第24話 遠乗り



 話はリキの住む世界から学問や文化、生活や様々な娯楽、食べ物など多岐に及び、アンジェラとクレアの2人は興奮した面持ちで聞き入った。

 3人は夜遅くまで様々な話をし、日付が変わる頃、お開きとなった。正確には、アンジェラがうとうとと微睡み始めたためだった。そんな彼女を見て、リキとクレアは顔を見合わせ、微笑んだ。


「寝室に運ぼうか?」

「はい、お願いします」


 静かな寝息を立てるアンジェラを抱え、リキが心配そうに言った。


「起きないかな」

「それは大丈夫です。一度、寝入った姫様は、少々の事では目を覚ましません」

「そうか」


 リキはアンジェラを彼女の寝室のベッドに横たえると、


「着替えとかは頼むよ。先に出てるから」

「はい。ありがとうございました」


 そして、2人はアンジェラの部屋を後にした。


「こちらです」

「ありがとう」


 用意された客間の前で、リキはクレアに礼を述べた。クレアが扉を開けて、中へ案内し、燭台の蝋燭に火を灯した。


「どうかなさいましたか?」


 そわそわと落ち着かない風のリキを見て、クレアが問うと、


「ああ、いや……」


 リキが頭を掻きながら、


「もっと小さな部屋はないかな?」


と聞いてきた。


「これが標準的な広さの客室ですが、何か不都合でも……?」


と、クレアも答えて、リキと一緒に部屋を見回した。


「俺には、ちょっと広過ぎて……さ。何か、落ち着かなくて」

「ああ、わかりました。そうですね……ええ、小さな部屋ならよろしいのですね?」

「うん。極端な話、寝床があるだけの部屋でも構わないんだ。あるかな?」

「そこまで小さくはありませんが……ご案内します」

「ありがとう、クレア。世話を掛けるな」

「いえ、お気になさらずに。こちらです」


 クレアの案内で、リキは1番小さな客間に通された。先ほどの部屋の半分くらいの広さだった。


「こちらの部屋でよろしいですか?」

「ああ、これくらいの方が落ち着くよ。ありがとう」

「いえ。では、お休みなさいませ」

「ああ、お休み」


 挨拶を交わして去っていくクレアを見送った。2人と話をしていた時までは元気だったが、1人になると疲れがドッと押し寄せてきた。今日は色々なことがあり過ぎたのだ。


「目が覚めたら、元の世界……なんてことには、ならんか……」


 リキはベッドに横になって、そう呟くと、すぐに寝息を立て始めた。



 ドンドン、ドンドンドン――。

 扉を叩く音を、リキは微睡みの中で聞いていた。

 もう朝か――?


 熟睡し過ぎて、何時間眠ったか、分からない。


「起きろ、リキ。入るぞ」


 遠慮なく、アンジェラが扉を開けて入ってきた。リキは布団に包まったまま、顔だけ出してアンジェラを見た。そのリキの顔は、不機嫌そう……とまではいかないが、多少、落胆の色が混じっていた。

 目覚めたものの、やはり、元の世界……なんてことはなかったか――。


「えらく小さな部屋にいるな。まあ、いい。リキ、起きろ。出かけるぞ」

「こんな朝っぱらから? いきなり、何だ?」

「遠乗りに行こう」

「馬?」

「うむ。朝食の前に一っ走りだ。爽快だぞ」

「馬か……。うん。いいな」


 アンジェラの提案にリキが頷くと、アンジェラはとても嬉しそうな顔をした。


「では、行こう。着替えは用意させた。早く着替えろ」


 急かすアンジェラの横で、クレアが着替えを載せたトレイを持って、微笑んでいた。


「用意がいいんだな」


 余りに用意周到な訪問に、リキも苦笑せざるを得なかった。


を用意してくれたのか。ありがとう、クレア」

「いえ。幾つかのサイズを見繕ってお持ちしましたので、試着してくださいね。それと、お飲み物も用意しました。出かける前にお飲みください」

「何から何まで、気が利くな。ありがとう」


 リキはお茶を飲みながら、慌ただしく着替えを済ませた。待ち切れないのか、早く、早く――とアンジェラが急かしたからだ。

 クレアが飲み物と合わせて用意していた果物も口に放り込む。少しは腹に何か入れておかないと、途中でお腹が空くだろうから――とクレアが用意していた物だ。

 この辺り、実に気が利く。


「では、行こう」


 リキの着替えを見届けたアンジェラが言った。リキの部屋を出て、厩舎まで先頭を歩いて行く。先ほどのトレイは待たせていた別の侍女に預けて、クレアも2人の後に続いた。それを見たリキは、そう言えば、クレアもキュロットを穿いていたから、遠乗りも一緒に行くのだろう――とぼんやりと思った。


「さて、リキの馬だが……」

「ああ、それなんだが……前に2人で乗った馬よりも小型のはいないかな? 重種は俺には大き過ぎるよ」

「そうか? なら、そうするか」


 厩舎に着いたアンジェラが、リキの希望に沿って、乗る馬を選んだ。前にアンジェラと乗った馬が大きかっただけで、小型といっても普通のサイズの馬だ。リキの感覚で言えばアングロアラブ種のようで、頑健そうな種類だった。


「この子はフィエゴという名だ。仲良くしてやってくれ」

「ああ。よろしく頼むよ、フィエゴ」


 リキが顔を撫でると、人懐こく委ねてくる。利発そうな顔をした鹿毛の馬だった。


「それでは、馬装ばそうが出来たら行こうか」

「ああ。えっと、どこで馬装する? 鞍とか、道具類は?」

「こっちだ」


 リキはフィエゴに無口むくちを掛け、アンジェラに追いて蹄洗場ていせんばに連れて行った。引手ひきてを結び、蹄の裏を掘る。尾とたてがみき、身体にブラシを掛けた。


「鞍は……と」


 昨日、アンジェラの後ろに乗った時もそうであったが、用意されていた鞍はで言う、ブリティッシュ式の物であった。汗取りの布を載せて、そっと鞍を置き、フィエゴに合図を送り、腹帯はらおびをゆっくりと締める。その間も、フィエゴは大人しかった。よく馴らされている。頭絡とうらくを付ける時も嫌がる素振りはなかった。フィエゴを調教した人物は丁寧でまめやか、さらに根気強い性格なのだろう――とリキは思った。


「用意出来たぞ」

「そうか。なら、行こう」


 馬装を終えたリキは、腹帯の締め加減をチェックし、託革たっかくをもう一度締め直した。鐙を降ろして左足を掛け、右足で地面を蹴り上げて騎乗した。そして、もう一度、改めて腹帯を締め直した。人が乗る際に身体を緊張させていた馬が、騎手が乗ってしばらくすると、緊張を解いて息を吐き、腹帯が緩むからだ。腹帯の一穴いっけつ二穴にけつ分くらいは緩くなるもので、その緩んだ分を締め直すのだ。

 リキが馬装点検をしている間も、アンジェラは楽しそうにその様子を見ていた。


「いいか?」

「お待たせ」

「うむ。では、出発だ」


 アンジェラを先頭にリキ、そして、いつの間に用意を済ませていたのか、クレアが続いた。クレアは控えめに、2人から距離を取って追いてくる。


「どこに行くんだ?」

「今日は、東の森の辺りまで行ってみよう」


 城から出るまでは、3騎は縦に常歩なみあしで進んだ。城を出てからはアンジェラとリキが並走し、その後ろをクレアが追走した。涼やかな風が吹き抜ける広大な草原を、3騎は駆けた。

 リキは森に着くまでに、自然を眺め、様々な生き物や植物を見てきた。その結果として、詳細に見れば違いも出て来ようが、この世界の生態系は自分の世界と大差がない――とリキは判断した。


 道中もアンジェラと話をし、昨夜からの話も含めてみると、中世の欧州――が近い世界のようだ。もちろん、世界そのものが違うから、実際に存在した国々ではないし、歴史背景も未知のものだし、生活様式1つにしても細かな違いも多いだろうが、やはり中世の欧州――がイメージし易いのではないか、とリキは捉えた。

 本来なら言葉も違うのだろうが、どういう訳か、相手の発する言葉がリキには日本語に聞こえていた。または、日本語を発していると自分では思っているが、実はこの国の言葉を話しているのかも知れない。

 ご都合主義的だが、言葉に迷いがないというのは便利なので、リキは深く考えるのを止めた。考えても仕方がなかった――ということも一因にあった。


 やがて、3人は東の森付近まで馬を進めた。

 森近くの丘の上で馬を止めて見下ろせば、眼下には見渡す限りの草原が広がっていた。少し火照った体に、吹き抜ける風が何とも心地よい。一息つくと、お腹が減ってきた。と、思う間もなく、クゥ、とお腹が鳴った。


「ハハハ。動いたので腹が減ったか?」

「そのようだ。ここで食べたら、美味そうだ――と思ったら、腹が鳴ったよ」

「そうか。クレア」

「はい。姫様」


 アンジェラに呼ばれたクレアが馬を降りた。それから、丘の上に1本だけ生えていた大きな樹に馬を繋ぎ、鞍の左右に括り付けてあった籠を外した。他の2人が同じように樹に馬を繋いでいる間に、クレアは敷き布を広げ、籠に入っていた食べ物を並べ始めた。持って来ていたのはパンにサンドイッチ、果物に飲み物程度だったが、空きっ腹のリキには、どれも飛び切りのご馳走に見えた。


「こりゃあ、いい。ありがとう、クレア」

「どういたしまして」

「さて。それでは、頂くとしようか」


 3人は敷き布に座り、食事を摂った。空きっ腹で頂く食事は、殊のほか美味かった。

  


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