第11話 地獄の番犬ケルベロス

 俺はもう泣きたい気分だった。


 自分の腕も信用できないうえに、頼みの剣まで言うことを聞いてくれず鞘から抜けないのでは戦いようがない。



「前に使ってたやつがあるだろ!」



 あ、そっか。



 デネブ、と声を掛けようとしたら、「ほいっ」とデネブから剣を投げられた。

 いつの間にか元のサイズに戻しておいてくれたようだ。



 すかさず鞘を払い、アンタレスと距離を取って身構える。


 もちろん一番シンプルな正眼の構えだ。


 剣道の試合では正眼以外にも、例えば上段に構えることもあるが、それは正眼では攻撃の糸口がつかめない時に半ば捨て身で勝負に出るときにしか俺は使ったことはない。



 軽く顎を引き、剣先を相手に向け、左手で柄の一番下を握り、へその前に置く。


 何とかそれなりの格好にはなっているだろう。


 しかし、問題は構えから攻撃へ移れるかだ。



 いつもの癖で少し剣先を振る。


 やはり竹刀とは違い、ずしりとした重量感がある。


 いきなり実戦でこんな重い武器を操ることができるのだろうか。


 もう、心配しかない。



 デネブは身を隠すように「キャー、キャー」と騒ぎながら俺の背後にぴったりついている。


 アンサーは勇猛にも俺やアンタレスよりも前方に出て、ケルベロスを迎え撃つ体勢だ。



 指呼の間に来た黒い猛獣はアンサーの存在など目に入っていないのか、一頭はアンタレスに、もう一頭は俺に向かって、グガオゥと三つの口で吠えながら突進してくる。



 何だ、これ。


 こんな獰猛な魔族に勝てるのか。


 一瞬のうちに食いちぎられてしまうんじゃないか。


 涎を垂らしながら大きく口を開くケルベロスを目の前にして俺は硬直してしまった。



「一旦、かわせよっ!吹っ飛ばされるぞ」



 アンタレスが叫びながら、ケルベロスの突撃を左に飛んでかわした。



「アル!」



 背後で俺の名前を叫ぶ声が聞こえ、背中に何かがゴツンとぶつかってきた。


 俺はその衝撃で地面に倒れ込む。


 その真上をケルベロスが飛び越えていく。



 倒れ込んだまま、背中を見やる。


 ニッと笑うデネブの顔がすぐそこにあった。



 危なかった。


 デネブが倒してくれなければ、今頃ケルベロスに吹っ飛ばされ、内臓破裂になっていたところだ。



 デネブは横たわる俺の脇に立て膝をつき、素早く何やら唱える。


 デネブの手が俺の額に触れると、急に体が軽くなった。



 行くしかない。



 俺は素早く立ち上がり、反転してこちらを睨むケルベロスに向かって突進した。


 突きを入れる要領で思い切り右手を伸ばし、剣をケルベロスの真ん中の顔の鼻下に突き刺すと、素早く右へ駆け、大きく飛んで振り被り、着地と同時に思い切り振り下ろした。


 肉を切る重い感触が手に伝わる。


 ケルベロスの肩口から緑色の液体がビシャッと溢れ出る。


 遅まきながらこちらに三つの顔を振ったケルベロスの動きは鈍い。


 俺はその動きを読んで、逆に展開し、反対側の肩に剣を突き刺した。


 肉が硬くて剣を押し返してくるようだ。


 俺は体ごと懸命に剣を押し込み、獲物の体内にズブズブと沈ませた。


 根元まで突き刺しところで一気に引き抜くと、ケルベロスは体を痙攣させながら横ざまに倒れた。


 ズシーンと地響きが轟く。



 ハッとアンタレスを見ると、まだ交戦中だった。



 アンタレスのスピードにケルベロスがついていけていない。


 顔を左右に振り、アンタレスの姿を追い求めるが、アンタレスは縦横無尽に動いてケルベロスの体を愛剣で巧みに刻んでいく。


 やがて前脚を斬られ、顎から地面に突っ伏したところでフルンティングがケルベロスの一番左側の首筋に突き立てられた。


 アンタレスが剣を引き抜くとケルベロスは一つ吠えて、そのまま動かなくなった。



 やった。

 倒した。



 俺は膝に力が入らず、剣を放り投げ、その場にドテッと座りこんだ。


 息が上がって動けない。



「やっぱりアルはアルだったわね。さすがの動き」



 デネブは倒れたケルベロスの脇で何か作業をしながら、俺を褒めてくれた。



「結局、俺よりも早く倒しちまうんだからな」



 アンタレスが俺の横までやってきて地面に胡坐をかく。



「なんか、自分でもよく分からないけど、……生き延びた」



 俺は空を仰ぎ、滝のように流れ落ちる汗を手の甲で拭った。

「それ、何やってんの?」



「ケルベロスちゃんから、魔液を採取してんのよ」



 デネブは立ち上がってガラスの瓶を俺に示した。


 瓶には緑色の液体が入っている。


 それってケルベロスの体液?


 俺は急に気持ち悪くなって「おえっ」と目を逸らした。



「デネブは何で、あんなの集めてんの?」



 アンタレスに訊ねると、アンタレスは「そのうち分かるさ」と立ち上がった。



 デネブが駆け寄ってくる。


 瓶は例の魔法で小さくして雑嚢に仕舞ったようだ。



「動ける?」



 腰をかがめて膝に手を置き、俺の顔を覗き込むデネブ。



「さっき、俺の額に手を当ててくれたじゃん。あれで、俺、急に動けるようになったんだけど、あれも魔法なの?」


「そうよ。ちょっとアルの神経を昂ぶらせたの。効きすぎて、夜、眠れなかったらごめんね」



 なるほど。


 それで急に体が軽く感じたのか。


 発汗がなかなか治まらないのも魔法のせいなのかな。


 でも、あのおかげで急に恐怖心がなくなって動けるようになったのだから、少しぐらいの副作用はやむを得ない。



 デネブが差し出してくれた手を取って立ち上がり、剣を拾った。



「ん?」



 剣には少し刃こぼれがあるが、べっとり付いていたケルベロスの体液が綺麗になくなっている。



 振り返ってケルベロスの屍を探したが、いつの間にかそれも消えていた。



「魔族は死ぬと気化しちゃうのよ。体液も同じ」



 日が傾いてきて、デネブの影が草原に長く伸びている。


 足下にすり寄ってきたアンサーの頭をくしゃくしゃに撫でて、デネブは「先を急ぎましょ」と歩き出した。

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