第6話

「私、アリィからお金を預かった。そのお金で、買出しに出てたの」


 思い出すように視線を巡らせ、震える唇が続きを語る。


「服の布地が少ないから、出物が無いか見に行った。食材も、……買いに行こうとしたけど、行けなかった。アリィからの大事なお金だから、無くさないようにって気を付けてた。……布地を買いに行って、店に来ていたお客さんから言われたの。『三番街の布地屋は、安い端切れを多く扱っているよ』って」

「……行ったのか」

「三番街なんて、滅多に行ったことなかった。そしたら案内してくれるって。……知らない路地裏で、連れ込まれて、私怖くて、……知らないうちに気絶したのか眠らされたのか、気付いたら知らない建物にいたの」


 アルカネットの表情が徐々に険しくなる。フェヌグリークの表情が、それに反応しているかのように曇り続けて。声も比例して小さくなるが、側でオルキデがフェヌグリークの背を撫で続けていた。


「床に転がってたんだけど、気持ち悪かった。変な白いのが床にぶちまけられてて、匂いも気持ち悪くて、空気中がおかしかった。服にも何かがべったりついてて、……一回中で転んだの。あちこちから古い釘が飛び出してて、服引っ掛けて破いちゃった。出口解らなくて、その部屋から動かずにいたら、……焦げ臭い匂いがしてきたの」


 オルキデの手つきに安心したのか、瞳を潤ませながらも話すのをやめない。マスターが椅子の背凭れに体を預け、ギ、と音がした。


「火事だ、って、すぐ解った。木材だけが燃える匂いじゃなかった。危ないって思って、すぐに廊下に出たの。廊下の向こうから火は出てて、でもその逆側に出口が見えた。窓も見当たらなくて、走って逃げた」

「誰も居なかったのか?」


 マスターの言葉に、一瞬息を詰まらせる。どう言おうか考えて、漸く口を開いたフェヌグリークは緊張に顔を強張らせていた。


「……出ようとして、寸前で、男に会った。案内するって言った男。立ちふさがられて、腕を掴まれた。……でも」

「でも?」

「目の前で、男の胸から何かが突き出てきたの。見たことある、槍だ、って思った。血が噴き出して、私の顔と、胸を汚して。何だろうって思って拭ったら真っ赤で」

「……。」

「男が倒れたら、私誰かに急に腕を引かれて。顔を拭われて、それから外に連れ出された。……暫くじっとするようにって、物陰で待ってるように言われたの」

「顔は見えたか?」

「………それが」


 口篭るフェヌグリークに、マスターが怪訝な顔をした。


「……見えなくて」

「……あー。成る程、知り合いか」


 言い放ったマスターに、フェヌグリークがぎょっとした顔をする。その表情に確信したらしいマスターが、オルキデに茶の用意を言いつけた。軽く頭を下げたオルキデが、さっそく薬缶を火にかけた。

 フェヌグリークが唇を引き結ぶ。それ以上を躊躇うように。


「……違います、知り合いじゃない」

「嘘下手だな。見えないって言ったのに知り合いじゃないって解るんだ? ……火事現場ほど明るい場所で見えないって嘘吐かれるのも新鮮だな。取って食いやしないよ、正直に話してみろ」

「正直に、って……」


 妹の狼狽ぶりに、アルカネットに嫌な予感が走る。嘘を吐いている事は嫌でも解る。

どうしてこんなに馬鹿正直なのか。問いたかったが、マスターの言葉に、アルカネットの唇が閉ざされる。


「……アルカネット、ちょっと言っておきたいことがあったんだよな」


 椅子に凭れたままのだらしない姿勢。切れ長の瞳が流し目めいた色気を放ちアルカネットを見る。こんなところで、そんな態度で何を言おうというのか。


「暁たちに確認したんだがな、『見張り』が可能なのは、『見張り人形に登録済』の『種族』に限ったことらしいんだ」

「……は?」

「暁が見張りさせてる人形たち、登録させてるのは今現在アルセンに住民登録してる『ヒューマン』『エルフ』『獣人』達、それから『ドワーフ』、あとはそれらの『混血』か」

「何が言いたい?」

「お前さんだろ、アルカネットの『仕事』見たの」


 マスターの瞳がフェヌグリークに向いた。先ほどの追求で青ざめていたフェヌグリークの表情から更に血の気が引く。半開きの唇から、言葉にならない声が漏れた。


「それにあのナイフ、お前さんのだろ。自警団に情報が入っていてな、同じ型を以前、教会が何本か仕入れたってな? 名目はシスターの護身用」

「……っ、待て、オーナー! それじゃ……」

「最近自警団の幹部は教会が怪しいと踏んでるらしいじゃないか。勿論、お前さんが殺したんじゃないことはこっちが一番良くわかってるが」


 ふ、と小さく息を吐いたマスター。酒場の暗部を、こんな娘に話すことが意外だったのか、アルカネットはまだ状況が飲み込めていない。

 飲み込みたくなかったのかも知れない。大事な妹に、この手の汚れ具合を知られるようで。洗ったところで決して落ちること無い汚れだ、知られたくないのは当たり前だ。

 しかしそんなアルカネットさえ無視して、マスターが話を続ける。オルキデが紅茶を全員分淹れてテーブルに置いた。手を伸ばしたのはマスターとオルキデだけだ、兄妹は視線も向けない。


「……嬢、お前さん、人間……ヒューマンじゃないな」


 紅茶に息を吹きかけたマスターが、こともなげに言い放つ。言葉の鋭利さとは裏腹に、優雅に紅茶を飲み始めた姿を見てアルカネットが言葉を失った。


「しかもほぼ純血だ。入浴中オルキデに確認してもらったよ、今は亡き国の絶滅種族だからな。恐らくあの下衆野郎も気付いていたんだろうさ、いまやグラスヒュム……『プロフェス・ヒュムネ』は売買じゃ恐ろしく高値で取引される」

「……!?」


 漸くアルカネットが口に出来たのは、その驚きだけだった。


「登録してないんだよ、唯一、グラスヒュムは。登録できないんだ、お偉いさん方から止められてる」


 ―――プロフェス・ヒュムネ。

 二十年ほど前に、他国の侵略を受けて滅亡した国『ファルビィティス』に住まう種族だ。俗称として『グラスヒュム』、東方では『草民』と呼ばれ、蔑称として奴隷市場では階級である『エスプラス』と呼ばれる。総じて美しい黒髪を持ち、種族に伝わる特殊な種を使い、その種には出来ないことは瞬間移動と死せるものの復活だけだと言われている。滅亡したのも、騙し討ちに因るものだとも。

 アルカネットが物心ついた頃には既にその国は無くなってたのだが、その種族については知らない訳が無かった。


「背中に葉緑斑を確認致しました。とはいえ、随分薄いものです。葉緑斑は他種族の血が混じるほど濃くなりますが、恐らく彼女は王族に近い血筋の出自かと」


 そうしてマスターへと解説するオルキデ。そして、オルキデの妹であるマゼンタ。

 二人は正統な王家の血筋、それもマゼンタは次期継承者だったのだから。

 アルセンは多種族の住まう国。種族同士の諍いが少ない国だったからこそ、昔からファルビティスとの交流が盛んだった。王族や運の良かったものはアルセンへ逃げ延びることができ、少数ではあるが、王国の保護下で生きることが出来ている。

 既に他は死に絶えたと聞いていた。それが、妹がその一族だったなんて。


「プロフェス・ヒュムネの保護は王家からの命令でもある。アルセンはファルビィティスの友好国だったからな、……あれからだいぶ経つ、生き残りがいるとは思っていなかっただろうが……オルキデ、どう思う」

「……正直、私も驚いています。生き残りの殆どは、全てアルセンの庇護下にいます。奴隷市場にさえ、ここ数年は姿を見せていません……。それが今現れたのです、必要であればすぐにでも陛下に報告致しますが」


 オルキデがフェヌグリークを見た。青ざめたその表情を見れば、今すぐにでも倒れそうだと解る。それでも、マスターは容赦なんてしない。

 紅茶を口に運ぶ手を休めて、逡巡するように視線を巡らせ、それから口にしたのは、あくまで事務的なもの。


「報告は少し待とう。今回のアルカネットの……邪魔者の正体明らかにするまでは、保護の手続きに時間割いていられない」

「保護って……おい、オーナー」

「グラスヒュムは保護が義務付けられてるんだ。奴隷市場でも馬鹿高い値段が付けられてる、捕まったらコトだ。お前さんだって、給料全部寄付するくらいには大切な妹を売り飛ばされたくないだろう?」


 目の前が真っ暗になるような、アルカネットの感覚。何もかもを妹に知らされた上、その妹は自分の所業を知っていた。その上、妹は人間じゃない? 国による保護が必要な種族で、……なんて、悪い夢のなかで全員から騙されてる気分だった。

 頭が真っ白のまま、何も考えられない。ただ命令されるだけ動いていた、それだけで毎日を送っていたツケが巡って来たようで。どれだけのツケを溜めていたのかは不明だが、これ以上何かあったら寝込めるという意味の解らない自信まで湧いている。


「……悪い」


 頭が痛くなった。


「明日にしてくれ」


 アルカネットの声が、弱弱しく吐き出された。

 フェヌグリークの腕を引いて出て行こうとする姿を、誰にも止められる訳が無い。その真っ青な顔色を見れば。

 フェヌグリークも戸惑った表情を見せたものの、素直に椅子から立ち上がり手が引く方へと歩き出す。


「アルカネット」


 マスターの声が、背中を追った。


「任務追加だ、無理やりでもいい。お前さんの標的、先に殺した奴を明日中にここに連れて来い。生きたまま、だ」


 ふらりとバックヤードを出て行ったその背中を、マスターの煙草の紫煙と、喫煙で掠れた声だけが追っていった。

 明日中なんて、動く力があるかも解らないのに。


 アルカネットの部屋へ通されたフェヌグリークは、最初所在なげに立ち尽くしていた。

 飾り気の無い室内には、シンプルすぎる机と寝台があるだけ。掃除は行き届いているらしく埃や汚れは見当たらない。薄い毛布と、風に音を立てる窓。質素すぎる内装に、しゅんとした様子のフェヌグリーク。


「どうかしたか」


 床にどかりと座りながら問いかけたアルカネットに、フェヌグリークが首を振る。なんでもない、と言えない喉、それから空気だけを吐いて唇が閉じられる。

 どうもしない、なんて言える訳が無い。暫く押し黙っていたフェヌグリークが、『兄』に向かい唇を震わせた。


「……、自警団のお給料、全部渡してくれたって本当なんだね」

「……そんなことか」


 発言の内容にやや拍子抜けしたようなアルカネットだが、次の瞬間には。


「そんなこと、って何よ!!」


 怒声を震わせながら、フェヌグリークが叫んでいた。

一瞬だけアルカネットが目を丸くするも、それに気付かぬ様子でフェヌグリークが捲くし立てる。気付いていても止められないだろう、この現実と直面すれば。


「なんで言ってくれなかったの!? 私たちになんで今更隠し事が必要なの!? なんであんな仕事してるの、なんで隠してたの!!?」


 払い惜しみをしていた、アルカネットのツケのひとつだった。

 反論しようとしてアルカネットが口を開くが、結局何も言えない。何を言おうにも、結局は正論など出やしないのだ。出るのは、『妹』を守ろうとする殻に隠れた自己弁護。

 人の血で賄われた金で守られたいと思うような『妹』ではない。仮にも、真似事とはいえ神に仕えるシスターだ。

 そして、そんなフェヌグリークは自警団である『兄』をとても誇りに思っていた。


「お金無いなら無いなりにやっていけた! どうして私は守られてばっかりなの!? アリィの口から聞かせられないことが、こんなに辛いなんてなんで解ってくれなかったの!?」

「……お前の為だけじゃない、孤児院が」

「私たちを生かす為に人殺しを続けたんなら、盗賊と変わらないじゃない!!」


 その言葉に、アルカネットが息を詰まらせた。

 アルカネットも、自分のやっていることは正統なことだとは思っていない。例え相手が罪人でも、どんな悪党でも、アルカネット自体は何の被害も受けていない。事情を知らなければ、何の関係も無い赤の他人だ。

 それを殺すのだ、自分の手で。今回だけはこの手は汚れていないものの、先を越されさえしなければ、命令されるがまま手を血で汚すだけだ。

 それを目の前で否定された。このギルドの詳しい事情を知らないとしても、やっていることは盗賊と同じだ、と。

 アルカネットが黙り込んで漸く、フェヌグリークが唇を閉じた。そして扉近くにそのまま腰を下ろし、膝を抱えて塞ぎ込む。


「フェヌ」

「……なんでなの。私、間違ってる?」

「……、解らない」

「そういうのが一番苛つくの。否定でも肯定でもしてよ、じゃないと泣けない」


 小さく震える声が、その心の痛みを物語っているようで。

 マスターの時とは違い、その肩を抱くことは出来なかった。恐らく、二人が感じている痛みはお互いが共有出来るものではないから。

 アルカネットは『隠し続けられなかった自分の不甲斐なさ』。

 フェヌグリークは『人を殺めて、それを隠されたままで兄から守られていた事実』。

 アルカネットが目を細めた。フェヌグリークとこんなに距離が出来るのは、多分お互いを認識してからは一度も無いだろう。その一度目に、アルカネットは成す術が無かった。

 やがて寝息をたて始めるフェヌグリークを抱きかかえ、寝台に運んでからアルカネットは床で寝た。かける毛布も無く、やや疲れた表情で。


  

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