第48話
次の日は雨が降っていた。
一階ではまだ掃除と修理が続いている。もう修理出来なさそうなテーブルを、アルカネットが酒場内で薪にしている最中だ。
酒場の女性陣は全員スカイのお見送りに来ていた。送迎用の馬車が、酒場の前に止まっている。
「今まで、ありがとうございました」
スカイが頭を下げる。ユイルアルトとジャスミン、そしてミュゼは感情が昂りすぎてその場で泣き始めてしまった。そんな三人を冷ややかな目で見ているアクエリア。皆より、スカイに近いところに立っていた。
雨具を着たスカイの瞼は腫れていた。一晩泣いていた事がありありと解る。それでも、この時を静かに受け入れているように見えた。
御者を務めるのはフィヴィエルだ。今日は胸鎧を身に着け、騎士然とした格好をしている。馬車の中にはゾデルもいるそうだ。
「遊びに来れる時は遠慮せず来いよな」
「……はい」
アルギンの言葉に返事する声は精彩を欠いている。分かっていたからだ。孤児院に入ってしまえば、大人でもない限りそう簡単に外に出られないことは。
そして力なく馬車の方を向く。その頭上に、アクエリアが傘を差した。
「濡れますよ」
「……大丈夫です」
大丈夫、と発した声が既に大丈夫なんかじゃない。
スカイが馬車に乗り込んだ。扉が閉まり、スカイが小窓から顔を覗かせた。
「では、出発します」
フィヴィエルの声がする。馬の嘶きが聞こえた。
アクエリアも、ギルドの女性陣も、皆スカイを見ていた。けれどスカイの両目は、最初っからアクエリアしか見ていない。
車輪が回り始める。馬の脚が一歩一歩王城へと向かい始めた。
「アクエリアさんっ!!」
スカイの声。
「大好きっ……、大好きです!!!」
それは熱烈な愛の告白のようだった。
けれど、色恋からの感情から来る言葉では無いのは全員が分かっていた。
スカイの瞳は、雨天の空とは対照的に澄んだ青色をしていた。まるで晴天の空のようだと、アクエリアがぼんやりと思う。ぼんやりと、なのは、刻み付ける様にスカイを見てしまうと、この一時の別れを永遠のように感じてしまうからかも知れない。
馬車が遠ざかる。傘を下げたアクエリアの体に雨粒が降り注いだ。遠くなる馬車を、アクエリアはいつまでも見続けていた。
「寂しくなるな」
アクエリアに掛けられた声は、アルギンのもの。アクエリアは酒場の屋根の下に入って、アルギンに応える。
「永遠に会えない訳ではありませんから」
「そうだな。……ま、会いたい時に会いに行けるからな」
アクエリアは特に外出が制限されている訳ではない。これから望む時にいつでも顔パスでスカイに会いに行ける。ただ、その逆が出来ないだけで。
アルギンもアクエリアと並んで馬車を見送った。真っ直ぐ行った先の角を曲がった馬車はもう、見えなくなっていた。
「あとはスカイがどんだけ意欲的に勉強するかどうかだな」
「それは、あの子次第です」
「そうだな……。あんだけお前さんにご執心だから、案外冬までには来れたりしてな?」
からから笑いながらアルギンが酒場の中に入っていく。半壊していたドアは既に修理不能という事で早々に薪にされていた。
開け放された扉をアクエリアも潜る。その先で、ミュゼがアクエリアを待っていた。
「アクエリア、ちょっといいか」
「……今日の俺は休業中ですよ。話だけなら聞きますが」
「そう言うなって」
ミュゼは先の襲撃の時に派手にやらかして右腕を痛めているらしく、首から右腕に繋がる包帯を下げていた。固定され包帯でぐるぐる巻きになった右腕を振り回しつつ、アクエリアの興味を引こうと必死だ。
「ほら、こないだ私スカイの孤児院に用があったって言ったろ」
「……ああ、そんなこともありましたね」
「実はさ、その時にあっちに欠員が出たって話も聞いたんだよ」
「………欠員?」
「今あちこちで人員確保の手を回してるらしいんだけど……興味ない? 週一から大丈夫らしい」
「……ちょっと詳しく聞きましょうか」
アクエリアとミュゼが仕事の話をしている最中、他の女性陣は女性陣でアルカネットを働かせている横でお茶にしていた。
オルキデとマゼンタが運んでくる温かい紅茶と焼き立てのクッキーが修理されたテーブルに乗っている。さながら気取った喫茶の立食状態だが全員が楽しそうだった。
「アルギン、昨日の続きを聞きたいです」
「……おいおい。アタシずっと話し通しじゃねぇか。勘弁してくれや」
「駄目です。まだ旦那さんとの馴れ初めまで行ってません。その寸前で話終わったじゃないですか!」
アルギンを囲んでワイワイしているのを恨めしそうにまだ作業中のアルカネットが聞いていた。すると突然、アルカネットの肩が叩かれる。
「なん……むごっ!」
「眉間に皺が寄っていますよ、アルカネットさん」
マゼンタが振り向いたアルカネットの口にクッキーを押し込んだ。最初は驚いていたアルカネットだが、大人しくそれを口に入れて飲み下す。甘い味がした。
「懐かしいですね、マスターの話」
「……懐かしくても、『あの話』はアイツのトラウマをほじくり返すような話だろう」
アルカネットが手斧を持ち直して呟いた。横から聞いていたアルギンの話は、アルギンの孤児時代から現在に近付く。その途中で必ず、アルギンが辛い思いをした時に辿り着いてしまう事をアルカネットは知っていた。
一回目はアルギンの育ての親の死。二回目は、伴侶の死。そう時間が空いた訳でもない二人の死は、アルギンにとって今でも思い出したくない程辛い過去だろう。あの日の慟哭は、マゼンタも知っていた。その頃にはオルキデと揃って、まだ騎士だったアルギンに代わり酒場の切り盛りをしていたからだ。
「……少しは、整理ついたんでしょうか」
「ついたように見えるのか」
アルカネットが椅子に釘を打つ。アルギンと一番長い付き合いがあるからこそ、言外の意を含ませてマゼンタに問いかけた。
マゼンタは、その意味に気付いて首を横に振る。
「ついているなら……このギルドはまず辞めて、双子を自分の手で育ててますね」
「アイツの一番の支えは、今はあの双子だ。それを手元に置かないってことは……」
椅子の修理が終わった。金槌を床に置き、椅子を立たせる。
「アイツはまだ諦めてないって事だろ」
「………旦那さんの首……、ですか」
まだこの国が戦争をしていた時の話。
当時の『月』隊長は、部隊退却時に殿を務めて―――戦死。
戦場から回収されて届けられた死体には、首から上が無かった。
「あの時の敵国も、首級は挙げられなかったとか言ってたって話だが」
「分かりませんものね、実は隠し持ってるかも知れませんし」
「隠し持ってたって何の価値があるんだって話だが……。まぁ、それを信じてないのがアイツだからな」
慟哭、発狂、そしてアルギンは騎士を辞めた。そして義兄の死から一時的に凍結させていたその地位に就いた。
―――国家公認裏ギルド、ギルドマスター。
その選択にどれほどの葛藤があったか分からない。それはきっとアルギンにしか本当の意味で理解が出来ない。
「……あの双子は、ここにいるより孤児院の方が安全だからな。誰か何かヘマしても、あの双子が孤児院にいればこっちで何か不測の事態があっても安全な筈だ」
「私には分かりません……。自分の子どもと共に居られなくても、もう亡い人の面影をいつまでも追うのですか?」
マゼンタが憂いを帯びた瞳を伏せる。それは、アルギンの亡夫を覚えているから。
彼はこんなアルギンを望んだだろうか。そうマゼンタが伝えても、今のアルギンは後ろを振り返ったりしないだろうが。
アルカネットが次の修理待ちの椅子に手をかける。釘を手に、金槌を振り上げた。
「―――それは、お前達も一緒だろう」
「………、どういう意味です」
「……いや」
マゼンタの声が、アルカネットが不用意に発した言葉に向けて棘を持つ。プロフェス・ヒュムネの王家に連なる者として、子供のような執着心を持ったアルギンと同列に並べられたくないと、そう言っているようだった。
国が滅びてから生まれたはずのマゼンタだったが、それでも国に対する想いは揺るぎないもののようだ。地雷を踏んだか、とアルカネットはそれから黙って修理に勤しむ。
会話が進展しないのを諦めて、マゼンタもその場から離れて行った。行きつく先は、まだ話をせがまれているアルギンの所へ。
「アルギン、旦那さんってどんな人だったんです?」
「えー……あんまり言いたくないんだけどなぁ」
「どうしてです?」
「……あの人の話は全部が全部、惚気になっちまうからだよ」
アルギンが困ったように浮かべる笑顔は、いつもと違う女の顔。その話の輪に加わりながら、マゼンタが笑う。
「いいじゃないですか、たまにはマスターの浮いた話をしても良いと思いますよ」
「……マゼンタ、他人事だと思って勝手言いやがって……!」
「だって、あの人は私から見ても格好いい人でしたから」
ユイルアルトとジャスミンが歓声を上げる。ミュゼは興味無さそうにしているが、この会話の輪に入っているあたり気にはなっているようだ。
そんな女性陣の顔を見渡しながら、やがてアルギンが仕方ないとばかりに口を開く。
「………仕方無ぇなー。……安くないからな、この話」
そう言う顔は嬉しそうだ。今まで亡夫の話は大っぴらにしたことが無いからだろうか。だからユイルアルトもジャスミンも知らなかったのだが。
何から話そうか。アルギンが視線を宙に逸らす。何から話せばいいか。今でも瞳を閉じれば鮮やかに蘇る幸せな時間を。
「……アタシの恋愛観は、兄さんのせいで大分おかしくなってたと思うんだけどなぁ」
全てが輝いて見えた時期があった。
それはもう、遠い過去になってしまった。
「初めて、好きになった人だった。強くて、綺麗で、ああ、まぁ兄さんも綺麗な人だったけど、あの人も……同じか、それ以上に綺麗に見えて」
アルギンが大事にしまっていた過去を思い出す。
とても大事で、鍵をかけてしまっていたような思い出。触れれば壊れそうな、繊細な記憶。
「……そうだね、何から話そうか」
アルギンの思い出話が、始まった。
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