第19話

「今でも語り草になっていますよ。先代の『花』隊長は色んな意味でも有名人でしたから。外見は可憐で清楚、内面はどっかのオッサンかってくらいに粗暴で乱雑。でも親しみやすくて、人も良かった―――。僕は、そう団長から教わりました」


 ユイルアルトは開いた口が塞がらなかった。けれどユイルアルトの中では合点がいった。何故こんなに早く騎士の護衛を調達できるのか。何故自分たちが騎士という権力に対して不可侵の仕事が出来るのか。それは元騎士だったからかもしれない。


「……今でも、先代の『花』団長を慕う騎士もいます。戻ってきて欲しい、とさえ望む人を知っています」

「あの人が騎士だったなんて、……初耳です」

「言いたがらないでしょうね。『思い出してしまう』から」

「思い出す?」

「ユイルアルトさんは、あの人の事をどこまでご存知ですか?」


 問われて考え込む。

 知ってることと言えば、酒場とギルドのマスターで、貸し部屋のオーナーで、毎日仕事に忙しくて。酒が好きで、煙草も吸って、面倒事が嫌いな癖に面倒見が良くて、顔は綺麗で可愛くて―――。


「既婚者『だった』ことは?」

「―――。」

「ご存じないんですね? では、子どもがいることは?」

「は、……!?」


 毎月資金繰りに困ってて、リシュー先生のことは見えなくて、でも何かを感じてて、料理が上手で、そして、そして―――それだけしか、知らなかった。

 お互いに深くを話さない。彼女の過去を、彼女に彼より近い自分は、彼より知らない。


「そんな事知ってる訳ないでしょう! だって、あの酒場には、子どもなんて」

「……。」


 フィヴィエルの沈黙が、重い。それが何を現してるかなんて、ユイルアルトには分からなかった。

 居ない配偶者。子ども。そして独りで生活しているアルギン。は、と良くないことに気付いたような表情をユイルアルトがしてから、彼が口を開く。


「お子さんは、十番街の施設で暮らしています。可愛い女の子ですよ」

「……し、せつ……?」


 良かった、とユイルアルトの表情が言っていた。最悪な想像をしていたからか、安堵に溜息を零す。けれど、子どもと離れて暮らす意味と、存在を知らなかった配偶者の事がどうしても胸に引っかかっていた。無言で続きを待つユイルアルトだが、フィヴィエルの口からそれ以上の情報が語られることはなかった。


「これ以上は、僕の口からは。もし聞きたいのでしたら、帰った時に本人から聞くと良いでしょう」


 ユイルアルトも、その言葉には同意した。これ以上を彼の口から利くのはマナー違反だ。今から色々な人間の『色々』を知ろうとするユイルアルトの第一歩。

 同時に、今からは『自分を語る覚悟』も必要になる。またひとつ、その唇から溜息が漏れた。




 二日目も野宿になった。最後の村で補給が出来たので、晩の食事は干し肉と野草のスープだ。野草と言っても、ユイルアルトとジャスミンが見つけてきた食べられるものなので安全度は高い。

 山道を進んでどれくらい経っただろうか。幌馬車を連れて行ける道だったのがありがたい。乗っているだけでも疲労しているのに、馬を操るフィヴィエルの疲労はどれほどだろうか。


「美味しいです。ジャスミンさん、料理上手ですね」


 スープを口にしたフィヴィエルが褒めた言葉を聞いても、ジャスミンはニコリともしない。それでも、顔をわざと背けたりしていないので態度は軟化してきている、とユイルアルトは思った。二人の道中の会話を盗み聞きでもしているのだろう。証拠はないが雰囲気で分かった。

 褒められたスープは確かに美味しかった。味がいつもよく食べる酒場のそれに似ていて、無意識にあの賑やかな場所を思い出す。面倒見の良いマスターに、騒がしかったり大人しかったりする客やギルドメンバー。離れてまだ二日目なのに、随分会っていない気がしていた。


「美味しかったです、ジャス。ご馳走様でした」

「口に合えばよかった。片付けもするから、置いておいてください」


 ジャスミンはユイルアルトにのみ通常の返事をするのは変わっていなかった。フィヴィエルがやれやれ、といった感じに肩を竦めるが、自分の分も片づけをされるのは分かっているのでユイルアルトと同じように食器を放置した。

 ユイルアルトは食事を済ませるや否や、フィヴィエルが調達してきてくれた布と紐を引っ張り出して焚き火の前に陣取った。手には鋏も持っている。


「ユイルアルトさん、気になってはいましたが、それは何をするものなんです?」

「聞かなくても分かってくださいな」

「そんな無茶な」


 昨日のような嫌味を混ぜ込んだ言葉というより、悪戯っぽい言い方で返答したユイルアルトは、おおよその位置を決めて布に一気に鋏を入れた。汚れのない布が、小気味いい音をさせて裂けていく。食器の片づけをしていたジャスミンも寝床の準備を始めていたフィヴィエルも、その様子を興味深そうに見ていた。


「これで、口と鼻を覆って貰います」


 ある程度の長方形に切った布を数枚重ね、輪っか状にした紐二つで端を結んでいく。そうして出来たものを広げて見せた。食器の片づけを終えたジャスミンが、裂いた布を手にして同じようなものを作っていく。


「覆いですか? 砂塵避けでしたら服の襟元でしたことがありますが……」

「そんな騎士様が使う服のオマケみたいなものと一緒にしないでください」


 ばっさり切り捨てられてフィヴィエルが面食らった。二人の手によって作られるものは、なにかしら意味のあるものなのだろうと理解していても、その使いどころが分からないフィヴィエルには理解が追い付かない。そんなフィヴィエルを見て、ユイルアルトがジャスミンと目を合わせた。


「……病気……、特に流行り病というのは、生き物の鼻や口から入ります」

「……そうなのですか」

「こちらを、村にいる病気の方々は勿論、村に関係する全員に付けて貰うのです」

「成程、病気が移らないようにするのですね?」

「それは勿論。……しかし、もう一つ理由があります。それは」

「―――病気を、『他人に移さないように』する為ですよ」


 此処に来て、初めてジャスミンがフィヴィエルに口を聞いた。向ける瞳は、とても冷たい。


「宮廷医師の子が何故そんなことも知らないのですか? 病気から自分の身の守る方法も知らないなんて、宮廷医師が聞いて呆れます。自分の子の衛生管理教育も出来ないんですか」

「ジャス」

「そんなだから私たちが駆り出されるんですよ!!」


 語気の荒いその良い方は、ユイルアルトが指摘するでもなくジャスミンにも分かっていた。―――八つ当たりだ。しかしそんな言い方でも、彼は無言で聞いていた。伏目がちな一重の瞳が、ただ下を向いて。

 ジャス。短い吐息で、ユイルアルトがその名を呼んだ。息を荒くしているジャスミンが、それ以上を言い募ることはない。


「……ジャスは、」


 ユイルアルトの唇が開く。しかし、言葉を選んでいるせいで次が続かない。言葉を継ぐまでに、一度強く唇を噛み、それから口を開く。


「自分の分だけ作って、今日はもう休んでください」


 そんな当たり障りのない言葉で、ジャスミンを追い払う。ジャスミンも自分の分を作るのに必要な材料だけを引っ掴んで馬車の中に逃げ込んだ。

 暫くの後にユイルアルトに、彼が頭を下げる。笑顔がいつもと違って、輝きが無い。


「すみません、ユイルアルトさん」

「何がでしょうか?」

「気を使わせてしまって、ですよ。ユイルアルトさんは僕を責めない」

「責めてお金だけ貰って帰れるならジャスより早くブチ切れてますからご安心を」

「……やっぱり、手厳しい」


紐を結ぶユイルアルトの手つきが、先程までと比べて遅い。ジャスミンだけでなく、フィヴィエルの様子も気にしているようだ。そんな様子を見ていたフィヴィエルが


「ユイルアルトさん、唇―――」

「え?」


 彼に名を呼ばれ、唇を撫でるように指でなぞったユイルアルト。その唇には、焚き火の僅かな灯りでも分かる程度に血が付着していた。


「……ああ、血、ですね」

「痛くありませんか?」

「たいして。気付かなかったですし」


 さっき噛みしめた時の傷だろう。気付かなかったときは痛みなどなかったのに、認識してからは疼くような痛みがある。指先に付いた血は服で乱暴に拭き取り、また布と紐を手にした。しかし二・三個作って諦めた。明らかに集中力が欠けている。それに自分で気づいて、溜息を吐きながら天を仰ぐ。


「……今日は、もう終わりにしましょう?」

「では、残り全部お任せしてもいいです?」

「それは……ちょっと」


 フィヴィエルが腰を擦りながら立ち上がった。年寄臭い、と小声で呟くユイルアルト。しかし徐にユイルアルトも立ち上がった。その様子に、フィヴィエルが驚く。ユイルアルトの態度が明らかに軟化していた。初対面の時と同じ態度ならば、今のタイミングで絶対に立ち上がらないだろうから。

 軽く伸びをするユイルアルトを、フィヴィエルがまじまじと見つめる。滑らかな金の髪、透き通るような白い肌、魔女のような色の濃いローブと白いズボン。今更になって、やっとユイルアルトを『同行者』というだけでなく『女性』として認識した。


「固いことを言わず。誰にでもできる簡単なお仕事です」

「それ、三番街の警邏の時にも聞いた言い回しです」


 面倒な仕事からの逃避からか、ユイルアルトが焚き火の周りをくるくると回ってみせたが、結局は作業に戻る。フィヴィエルはその様子を見て笑っていた。馬車の中に戻ったジャスミンは、外から聞こえる二人の声と音に耳を塞いで耐えている。


 二人の作業と談笑は、夜が更けるまで続いた。



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