第15話
自由国家アルセン。この国でも、幾つか禁止事項がある。
人や人の所有物を害すること。
人を呪うこと。
特定の薬物を扱うこと。
他にも色々あるのだが、この禁止事項を国家勅命で扱うのが『ja'dore』だ。
そして、このギルド内で禁止薬物を扱うのは二名。
その一人がユイルアルト。故郷を『魔女』として追放された女だった。
「それで、先生に今度また薬の調合を教えて貰える事になったのですよ」
朝食を済ませたユイルアルトが向かうのは、相棒であるジャスミンと共同にしている三階の自室。日当たりが良く、ベランダが利用できるこの部屋は酒場としての『JA'DORE』が貸している部屋の中で一番広い。部屋の三分の一ほどは仕切られ、ユイルアルトとジャスミンが手塩にかけて育てている植物の鉢が、所狭しと大量に置いてある。
午後過ぎに漸く目覚めたジャスミンは、昨夜も夜更かしさせられていた。乾燥させた根を夜中ゴリゴリと擂鉢で擂っていたせいで、一眠りした今でも手には擂る時の振動がまだ残っているようだった。
「……リシュー先生?」
眠い目を擦りながら、ジャスミンがその名前を口にする。その名を聞いた途端、植物に水遣りをしていたユイルアルトが輝く笑顔で振り返った。
「そう!!」
敬愛する先生の名前に反応する、この様子もいつもの事だ。ジャスミンは呆れたように笑いながら、相変わらずの相棒の姿に目を細めた。その瞳が、少しだけ憂いを帯びている事にはユイルアルトは気付かない。水遣りを終え如雨露を置いた手で、そのまま植物の花弁や葉を幾つか摘んでいく。開け放った窓からは、外からの風が入ってきた。
「今度は気付け、貧血、火傷の薬だそうで。南の新しい薬草も教えて下さるの……ああ、楽しみ!」
「イルは本当に薬学が好きね」
それを聞いたユイルアルトが、何を当たり前な、とでも言いたそうな顔をする。不思議そうに、小首をかしげて。
「私の生きている意味です」
生まれた時から植物と共に育ち、そうあるように育てられた。ユイルアルトから薬学を取ったら何が残るのだろうか、と周りから思われる生き方をしている。それはユイルアルト自身も良く知っていた。悲しいほど。
「貴女の『それ』はいつもの事だけど。でも、先生は……って」
更に言葉を並べようとするジャスミンに、天日干しの為の笊に花弁と葉を並べ終えたユイルアルトが近付いた。花の香りが移った指先が頬を掬い、その耳元に唇を寄せる。
「イル」
「私の生きる意味は、今は曖昧なのです」
ユイルアルトの出自を、ジャスミンは深く知らない。けれどジャスミンがこの国に辿り着いた時にはもう魔女を自称する薬師としてギルドにいたこの金髪の女が、どんな経緯で『そう』なったのか―――聞くことも憚られた。
すぐに知ることになったからだ。その黒いワンピースの下に隠れている、背中の広範囲に及ぶ酷い火傷の痕を。
「私が此処で、薬を作らねば、『私』が、死んでしまう」
小声で囁かれたそれは最早呪いにも似て。
今更ユイルアルトには、一般の世で薬を作ることも出来はしない。彼女が作るその薬の材料に、この部屋の植物が欠けては意味がない。
強い午後の日差しを受けて、葉に掛かる水を輝かせている植物は、この自由国家アルセンに於いても栽培を認められていない毒草だった。
何の為に薬を作るのか。そんな事、もうユイルアルトには関係なかった。
『魔女』として故郷を追放されたユイルアルトには、薬を作る事しか残っていなかったから。
「イル、ジャス」
夕暮れ時、酒場の喧噪より少し離れた一階のバックヤード。その中のテーブルで夕食を摂っていたユイルアルトとジャスミンが、マスター・アルギンの姿と声に気付いてその方向を見た。
「アルギン」
「お疲れ様です、マスター」
「そっちもな」
酒場は今からが忙しくなる。その前にと休憩をしに来たらしいマスターだが、その手には小さな麻袋が握られている。
それを二人がいるテーブルに置いたが―――、二人の顔が怪訝なものになった。中身は恐らく金だろうが、ここまでの金額を動かせる仕事の思い当たる節がない。
「……これ、何ですか?」
「今から依頼の内容を話して良いか。もしそれを受けるなら、この中身は前受金になる」
「これで前受金? ……聞くだけ聞きましょう。ねぇ、ジャス」
テーブルの上の袋は、マスターの手に収まる程に小さいといえどかなりギリギリまで膨らんでおり、置かれた時の音も重厚だった。若干の不安が混じる顔つきのジャスミンとは違い、ユイルアルトは至極真面目な顔でその場で中身の大凡の金額を計算している。
音、大きさ、中身は金―――、さてどんな無理難題を吹っ掛けられるか。自警団で言うなら山賊狩りに駆り出される程度の規模の話だ。
「ここから大人の足でも一週間以上は掛かる、ある村で疫病が発生した。年寄りはもう死に始めてるらしい」
「疫病―――」
「咳から始まって血痰、吐血。腹痛に下痢、血便。二人くらい医者を派遣したらしいが、そのうち一人は疫病にかかって仲良く血を吐いている、との事。気管支と消化器の薬は幾らか試したらしいが、効いてるとは思えないそうだ」
「………。で? 薬、作れば良いんですか?」
何かを察したらしいユイルアルトが、先んじて切り出した。しかしその言葉にマスターは首を振る。
「行ってくれ」
「……今、何と?」
聞き返したのはジャスミン。しかし、聞き返した割には不思議がるでもなく、驚いている訳でもなく、ただ真顔だ。ユイルアルトも俯きがちにして溜息を吐いている。
「病状見ながらの治療の方が確実だろう。今のところ、疫病の特定も出来てはいないらしいし、お前さん達ならミイラ取りがミイラになるようなこともあるまいて」
「随分な信頼。わぁ嬉しい。その信頼を以て私達は死地に送られる」
ユイルアルトの投げやりな喜びの言葉にマスターも苦笑を漏らす。敵性勢力が居るわけでも無く、荒事に巻き込まれるわけでもないのに『死地』が大袈裟な話ではないのが複雑な話だ。
「今回は破格の待遇だぞ、騎士が一人護衛で付いていく。護衛費用も不要だ、荷物もあちらの分はすべてあちらに用意させる」
「……騎士? 自警団でも冒険者でもなく?」
ジャスミンの問いかけにはマスターが首を縦に振る。
「今回の依頼は、王家からだ」
その言葉で、二人は目の前の袋の理由が分かった。
「ただし、正確な依頼内容は『疫病から村を救え』じゃない」
「……もしかして、宮廷医師ですか」
派遣された医師とやらは、国お抱えの愚か者だったらしい。その尻拭いに行かされる、という訳だ。
ジャスミンの表情が更に曇る。
「……最優先は、宮廷医師の治療。そして『叶うなら』村人の治療。宮廷医師さえ治療が叶うなら、報酬は払うそうだ」
「そんな……!」
「後は現場判断で頼む。……アタシだって依頼を聞いただけで、今はどうなってるか解らない。お前さん達が受ける……なんてのも保留にしてる」
「馬鹿馬鹿しい」
民を見殺しにしてもいい、と言われているような依頼内容。激昂しそうになるジャスミンを横目に、ユイルアルトが口を開く。
「行けば良いんでしょう。仕方ない、どれだけお国は私達にお金を積んでくれるのでしょうね?」
「……行ってくれるなら、アタシからも口を利いておく」
「宜しくお願いしますね。出発はいつから?」
「早ければ早いほうが良い。出来るなら明日の日の出の頃」
「解りました。ジャス、準備しましょう」
食事もほどほど、元から小食のユイルアルトがジャスミンを急かす。黙ったままジャスミンは席を立った。バックヤードを出て、自分達の部屋へ向かうであろうその背中を視線で追ったユイルアルト。
「ひとつ、お聞きしても?」
「……構わない」
「薬の材料、何使ってもいいんですね?」
「………」
ユイルアルトの薬の材料は『禁忌』だ。薬を用意するのは良いが、それを咎められて死罪―――では話にならない。
「バレるなよ」
それがマスターの答えだった。鼻を鳴らしてユイルアルトが前受金を引っ掴んでバックヤードを出て行く。
ユイルアルトがマスターに望んだ答えは、彼女が口に出したそれとは少し違っていた。
けれど、ユイルアルトはそれがマスターがマスターとして言える『精一杯』だと知っていた。
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