第43話 死闘

 俺が想像もしていなかった状況。

 倒したはずの最凶の敵が、起き上がり、言葉を発している――。


 ただ、ヴェルサーガの言葉はさっきとは逆で、余裕があるように話しているが、そこから焦燥や緊迫感が感じられた。


 ヴェルサーガもまた、まだ復調していない。さらに、闇の結界も効力を落としている。

 あの闇のもやも、発動していないように見えた。


 俺は反射的に、至近距離から最大光量のフラッシュライトを当てた。


「うぐっ……」


 ヴェルサーガはずっと目を閉じていたが、今度は先ほどの演技とは異なり、本当に何らかの効果があるように思えた。


「くっ……こしゃくな……この私を誰だとっ!?」


 次の瞬間、ヴェルサーガの頭が後方にのけぞり、ほぼ同時に体ごとはじけ飛んだ。

 その事態に、一瞬何が起きたのか分からなかったが、反対側の、大広間の入り口付近を見てその理由が理解できた。

 弓を構えたエルフのソフィアと、右手に杖を持ったアイゼンが並んで立っていたのだ。


「……すんでのところじゃったが、なんとか間にあったか……これもこの館全体を覆っていた強力な闇の結界が弱まり、入り込むことができたおかげじゃ。その様子では、おそらくショウ殿が何らかの策を講じてくれたのじゃな……」


「……二人とも、来てくれたんですね!」


 心からの感謝の言葉が、大きな声となって俺の口から漏れ出た。


「うむ……いや、気を抜くでない! その男から離れるんじゃ!」


 アイゼンの言葉が大広間に響くと同時に、俺もぞわっとしたおぞましい気配を感じて、ミクと共に飛び退くようにその場から逃れた。


 そして先ほどまでミクが拘束されていたすぐ脇には、眉間を矢で打ち抜かれながらも体を起こしつつあったヴェルサーガの姿があった。


 額に矢が刺さった状態であるにもかかわらず、口元には笑みを浮かべている……その様子に、この男の狂気と、そして不死族妖魔の頂点に立つ存在という事実を突きつけられた思いだ。


「クククッ……ついに会えたな、アイゼンよ。我が同胞を幾人も葬り去った憎き敵よ」


 ヴェルサーガはその言葉とは裏腹に、全く恨みを感じさせることなく、ただ宿敵と戦えることを喜んでいるかのように笑みを浮かべながら立ち上がった。


 そしてゆっくりと額から矢を抜き取って投げ捨てた……その傷口はすぐに塞がった。

 俺とミクは、その様子を見つめ、何か仕掛けてくるかもしれないと警戒しながら、アイゼンたちの方へとゆっくり後ずさりする。


 その間も、いくらかは効力があるかもしれないと思い、LEDライトは照らし続けたままだ。


「何が同胞、じゃ……そなたが強制的に作り替えただけの存在じゃろうが。今までに罪もない人間を何人殺したんじゃ!」


 アイゼンがいつになく厳しい声を投げかける。

 ヴェルサーガは不敵な笑みを浮かべるだけだ……しかし、かなり焦っているようにも感じられた。

 あの男の立場から考えてみると、今の状況は相当厳しいはずだ。


 館内の闇の結界は破られ、人質として利用するはずだったミクは奪い返された。

 大賢者アイゼンに踏み込まれ、しかもエルフの騎士が帯同している。


 自身の肉体は特殊警棒に仕込まれたスタンガンによってダメージを受け、さらには闇のもやを失った状態で純白の光を浴びせ続けられている……。


 しかしこれだけ悪条件が揃っているにもかかわらず、ヴェルサーガはまだ笑っているのだ。

 それは強がりなのか、あるいは単純に、これから起こる戦闘を楽しみにしているのか……。


 アイゼンの元にたどり着いた俺たちは、彼に下がっているように指示された。

 ただし、俺に限っては、LEDライトの照射は続けるように言われた……純白の光がある程度ダメージを与えているということと、単純に照明としての役割のためだった。


「……長き戦いに終止符を打つ刻が来た……今日こそそなたを滅し、殺された多くの人間たちの無念を晴らす」


 アイゼンが杖を構える。


「クククッ……いいだろう、望むところだ。多少予定が狂ったが、舞台は整った。己の無力を思い知るがいい!」


 ヴェルサーガが右手を挙げると、魔力に関しては全くの素人である俺であっても、館全体の雰囲気が禍々しいものに急速に変化して行くことがわかる……まるでこの屋敷に潜入したときのようだ。


「……闇の結界を張り直すだけの力を持っておったか……なるほど、そなたがこの屋敷にこだわるわけじゃ。長い年月を掛けていくつもの魔方陣を埋め込み、準備していたということじゃな……じゃが、この儂とて以前と同じではない」


 アイゼンがそう口にしたかと思うと、彼の体をオレンジ色の光が取り囲み、それが半径2メートルほどの空間として広がった。

 ヴェルサーガは目を瞑ったままではあるがそれを感じたのか、口元が忌々しげに歪んだ。


「そなたの結界が『闇属性以外の魔法を封じる』性質を持つものであるならば、儂のこの結界は『闇属性の魔法を封じる』結界じゃ……結果として、そなたの結界の効力は無効化され、この中では儂は魔法が使える。もっとも、儂のすぐ側の、物体が何もない空間に限られるようじゃが……しかし、魔法を発動するには十分じゃ……このようにな!」


 アイゼンが木製の杖を振り下ろすと、そこに先端の尖ったこぶし大の氷柱(つらら)が出現し、猛烈な速度でヴェルサーガを襲った。


 その闇の王はすんでの所でそれを躱し、苦々しそうな表情をさらに険しいものに変えた。

 氷柱はヴェルサーガの背後の壁面にめり込んでいる。普通の人間が胴体に食らえば貫通しそうな威力だ。


「やはりな……儂の結界内では、闇の結界の効力が中和されて魔法が使える。そこで生成した氷の結晶は、魔法で初速の運動さえ与えてやれば、儂の結界の外であろうが問題なく飛んでいく。つまり、魔力が続く限りいくらでも攻撃できるということじゃ……こういうふうにな!」


 アイゼンがさらに杖を振りかざすと、いくつもの氷柱が連続して生成され、ヴェルサーガを襲う。

 しかし、その男は先ほどまで倒れていたとは考えられないような反射速度でそれらを躱し、逆に右手を振って、子供の頭ほどの黒い煙の塊を4つ作り、それをこちらに飛ばしてきた。


「……即死魔法じゃ! 絶対に触れるな、避けるんじゃ!」


 アイゼンの緊迫した声が聞こえた。全員、即死魔法という言葉に目を見開く。

 俺の方にも一つ飛んできてしまった。


 その黒い煙の塊は、速度は大して速くない……人が全力で走るぐらいだろうか。

 普段なら軽く躱せる速さだが、さっきヴェルサーガに蹴り飛ばされ、全身を強く打ったことによる痛みが残っている。


 今思えば、そのときにその程度のダメージで済んだのはミスリルの鎖帷子のおかげなのだが……。

 特殊警棒で反撃したときも、痛みを堪えて夢中で走り、突き出しただけで、直線的な動きしかできない。


 それでもなんとか体をひねって、その黒い塊を躱したのだが、俺のすぐ脇を通過後、その塊は進行方向を変更し、再び俺に迫ってきた!


 今度は躱せない! 

 本当に触れただけで死んでしまうのか!

 えっ……死ぬの?


 あまりに現実感のないこの情景に、またしても世界がスローになった。

 しかし、今度も何もできることはない。

 ただゆっくりと、そのモヤモヤした黒い塊が俺の左胸、心臓のあたりに直撃する様子を、ぼんやりと見つめるしかない……。


 だが、俺の体に触れたと思った次の瞬間、バチバチと音を立てて小さなスパークが発生し、その黒い煙は消え去った。


 再び体感時間が現実に戻る。

 自分が今、生きて体を動かせることに安堵した……冷や汗が大量に流れている。

 俺の様子を、アイゼンがチラリと見ていたが、


「やはりな……そもそもミスリルは、魔法に対する強い抵抗力を持つ」


 と、俺に聞こえるようにつぶやいて、そのままヴェルサーガへの攻撃を続けた。

 理屈はよく分からないが、どうやらまたこの鎧に助けられたらしい。


 周囲の状況を見てみると、アイゼンの側には黒い塊は存在していない……自分で処理したか、またはあの耐闇魔法の結界に触れて消えたのだろう。


 ミクとソフィアは、懸命に黒い塊を避け続けている。

 触れたら死ぬのだ、必死になるのも分かるが、自動追尾の塊からいつまでも逃げ続けることはできない。

 まずはすぐ近くにいて、息を切らしているミクを助けねば。


「ミク、俺の背後に回るんだ!」


「ソフィア、儂の結界内に入るんじゃ!」


 俺とアイゼンが、同時に叫んだ。

 するとミクは、俺の言葉に従って、すぐ後にピタリと寄り添った。


「俺の鎧は魔法をはじく。だからそのままじっとしているんだ!」


 自分で言いながら、少しだけ不安もあった。

 この即死魔法、ひょっとしてターゲットになる人物だけを追っているのではないか……そうすると、俺のことを避けてミクに向かっていく?


 幸いなことに、その心配は不要だった。

 黒い塊は俺の背後に隠れているミクに向けて、俺の体を通り抜けるようにぶつかってきたのだ。

 結局、その塊も、青い衣……正確には、その下に着込んだミスリルの鎖帷子に触れると消えてしまった。

 再び安堵してアイゼンたちの方を見ると、向こうではアイゼンのオレンジ色の結界内に入ったソフィアが、こちらを心配そうに見ていた。


「大丈夫、ミクの分も消えました!」


 大きな声でそう報告すると、ソフィアは大きくため息を吐いていた……あと、向こうの黒い塊も消えていた。


 この様子に心底残念そうな表情を浮かべたのは、もちろんヴェルサーガだ。

 未だ必死にアイゼンの放つ氷柱の連弾を躱し続けていたが、ついに避けきれないと思ったのか、あるいは、何かしらの条件が整ったからなのかもしれないが、背中から大きなコウモリの羽のようなものを出現させ、空中に舞い上がった。


「ソフィア、今じゃ!」


 彼女は、アイゼンの声が響くやいなや、持っていた弓に瞬時に矢をつがえ、ほぼ同時と思うぐらいの速さで連続して二本射出した。

 その矢はアイゼンの氷柱の弾より遙かに高速で飛び、出現したばかりのヴェルサーガの左右の羽をそれぞれ貫いた。


「ぬおおぉォォ!」


 ヴェルサーガはうめき声を上げて墜落した。

 なんとか起き上がり、立ち上がろうとしたその男の左右の太ももを、さらにソフィアの矢がそれぞれ射貫く。


「うぐっ……」


 ヴェルサーガはついに前のめりに倒れた。


「よし、とどめじゃ!」


 アイゼンはそう口にすると、今までとは全く異質の、丸太ほどもある巨大な氷柱を形成していた。

 そしてそれを射出しようと、杖を振り下ろそうとした瞬間、その動きが止まった。


 その表情は驚愕に満ち、そして明らかに動揺していた。

 視線の先を見ると、かろうじて上半身だけ起こしたヴェルサーガが、左腕をアイゼンの方向に向けて手のひらをかざし、固定するかのようにピンと肘を伸ばしていた。


「……ソフィア、矢を射続けるのじゃ!」


 アイゼンがそう指示を出す。

 ソフィアが慌ててそれに従おうとして、彼女もピタリと動きを止めた。

 ヴェルサーガの方を見ると、今度は右腕を左腕と同様に伸ばし、その手のひらをソフィアに向けて固定していた。


「……ショウ殿、私たちは奇妙な力で体の動きを封じられた! 私の剣を抜いて、奴に突き立ててくれ!」


 ソフィアが俺に向かって必死に叫んだ。

 その言葉で状況を察知し、俺は彼女の言うとおりにしようと動いたのだが、俺も体が突然動かなくなってしまった。


 驚愕しながらヴェルサーガの方を見ると、少しだけ目を見開き、俺の方を睨み付けていた。

 指向性の高いLEDフラッシュライトの光は別の方向を向いており、広範囲を照らすウェアブルカメラの光はかろうじてヴェルサーガを捉えていたが、それだけでは奴の目を完全に塞ぐことはできていないようだった。


「……だめだ、俺の体の動きも、おそらく奴の視線で奪われました!」


 叫ぶように現状を報告する。

 残るは、ミクだけだが……彼女は、両耳を両手で押さえて苦しんでいた……超音波かなにかの攻撃を受けているように思われた。

 これで4人とも、完全に動きを封じられた。


「ククク……切り札は最後まで取っておくものだ。これは魔法ではない、私のオリジナルスキルだ……ちょうど4つでおまえたちの動きを止めた。こういうのを、計算通りと言うのではないだろうか」


 ヴェルサーガが、余裕とも、強がりとも受け取れる言葉を発した。


「……相手の体の動きを奪う、か……それも4人同時に……確かに、恐るべき能力じゃ。しかし、切り札と言うからには、なにかしらのリスクがあるのじゃろう。それに、動きを封じるだけではどうしようもないぞ」


「……大賢者アイゼン、貴方の推測通りだ……この技は、それほど長時間は持たない。せいぜい数分、しかも一日に一回しか使えない。だが、それで構わない。なぜなら、それで貴方たちを全滅させることができるからだ……ゼェスト、出でよ!」


 闇の王たるヴェルサーガがそう声を出すと、どこからともなく一匹のコウモリが飛んできて彼の目の前に舞い降り、そして妖魔の姿に変化した。


 体は人間、顔はコウモリのような化け物……さっき、俺が咄嗟にフラッシュライトを浴びせ、逃げ去った化け物だ。


 先ほどとは異なり、やはりLEDライトの対策なのか、目を閉じたままだ……しかし、空間は把握できているようだ。


「……手下のヴァンパイア……まだそんな駒を持っておったか……」


 アイゼンの声が、わずかに震えていたのが分かった。

 ゼェストと呼ばれたその化け物は、ヴェルサーガと同じく、鋭く長い爪を伸ばした。


 ――詰んだ。


 そう思ったのは、今日何度目だろうか。

 しかし、今度ばかりはどうしようもないと悟ってしまった。


 不死族妖魔の頂点に立つ、「ヴァンパイアロード」ヴェルサーガ。

 やはりその実力はすさまじかった。


 俺たちの世界の技術である世界最高クラスのスタンガンを何度も直撃されたのに、わずか数分で起き上がった。

 矢で額を貫かれても死なない。

 館全体に結界を張り、闇属性以外の魔法を無効にする術を持っている。

 それを「二重結界」の技でかろうじて風穴を開けたのは、大賢者アイゼンだからこそできた高等技術だ。


 そのアイゼンの攻撃を避けながら、さらに反撃の即死魔法を4発も同時に放ってくる。

 俺たちが全員それをしのぎ切れたのは、偶然の要素が大きい。


 そして彼の切り札は、宿敵であるアイゼンと、その配下である俺たち全員の動きを封じることだった。

 その上さらに、単体でも強敵であると思われるヴァンパイアを従え、今、俺たち全員を始末しようとしている――。


 完敗だ。

 やはり最凶、最悪の妖魔だった――。


 ヴァンパイアは爪を伸ばし、ゆっくりと歩き出した……先ほどダメージを与えられた、俺の方へと。

 こいつは、まず恨みを持つ俺を殺すつもりだ。

 そしてその化け物は、ウェアブルカメラのライトから逃れるために、俺の背後に回った。


 ――ああ、終わりだ。


 俺は、背後から首を跳ねられる。

 いや、苦しんで死ぬように、手足を刻まれるのか?

 どちらにせよ、もう俺の人生は終わったんだ――。


 そんな諦めの境地に達したとき、背後から、この大広間の扉が開く音が聞こえた。


 さらに、何かがはじけるような音が続き、次の瞬間、ヴァンパイアであるゼェストの体が、俺たちの前方……つまりヴェルサーガの居る方向の壁に叩きつけられ、めり込んだ。

 首の骨が折れているのか、不自然に肩口から頭がぶら下がり……そして床にずり落ちた。


 ヴェルサーガが、ライトの明かりがあるにも関わらず、目を見開いて驚いている。

 そして大きな何かが俺たちの間を抜けて、大広間の中央へと進み出た。


 そこに存在したのは、全長三メートルはあろうかと思われる、銀の毛並みに金色こんじきたてがみを生やした、猛々しく、それでいて神々しさも併せ持った、美しい巨躯の魔狼だった――。 

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