第20話

 次の日、馬車の中の空気は朝から険悪だった。

 ジャスミンが昨日から話さない・動かない・食べない・誰の顔も見ない。その状態のまま正午になった。ユイルアルトとフィヴィエルは予想していたことだったが、予想済みの状態でも気まずさには耐えられない。いつもと変わらないのは馬車を引く馬だけで、文句も言わずただ道の先に向かって進むだけだ。

 昨夜の二人の談笑を、ジャスミンは快く思わなかった。出発の前のユイルアルトの心情はジャスミン寄りだった筈。それが、たった二日で二人の仲は悪くないものになっている。疎外感をひどく感じ、仲間外れにされたような気分だ。例え二人がそれを否定しても。


「ジャス、食べますか」


 もうすぐ着く。フィヴィエルから昼前にそう言われて、ユイルアルトがジャスミンの視界に入るように移動してから小さな干しパンを差し出した。飲み物は、野宿していた沢で汲んで沸かして作った薬草茶。ジャスミンは視線だけでユイルアルトとその食事を見て、またそっぽを向く。

 ジャスミンのその行動に困ったように笑うユイルアルトだったが、揺れる馬車の中、パンと茶をそっと横に置いて


「ジャースミンっ!!」


 不意打ちで勢いよく抱き着いた。そこで漸く、ジャスミンが「うっ」と小さな声を上げて後ろに倒れる。ユイルアルトを引き離そうとするも、このテンションの彼女は簡単には離れないと知っている仲だった。


「ジャス。ああ、ジャスミン。可愛いお顔が台無しですよ。さぁ笑って!」

「イルっ……! ちょっと、離しっ」

「嫌です! 私にジャスを抱きしめる至福を与えないおつもりですか! 悪魔なのですかジャスは!!」


 四の五の言って離れようとしないユイルアルト。先に諦めたのはジャスミンの方だった。

 抱き着いたまま顔を向かい合わせて、童女のように笑うユイルアルト。片手だけ離し、ジャスミンの頬をなぞる。その手つきは、まるでわがまま放題の幼い子供にするような優しさで。


「覚えていて? ジャスミン」

「……何を」

「私は貴女の過去を知らないから教えて欲しいと言った事。その場限りの約束なんてことには致しませんよ」


 その言葉に、ジャスミンは喉で言葉を詰まらせた。ユイルアルトの執念深さは、仕事でも部屋でも一緒に居るジャスミンが一番よく知っている。見上げた彼女の顔は、一見無害な様子で微笑んでいた。


「……今から喋れってこと……?」

「いいえまさか。無理強いして聞き出したいものじゃないですよ。……ですが」


 無害な微笑みが、耳元に唇を寄せる。一回だけ口付けの音を鳴らして、それから聞こえたのは掠れた囁き。


「ねぇジャス。私は、貴女がだいすきですよ」


 その囁きには、何かしらの深い感情が込められている、ような気がしてジャスミンがユイルアルトを見るが、顔を離した彼女の表情は先程と変わらない。掠れた声に隠された違和感を問いただそうとして声を発しかけたジャスミンだが、その時急に馬車が揺れて質問の代わりに小さな叫びを上げる。


「すみません、お二人とも」


 その謝罪はフィヴィエルのものだ。先ほどの揺れと同時に馬車の動きが止まった。ユイルアルトが用意してくれていた茶は零れ、彼女が着ている黒色ワンピースの裾を濡らしている。


「……着き、ました」


 着いた、と言われて馬車の御者側から二人揃って顔を出す。 

 そこに見えたのは確かに村だ。……外を歩く人間の気配が一切無いが。

 その場で、三人はそれぞれが作った口と鼻の覆いを付け、それからユイルアルトが二人に荷から出した抗菌作用のある干した薬草を一枚ずつ渡す。


「覆いの中に挟んでおいてください。……効き目があるかは分かりませんが、無いより幾らかマシでしょう」


 その言葉に、大人しく従うことにした。中に挟むと、ミントなどとは少し違う独特の清涼感を感じる。

 それから村の様子を再び伺った。見える範囲で言う限り、この村の産物は農作物だ。複数個所に固まっている家々の他に、暫く手入れされていないらしい畑が見える。作物が実っている畑は多数あれど、害獣に好き放題荒らされているようだ。

 三人が荷を持たないまま、村の地面に足を付けた。恐ろしく寒々しい場所だと思った。人が生活している気配がなく、人の姿も見えない。害獣の気配も今はなく、吐き気を催すような、むっとする臭いが覆い越しでも分かる。


「ああ」


 ユイルアルトの嘆息は、村の畑の中でも一番離れた一角を見つめながらのものだった。家々からも少し遠いそこには、何やら穴が掘られているようで土がどっさりと積んである。三人とも、産まれてから今までの生活水準が比較的高いからか、こんな光景は噂や物語の中だけに聞くばかりだったが―――実際を見る前に、既にその予想が出来ていた。

 酷い臭いは『ここから』だ。三人がそちらに向かって歩いていく。


「病が流行するわけです。『こんなもの』を許しているようでは、この村の衛生状態なんて知れたこと」


 意図せず蹴った石が、そのまま穴の中に入るくらいに近付いて、三人が覆いの上からも手で口を覆った。

 まるで一個の個体かとさえ思えるほどの数の蠅が飛び回り、酷い腐乱臭がする。

 中には、ところどころ茶色く変色している白い布で包まれた『何か』が放り込まれていた。それがその布の上からでも、件の病で死んだ者達だろうという事が分かった。


「死体塚ですね」

「……これは、酷い」


 言葉を続けたのはフィヴィエルだ。ほう、とユイルアルトが声を漏らす。実際の死体を見ても怖気づかないが、それとも布で覆っていない死体なら反応が違うのか。これは思ったより優秀な手伝いかも知れないと思ってユイルアルトが微笑んだ。

 対して、心配なのはジャスミンだ。


「ジャス、大丈夫ですか」


 ちらりと見た彼女の膝が震えていた。それはこの衛生状態に耐えかねて? それとも実際の死体に恐れおののいて? 諮りかねたユイルアルトがジャスミンに顔を近づけた。その様子にジャスミンはビクッと肩を跳ねさせるが、すぐに首を縦に振る。


「大丈夫」


 声が震えていた。大丈夫でないのは見ただけで分かる。その強がりを尊重して、ユイルアルトが穴に背中を向け、二人より先にその場を離れる。


「死体は病を産み出します。……先に生き残りを探しましょう」

「とは言っても……、『居られそう』な場所は限られてると思いますが」

「流石に、死体の近場で過ごしてる訳ではないでしょうが……フィヴィエルさん、もしあなたがこんな状況になったら、何処に向かいます?」

「僕ですか? ……そうですねぇ」


 周囲を三人が見渡す。畑、穴、民家は見え、集落から離れた場所に森が見える。その場から周囲を見渡して、ジャスミンとユイルアルトは気付いたことがある。敢えてそれを口に出さず、二人がフィヴィエルを見た。


「……何でしょう、違和感は覚えますが、『何処』をと絞ると……解りませんね」

「二流騎士」

「初歩の事だと思いますが、まさか思いつかないとは……」

「わかりました! 考えます!! 待っててくださ―――」

「人命掛かってるのに待つ訳無いでしょう。井戸ですよ井戸。見当たらないでしょ」

「井戸……? って、ちょっと! 置いてかないでください!!」


 フィヴィエルがもう一度周囲を見渡す。そんな時でも村人は闖入者の存在に気付いていないのか、出てくる様子さえも一切見せない。

 確かに井戸は見当たらず、視線を戻したその時にはもうジャスミンとユイルアルトは目標を乗ってきた馬車に決めて歩き出していた。慌てて二人を追ったフィヴィエルは小走りだ。


「生活に水は必須でしょう。なのに井戸がない。なら、村のごく近くに水源がある。となると森に湧き水がある可能性がある。そこに生き残りがいるかも知れませんね」

「森……? ですが、どこからか水を汲んで、まだ村で生き延びている可能性だって」

「あなたは、死体塚が側にある場所で暮らしたいですか?」


 その言葉に、フィヴィエルが言葉を詰まらせる。確かに、見える所に死体があるなんて嫌だ。見えないとしても、近くに処理しきれていない死体があるなんて、そんな不衛生は考えるもの嫌だ。しかし確実に生き残りが森にいると分かった訳でもないのに、ユイルアルトの足取りは真っすぐで迷いが無い。


「あの蠅の量、多分もう村では普通に暮らせませんよ。早く冬が来るように願うしかないでしょうね。さて、森での生活はどうなっているでしょう?」


 フィヴィエルの沈黙を了解と取ったユイルアルトとジャスミンが、それからは黙ったまま馬車に荷物を取りに行く。背負ったものの重さがそのまま生死に繋がる。ユイルアルトの表情が一瞬だけ強張った。


「手伝います」


 ユイルアルトとジャスミンに、両腕を広げるフィヴィエル。ユイルアルトは躊躇わず荷を渡すが、ジャスミンは抵抗して荷を抱き抱えた。


「精密なの。乱暴に扱ったら壊れてしまう」

「ジャスミンの荷物は私でも時々扱いを拒否されます。気にせず私の荷物だけ運んでください。ほら。即座に」


 キリキリ働け、と無言の圧力を出すユイルアルト。言い出したのは自分だが、こき使われているように感じたフィヴィエルは不服そうな表情のまま大人しく頷いて荷を運ぶ。積み込んだ時も思ったが、ユイルアルトの荷物は見た目に反してかなり軽い。優雅に寝るための羽根布団でも入っているのかと言いたくなる軽さだった。お陰でひどく疲れることはないのだが。


「……やはり、まだこの中身は教えて頂けませんか?」

「まだ気になっていたんですか? しつこい人ですね、あなた」


 嫌がる風の言葉だが、ユイルアルトは笑っていた。それから一度だけ、コクリと頷く。


「いいですよ、ついでですから実演もしてあげましょう。その代わり―――、今の騎士としての地位と引き換えにする覚悟があるのなら、ですけれど」


 

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