第23話 懐かしい夢



 夢を見た――。ずいぶんと昔の夢だ。

 いや、昔のことを思い出しているのかも知れない。もう8年も前のことを――。



 ポッコ、ポッコ、ポッコ、ポッコ。

 馬の蹄鉄の音がする。

 4拍子――常歩なみあしだ。

 それが近付いてくるのを、リキはぼんやりと耳で聞いていた。彼は未だ、眠りの中にいたからだ。

 ふん、ふん――と、生温かい息がかかる。

 近い。

 顔の間近だった。次の瞬間には、それまで吸い込んでいた息を、ブフー、と大きく吐きかけられた。


「ん……」


 つい反射的に手で押しやると、疎らでごつい毛の感触。それに温かくて柔らかい肌の感触もした。知った感触だった。


「うん?」


 ゆっくりと薄目を開けると、大きな黒い穴が2つ。

 リキにはそれが何か、すぐに分かった。鼻孔だ。馬の鼻の孔。乗馬を趣味にしているから、良く知っていたのだ。

 それから、視界に映るその外側が青い。

 空の青だ。でも、眩しくはなかった。梢も見える。ここは木陰になっているようだ。

 さっきから、頬をチクチクとしているのは、草の葉先だ。若葉で柔らかいのだが、それでも尖った葉先が頬に痛かった。


「おい」


 次いで、馬上の人物が声をかけてきた。高い声音だった。

 女――?


 はっきりとしない頭で、リキは思った。確かに女性の声だ。


「おい、起きろ。こんなところで眠っていたら風邪をひくぞ?」


 また声をかけられた。男のような言葉遣いだが、どうやら心配してくれているようだ。そういえば、ときどき吹き抜けている乾いた風は心地よいが、少し冷たくもある。

 うん? こんなところ――?


 はっきりとしてきた視力で見ると、大きな馬――どうやら重種のようだ――から、女性の騎手が覗き込んでいる。少女と言っていい年頃の顔立ち。リキは19歳だが、少女は2つ3つ年下くらいの年齢だろう。金色の髪に碧い瞳が、透けるような白い肌に映えていた。

 とてもきれいな顔をした少女。

 外国人だ――。


と、リキはぼんやりと考えた。

 どうして、外国人の少女が馬に乗って、こんなところにいて、自分に声をかけてくるのだろう、と曖昧模糊とした頭で考えたが、さっぱりわからない。それに、よくよく考えてみれば、少女は達者な日本語で話しているのだ。


「こんなところ――って……ここはどこだ?」


 むくりと上体を起こして、リキは辺りを見回した。見覚えがない景色だった。そもそもが、自分はなぜ、こんなところにいるのか。


「ここは王都スクーディの西の森だ」

「森? 王都って?」

「うむ。王都付近にはこのような森が他に3つ、4つあってな。ここはそのうちの1つだ」


 さも当然、という声音で少女は答えた。逆に、リキには規模が大き過ぎる話で、どうも実感が湧かなかった。


「そうなのか? で、君は?」

「私か? 私はアンジェラ。コロナス大公ヘレスの娘だ」

「娘……。確か、大公って王様のことだよな。そう言えば、さっき、王都がどうって言ってなかったか? 王様の娘ってことは……姫さん……ってことかぁ?」

「そうなるな」


 ますます訳が分からない。どこだかわからない場所で、自分が姫だと言う少女が馬に乗って、自分に話しかけている。さっぱりだ。


「あなたは?」


 どうにも状況が理解できない――と首を捻るリキに、アンジェラと名乗った少女がリキの名を問うた。


「ん? 俺?」

「そうだ。あなたは何という名だ?」

「俺はリキ高階たかしな力だ」

「たか……し……な……りき」

「そう。姓――ファミリーネームが高階で、名前が力だ。呼びにくかったら、リキでいいよ」

「リキ……か。うむ」


 自分の中で何かを納得したのか、少女――アンジェラは小さな声でぶつぶつと呟いて頷いた。


「では、リキ。もう一度聞く。こんなところで何をしている?」

「何って……そうだな」


 胡坐をかいて座ったリキは呟きながら、もう一度辺りを見回した。やはり見覚えがないし、ここに至るまでの記憶もない。


「どうやら、ここは俺が生まれた国じゃないし、知ってるところでもないみたいだ。何でここにいるのかも分からない」

「リキは他所の国の生まれか」

「ん~。それどころか、多分、違う時代か、違う世界の人間だ。君の知らない世界の」


 リキは困ったように頭を掻きながら、アンジェラにそう説明した。そんな説明でアンジェラが理解出来るかは分からなかったが、今のリキにはそう言う以外になかった。


「そんなわけだから、何をしている……って言われてもなぁ……」

「そうか。では、リキは行く当てもないのか?」

「そうだな。ここがどんなところか、さっぱり分からないしな。どうしたもんか……」


 ようやく立ち上がり、これが癖なのか、頭をバリバリと掻きながら、もう一度辺りを見回して、リキはそう言った。何度見回しても、やはり覚えがない場所だ。

 そんなリキを、アンジェラは興味の籠った眼差しで見ていた。


「なら、私のところへ来るといい」

「ん? 君のところ?」

「ああ、私のことはアンジェラと呼んでくれていい。いや、そう呼べ。それで、どうだ?」

「いいのか?」

「無論、構わぬ。いくらでも部屋は空いている。何日居てくれても良いぞ」

「そりゃあ、ありがたいが……」

「気兼ねは無用だ。リキの話に興味を持った。礼の代わりといっては何だが、異国の話を色々と聞かせてくれ」

「そんなことで良ければ、喜んで」

「では、決まりだ。乗れ。リキ」


と、話のまとまったアンジェラは嬉しそうに、馬上から手を差し出してきた。後ろに乗れ、というのだ。


「おいおい……。こいつは重種だろ。デカいな。乗れるかな」


 馬の重種というものは種類にもよるが、体高――肩までの高さ――だけで軽く170センチメートルを超えるくらいの高さがある。大きめのサラブレッドで160センチメートルくらいだ。リキの不安ももっともだった。

 リキは鞍の端に手を掛け、地面を思い切り跳んだ。タイミングを合わせたアンジェラに手を引っ張られて、何とか馬の背に跨った。アンジェラの鞍の後ろからはみ出て、素で乗っているので多少、安定感には欠けるが、馬が大きいので何とかなりそうだ。


「おお、さすがに高いな」


 馬上からの眺めには慣れているが、さすがに重種に乗ったことはなかったので、僅か10センチメートルほどの差だが、その高さに改めて驚いた。


「では、城に戻るぞ。しっかりと掴まっていろ」


 そう言われて、リキは遠慮がちにアンジェラの肩に手を載せた。それが不満だったのかどうか、アンジェラは、


「ちゃんと腰に手を回さないと、落ちるぞ」


と、言ってきた。リキはちょっと戸惑いながら、


駈歩かけあしで帰るのか? えっと……いいのか?」


と気を使って聞き返したが、アンジェラの方は気にも留めず、続けた。


「遠いからな。リキ、掴まったか?」


 そう言われても、やはり相手は女の子だから、リキは遠慮がちにアンジェラの腰に腕を緩いめに回した。そして、


「あ、ああ。いいぞ。やってくれ」


と答えた。アンジェラは先ほどよりは納得したのか、


「では、行くぞ」


と簡潔に答え、王宮を指して馬を疾らせた。



 アンジェラの言う通り、しばらく馬を駆って草原を疾っていると、前方に高い城壁を備えた城とその周囲の街並みが見えてきた。


「あれか?」

「ああ。あれが我が父コロナス大公の居城、スクーディ城だ」


 リキの質問に、ちょっと自慢げにアンジェラが言った。思っていたよりも大きな城を少し眺めて、リキが聞いた。


「この国の街は城壁の外にあるのか? どこの城もさ」

「ん? ああ、そうだな。領主の考え方で違うところもあるが、大抵はそうだ。リキの国は違うのか?」

「いや、同じだ。ただ、やっぱり文化とかと同じで、違う国もあって、農地は外で、街は城壁の中にあった例もあるよ。まあ、その城が建てられた時代とか事情にもよるかな」

「そうなのか」


 城壁前の街中を抜ける際、リキは街の様子を観察していた。赤みを帯びた石造りの家々が綺麗な街並みを形成し、市だろうか、テント張りの野菜売りなどが立ち並んでいるところでは、人々は活気に満ちていた。


「ふうん……」

「どうかしたか? リキ」


 リキの呟きに、アンジェラが問い掛けた。


「いや、なに。街の人たちの表情を見てたのさ。みんな、いい顔してる――って思ってな」

「ほう?」

「少なくとも、今、この街は良い街なんだろうな――ってね」

「ほう」


 分かるか――とアンジェラが、今度は感心したように、呟いた。少し、嬉しそうだった。しかし、それも当然だ。自分の街を褒められて、嬉しくないわけがない。

 街と城を隔てた堀に掛かる石橋を渡った。石橋の幅が、城の規模を窺わせた。堀が広いのだ。城門を抜ける際、門番が敬礼する様を見て、リキはこの娘が姫であることを再認識した。

 2人を乗せた馬は、城門を抜けて城内へと入り、馬屋へ向かった。


「姫様!」

「待たせたな、クレア」

「いえ、そんなことはありません」


 馬屋の前では、クレアと呼ばれた侍女がアンジェラの帰りを待ち侘びていた。金色に輝く髪を揺らせて、帰ってきたアンジェラの下に駆け寄り、馬から降りたアンジェラから手綱を受け取った。見れば年の頃15くらいの、こちらもアンジェラに負けず劣らずの美しい少女だった。馬の世話や手入れをしやすいようにか、動きやすい地味な男装をしていたが、それがこの少女の美しさを損ねることはなく、活発さだけを強調していた。アンジェラの後ろから馬を降りたリキに目をやり、


「こちらの方は?」


と、問うた。アンジェラも、ここにリキがいることが普通だというように、


「リキという。西の森で。よくしてやってくれ」


と、冗談を交えて答えた。


「『拾った』って……まあ、そうだけど」

「初めまして。クレアと申します」


 ぼやいているリキを余所に、クレアはぺこりと頭を下げて、初見のリキにも物怖じせず挨拶をしてきた。

 

「え、ああ……、こ、こちらこそ、よろしくお願いします」


と、リキは不意を突かれて、どぎまぎしながら挨拶を返した。そんなリキを余所に、アンジェラが続けた。


「用があれば、何でもクレアに言いつけてくれればいい。手筈を付けてくれる」

「御用があれば、何でもお申しつけください。私に出来る限りの事は致しますから」


と、クレアも笑顔で応じた。零れんばかりの微笑を返されて、リキは、


「よ、よろしく」


 そう繰り返すのが精一杯だった。そんな2人を面白そうに眺めていたアンジェラだったが、


「クレア。後で私の部屋に飲み物を頼む。こっちだ。リキ」


 そろそろ自室へ行こう、とリキを促した。


「あ、ああ」

「畏まりました、姫様。それでは失礼します」


 頭を垂れるクレアに見送られ、2人は建物の中へ入った。


「いい娘だな」

「だろう? クレアとは姉妹同然に育った。彼女は親族以上に信頼出来る存在だ」


 振り返りもしないで歩くアンジェラだったが、姉妹同然と言って憚らない侍女を褒められたせいか、その声は心なしか弾んで聴こえた。意外に、照れてリキの方に振り返ることが出来ないでいるのかも知れない。


 中に入れば、さすがに王都にある王宮である。通用の扉からして重厚な造りで、廊下に出れば、床には毛足の長い絨毯が敷き詰められており、壁などにも凝った装飾がなされていた。価値のある物なのだろう壺や胸像などが立ち並び、王宮が建てられた当時の、この国の充実ぶりが目に浮かぶようだった。


「姉様!!」


 連れ立って歩く2人――アンジェラに声を掛けた者がいた。2人が振り返ると、そこには10歳くらいの男の子が2本の木刀を持って立っていた。


「ジュリアーノ」

「姉様! 遠乗りから帰ってきたら、剣の稽古をつけてくださる約束です」


 はい、と抱えた木刀の1本を差し出して、ジュリアーノと呼ばれた男の子が期待の籠った声で言った。


「ああ、そうだった。そうだったが……。すまん、ジュリアーノ。客人が来られた。稽古はまた明日でいいか?」


 ジュリアーノはちら、とリキを見て、それからアンジェラを見た。もう一度リキを見据えた眼は、殺気をも伴っていたが、アンジェラに顔を向けた時には、すでにその色はなかった。


「お客人がお見えでは、仕方ありません。では明日」


と言うなり、走って行ってしまった。〝お客人〟と言っていた割に、リキへの挨拶はなかった。

 大好きな姉と稽古をする機会を奪った相手――としか見ていなかったのだろう。


「いいのか?」

「ん? ああ。ジュリアーノは物分かりのいい子だ。理解してくれるだろう」


 そうかな――とリキは思ったが、口には出さなかった。物分かりのいい子、というのは得てして自分を殺して無理をしていることも多い。

 そうでなかったら、いいんだけどな――。


 アンジェラの後を追いていきながら、言葉に出さずに飲み込んだ。それ自体は2人の姉弟の問題だ。他人が口出しするところではない。

 そんなことを考えていて、ふと気になったので、リキは続けて聞いてみた。

 アンジェラは姫だが、王位継承はどうなのか? 男子が優先なのか、年長が優先されるのか? 王位を継ぐのはアンジェラなのか、あの子なのだろうか?


「兄弟はあの子だけかい?」

「いや。あの子の他に兄上が2人、妹が1人だ。ジュリアーノが1番下の子で、あの子が3つの時に母上が亡くなった。そのせいか、私を母上代わりに見ているのか、懐いてくれている。それと、1番上の兄上だが、こちらは幼少時に病で亡くなったそうだ。私が生まれる前のことだ。だから、今は2番目の兄上が嗣子ということになるな」

「ふうん。じゃあ、アンジェラは、ちっとは気が楽な立場なのか」

「そうだな。兄上には悪いが。だから、こうして遠乗りにも行ける。そういうリキはどうなのだ?」

「俺か? 俺のとこは4つ上の兄貴が1人いるよ。稼業は兄貴が継いでてな。俺も気楽な立場だ」

「そうか」


 リキにも兄弟がいると聞いて、アンジェラも少し嬉しそうに微笑んだ。兄弟姉妹がいる者同士、気持ちが分かり合えると思ったのかも知れない。

 しかし、意外にも兄弟姉妹の話題はそこで途切れ、2人は黙々と歩を進めた。リキとしても無理にこの話題を続けるわけにもいかない。兄弟姉妹の仲のことは、結局のところ、他人には推し量れないものだからだ。


 石造りの幅の広い階段を上がり、2階のさらに奥に進んだ。しばらく行ったとある部屋にリキは案内された。

 アンジェラが扉を押し開け、


「さあ、ここだ」

 

と、リキを招き入れた。

 広い応接間を備えた部屋で、立派な装飾の壁には大きな絵画が何枚か掛けられており、今日は暖かいから火が入っていないが暖炉もあった。その前に二脚のソファーと長椅子が置かれていた。奥の扉は寝室へと繋がっているのだろう。


「楽にしてくれ」


 ソファーを指し示し、アンジェラも一脚に座った。さて、何から聞こうか――というところで、部屋の扉を叩く音が響いた。


「ああ、入ってくれ」


 アンジェラの声に、


「失礼します」


と、トレイを両手にクレアが入って来た。


「お茶をお持ちしました。姫様」

「ありがとう。クレア」


 クレアがテキパキと、お茶とお菓子をソファー近くの小卓に並べて行く。そして、お辞儀をして退室しようとすると、


「クレアもここにいろ。一緒にリキの話を聞こう」


と、アンジェラが言った。


「ですが……」

「リキ、構わんだろう?」


 遠慮しようとするクレアを制して、リキに問うた。


「ああ。いいよ」

 

 リキも頷いて見せたので、クレアも了承した。


「わかりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます」


 クレアが部屋の端に置いてあった小さな椅子を持ってこようとしたので、アンジェラはそれを指し止め、


「クレア、ここでいい」


と、空いている長椅子を示して言った。


「よろしいのですか?」

「遠慮するな」

「わかりました。では」


 可愛らしく、ちょこんと座ったクレアを2人は見守った。


「では、リキ。頼む」

 

と、リキに話を始めるよう、促した。


「そうだな。何から話したもんか……」


 ぽつりぽつりと、リキは話を始めた。



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