第32話

 黒焦げになった蔦。そしてその中央にいる人影。

 二人はその姿に駆け寄って、倒れている人影を抱き起こした。


「……っ、……ふ、ぅ……」


 苦し気な吐息が聞こえてきて、息がある事に二人が安堵する。アクエリアが医務室に連れて行こうと肩に担ぎ上げ、その後ろをアルギンが付いていく。担ぎ上げられたその背中の黒焦げた蔦は、アルギンの短刀で背中から切り離されていた。


「さっきの、やり過ぎじゃなかったか」


 魔法の行使の手段についてアルギンが聞くと


「『命令』だったからあの程度で済んでるんです。『詠唱』してたらこの子まで黒焦げになってましたよ」


 アクエリアはすぐにそう返し、鉄扉を開く。

 明るい外の世界では、まだ不安そうな双子がいたが、二人の無事を知るとまた嬉しそうに飛び上がっていた。





 双子に案内された医務室でプロフェス・ヒュムネの子供を休ませている間、二人はベッド脇でその子供の身上書を見ていた。とは言っても、それは例の人身売買の人間から押収したものではあったのだが。

 ランク『エスプラス』。プロフェス・ヒュムネの子供、種付き、の男。年齢は空欄で不明なものの、ベッドで横になっているその姿はやはり十代前半ほど。かなり細身ではあるものの、酷く幼いという訳ではない。

 身長、体重、何処で『入手』したか。色々と細かく書いてあったものの、肝心の入手先が黒塗りされていた。この辺りは今ミュゼが追っている筈だ。

 この国で保護命令が出されているプロフェス・ヒュムネは、今はこの国で扱うだけでリスクが高いというのに、未だ奴隷売買が続いている。


「……名前は……『スカイ』? へぇ、いい名前じゃん」


 やっと知ることが出来た、一番大切な情報。その名前を知って、アルギンの頬が緩んだ。

 アクエリアは、自分が発生させた雷で眠り続けるスカイの顔をずっと見続けていた。大事が無かったと言え、あれから一時間たっても起きていない。医務室にある時計は、未だ目覚めないスカイの時間を刻んでいた。


「名前を知っても、呼んで返事するその子が起きないならねぇ……」


 待たされ過ぎてアルギンもついに溜息を吐く。仕事を終えた双子も自分達の部屋に帰っていったので、アルギンのやる気はやや削がれているようにも見えた。あの双子はアルギンの原動力と言っても差し支えない。身上書を掌でぺらぺらと弄ぶ不真面目な姿は子どもには見られたくないだろう。

 そんな風にスカイの目覚めを待っていると、ノックもなく扉が開く音がした。


「滞りなく終わったようだな」


 現れたのは、施設長のフュンフ・ツェーンだった。


「……今更現れて何の用だよ。あんな状態だったら、そうだって教えてくれりゃ良かったじゃねぇか」

「今更? 私が何故お前達に手を貸す必要がある。相応の人材を揃えて来いと言った筈だが」

「アタシ達の有能を褒めるならもう少し言葉を選んでも罰は当たんねぇぜ先生さんよ」


 フュンフがアクエリアを見た。フュンフはアクエリアをしっかりと認識した状態で顔をしっかりと合わせるのははこれが初めてだったので、自分でも気づかないうちにその姿を上から下まで眺めている。アクエリアは不躾なまでに近距離でまじまじと見られていることに少し憮然とした。


「頭脳派とは噂に聞いていたが、武闘も不得手ではないとはな」

「……お褒めに与り光栄です、……とでも言っておけば角は立ちませんか」


 じろじろ見られている違和感を、アクエリアはそんな言葉で濁す。するとフュンフも気付いたのか


「これは失敬」


 と、自分の視線での非礼を素直に詫びた。


「元『花』が褒めそやす人物がどのようなものか確認しておきたくてな」

「花……ああ」


 アクエリアは騎士時代のアルギンを少しだけ知っているので、その呼び名で理解した。同時に、けっして不細工ではないその顔を顰める。アルギンにとって、一番痛くて辛い思い出があるのもその呼び名の頃だった。その過去を知っている筈の男に、少しだけ警戒心を抱くアクエリア。


「そこまで褒められはしませんよ。アルギンの手厳しさはご存知でしょう?」

「……さてな。マスター・アルギンの手厳しさを『手厳しい』と思えるほど、私は女史の近くにいない」

「でも、全く知らない仲でもないのでしょう」


 探りを入れるような質問をして、相手の出方を見るアクエリア。フュンフを信用して、これ以上の話に入って来させていいものか。その眉の動かし方一つにも、注意を払うように視線を配る。そうして探りを入れた先のフュンフは、質問には眉一つ動かさず答えた。


「知っているも知らないも、女史は私を好いてはおらぬからな」

「人物を知っている・知らないに好き嫌いが関わるものでしょうか? 本当に好かぬ相手なら、俺があの時、話の途中で部屋を追い出されたりしませんよ」

「聞かれては不都合なことがあるからに決まっているだろう、なぁ―――元『花』?」


 そしてフュンフは、話を逸らすようにアルギンに会話の矛先を向けた。そのアルギンは、面倒そうに、そして溜息を吐きながら答える。


「……怪我人が寝てんだよ、二人とも。やり合うのはもう少し待つか声を落とすかしてくれねぇか」

「……。」

「……すまんな」


 その尤もな主張に、二人が口を閉じた。黙ったままの二人の視線は、どこか相手の出方を伺うようなものだったが、その冷戦状態の空気に耐えかねたのがアルギンだ。二人を見ながら、なるべく小さな声を出す。


「……お前さんたち、目が煩いから外で思う存分やってくれ」

「失敬だな」

「目が煩いってどういうことです、アルギン」

「言った通りだよ」


 思ったよりアクエリアが噛みついて来たのはアルギンにとっては予想外だったらしい。面倒なことになった、と言いたそうにアルギンが頭を掻く。


「……ぅ、ん………」


 その時だった。今まで反応も見せなかったスカイが呻いて、一度だけ腕を動かした。その小さな声に三人が振り返り、その動向を見る。

 一回、二回、肩が、足が、指が動く。アルギンが顔を覗き込むと、ゆっくりとした動きでスカイの瞼が持ち上がった。深い青色のスカイの瞳が、アルギンの濃い灰色のそれと見つめ合い視線が絡む。


「………。」

「……。おはよ」

「…………あ、はい……。……、ひぁ!!?」


 アルギンの一言に、反射的に返答したスカイ。子どもと言えどおよその年齢は大人に近く、礼儀はしっかりしているらしい。アルギンと目を合わせたまま何回か瞬きをしたスカイは、それから驚いたように体に掛かっていたシーツを抱いてベッドの上を勢いよく後ずさった。


「彼らに礼を言いたまえ。倒れた君をここまで連れてきたのは彼らだ」


 フュンフの一言に、怯え切った様子のスカイの表情が和らぐ。笑顔を浮かべた訳ではないが、その言葉に少しだけ安心した様子だった。シーツを握りしめて青くなった手に血の気が戻る。


「意識ははっきりしているかね? 君は種を暴走させ、別室待機になっていた。そこで倒れた君を運んだ彼ら。君は彼らに何をしたか覚えているかね?」


 別室待機。物は言い様だな、とアルギンが内心毒づく。


「……覚えて……ません」

「そうか。では聞かせて貰うと良い。私は君が無事に意識が戻った事が分かったのでな、失礼させて貰う」


 驚くほどあっさりとした言葉を投げ、フュンフがスカイに背中を向ける。その背中に声を投げたのはアルギン。


「なっ……、アタシらに投げっぱなしかよ!」

「こう見えて忙しい身でな。『関係機関』へ連絡せねばならない。……元『花』のマスターなら分かるだろう」

「……その呼び名を出せばアタシが大人しくなると思ってんのか、お前さんはよ」


 しかしそう言ったものの、やはりその呼び名には勝てないらしい。


「……関係機関って……いや、やっぱり良い」


 関係機関は恐らく、プロフェス・ヒュムネを保護している国へだろうが―――今、国の事を話してスカイの耳に入れるのは都合が悪い。近いうち国へ保護申請等々の手続きを取るに当たって知ることになるのだろうが、実際保護になる前からスカイにその話を聞かれるのは避けたかった。そのスカイはまだ少し不安そうにおどおどと三人の顔を見比べている。

 アルギンの言葉に少しだけ視線を向けていたフュンフは、アルギンの発言の撤回に一度鼻を鳴らして部屋を出て行った。

 ……残された三人は、互いに互いの顔を見ていた。

 

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