回避した。
「……そこを退け、ソルビット」
「やーっすよぉ。たいちょー、あたしにもっと構ってくださいよ。あたしはこんなにたいちょーのこと好きなのに」
アルギンの肌に鳥肌が立ったが、服の下で隠れていたため他の誰にも見られずに済んだ。
アルギンはソルビットを嫌っている訳ではないが、生理的に受け付けない部分があった。普通に接している分には大丈夫だが、時折こうやってわざとらしく甘えてこられる時。それがアルギンにはどうしても受け入れられなかった。
ソルビットも分かってやっている。それはまるで嫌がらせのように。
「……ソルビット。お前さんもこいつらに混ざって走って来るか。隊長命令だ、嫌とは言わせない」
「えー、やーっすよお。ごめんネ隊長、冗談くらい笑って受け流してよぉ!」
ソルビットのこういった態度には、冗談めかしたものしか感じられない。実際、アルギンを茶化して遊んでいるだけだ。先ほど現れたソルビットだが、アルギンをいつから見ていたか分かったものではない。
「そーいや、たいちょー。さっき『月』の隊長さんいましたねー?」
そのタイミングで声を掛けるには悪すぎるくらいの時に、そんな風に話しかけるソルビット。
案の定、アルギンは無言でソルビットを見る。その顔には表情が無い。
「……そんな怖い顔しなくてもいーじゃないっすか、たいちょ。いやー、相変わらず不愛想な男っすよねー」
「……あの人はいつもあんな調子だ。お前さんだって解ってるだろ」
「わーってますよ。わーってますけどさ、もーちょっと朗らかでも良いんじゃないっすかね?」
無表情とも違う、感情を殺した顔。ソルビットとこれ以上話をする気がないアルギンは、早々にその姿から背を向ける。まるでもう見る必要もないと言いたそうに。
そんなアルギンの背中の向こうで、ソルビットがまた口許を歪めた。
「……あたしと一発ヤったら、あの鉄面皮も柔らかくなりませんかねぇ? どう思いますたいちょー」
兵士全員の動きが凍り付く。
アルギンは動かなかった。しかし徐に、顔だけをソルビットの方に向けるように、肩越しに振り返る。
「……どう、思えと?」
「だからー、あたしがあの隊長とワンナイトラブ? の話ですよー! ……って、ごめんなさーい、たいちょーってあの男の事好きでしたっけねー」
「……そんな事」
「すみませぇーん! あたしってぇ、ほら、顔のいい男好きですからぁ? ちょっと人形みたいな無表情のあの隊長でも、ちょっとぱくっと食っちゃいたいなーって思ってたりもするんすよぉ!」
「ソルビット」
兵士全員は、空気が音を立てて凍るような音を聞いた。
それは幻聴かも知れないし、そうでなかったかも知れない。ただ、確かに空気はとても冷えていた。
「―――それ以上、アタシと同じ地位にいる者を貶める口を開くな。まだ副隊長の座を空席にしたくないんでな」
それはその身を害するという脅しに他ならない言葉だったが、ソルビットは笑みを深めるばかり。
「じょーだんっすよぉ、たいちょー。あたしだって、いくら面食いでもあんな人形みたいな顔しか出来ない男は勘弁です」
「口を開くなと―――」
瞬きも忘れたようなアルギンが、身を翻して練習用の剣を振り抜く。それはソルビットの頬を狙った一撃。
乾いた大きな音。ソルビットがその一撃を、片腕の手甲で受け止めた。緊迫した空気の中、笑っているのはソルビットだけだ。
「……言っただろう。次は手加減しない、その口を閉じていろ」
「……たいちょーって堪え性がないっすねー。わかりましたよ、黙りますって。キヒヒ」
耳障りなソルビットの笑い声に、再度背中を向けるアルギン。心配そうにしている兵たちに向ける顔は、平時のものを取り繕っている。しかし、不愉快だ、とアルギンが纏う空気が全力で叫んでいた。
「……ほら、お前達! 見世物じゃねぇんだぞ、走ってこい!」
そんな空気から逃げるように、兵たちがまた訓練に戻る。ただ走るだけのそれを、そう指示を出したアルギンは同じ顔で見ている。
ソルビットも、アルギンをからかう事に飽きたのかそのままいなくなっていた。
兵たちが訓練に戻って暫くして、アルギンが彼の持ってきてくれた書類に目を落とす。それは用紙三枚の、簡単な伝達事項が記載されたものだった、のだが。
「……、お披露目?」
その中の一枚は王家嫡男の成人祝いのパーティーについての連絡だった。
一月後にささやかながら行われる、パーティーの警護についての話し合いを行う、とあった。
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