夢解き

季早伽弥

第1話

――やあこんにちは、びっくりした?

 一人真っ白い世界にいた俺の前に、そいつは突然現れた。

――誰だおまえ、

 初めからしまいまでそいつは始終楽しげだった。

――少し前に会ってる?

 俺は少しの間考えてとりあえずと言った。

――今日は帰れ。俺は明日テストなんだよ、明日の晩にゃあきっと思い出すからさ、まかせとけ。

――そう?まあゆっくりと思い出すといいよ。

そいつは少し間を置いてニヤリとした。

――思い出すと気味悪いだろうから。

 目を覚ますと教室で、目の前にある紙質の悪い答案用紙が前じゃなくテスト中を示していた。



 律儀に翌晩、茫洋と真っ白い中に、そいつがまた現れてから約束を思い出した俺は、極まり悪くて話を逸らした。

――そういや名前、聞いてなかったな。

――名前?じゃとりあえずユーレーで。ところで■□牙膏好きなんだね、実は俺も。

――え!!?それ早く言えよッ

 そいつと俺は偶然にも、日本ではまだマイナーな海外バンド通称■□のファンだった。互いに初めての同士を見つけた俺達は、以来夜毎■□トークで盛り上がった。不思議なのは夢なんて起きればすぐ忘れてしまうものなのに、毎回くっきり覚えていることだった。それゆえ楽しい半面寝た気がせず、代わりに授業中頻繁に寝てるので、家川と友香が数日後、あまり心配してなさそうにどうしたんだと尋ねてきた。


「正体不明の相手と毎晩夢で趣味トーク?」

「あっちは俺のこと知ってたけど。湖山って、同い年だしどっかで会ってるんだろ――記憶ねーけど」

「夢の話でしょ」

「でもなんつーか普通の夢っぽくないんだよな、話した内容ぜんぶ覚えてるし、それにあいつ俺の知らない■□のこと山程話すんだぜ」

 ファン歴はユーレーの方がずっと長い。夢で教わったサイトやツイッターは実在したし、雑誌のバックナンバーからだという情報も本当だった。

「どこかで見聞きしたものの、忘れてたとかじゃないか」

「暗記科目苦手だもんね」

「かもしれねェけどお前らうるせえ」

「つまりその自称ユーレーは、湖山の創造性溢れる夢の産物じゃないって?呪われてんじゃないのかお前」

 家川が真剣にジョークを言うので、俺はユーレーの善良なことを懇切丁寧に話して聞かせてやった。

「探してみたら、同級生ならここ沢山いるよ」

 友香の発案で、俺らは各教室を巡って同学年男子を見て回り、帰りは他校を当たってみたが、中学生はノースマホが標準で、気軽に連絡先も交換出来ない身の上だ。結果足に頼る外無い俺達はすぐに行き詰った。



――そういやそんな謎かけしてたっけ。   

 ユーレーは忘れてやがった、俺も半分忘れかけてたが。

――ごめんごめん、この姿は意味なくて、湖山には全然別者に見えてた筈だよ。 

――別者?そうだお前思い出したら気味悪いとか何とか――

――まあいいじゃない。 

――思い出せっつったのはそっちだろ。

――そうだけど…少し前っていうのは朝のこと。 

――どこで?  

 生憎何一つ思い出せない。

――そこまで言ったら面白くないし、元々特に意図もない思いつきだから忘れていいよ。それに――まあいいか、  

 埃も立たない世界なのにそいつは膝を払って立ち上がった。

――おやすみ。 

――あッ待てよ、 

――おやすみ、またね。



「お昼休み終ー了ー」

 能天気な声が降ってくると同時に校舎裏で伸びていた俺は、背から両脇に腕を通されずるずると半身引きずり起こされた。眠気でだるい体をどうにか自力で支えると、友香が横から覗き込み、起き上らせた家川が毛ほども済まなさそうに言った。

「寝かせておいてもいいんだけどね、次グループ実験だから」

「目ェ瞑ってただけだ」

「それで眉間が寄ってたんだ」

 昨晩も喋り倒し、夢の中で寝落ちしたらしき直後に朝が来た。いま意識を手放せば夜まで戻らない自信がある。

「で、未だ正体不明か、会話から思い当たる節とか無いのか」

「ない」

 どうにも記憶にないのだ。それに■□トークが楽し過ぎ、近頃はユーレーではないが、いいかという気になっていると話すと家川が文句を言った。

「理由を知ったからにはこっちだって気になる。本名くらい聞き出せ」

「あくまでユーレーだと」 

 でも実在の人物ですと保証していた。

「実在する故人だったりして」

「そうかもな」

「かもなで済ますな、せめて名前と生き死にだけでも確かめろ」



 それはそうかとその日の晩、俺は改めて聞くことにした。

――名前だけでも教えてくれ、本っ当に分かんないんだよ。

――まあ名前だけなら、イオリどう?  

――…ごめん。 

 どうにもすまなくて頭を下げるが、ユーレーことイオリは別段気にする素振りもなく、いつものように笑って言った。

――いいよ。でも変だな都合よく思い出した、とはいかないんだ…そっか、やっぱり夢で完結させたら駄目ってことだよね。 

――?何言ってんだ。

――自分の゛脳内湖山君゛に言うのもなんだけど、ありがとう。とても楽しかった。物凄く久し振りに沢山話して笑って、沢山元気もらえたから、きっと大丈夫。ありがとう湖山君、さようなら。

――さよなら?さよならってどういうことだ、死んだのか!?

――まさか、縁起の悪いこと言わないでくれる。あ、そうだ最後に謝っとかないと、本当は――湖山?

 周囲が暗転した。 

――ここでかよッ

 俺は叫んだ。覚醒が近づいて来る。いくら夢でもこんないきなりさよならは無いだろ、醒めるな醒めるな、焦ってもがいて目覚めた俺は至上の恨みを渾身に込め、アラームの停止ボタンにチョップを見舞ってやった。



 その日は寝不足の筈が学校でうたた寝さえならず、事情を知った家川と友香に宥められながら下校した。

「ただいま」

「あらまたお兄ちゃんが帰って来たと思っちゃった、お帰りかー君。お兄ちゃんよ」

「よお」

 家に帰るとお袋がいきなりボケをかまし、ただ一人の兄が珍しく居ると教えてくれたが、見ればわかる。ちなみに俺は兄貴と似てるといわれるが、サッカーしに寮まで入るスポーツ馬鹿とでは当然体格差はあって、横は若干、あくまで若干負けるが縦はちっと勝っている。開けた戸棚で菓子パンを見つけその場でかぶりつき、お袋らの会話を聞くとはなしに聞く前に、向こうから絡んできた。

「いま聞いてる最中だったんだけどね、きー君お化け見たんですってよ」

「へー」

 気の抜けた返事にも構わず、お袋はトップニュースを読み上げるが如く続けた。

「朝ね、近道にフワフワって、赤っぽい丸が宙に浮かんでたんだって、それが」

「生首だった。人の、」

「げ、」

 思い出すだに恐ろしいといった表情で兄貴が言った。近道というのは大きな病院の建物に沿う道を通らず、敷地内に入って斜めに突っ切ることで、朝練の当番で皆より一足早く寮を出た日だった。薄陽が射し始めたばかりで人気もなく、珍しいことに霧が出ていて視界の悪さがちょっとした探検気分だった。

「だからあんなとこに赤色灯なんかあったっけってさ…」

 いつもなら気にも留めなかっただろうが、ふと興味を引かれ近づくと、あろうことかそれが人の頭のようだと気づいてしまった。丸の上部が黒っぽいのは毛髪、その下が赤いのは、ドキリとした瞬間それがこっちに気づいたようにユラリと動き―――。

「マジか」

「目ェつぶって猛ダッシュで逃げた」

「危ないことしないのよきー君。もしかして患者さんだったんじゃない」

「血塗れ生首の?しっかりしてくれよお袋。しかも俺名前呼ばれたかもしんない――コヤマクンて」

「もう寝る」 

 俺は唐突に宣言した。

「朝まで絶対に起こすな――いや待った、の前に」



――イオリ、おーい、

 俺は白い世界を一人さ迷っていた。延々呼んでどれほど経ったか、諦めかけたとき遥か遠くに人の形が見えた。どこか違うと感じたがとにかく走り近づくとそれは次第にイオリになった。

――驚いた、そっちから現れるの初めてだよね。でもよかった言いそびれて――

――俺は湖山楓だイオリ、俺と兄貴を勘違いしてないか?

――へ?

――兄貴が言ったんだ朝病院の前でお化けを見た。コヤマクンて呼ばれた気がしたって、

 イオリは兄貴の1年生の時のクラスメイトだったのだ。


 寝る前、腹拵えで一旦宣言を撤回した俺は、茶漬けに菓子パンを食いながら自信満々に、同学年でイオリって奴いるだろと聞くと知らないと言うので、よその学校とかよく思い出せイオリって名前の奴だとせっつくと、うるせえなとスマホを弄りだした兄貴は暫くして「一人いた」と手を止めた。

「ほらみろ」

「うるせーな…そういうや寄せ書きしたっけな」

 呟いたあと兄貴は顔を上げた。

「1年の途中で病気して、未だに入退院と自宅療養繰り返しで退学するって噂だとよ、にしたって奴奴ってお前さぁ――」

「話は明日なッ絶対起こさないでくれよ!」

 そらみろドンピシャだ、と俺は急いで階段を駆け上がったのだった。


――そんなことって…弟?どんなオチ?

 ブツブツ独り言するイオリに俺は言う。

――これは夢だ。だけどイオリは俺の夢の産物じゃない。俺もイオリの夢が勝手に造った奴じゃない。何でか知らないけど、それぞれの夢がくっついちまったんだと思う。信じられないか?だったらみてろよ明日現実で会いに行く、起きて待ってろ!



「イ!?」

 病室の間仕切りのカーテンを開け、俺は息をのんだ。背後の連れ2人も目をパチクリさせる。

 赤透明で大きめなつばのサンバイザーを、やや前倒しで顔の上半分を覆うように被り、寒いのか厚手でダボっとした立襟の白い上着のファスナーを、きっちり首まで上げた姿でベッドに起きていた相手は言った。

「驚かせてごめん。この方が手っ取り早いと思って…軒端のきばイオリです」

 つばの下はマスクで、くぐもった声はか細い。驚かないと言ったら嘘だったが、入院中ならば弱っていて当然だし、にっこりした目は変わりなかった。

「今更敬語もないよな、湖山楓。それ新曲ⅯVのサンバイザーだよな」

 ボーカルのトレードマークで常に色んなのを被っている。

「美術と家庭科の単位用に作ったんだ」

 さすがとイオリは笑った。

「友香です初めまして!」

「家川です」

「2人のお話はかねがね、気楽に接してくれると嬉しいな」

「じゃイオリさんで」

「俺も。湖山の兄さんこれを見たんですか」

 ユーレーの正体は分かったが、兄貴がなぜそんな風にイオリを誤解したかは聞いていなかった。そうだと言うイオリに友香が首を傾げた。

「…?でもきー兄めちゃ目いい筈」

「霧が出てたって聞いた?」

「霧…」

 イオリに問われ、俺は漸くアッと叫んだ。新曲のMVは冒頭立ち込める白煙と共に、このサンバイザーを斜に目深く被るボーカルが姿を現す。


「あの朝早くに目が覚めて、外見たら霧で」

 ―――ⅯV風の自撮りを目指したのだとくぐもり声のままイオリは照れ笑いした。こっそり裏口から外に出て、スマホを、前に親がくれたミニ三脚で塀に据え、シャッターのリモコンを手に挑んだのだが、

「これがなかなか上手くいかなくて」

 おまけに肝心のサンバイザーが、前下がりに被ると頭周りに使った生地が滑り易くて安定せず、すぐに顔面につばが当たるほどずれてしまう。

 型紙から自作して、何度も試着した筈だった。

(もうよそ)

 幾度か撮影を繰り返し息をついた。病気になる前はずっとダンスをやっていて、体力には自信があったのに、今はこれしきで疲れてしまう。諦めてスマホを取ろうと歩きかけた時だった。靴音がして霧に目を凝らすと、

(うちのサッカー部だ)

 近くに男子サッカー部の寮があって、寮生がよく病院の敷地内を近道に使うと聞いていた。見慣れた制服にスポーツバッグで、すぐ見当がついた。こっちに向かって来るので邪魔にならないよう立ち止まっていると、霧の中互いの顔がやっと分かるくらいになって知った顔だと気づいた。


「誰だかすぐ分かったのは、前に教室で■□の特集があった雑誌を読んでいて、ファンかもって気になってたから」

「失くしたと思ったらあいつ…ッ」

 高かったから失くしたショックも甚大だった。兄貴は俺の趣味には無関心だから、何も考えず持ち出して、暇潰しにでもしたのに違いない。イオリは目でもって俺の心情に共感を示してくれる。家川がまた聞いた。

「それでイオリさん、声をかけたんですか」

「それが――」


 一度も話したことは無かったが、嬉しくて考えるより先に口が開きかけたのだが、刹那相手は意味不明の雄叫びと共に、「湖山君!?」自分を素通りし物凄い勢いで走り去ってしまった。


「多分こう見えてた。またずり落ちてるの気づいてなかったんだ」

「うわー」

「わっ」

「あーー」

 兄貴に驚き弾みで、握っていたリモコンを押したようだというスマホに残ったそれを見て、俺達三人は三葉に声を漏らした。マスクはしてなかったとイオリが付け加えたが瑣末なことで、全身写っていることはいるのだが、淡色の患者着ごと白い上着は言うまでもなく霧に紛れ、そのせいで黒髪に赤透明なつばが顔面を覆う頭部だけ薄ぼんやりと、しかし半ば浮き上がってしまっている。もう少し離れた位置からだとさぞかし首から下が見え辛かったろう。

 兄貴の奴全くもっていい気味だ。

「驚かせたの謝って、誤解も解きたかったけど、きっとこっち覚えてないかって悩んだりしたからかな、その晩に湖山―楓君が夢に出て来た。最初、もやがかった何もない所を歩いてたら、声が――」

「…!待て喋っ」

 俺の狼狽を見て取るや、澄まして病室で大声出すなと被せた家川は数秒後、翻って友香と爆笑しやがった。

「夢で何しようが勝手だ!」 

 俺は誰もいない空間で、法被に鉢巻き幟を手に客引きよろしく楽曲が、ボーカルはとか懸命に■□牙膏を宣伝――する練習をしていた。そこにイオリが現れ猛烈に恥ずかしかった俺はそっけなかった。テストの日のことだ。


 イオリはそんな俺らを楽し気に見つつ、ふとサンバイザーとマスクを外し、ああ暑苦しかったと言いながら上着のファスナーを下ろした。現れた首が細い。

「2人とも笑わないで、私すっごく感動したのに」

 今度は3人揃って目を瞬く。面差はイオリに近いが輪郭はずっと柔らかで、マスクを外した声は別人そのものだ。帽子を留めていたピンを取ったら髪が少し長くもなった。

「いや…全然…」

 俺に向かう友香と家川の視線にしどろもどろで首を振る。一体全体どういうことだか全く分からない。

「今朝、楓君達が来る前のことだけど、湖山君からうちの弟知ってるかってLINEが来てて、返信して、電話もしてね」

 半信半疑ながら、兄貴はイオリがした夢の話を了解したらしい。お化けの正体が分かってほっとしたと笑ったそうだ。

「その時、言いそびれて私のこと勘違いしたままだって話したら、黙っとくから驚かせてやってくれって――ついのっかっちゃって、ごめんなさい。夢での姿は、私の弟のものだったんだ」

 俺が起きた時、兄貴はランニングだとかで出掛けていた。そういや昨日イオリに対し奴奴言う俺に、咎めるような目つきをしていた気がしないでもない。あれは相手が年上だからってだけじゃなかったのだ。

 イオリは言った。

「夢の中の楓君に感激して、すぐにも話し掛けたかったけど朝のことがあったから、また迷いだしちゃって、驚かせたり逃げられたらどうしようとか、色々」

 するとなぜか自分の姿が弟になった。無意識に、全くの初対面ならあれこれ気を揉むことはないと思ったのかもしれない。

「それでそのまま――」

 謎掛けも話した通りほんの思いつきで、思い出せない、分からないと言われても夢のことで気にならず、妙に覚えのいい夢、とは自身も感じていたが、楓に言われるまで現実とつながっているなんて考えもしなかった。

「――さよならって言ったのは、退路を断つため。楓君と会って私、元気だった頃の自分を思い出せたんだ。そしたらね、病気で心まで弱くなって、学校に友達、好きだった部活も、全部諦めかけてたのが、また頑張ろうって思えるようになってた。だからこそ終わりにしなきゃと思ったの、夢の中は楽しすぎて、浸って満足してしまいそうだったから」

 だからありがとうでさよならだった。イオリはそう語ると、ベッドの上で少しだけ、不安げに居住まいをただした。

「――改めまして、軒端イオリです。もしよかったら…」

「俺!」

 俺はイオリを遮った。改まって何か言われるなんて水臭い。多少小っ恥しいが、言うべきことは素顔を見た瞬間から決まっていた。

「今朝目が覚めたとき最高な気分だった。夢の中だけだった友達ダチに実際に会えるんだって思ったらすげえ嬉しくて、俺はそれ以上細かいことはどうでもいい。だからイオリも気にすんな」

 一気に捲し立てた俺にイオリは目を丸くして、それからいつかの夢そっくりに破顔した。

「私っ…私も、楓君に会えて最高に嬉しい…です」






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