第22話

「―――……これは」


 ユイルアルトが、リエラと共に『隔離先』である小屋に到着した。扉を開いて、ユイルアルトが戦慄する。

 灯り取りの為の粗末な窓からしか入らない光に、寝台も無い小屋の床に転がる患者、排泄物を溜めている木桶も放置、覆い越しでも分かる腐臭に、飛び回る蠅の羽音が煩く響いて、先程の死体塚となんら状況は変わらない。小屋の中の空気すら、どろどろと重く立ち込めている気さえする。

 こんな病の掃き溜めのような世界があっていいのか。その掃き溜めの中にいて、この病人たちはそれでも生きたいと願っているのか。


「リエラさん、……これは、宮廷医師であるはずの貴女がいてこんな状態なのですか」

「……申し訳ございません」

「治らないはずですね」

「………」


 何から手をつけていいのか分からない程の惨状。持ってきている消毒液も石鹸も、こんな様子では足りそうにない。今言える嫌味をぶつけながら、全力で思考したユイルアルトが、酷く汚れた排泄物が入った手桶を手にした。


「リエラさん。ジャスミン……もう一人の女性に、お湯を大量に用意するよう伝えてください」

「わかりました」

「あと、この村の長……責任者と話を。死体、あのまま焼いて葬りますので油があれば集めてください」


 不衛生を憂いたユイルアルトが、最初に出した答えは『清掃』だった。あまりにひどいこの場所は、病人の隔離先として最低だ。消毒、汚物除去。優先するのは『害になるもの』の排除だ。しかし、『焼いて葬る』と聞いた患者が這って近付いていた。


「……焼く……のか」


 掠れた声のその男性は中年ほどと思われる。這っている手には吐いたものと思われる血が張り付いていた。脱水でもあるらしく、唇は乾燥し、肌にも艶が無い。細い腕と、細い足。着ている服は何日前から同じものをきているのだろう。


「焼きます。病原体の温床です。死体塚がある所に、人は住めませんから」

「……俺の……子どもが……いるんだよぉ………」


 止めてくれ、と。言葉の続きは唇の動きで分かった。分かったところで、死体塚の存在をこのままにしておく訳には行かない。ユイルアルトは首を振る。


「お子さんがあのまま、蠅と蛆の中で過ごしていたいと思っているとお考えですか」

「………」

「私なら絶対嫌ですね。自分が病の原因……不衛生を作り出しながら、父親を苦しめ続けるなんて」


 冷たく言って、木桶を持って外に出る。リエラもその後ろに続いて、小屋を出るとそのままジャスミンの元へ走っていった。

 手桶は、通ってきた道を辿り、死体塚の隣に置いた。そのまま穴の中に投げ捨てようかとも思ったのだが、先程の男性の話を聞いて投げ入れられなくなっていた。




 夕暮れ迫る時間になってもフィヴィエルは小屋の外でひたすら湯を沸かしていた。リエラは言われた通り、誰もいない村から油を取って回っている。

 ジャスミンは沸かしたお湯で、健康な人間のいる小屋の熱湯消毒を始めていた。全員を外に出して、あちこちに湯をぶっかけては掃き出している。体力のある男が何人かいたので、それらに手伝わせながら。これがどれほどの効果を持つかは分からないが、しないより幾らかはマシではあった。

 ユイルアルトは患者のいる小屋を担当し、必要な介助と小屋の掃除に向かっていた。全員にマスクをつけさせ、水分を摂らせ、汚物を片付け、移動出来る者たちを少しずつ移動させながら。持ってきていた着替えは、初日だと言うのにもう何枚か処分しなければいけなくなっていた。


「イル、こちらの掃除はあらかた終わったわ」

「本当? お疲れさまでした」


 手際の良さと人使いの的確さで、なんとか自分の仕事を片付けたジャスミンが病人の隔離先まで来た。その間も、ユイルアルトは病人の居場所を確保しながらの掃除中。なんとか順調に作業が進んでいる状況でも、ジャスミンは小屋の状態を初めて見て驚愕していた。


「……ひどい環境ね」

「これでもマシになった方ですよ」

「それは、……」


 蠅の羽音はあまり聞こえなくなってきた。しかし床や壁に染み付いた血、まだ匂う悪臭はこの先も消えることは無いだろう。小屋の中の病人は、喋る気力が無いのか不満があるのか、誰も喋らない。……最初に話しかけてきた男と、小屋の隅で背を壁に凭れさせている男を除けば、だ。


「ジャス、次は水分補給をお願いします。村人全員に、スバーの茶を飲ませたいのです」

「分かりました。……イルも、何か飲む?」

「……では、私も同じものを。ジャスも少し休憩を挟んでくださいね」


 依頼した茶は、ユイルアルトの荷の中に入っている乾燥した薬草から出来るものだ。同じような薬草が入っているユイルアルトの荷物は、ジャスミンにのみ、その荷の中身の価値が分かる。


「……私は大丈夫だけど、ユイルアルトこそ休憩してね」


 次の仕事を任されたジャスミンは、手を振ってその場を後にした。その姿を見送った後にユイルアルトの背中側から不躾な言葉が聞こえた。


「……こんな状況に、やってきて……英雄でも、気取りたいんかね」


 ユイルアルトが覆い越しでも分かるほど、顔に不機嫌を現している。

 その声の持ち主は、その着ている服で立場が分かる。ところどころ変色した白衣、その襟に刺繍された王家の紋章。


「私たちが英雄だと認めてくださるんですか? 英雄になれなかったオマヌケさん?」


 性格が顔に出る、とはたまに聞く言葉だが、ここまで性格の悪そうな顔は初めて見たかもしれない。リエラとは正反対に、気位ばかり高そうな男。――-もうひとりの宮廷医師。


「私一人で、この程度の……疫病など、……治せる」

「それで一緒に仲良く村の人と罹患ですか? 貴方の意地のせいで何人犠牲になったんでしょうね」

「あんな女に、私の手伝いなど、出来るはずがないんだ……!」

「女? リエラさんの事ですか? 貴方よりはよっぽど治療出来そうでしたよ」

「余計な世話だ!! こんな、病……私だけが治せる……誰の手も要らん!」


 男の言い分を聞いていると、何となく状況が分かった。


「もしかして貴方、リエラさんに何もさせてないんですか?」

「……。」

「よくわかりました。ありがとう」


 これ以上この男と話をするのも面倒になった。つまり、この男は『同じ宮廷医師であるリエラを排除』し『自分だけで治療を行う』と息巻き、『自分の能力を過信したまま』『村人への治療を行い』『結局自分も罹患した』。

 仕事をダメにする典型的な例だ。この男を雇用し続けるのはやめておけ、と本当に進言してしまおうか。リエラの医師としての腕前は見ていないが、この男が同僚ならもしかすると期待できないかもしれないな、とユイルアルトが内心思っていた、が。


「……姉ちゃんも大、変そうだな」


 頭の痛い現状を慮ったのか、この小屋で這ってまで話しかけてきた男が声を掛けてきた。相変わらず、すっかり清潔になったとは言えないような床に転がったままだが。


「お気になさらず。羽虫の音と思えばさして気にもなりません」

「手厳しい、ん……だな」

「そうでしょうか? 彼も使えない人間には同じような対応をしていましたので、大丈夫かと」

「……あのよ、」


 歯切れの悪い、掠れた声。続きを待つも、なかなか言葉は出てこない。焦れて側まで近寄った。渇いた唇の皺が数えられるほど。


「……どうしたんですか?」

「……」


 無言が、何故か胸に焦げ付いた何かを感じさせる。何を伝えようとしているのか、何故か興味が湧いていた。


「……もう一人の、医師さん、聞き慣れない薬か薬草かなんかの名前言ってた」

「薬?」

「それがあれば、症状が軽くなる……とか……、あのオッサン、何やかや言って、出来なかったらしいけど」

「それ、どんな名前でした?」

「……べ、……何だったかな」


 男から出た最初の一文字。そして症状の緩和という条件と頭の中で照らし合わせ、ユイルアルトの表情が明るくなる。


「わかりました、大丈夫です」

「な……、分かった、ってのか」

「その文字が入る薬や薬草って少ないですから」


 ユイルアルトの脳内で導き出したその答えはきっとベリン草。その名前が出るのなら、あの宮廷医師は『信用』していい。あれはこの国では使用禁止の草だった。だから使用できなかったのだろう。

 流石リシュー先生のお子さん。自分の師の影を師の娘に見て、感情の昂るままユイルアルトはすぐに小屋を飛び出した。




「お疲れ様です」


 ユイルアルトがもう一つの小屋まで戻ると、フィヴィエルが笑顔で挨拶してきた。健康な者たちが残っている小屋の前では、ジャスミンとフィヴィエル、そしてリエラが未だに湯を沸かしていた。ジャスミンの判断らしく、傍らで村人の清拭が行われている。終わった順から茶を飲ませているようだ。


「皆さんもお疲れ様です」

「イル、お茶は準備できてるから貴女も飲んで。コップはそこに置いてあるわ」

「ありがとう、ジャス。あとで向こうも清拭したいからお湯を多めにお願いします」


 ジャスミンに指示したこの茶は、多少ではあるが解毒作用があった。茶を飲むことで少しだけでも日常生活を思い出せたのか、清拭や湯を沸かすのに手伝いをしている村人の姿もあり、こちらの心配はそれほど必要なさそうだ。今は。


「……こっちは心配しなくて大丈夫そうですね?」

「僕も頑張ってますからね」

「まぁ、言うようになりましたねぇ」

「ははは」

「うふふ」


 笑い合う二人を、ジャスミンは冷ややかな目で見ていた。村人とのやり取りを見ていないユイルアルトだからこそ言えそうな言葉である。あれを見てしまった以上、ジャスミンにはもう同じようなことは言えない。村の家から拝借した蓋つきの鍋で茶を沸かしたジャスミンが、隔離先用にと分けて沸かした分をユイルアルトに指し示す。


「イル、向こうのお茶も用意出来てるけれど、もう持っていく?」

「……そうですね、持っていきます。コップを幾つかお借りしても? あと、手伝いに誰かひとりお願いします」

「で、では私が」


 おずおずと手を上げたのはリエラだった。宮廷医師である以上、現状に後ろめたさがあるようだ。

 ユイルアルトがコップを受け取り、リエラが鍋を持つ。二人はまた隔離部屋に歩いて行った。


 

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