コロナス擾乱編

第20話 望まぬ叛旗



「なんで、こうなっちまったかねぇ……」


 大空を見上げて、リキは呟いた。見上げた空は深まる秋を映すように、高く、青かった。鰯雲も美しい配列を見せ、時折吹く風は心地良かった。これが平時であれば、さぞや気持ちも良かったろうが、残念ながら今は非常時だった。


 王宮で刺傷を受けて、2ヶ月が過ぎていた。その時の傷も、すでに癒えた。

 高い城壁に立ったリキは、前方およそ2キロメートルの距離に迫る軍勢と、その掲げられた軍旗を忌々しげに睨んだ。しかしながら、このような事態になることをどこか悟っていたかのような諦観の籠った眼差しだった。

 翻る旗は国王軍の物である。


「国を安んじるまで、もう少し――というところでか。〝狡兎死して、良狗煮らる〟だな。後は自分だけでやる――ってわけか」


 リキの口から、ぽつりと言葉が零れた。その口調からも、やはり、こうなることは分かっていたのだという響きが感じられた。

 事実、リキは自分に与えられた領内全ての道を監視し、行軍があれば、いち早く知るために、多数の狼煙台を設置しておいたのだ。それは近隣貴族の領国へ通じる道はもとより、王都へと至る街道も例外ではなかった。もちろん、狼煙台は巧く隠しておいた。狼煙台を押さえられ、通信を遮断されないようにするためである。もし狼煙台を押さえられたとしても、複数を同時に押さえなければ、情報網を断てないようにもしておいた。さらに、情報を何よりも重視するリキは、多数の斥候を常に放っていた。


「リキ様!」


 自分を呼ぶ声に、リキは振り向いた。城壁に上がる階段を、甲冑を纏った兵が昇ってくる。


「おう、クレア」

「こちらにおいででしたか」

 

 その声も、どこか曇ったものだった。

 クレアは金色の髪を揺らして、リキの前に軽やかに立った。女性であっても惚れ惚れするほどにとても美しいその顔は、やはり、憂いに満ちていた。

 女将軍の異名を取る彼女は今、甲冑を着込んでいるが華奢な印象である。彼女が着込んでいる甲冑は、男物では重かろうとリキが作らせた特注品で、軽く作られているが、それでいて強度は十二分にあった。この甲冑を受け取ってクレアが試着した時、鍛えた鍛冶屋が満足げな微笑を浮かべたものだ。


「リキ様、寄せ手は国王陛下の軍勢です。その数、およそ2万」

 

 そう報告する声には苦い響きがあった。彼女にも俄かには信じがたい事実なのであろう。以前からリキに、このような事態も起こり得ると聞かされていなければ、とても落ち着いてなどいられなかった。


「まったくなあ。あいつとは親友の仲だと思ってたんだがなあ……」


 ぼやくようにそう言って、リキは頭を掻いた。その言葉にクレアがまた、顔を曇らせた。リキと国王の仲を知っているからだった。8年前に何処からともなく、ふらりとこの国に現れたリキを国王は気に入り、傍に置いた。それは〝水魚の交わり〟と言って良い間柄であり、2人は間違いなく親友であったのだ。

 それなのに、国王は兵を差し向けたのである。


 クレアの脳裏に浮かんだのは、かつて王都近くの草原を、リキとまだ殿下であった頃の国王陛下が2頭の駿馬を並べて疾駆する光景。自分は2人の邪魔をしないように、付かず離れずの距離感で付いていったのだ。前を行く2人はまるで――。

 それと一緒に思い出したのは、そんな2人の姿を見て、ちくりと感じた胸の痛み。並ぶ2人の姿を見るごとに感じたその痛みも、今はない。リキの副官を拝命してから数年ほども経ったあの日――リキに抱きしめられ、本心を告げられたあの日以来、なくなった。


「クレア。お前さんは元々、あいつの側近だ。俺の傍にいれば、あいつに弓を引くことになるぞ。いいのか?」


 懐かしい光景と心情に思いを馳せていたところを、リキにそう問われたクレアは、この、友と信じていた国王に裏切られた主君の心中を推し量り、優しい微笑を浮かべて見やった。


「何をおっしゃいます。陛下に7年前、リキ様にお仕えせよとの仰せを承って以降、私の主君はリキ様です」

「そうか。なら、頼りにするぞ?」

「何なりと仰せ下さい」


 そう言ってクレアは、恭しく頭を垂れた。リキは満足気に頷き、城外の国王軍を見やって、言った。


「この戦に敗ければ、俺は謀反の罪で捕縛されて、だ」


 リキは首に当てた手を横に引いた。それは斬首を示していた。


「どうあっても勝たなきゃ生き残れない。まったく困ったもんだ」

「はい……」

 

 苦りきった顔でリキがぼやいて、頭を掻いた。クレアが三度、顔を曇らせた。それを見たリキが、彼女を安心させようとしたのか、力強く言った。


「グイドとガラムには1,000騎ずつを率いさせて、城外に伏せた。トッドには遊軍として500を付けた。後はこの城にどれだけ引きつけるかだ」

「はい」

「城外の作物は全て刈り取ったし、放った間者には、城には唸るほど備蓄があると言いふらすようにさせたからな。いずれ兵糧を求めて、ここに殺到してくる。それと、火と油の用意をしておいてくれよ」

「はっ」

 

 城内への階段を下りながら、リキはクレアに指示を出した。リキの軍は常日頃より備蓄から兵糧を捻出しているが、他の軍は敵地にて調達するのが慣わしのままであった。作物が収穫出来る頃に軍事行動を起こすのも、略奪して食料を調達するためである。しかしながら、領内の作物はすでに収穫しておいたし、領民は全て城に避難させた。この付近では調達出来ないから、いずれ国王軍は兵糧に窮するであろう。そうすれば、兵糧を求めて城へと殺到してくる。


「リキ様!」


 階下に現れた1人の兵士が慌ただしく、リキを呼んだ。側近の1人、ジョルジョだった。リキが無言で促すと、


「国王軍の使者が参っております。いかが致しましょう?」

「そうか。よし、会おう」



「ようこそ、使者殿。待たせたかな」


 広間に入って来たリキは主人の席に着き、待っていた使者と対面した。使者は恭しく頭を垂れた。


「して? 用件を聞こう」

「はっ。将軍には降伏して頂きますよう、勧告に参りました」

「ほう。降伏せよと?」

「は。国王軍は2万。これ以上の抵抗は無益と存じます」

「だから、〝降れ〟……と申すのだな」

「はい」

「で? 俺の罪状は何だ?」

「〝謀反〟の疑いでございます」


 使者はまた、恭しく頭を下げて、そう言った。リキの眉がピクリと動いた。それは、納得がいかない――と語っていた。


「〝謀反〟――と?」

「はい」

「どうせ、その理由など聞いてはおらぬだろうな」

「はい。私は一介の使者にございます」

「では、話にならんな。〝疑い〟で連行されて、打ち首では適わん」

「降伏はしない――と仰せですか?」

「そうだ。降伏はしない。捕らえたければ、屈服させてみよ」

「きっと、後悔なされますぞ」


 使者は語調を強め、降伏するべきだと言外に含ませたが、リキは飄々として意に介さず、受け流すように言葉を続けた。


「さて? それはどうかな。ああ、ところで、1つ使者殿にお聞きするが……」

「は」

「此度の討伐軍。率いておられるのは、王弟ジュリアーノ殿下だな?」

「はい。左様でございます」

「なら、副将はフェデリーコ卿ヴォルディ殿か」

「はい。それが何か……?」

「いや、何でもない。フェデリーコ卿に、〝〟――と伝えておいてくれ」

「はい……?」

「では、使者殿。戻られるがよかろう」


 そう言って、リキは右手を振り、謁見を打ち切った。使者はリキの言葉に怪訝そうな顔をしていたが、謁見は終わりだと言われては引き下がるしかなかった。心配げにクレアが、座したリキの傍に寄った。広間を出て行く使者の背を見送りながら、リキは、


「あの使者が、適度に頭の回る奴だといいな。切れ者過ぎると困るが、どうやらそれほどでもなさそうだ」


と、囁くようにクレアに言った。


「王弟殿下に讒言するでしょうか?」

「してもらわなくてはな。疑心暗鬼になってフェデリーコ卿を排してくれると、こちらは助かる」

「はい」

「一応、幾つかの手は打ってある。フェデリーコ卿がこちらと通じているとの風評も流してあるしな。それらしい手紙もばら撒いた。此度の殿下の出馬は、箔を付けるために出てきたと聞く。そもそも、あの殿下は軍事面には疎く、凡庸だ。引っ掛かるだろう」


 前国王夫妻は5人の子を儲けたが、嫡男は若くして病死、次男は初陣で討ち死にした。3人目の子が現国王であり、その下の妹はなぜか国王と折り合いが悪く、16歳の時、隣国に政略結婚で嫁がされている。国王は末弟のジュリアーノを溺愛しており、今回の出馬はその王弟に戦功を上げさせるためだと見られていた。

 だが、若い王弟は自らの自信の無さ故か、猜疑心も強い。国王もそれが分かっているからこそ、切れ者のフェデリーコ卿を軍師・軍監役として副将に抜擢したのだ。

 フェデリーコ・ディ・ヴォルディ卿は齢40半ば、先代国王の頃より仕えていた篤実・忠勤な臣で、大胆さはないが、堅実で手堅い軍略に長けており、現国王の信も厚い。王弟軍の陣容で注意を傾けておくべき人物は彼1人――と言って良かった。

 だからこそ、リキはフェデリーコ卿に狙いを定め、2人が仲違いするように幾つかの策を仕掛けた。これらの策で王弟がフェデリーコ卿に疑いを持ち、彼を誅殺でもしてくれればしめたものだ。そこまででなくとも、彼から兵権を取り上げ、討伐軍の中枢から遠ざけてくれれば、この戦はしやすくなる。


「まあ、数日中に動きはあるだろう。忠臣の諫言をいつまであの殿下が聞けるか……だな」

「はい」

「まあ、待つことさ。期待通りの結果になるかはわからんがね」


 そう言ってリキは立ち上がり、そこでまた、思案顔になった。


「うん、そうだな。もう2、3、手を打っておくか。コジモを呼んでくれ。相談したいことがある――と」

「畏まりました」


 クレアは頭を下げ、コジモを呼びに行った。コジモ・ディ・ラッツォーニはリキの家宰であり、またまつりごとや政略・謀略に通じた参謀の筆頭として辣腕を振るっている初老の人物であった。リキがあれこれと思案していると、クレアを先頭にコジモがやって来て、リキに恭しく頭を下げた。


「ああ、コジモ。実は2、3、相談したいことがあってな……」



「では、やはりリキは降らぬ――と申すのだな?」

「はい」


 使者の報告を受けて王弟ジュリアーノ公は、弱冠20歳になったばかりの、まだあどけなさを残す顔に、苛立ちを隠さずに唸った。国王の弟である自分が、総大将として3倍以上の兵力で攻め寄せたのだ。戦わずして降伏するのが当然である――と、この王弟は考えていたからだ。国王に溺愛され、家臣にチヤホヤされて自儘になっていた王弟からすれば、意のままにならぬこのリキの叛意は我慢がならなかった。


「それと、気になることが……」


と使者は、リキとの会談で副将のフェデリーコ卿の名が挙がったことを告げた。リキと卿の間で何かの取り決めがあるのではないか――との意見まで交えて報告したのだ。この使者はまさに、リキの思惑通りの行動をとったのである。

 傍で控えていた近習のオルフェオが、


「そう言えば、最近、王都周辺での噂を耳にしたことがございます」


と、さらにフェデリーコ卿の名が上る風聞を伝えた。王弟はオルフェオが語る噂話に、黙って耳を傾けていた。フェデリーコ卿に対する王弟の疑心はさらに大きくなっていった。

 この時の不運は、フェデリーコ卿が執務のために、この場にいなかったことだった。そのために、フェデリーコ卿に対して、リキと内通の恐れあり――との流れが出来上がってしまったのだ。


「フェデリーコ卿を呼べ」


 王弟の一言で、フェデリーコ卿が呼び出された。呼ばれたフェデリーコ卿自身は何事かといった面持ちであった。軍の兵站や部隊配置などの執務を執っていたところだったのだ。

 特に兵站に関して言えば、事態が深刻であることが分かったばかりだった。行軍3日分の兵糧は兵たちに持参させたが、その後の分は現地調達で賄う予定となっていた。

 ところが、いざ遠征に来てみれば、この近辺の土地の作物は全て収穫済みで、領民も入城しており付近一帯に人気ひとけはなかった。これでは濫妨らんぼう――略奪も出来ない。このまま兵糧が不足しては脱落する兵が後を絶たないようになることが予想される。

 そうなれば、戦どころではない。2万もの兵に食わせる糧食をどう調達するかは緊急の事態であった。


 そもそも、フェデリーコ卿は現地調達には反対であったのだ。リキ軍は兵站管理が上手いと聞いている、それが、こちらの軍の胃袋が満たされるほどの作物を残しておくはずがない――と主張した。さらに、リキは善政を布き、ために領民に慕われているとの専らの評判である。リキの謀反討伐後の統治を考えると、濫妨を働いて土地を荒らしたりして、いたずらに領民の反感を買うことは避けたいところだった。


 しかし、王弟とその取り巻きたちはリキ軍を甘く見ており、3日も掛からずに城を落とせると考えていた。いや、多勢で囲めばそれだけで、リキ自らが降伏を請うてくるだろう――とすら、考えていたようだった。

 どこかの国から流れてきた身であるにもかかわらず、内乱に明け暮れていたこの国で国王を盛り立て、周辺の諸侯を併呑してきたリキのこれまでの実績を鑑みれば、そんなことはあり得ない。その実績に反して、リキに与えられた領地がごく僅かばかりなのは、ひとえに国王がリキの軍略・治政の才腕を恐れてのことであったのだ。


(王弟と腰巾着どもは単純な兵力差ばかりに目を奪われて、そのことの意味が分かっていない。)


 討伐に来た敵以上に、味方に対して苛立つ状況が、フェデリーコ卿には気に入らなかった。


「……やむを得んな」


 こちらの無能ぶりを曝け出すことになるだろうが、王都に急を知らせて兵糧を送らせるしかない――とフェデリーコ卿は考えていた。王都に送る手紙をしたため、それを使者に預けて細かな指示を出し、送りだしたところで、この呼び出しであった。


「殿下、何事です?」


 事情を知らないフェデリーコ卿が、そう尋ねた。尋ねながら、卿は王弟の眼に、猜疑の色が満ちているのに気付いた。まさか――。


 王弟が口を開いた。


「フェデリーコ卿。そちはリキと通じておるのか?」

「? 何ですと?」

「そちはリキと通じておるのか、と問うておる」

「これは異なことをおっしゃる。そのようなことは断じてありませぬ」


 戸惑いを隠せないながらも、フェデリーコ卿は断固として言った。が、疑念を抱く王弟はなおも詰め寄った。


「そちがリキと通じておるとの風聞がある」

「何と……。まさか、そのような噂を鵜呑みにされたわけではありますまいな」

「い、いや……、これはオルフェオが……」


 馬鹿げている根拠をもとに問い詰めてきた王弟に対し、毅然とした態度でフェデリーコ卿は反論した。その勢いに、王弟はたじろいだ。名を挙げられたオルフェオとしても、ここで引き下がれず、


「王都周辺で持ち切りの風聞にございますぞ」

「近習ごときが黙っておれ!! そのような噂話に耳を貸すでないわ!!」


 王都周辺での噂話を持ち出そうとしたオルフェオを、フェデリーコ卿は一喝した。瞬時に、内部分裂を誘う為に流された風評であろう――とフェデリーコ卿は捉えた。だが、そうと取らなかった者がいた。王弟である。


「内通の疑いが晴れるまで、卿の兵権を剥奪する。連れて行け!」

「何と……」


 フェデリーコ卿は一瞬絶句し、


「それこそが、リキ将軍の狙い! 我が軍の分裂を謀っておるのですぞ!!」


と訴えたが、疑心暗鬼に囚われた王弟は聞く耳を持たず、卿を連れて行くように近辺警護の者たちに命じた。フェデリーコ卿もここで逆らっても無意味と取ったか、黙って従い、連れられて出て行った。気を落としてはいるものの、連行される姿は堂々としたもので、先ほど一喝を喰らった近習のオルフェオはフェデリーコ卿の後ろ姿が見えなくなるまで待ってから、王弟に近寄ったものだ。


「内通者が堂々としたものですな」


 告げ口をするように王弟におもねる姿は、傍からすれば、見るに堪えないものだったが、幼少より傍に仕えてきたこの近習を、王弟は重用していた。耳に心地好いことばかりを言うからだった。


「フェデリーコ卿は軟禁しておかれるので?」

「? それではいかんか?」


 王弟はならば、近習にどのようにすべきか、と問うた。オルフェオは王弟の耳に囁くように呟いた。


「〝獅子身中の虫〟を生かしておくのは、如何なものでしょう」

「何だと?」

「いつまた、謀反を企てるか分かりませんぞ?」

「しかし、今はまだ〝疑い〟でしかない。それにフェデリーコ卿は陛下が信頼する人物だ。私の一存でこれ以上の処遇は決められん」

「は……」


 そこまで言われては、返す言葉もない。日頃から反りが合わず、何かと口うるさいフェデリーコ卿を追い落とす絶好の機とオルフェオは捉えたが、これ以上食い下がっても、自分が疎まれるだけだと判断した。

 オルフェオは恭しく頭を下げて引き下がった。王弟は意を決したように、その場にいる者たちに告げた。


「明朝、攻撃を開始する。諸将に伝えい!」

「ははっ!」


 そうして、王弟ジュリアーノは総攻撃を命じた。



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