第16話 狼の群れ

 それからしばらく、何もする気力が起きず、ただアイゼンが迎えに来ることを期待してぼーっと過ごした。

 だが、やはり誰も来ることはない……シルヴィはすでに半べそだった。


 俺は慰めるように、菓子パンの残りと『ケロリーメルト』のチョコレート味を取り出し、それを二人で食べた。

 これで、持ち込んだ食料の残りは、『ケロリーメルト』のプレーン味ひと箱だけになってしまった。


 その後、気晴らしに、と、一度遺跡の扉を開けて外に出たところ、空には丸い月が浮かんでいた。


「……綺麗……それに、今夜は満月ですね……私、こんな日は外に出るの、好きなんです」


「ああ、そうだな……遺跡の中でじっとしていても仕方ないし……ちょっと歩いてみるか」


 あんな閉鎖された空間に、帰る手段も浮かばないままずっと閉じこもっていたら気が滅入ってしまう。そう考えて、シルヴィと一緒に散歩感覚で外に出た。

 断崖になっている岬上の突端まで、数十歩の距離を歩く。

 海の方からは潮風が運ばれてきて、シルヴィの栗色の長い髪を揺らした。

 これ以上崖に近づくと危険、というところまで進み、そこで腰を下ろした。


「……ショウさんの世界では、あの月まで人がたどりついているんですよね……ショウさんは行かないんですか?」


「いや、行こうと思っても行けない。すごく才能があって選ばれ、訓練した人が、その上に強運もあってやっとたどり着いた場所なんだ。しかも最近……もう五十年近くも、そこに行く計画すら立っていない」


「そうなんですか? どうして?」


「みんなといるときに話したように、月に行っても岩と砂ばっかりで、何もなかったからだよ。人類の威信をかけてたどり着いた。それだけで十分って思ったんじゃないかな」


「……そうですか……ちょっと寂しいですね。私たちが飛ばされたあの遺跡も……作ったはいいけど、誰にも使われていないみたいですし……同じ理由かもしれませんね……ここって、何にもなさそうですから」


 シルヴィが悲しそうにつぶやく……なんか、かなり精神的に参っているようだ。


「……いや、でも、海が近いっていうのは、それだけで意味があることなんだ。魚はいっぱい泳いでいるから食料になるし、船を造れば、いろんな荷物を一度に大量に運べるし。それにここは、景色がいいし」


 この崖は、五十メートルほどの高さがある。そこからほぼ真正面に満月が見えて、その月明かりに海面が照らされ、波に揺らめき、とても幻想的で美しい景色を生み出していた。

 俺はスマホを取り出し、動画撮影モードにして胸ポケットに入れ、その光景の撮影を始めた。

 別に、これは異世界だから、という情景ではないのだが、現在の何もできない状況に置いて、少しでも何かをしたいという欲求からの行動だった。

 シルヴィは俺のそんな様子を気にしていない……いや、気にする余裕すらないようだった。


「……これからどうしましょうか……待っていれば、ひょっとしたら大賢者であるアイゼン様が迎えに来てくれるかもしれませんが、そうでなかったなら、じっとしていても意味はありません。っていうか、飢え死にしちゃいます……」


「ああ、なんとか帰る手段を見つけないとな……俺はともかく、アイゼンさんやソフィア、ミクに申し訳ない。あと、海が近いから魚を取れば、飢え死にはしなくて済むと思うよ」


「……私はいいんです。アイゼン様に拾われたも同然の、お手伝いにすぎませんし……ショウさんの方が心配です。家族の方が心配しているんじゃないですか?」


「いや……俺は一人暮らしだから。実家には両親がいるけど、毎日連絡しているわけじゃないから大丈夫だよ。大学も、今は夏休みだし……」


「……大学? ショウさん、大学生なのですか? 凄いじゃないですか……魔法大学ですか?」


 シルヴィの意外な質問に、ここが異世界だということを思い出し、苦笑した。


「いいや、俺たちの世界では、魔法は存在しなくて……そのかわり、科学っていうのが発達しているんだ。俺が通っている大学も、その一分野だよ。わかりやすく言うと……ほら、こういうのを作る学問だよ」


 そう言って、ポケットから小型のLEDライトを取り出した。


「あ、なるほど、その白い光、それは魔法じゃなくて『カガク』っていうものなんですね……じゃあ、『ドウガ』もそうなんですか」


「そうだな……そういうことになる」


「……やっぱり、凄いです……大学に行けるほど優秀な人なんですね……私とは大違い……」


 うーん、今日のシルヴィ、やはりかなりネガティブだ。


「いや、でも、大賢者であるアイゼン様の直属のお手伝いなんだろう? スライムとの戦いもすごかったし……少なくともこの世界では、凄く役に立っているっていうのが俺でも分かる。だから……一緒に帰ろう。みんな心配してるはずだ。二人で協力すれば、まあ何とかなるはずだ」


 もちろん、根拠なんてない。

 けれど、無人島に流れ着いた人がサバイバル術を駆使して、何年も生き延びるっていうのは、小説ではよくある話だ。


 俺も、曲がりなりにもラノベ作家の端くれだ。ある程度のサバイバルの知識は身につけている。

 それがこの異世界で通用するかどうかは分からないけど……シルヴィは高い戦闘能力を持っているし、基礎的な魔法まで使えるっていうのだから、ひょっとしたら彼女の方がそういうサバイバル能力は強いかもしれない。


 そんなふうに考えていると……シルヴィは、涙目で俺の方を見つめていた。


「……ショウさん、本気でそんなふうに言ってくれるんですね……私、罵詈雑言浴びせられてもおかしくないこと、してしまったのに……」


「……なんのことだ? あの魔法陣が発動したことなら、俺が招いた事故だから。逆にちゃんと君を送り返さないと……ソフィアとか、最悪俺を切り刻みかねないな……」


 心配事を素直に口にすると、彼女は涙をこぼし、俺にピタリとくっついてきた。


「……そうですね……ちゃんと一緒に帰って、ソフィアさん私から説明して、謝って……それでまた、みんなで笑って、一緒においしいもの食べましょう……!?」


 なんか良い雰囲気だったのに、シルヴィが急に血相を変え、ザっと素早く立ち上がって後ろを向いた。

 耳をピクピクと動かし、しっぽはピンと張りつめている。


「……風上だから気づきませんでした……今から走っても間に合いません……」


 遺跡の方を見つめているが、薄暗く、俺には何が起きているのかさっぱりわからない。

 と、彼女は唐突に、オオオォーン、と、遠吠えのような声を上げた。

 そのまま遺跡……正確には、その向こうの林の方向にじっと視線を向けていた。


 そして俺にも見えた……その方向から月明かりの中近づいてくる、いくつもの黒い影が。

 再度、シルヴィはオオオォーン、と声を上げた。

 すると黒い影たちは立ち止まり、今度は向こうから、同じような遠吠えが返ってきた。


「……ダメです、話ができません……あれは、私たち……リエージェに住む狼たちとは全く別の種……私たち、本当にものすごく遠くまで飛ばされているみたいです……ひょっとしたら、別の大陸なのかも」


「……狼? 別の大陸!?」


 シルヴィの言葉がすぐには理解できない。

 その間にも、黒い影はどんどん数を増し、近づいてくる。

 そして俺の目にもはっきりわかった……二十頭を超える、野犬……いや、狼の群れだ。


「……たしかに、遺跡まで戻って扉を閉める暇はなさそうだな……」


 さすがに能天気な俺も、焦りを隠せない。

 前は狼の群れ、後は断崖絶壁。

 しかも、シルヴィの三本爪も、俺の特殊警棒も、遺跡に置いてきてしまったままだ。

 狼たちは、次々と遠吠えを行い、俺たちに襲い掛かるタイミングを計っているように思えた。


「……また私、失敗しちゃいました……私が狼の声を出したことで、余計に刺激させてしまいました……狼たち、私たちを獲物として見る以上に、ナワバリに入って来たよそ者、ということに怒っているようです……」


 彼女の言葉を裏付けるように、狼たちはうなり声をあげ、さらに距離を詰めてきた。

 もう戦いは避けられない……そして、俺は素手でこれだけの数の狼に勝てる自信など全くなかった。


 シルヴィと一緒に崖のギリギリ端を、狼たちの攻撃をかわしながら思いっきり走り、万一食いつかれたら一か八かで崖から飛び降りるか……。

 そんな無謀なことを考えていると、彼女は、目に涙をいっぱいに溜め、明らかにそれとわかる作り笑いを俺に向けてきた。


「ショウさん、短い間でしたけど、私と仲良くしていただいて、ありがとうございました……私、とっても嬉しかった……人間の男の人に、こんなに優しくしてもらったの、初めてでしたから……でも、今までのは、本当の私ではないんです。騙していて、ごめんなさい……でも、これだけは信じてください……私は何があっても、ショウさんの味方です。だから……私のこと嫌いになると思いますが……無事帰るまでは、ショウさんの護衛、させてくだいね……」


 俺は、シルヴィが何を言っているのか、その意味を理解することができなかった。

 だから、彼女が狼に向かって走り出したとき、その小柄な体が狼たちに襲われ、食いちぎられる姿が頭をよぎり、ぞっとした。


 しかし次の瞬間、思いもかけぬ光景を目の当たりにした。


 シルヴィが着ていた作業着が、はじけ飛んだ。

 刹那、彼女の体は瞬時に膨張し、異形の姿へと変化した。


 そこに出現したのは、全長三メートルはあろうかと思われる、銀の毛並みに金色こんじきたてがみを生やした、猛々しく、それでいて神々しさも併せ持った、美しい巨躯の魔狼だった――。 

 

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