【第一部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド狂騒曲―
不二丸 茅乃
case1 アルカネットの真実
第1話
新暦776年 5月11日
3番街のF地区の路地裏で殺人事件発生。被害者は中年らしき男。
『らしき』といった理由については、首から上が切断された状態で発見されたためである。
着衣を含む、身元証明になるものは皆無。胴体には目立った傷がないことから、物取りの犯行ではなく、はじめから殺害目的で凶行に及んだと考えられる。
死体の側に犯人のものと思われる凶器のひとつが落ちていたこともあり、現在王立騎士はこの事件の目撃者を探すとともに、犯人の手掛かりを追っている。
――――O,Dennle
この国の新聞に、殺人の報が載らぬ日はない。先程まで新聞に目を通していた人影がそれをカウンター上へと放り投げた。
カウンターは素朴な濃い茶色の木造りだが、ところどころ液体の染みがついている。そのせいかは分からないが、そのフロア一帯は昼を過ぎてもアルコールの香りが漂っていた。
カウンター奥は壁一面に各国の酒瓶とグラスが幾種類も並び、そこだけは立派な酒場の体裁を整えていた。夜とは違い、客が一人もいない静かな店の中で。
「マスター、掃除終わりました」
客はいなくとも店員はいた。広い店内にいるのは数えて二人。一人が業務終了を告げると、新聞を放り投げた人影である『マスター』は声のほうを向く。
少し前まで新聞を開いていた手には煙草が握られている。安い紙煙草からは煙が絶えず上っており、それを口に咥えなおしたマスターは声の主に手を上げるだけで答えた。
「……新聞、買ってきてたんですか?」
マスターが新聞を見ていたことには、とうに気付いていた。あえて問い掛けなかったのは自分の業務を優先したからで。マスターがこんな簡単な質問なら答えてくれると知っていたからこそ、今、存分に問うことができる。
「いや、昨日の夜に客が置いてったんだよ。しかもこれ、一昨日のだぜ」
新聞に向かって素っ気無く指を指すマスター。指した新聞にさえ酒の染みが見える。新聞紙独特の香りだけでなく、癖のある酒の刺激臭。声をかけた人影が近寄ってそれを手にし、広げた。
大して面白みのない三文記事の中、一番大きく取り上げられていたのも件の殺人事件だった。マスターと同じく、あまり興味がなさそうに頁を捲る。
「うちは廃品回収までやってねーっての」
「最近の中では一番猟奇的ですね……。首無しかぁ」
記事を読み進める人影は、背中まである長い黒髪の女性。首の後ろでひとつに結んだ、艶のある髪だった。前髪の僅かな影に隠れた瞳は、黒掛かった紫。記事の文面を追うように、瞳だけはよく動いている。
マスターはぼんやりとその瞳を観察しながら、ゆっくりと一服を味わっていた。
「それも全裸だ。近くに持ち物ひとつ落ちてないみてぇだし、身元確認に自警団どもは暫く忙しいだろ」
「そうですね、……最近は色々と……解決してない事件も多いみたいですし。なにより三番街F地区って……殆ど二番街ですよね」
黒髪の店員が他の記事にも目を通しながら呟いた。
「二番街はまだ行ったこと無いからなぁ……。マスターはあります?」
「……、あるにはあるよ。ほら、ゆっくりするのはもうちょっとしてからだ。オルキデ帰ってきたら仕込みするぞ」
「はぁい」
半ば追い出すようにマスターが言った。黒髪の店員は素直に従ってバックヤードに移動する。
その後姿を見ながら、マスターが灰皿に煙草を押し付ける。暫くは燻っていた煙草は、じきに煙も出さなくなった。
自由国家アルセン王国―――それがこの国の名前だった。
自由を謳うこの国は、現在も存在しているどの国よりも神話の存在が身近にある。
何も無かったこの地に三人の神が降り立った。神はこの地に命を芽吹かせ、秩序をもたらし、人間が生きていく土台を作り上げた。世界に存在する全ての生き物はこの地より生まれたとされている。
人間をつくり、人間に失望した神々が最初に作り上げた国。アルセンは、三人の神の中でも最後まで人間の『欲望』に望みを失わなかった神が築いたものとされている。
神が創造し、神さえ見捨てた国、アルセン。
神は自らの分身を王に据え、その血筋が王族として国を支えているとされる。
国に住んでいる種族は人間を始め様々で、職業も魔術師や剣闘士、学者や騎士など挙げればキリが無い。種族や職業、そして善と悪も内包した『なんでもあり』な国。
丘にそびえる城が見える城下五番街に、その酒場は立っている。
『J'A DORE』―――大通りを外れた路地裏にある酒場。
薄汚れた建物は木造で、二代目となるマスターが全てを取り仕切っていた。
「さて」
外も明るく、酒場自体まだ準備中の札が掛けられている昼時間。夕刻に近い空は太陽をてっぺんから西へ押し流していた。
行儀悪く文字通りカウンターに『腰掛け』、分厚いノートを手にしたマスターが二人の男を睨み付けている。
ノートを開いて無造作に頁を捲った。幾つかの名前と桁の大きい数字が書かれたその中に、二人分の名前が赤いインクで線引きされている。それだけではない、更には青いインクでその二人の名前を押し潰すかのようにこう書かれていた。
『滞納常習犯』―――それはこの国の言語ではなく。
「本当にお前さんたち、今昼行灯だよな。家賃、今月こそ大丈夫な訳?」
咥え煙草のマスターが、少々冷えた声で問いかける。ノートに書かれた名前をなぞる指の動きがぎこちない。
ノートに書かれたものが本当なら、ここ二ヶ月は規定の額を払われていない。それどころか、三ヶ月前のそれに至っては半額、もしくは雀の涙程度。
それが何の為の金かというと。
「先月。先々月。これまで大目に見てきたけど、流石に今月は無理だからな。一週間の間に全額耳を揃えて支払いして貰わないと部屋追い出すぞ」
酒場の二階は元々宿屋をしていた。しかし良くない治安と少ない人手を鑑みた今、部屋はある一定の条件を満たした者へだけの貸し部屋となっている。二人はその下宿人。
この酒場に数名いる下宿人の中でもこの二人は払いが悪く、家賃滞納の常習犯となっている訳だ。
「嫌だってんならすぐ稼げる仕事斡旋してやるよ、命の保障はしないがな」
「ははは嫌だなぁオーナー、そんな冗談。大丈夫ですよ今月は」
マスターの正面、それも床に正座で座らされている男は白と黒。それは髪の色で、対照的な色が表すかのように性格も正反対だった。
饒舌な白の名は暁という。
「先月は給料日に外していましてねぇ、今月はきっちりお支払いしますよ。あー、でも残念だ。オーナーの怒声も好きだったんですけどねぇ。あー残念だなぁ、ずっと聞いていたかったなぁ」
「黙れ。それで部屋追い出されたいのか? こっちからの信用ガタ落ちなのに気付いてない? ん?」
先ほどから何も言わない寡黙な黒の名前はアルカネット。マスターの言葉を真摯に受け止めているのか、俯いたまま何も言葉を発しない。
「信用取り戻すために先払いとかしたらどうだ? たまにはオーナーの機嫌取っておいて損は無いと思うがねぇ?」
「あれぇオーナー、もしかして酒場の経営そんなに厳しいんですかぁ? 無理しないで店畳めばいいのに。もうそんな若くないんだし」
「も一度言ってみろこのヴォケ。部屋追い出して一番街だ。通行証取ってくんぞ」
ノートの背表紙でカウンター台を強めに叩く。振り落として凄まじい音をさせながら二人にさり気なく脅しをかけるが、どうやら効果はないようだ。
マスターは改めて二人を見比べた。
暁は色素のない白、量が多い髪をした猫っ毛の男。短めの髪を揺らして微笑む優男の類だ。
アルカネットは精悍、美丈夫、そういった類の言葉が似合う男らしい美形。
二人とも、眺めて楽しむだけなら適した材料だろう。問題なのは中身だけで。
「……お前さん達だけなんだよなぁ、家賃滞ってるの。なぁ、なんて書かれてあるか分かる? 読める? 理解できる? 『たいのーじょーしゅーはん』だぜ? 初犯じゃないんだぜ? 恥ずかしくなぁい? ちょっとは羞恥心っての持ち合わせてなぁい?」
ノートに書かれた文字を見せる。異国語ではあるものの、良からぬ文字が自分たちの名前を押し潰しているらしいことは見て解るだろう。それが解らないほど馬鹿ではない、はず。
そして先ほどから顔を上げないアルカネットに痺れを切らしたマスターが、煙草を灰皿に押し付けてカウンターから降りる。その側へと向かい、勢い良く頭に振り下ろしたものはノートの背表紙。
鈍い音、同時、アルカネットの体が床に崩れた。
「寝るなゴラァ! このタコ助、八つ裂いてメニューに出すぞ!」
「まぁまぁオーナー、怒らない。怖い顔が更に怖くなってますよぉ」
暁はにこやかな表情を崩さない。アルカネットの規則的な息遣いで、寝ている事には気付いていたのだろう。
音が周囲に聞こえるくらいには強く殴られている筈のアルカネットだが、床に崩れたことで見えるようになったその表情は見事に寝顔。瞼が瞳を隠しておやすみなさい。
二人の一方的なやり取りを見ながら、暁が肩を揺らして笑っている。しかし、そんな行為はご機嫌斜めなマスターの前でやってはいけなかった。抑えきれない怒りの火の粉が暁に移る。
「お前さんもだよ、暁。今日という今日は金払われてもパン屑一欠けでも出してやらねぇからな!! 食うモンに金払うなら家賃払え!」
「おっと薮蛇。大丈夫ですよオーナー、今日は給料の引き取り日ですからねぇ、その怒号が喜色に変わるでしょう」
「じゃあ今すぐ出てけ。早く金持って帰って来い。滞納は吊るし上げるが払ってくれればこちとら文句は言わないさ。さぁ出てけ今すぐ出てけ、可及的速やかに。ほら早く」
「いやだぁオーナーは冷たいですねぇ、これだから金の亡者は。少しは引き止めて下さいよぉ、強く。行かないでー、って縋ってくれたら家賃二割増しでお渡ししてもいいんですよぉ?」
「お前さんすげぇキモい。そんなモンは心を病んだ女が縋る時に言うだけで充分なんだよ。さっさとアルカネット連れて出ていけ」
そう言って男二人を追い払ったマスターだったが、暁がアルカネットを引き摺って出て行く扉をずっとじっと見ていた。姿が消えても、まだ暫く。
押し付けられた煙草はまだ完全に火を消せずに燻っていた。じりじりと焦げ付くような香りがまだ店内に広がる。
二人が戻る気配は今のところ無い。それを見て、バックヤードから様子を伺っていたらしい店員の一人がマスターへと声をかけた。
「マスター、開店準備整いましたが……」
「ああ」
燻る煙草もそのままに、マスターが声の主に振り返る。
「悪いなオルキデ、全部任せちまって。まだ時間もある、お前さんは休憩してな」
オルキデと呼ばれた黒髪の女性は、小さく頷くと二階へと続く階段へ向かった。
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