刻の桜 ~トキのサクラ~

トキ

第1話 貿易商の一人娘

樹齢1000年を超える桜には、魂が宿るという伝説がある…

その魂は精霊に姿を変え、空を自由に舞い、時の魔法を操るのだと言う。

しかし…

これはほんの一握りの家にある言い伝えであり…

実際にその姿を見たと言う者の記録は…

一つとしてない…


 ◆ 刻の桜 ~トキのサクラ~ ◆


時は1850年

世界でも指に入る美しい港街と言われているオーストラリアはシドニー

貿易も盛んである。


ここを拠点とし、世界に沢山の貿易網をもつ「コルトレイン商社」会長のジョージ。

そして、その一人娘の「サラ」

物語は、この一人の少女から始まる。


シドニーの港を展望出来る小高い丘に、宮殿を思わせるようなお屋敷がある。

そのとある一室から、ボーと裏山に咲く一本桜を眺めている少女がいた。


柔らかな陽が窓越しに彼女の長いまつ毛を抜け、瞳を宝石のように輝かせる。

春の優しい風がオーストラリアでは珍しい、墨が溶け込んだ絹のような黒髪を揺らす…


「サラ!…サラ!?…」

「聞いてるの?サラ!!」


家庭教師のアルタリッチが黒板から振りむき、窓の外を眺めるサラを見て声を荒立てる。

「少しの時間も無駄にせぬよう、執事のルームストロング様に承っております。」

「よそ見をする暇があったら、単語を一つでも良いから早く覚えるように…いいですね?」


「は~い」

つまらなさそうに口を尖らせながらサラは返事する。


「あ~あ…退屈な毎日…」

「私はもっと別な事をしたいのになあ…」


心底に音楽家の夢を持つ彼女の心が、小さく呟いた。


頭脳明晰の彼女は何をやっても群を抜いて賢く、小学校では教わる事がないと…

父親の言いつけで13才ながら2年前から家庭教師をつけ、

高等学校クラスの勉強をしている。


ジョージは早くして妻に旅立たれ、男親一つでと言う思いが強いのかも知れない。

どこに出しても恥ずかしくないようにと、とても厳しく育てていた。

そういった環境が彼女の心を束縛しているのかも知れない。


幼いうちに母を亡くし、学校にも通っていないため心を許せる者がいない彼女は…

窓から見える桜の木の下が唯一の心の拠り所であった。


日本人だった母と一緒に、お弁当を作りよくここでお昼ご飯を食べた。

そして遠い故郷の歌を聴かせてくれたのである。

サラはその思い出を胸に、鳥たちとこの樹の下で歌を歌うのが大好きだった…



そして月日は流れ【1857年】

10月3日で、20歳の誕生日を迎えたサラ!

お祝いでたくさんの人が訪れた事、また初めて飲んだお酒もあり、

宴が終わると同時に気を失うかのように深い眠りについた…

そしてその夜、奇妙な夢を見る…


「この。。。サラ…年に1度、桜の花が開いた日。。。に、あの丘に立ち…」

「い。。。桜の樹に祈りを。。。よ」

「さすればその者の願い、叶う。。。であろう…」


「サラさん!」

「サラさん…?」

「サラさん!! 何時だと思っているんですか?」


お手伝いのジェニーが、部屋の掃除をしようとしたが、

未だに寝ているサラを見て、少し驚いた表情で言った。


ボサボサ髪…うつろな眼(まなこ)でサラは、かすかに残る夢の記憶をたどった。

本当に奇妙な夢?だった…

映像は一切なく、真っ暗な闇の中に、ただ声だけが心に響き渡るような…


「お嬢様、何時だと思っているんですか?」

「髪くらい、きちんと整えてからお食事されて下さい!!」

朝食の為に下に降りて来た、ボサボサ頭のサラに、執事のルームストロングが言い放つ。


一口、パンをかじったサラは、思い出したように聞いた。

「ねえ?お父様は?」


「サラ様、ご主人様は今朝早く、貿易の契約にフランスに行かれました。」

「お帰りは二月後になる予定でございます」


サラの食事を見守るように立つルームストロングは、軽くお辞儀をしながら返答した。


「ふーーーん、相変わらず何も言わないで行っちゃうのね!」

サラは少し不機嫌そうな顔をすると、夢の事を聞いてみた。


「ねえルームストロング、この家にまつわる桜の話って知らない?」


ピクッと一瞬、眉をひくつかせたルームストロングは言った。


「この家には、古くから言い伝えがあると聞いております。」

「なんでも…」


サラ様が何故今になってこんな事を聞くのか?…

また自身の動揺を隠すかのように話続ける。


「あの桜の樹には、精霊が住むと言われ…」

「昔、この家の窮地を救ったとか…」

「願いを叶えてくれたとか…」


真剣な眼差しを向けるサラを見て、困惑したルームストロングは話を足した。


「しかし…あくまでも言い伝えでございます。」

「見た者やその他の記録が一切残って無いわけですからね…」

「もしその話が本当であれば、記録が一切残って無いのはおかしいのではないでしょうか?」


「それでは失礼いたします」


そこまで話すとルームストロングは、足早に執事室に戻って行った。

ルームストロングの様子に、多少の不自然さを感じたサラだったが…

そそくさと朝食を済ませ丘に向かった。


樹齢1800年はゆうに超えていると思われる1本桜…

屋敷よりも一段高い丘に、その威厳と存在を明確に誇示し佇んでいる。


「綺麗…」

毎年のようにこの桜の下に立つサラでさえ心奪われるほど、

沢山の枝に咲き乱れた花が空に溶け、風に舞い…

一面を桜色に染めていた。


その太い幹に手で触れると、何か力が流れ込んで来るかのようにも思える。


「精霊さん、本当にいるの?」

「いたらどうか、私の願いを聞いて下さい!」


期待を胸に抱きサラは呟いた。

どうせならカッコイイ精霊さんがいいなあ~


そして心踊らせ待つこと5分…

「なによ!精霊なんて全く出てこないじゃない…」

「やっぱり所詮、言い伝えよね!」


「出てきた精霊が凄いイケメンだったらどうしよう…」

などと言う、淡い期待をしていたサラだったが、ガッカリと肩を落とし…


「あ~アホらしい。部屋にもーどろっと」

トボトボと来た道を戻って行った。

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