第17話 裸体
俺たちに襲い掛かろうとしていた黒い狼の群れは、突如現れた巨大な魔狼に、明らかに狼狽していた。
数十秒間、膠着状態が続いていたが、群れの中でも体の大きな一頭が、ヤケになったように魔狼へと向かっていく。
しかし、今にも飛び掛からんとした瞬間、一睨みされただけで身動きできなくなってしまった。
そこに魔狼の大きな顎が迫り、なすすべもなく胴体を咥えられ、そのまま持ち上げられる。
魔狼は哀れな黒い狼を振り回し、そして空中に放り投げた。
キャウン、と情けない声を上げ、黒い狼はフラフラと立ち上がり、よろけながら逃げていく……あの状況でその程度で済んでいたのは、明らかに魔狼が手加減していたからだ。
残った黒い狼たちは、じりじりと後ずさりしていく。
巨大な魔狼は、追い打ちとばかりに、先ほどとは比べ物にならないほど大きく、猛々しい咆哮を轟かせた。
それが決定的なきっかけとなり、黒い狼たちは我先にと林の方へ逃げていった。
魔狼は、俺の方をじっと見つめると、クーン、と悲し気に鳴いた。
するとその体はすっとしぼむように小さくなっていき、そこに残ったのは、一糸まとわぬ美しい裸体の獣人だった。
月明かりの下、狼耳と尻尾が生えている以外は何ら人間の少女と変わらぬ、均整の取れたその健康的な裸に、俺はしばし、見とれてしまった。
「……ショウさん、あの……服を着ますから、少しだけ後ろを向いてもらっていいですか?」
シルヴィの言葉に、俺は慌ててその通りにした。
数十秒後、
「もういいですよ」
という声がして、彼女の方に向き直ると、いつもの作業服を着たシルヴィの姿がそこにあった。
彼女の顔は、今にも泣きそうな悲しそうなもので、俺とはかなり距離を取っていた。
「……この服、留め金が付いていて、私があの姿になるときに破れずに自然に外れて脱げるようになっていたんです。それを留めるだけで、もう一度着れるようになっていて……ミクが作ってくれたんです……って、そんなこと、どうでもいいですよね……」
「いや、どういうカラクリなのかわからなかったから、そういう意味では納得したよ……さっきあの黒い狼と戦ったみたいだけど、怪我ないか? 無理したんじゃないのか?」
俺はそう気遣いながらシルヴィに近づいていく……すると彼女は、その様子に目を見開いて驚いていた。
そのことを不思議に思いながら、彼女の目の前までたどり着いた。
「……あの、ショウさん……私のこと、怖くないのですか?」
「怖い? どうしてだ?」
「だって、私……あんな姿なんですよ? 化け物ですよ?」
「……なんだ、そんなことか。まあ、そりゃあいきなりあの姿の君と出会ったら驚いてしまうかもしれないけど、今の姿……優しくて、気遣いができて、思いやりがある、可愛い女の子の君を知っているんだ。怖がることなんて何もない」
「でも、私……変身するんですよ?」
「ああ、それはちょっと驚いたけど、あの姿もすごくカッコよかったし……むしろ憧れるぐらいだ」
俺が本気でそう言っているのを悟ったのか、彼女は唖然としている。
「……異世界の……ニホンの人って、そういうの、何とも思わないのですか?」
「そういうのって、変身のことか? それなら、慣れている……創作の世界ではあるけど、容姿を大きく変えて戦闘力を急激に上げる、なんてのは定番って言ってもいいぐらいにありふれているんだ……といっても俺は変身、できないけどな」
「……慣れているんですね。だったら、良かったです……そうですね、ショウさんは、魔狼と人との戦いの歴史とか、知らないんですもんね……まあ、知ってなくてもあの姿見た人は、たいてい腰を抜かして逃げていくらしいんですけど」
「そうなのか? まあ、俺はよく怖いもの知らずとか、猪突猛進とか言われるけどな」
「……そういえば、さっきの黒い狼の群れに襲われそうになったときも、そんなに怖がってはいないみたいでしたね……」
俺の言葉に嘘がないと気づいたシルヴィは、少し呆れているようだ。
「……だから、君に対しては『助けてくれてありがとう』っていう感謝の気持ちしかない」
「……本当に、その……私のこと、怖くないんですね?」
「ああ、本当だ」
「……気味が悪い、とも思ってないですか? 私に対する印象とか、気持ちとか、変化ないですか? そうでなくとも……私のせいでこんなことになったのに……」
「印象、か……それなら、ちょっと変わったかもしれないな……」
「……やっぱり、そうですよね……」
悲しそうな表情を浮かべるシルヴィ。
「……君のこと、もっと大切に思えるようになった」
「……えっ!?」
「一緒に死線を潜り抜けたんだ……といっても、君の活躍だけなんだけど……だから、もう、大切なパートナーだ」
「……」
泣きそうな顔になっているシルヴィの頭を、軽くぽんぽん、と叩きながら、俺は自分の素直な気持ちを口にした。
「……本当にその言葉、信じていいんですね? 私のこと、嫌いじゃないんですね?」
「ああ、もちろん。さっきからそう言っているだろう?」
「……だったら、その……抱きついていいですか?」
シルヴィの、思わぬ言葉に、俺はちょっとドキッとした。
彼女は、これまでどれだけつらい思いをしてきたのだろうか。
魔法陣発動によりこの地に飛ばされたこと、帰る手段が存在しないこと。
自分の本当の姿をさらけ出したこと、それにより、俺に怖がられたり、気味悪がられたりしないかと不安に思っていたこと。
そしておそらく、以前からずっと、自身が魔狼ということに対して、何らかの迫害を受けていたこと……。
ほんの少しだが、明るくふるまう彼女の苦悩の一端を、理解できた気がした。
俺は、シルヴィの肩をそっと抱きしめた。
すると、彼女の方からも、泣きながら俺に抱きついてきた。
真円の美しい月の下、俺とシルヴィは、互いの気持ちを確かめるように抱きしめ合った――。
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