廻る季節を生きる君たちへ

 その日、レヴィオール王国の新女王、ソフィア・エリファス・レヴィオールの戴冠式たいかんしきつつがなくおこなわれた。


 それからさらに続いた結婚式――ソフィア女王と太陽の国の王子、アレックス・ミトラ・ヘーリオスの婚礼の儀も、多くの人々が祝福するなか、問題なく完了した。


 いて大変だったことを挙げるとするなら……式を進行していたディオン司祭が感極まって号泣し、たびたび式が中断したことぐらいだろう。


 あと、アレックス王子と行動を共にした冒険者たちも式典に参加していた。

 それ自体は別に普通のことなのだが……なんと意外なことに、質実剛健しつじつごうけんな戦士グランツが、妙齢の美女たちを何人も引き連れていたのである。


 総計七人。遠路はるばる手伝いに駆けつけてくれた彼女たちは全員、戦士グランツの妻だ。

 り取り見取りの美女・才女たち。彼女らが積極的に協力してくれたおかげで、式は一層華やかなものとなった。


 そして、どこか遠くの冬の城にて、噂の嫁ハーレムを魔法の鏡で見てしまった誰かさんは、「お前はなろうの主人公かよ!」とか「リア充爆発しろ!」と一頭さびしく叫んだのだが……それはまあ、関係のない話だ。


 さて、そんなこんなで二人の結婚は国民のだれもから祝福され、それは歴史に残るような、はなやかであたたかい式典であった。


 つらい過去を、悲しい時代を塗り替えてくれるかのような、大きな喜びがレヴィオール王国を包み込む。


 純白の花嫁はなよめ衣裳いしょうをお披露目するパレードでは、主役の二人が幸せそうに寄りっていた。

 そのパレードを一目見ようと集まった人々も、みんな笑顔だった。




 ――春が、来る。

 レヴィオールの霊峰れいほうに、暖かい季節が訪れる。


 草木は萌え、高原の小さな花たちが咲き、雪解け水が広大な湖にさらさらと注がれる。


 小鳥も、虫も、動物たちも、全ての命が喜びの歌をうたい、精霊たちの高揚と共に妖精たちがダンスする。


『こうしてソフィア姫とアレックス王子は結婚し、いつまでも幸せに暮らしましたとさ』


 ――そんなおとぎ話の結末を飾る文言がぴったりの、非の打ち所がない幸せな結末ハッピーエンドが、そこにはあった。




 ……そして、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 太陽は沈み、レヴィオールの首都は夜を迎えた。しかし、式典の熱はめないまま、街には明かりがともり始める。


 八年前には及ばないものの、それなりに活気を取り戻した城下町。

 暗い闇に負けないように、目一杯めいっぱいの明かりをともして、人々は酒を飲み交わし、楽しそうに騒いでいる。


 取り戻せなかったものは多い。

 だが――だからこそ今は、取り戻せたものと、新しい時代のために、祝杯を上げるべきなのだ。


 幸いなことに、折られた誇りツノは取り戻した。

 あとは、未来へ進むだけ。


「――魔獣さんには、いくらお礼を言っても、言い足りませんね」


 遠い城下町の喧騒をバルコニーで聞きながら、ソフィア女王は切なげに微笑ほほえんだ。


 これは余談だが、実のところ、この復興には冬を統べる魔獣が大きく貢献していた――彼が残した秘薬エリクシルだ。

 あの薬は樽いっぱいの酒に、ほんのひとビン注いだだけでも、充分に効果を発揮する。

 そのおかげで、全ての犠牲者や負傷者に再生の奇跡が行き渡ったのだ。


 ちなみに、レヴィオール国民の傷をいやした秘薬エリクシルの中には、魔術師のジーノが私物としてもらった分も含まれていたのだが、彼はそれもこころよく提供してくれた。


「本当に、そうだね。魔獣さん、また会えるといいな……」

 アレックス王子も、吹雪をまとう彼の姿を思い出しながら同意した。




 二人が居るのはレヴィオール城だ。

 パーティも終わり、寝室に戻ってきた二人は、バルコニーで夜風を浴びながら火照った体を冷ましていた。


 侍女や使用人はいない。完全に二人っきり。

 いまだに浮かれた気分の城下町を見下ろしながら、新婚夫婦はしっとりとした時間を過ごしている。


「魔獣さんってば、結局あのあと、何も言わず帰っちゃうんだもん。お礼を言う暇もなかったよ」

 ちょっと怒ったように文句を言うピンクブロンドの少年は、可愛らしくほおを膨らませた。


 白と金色の装飾を基調とした礼服を着る少年は、(男の子である彼にこう表現するのは少し可哀そうだが)相変わらず可愛らしい。

 ほおの傷が消えた今の彼は、誰にも文句を言わせない完璧な美少年だった。

 もっとも、その容姿のせいで花婿と言うより男装の令嬢……男の子の格好をした女の子に見えてしまうのだが、それも含めてこの少年の魅力だろう。


 ちなみに、少年はなにも本気で怒っているわけではない。

 ただ……たとえ人間じゃなくても、友達なのだから、一緒に勝利を祝うくらいしてくれてもいいのに……そんな感じで、ほんの少しねていただけであった。


「でも、仕方ありません。今の彼は、冬の王様なのですから……人の世界に干渉するのは、影響が強すぎるのでしょう」

 ソフィア女王は残念そうに言った。


 褐色の肌に、純白の髪。

 バフォメット族の特徴でもある、立派なヒツジのツノにヤギのヒヅメ

 そして、ひたいには翡翠ヒスイのような宝石。


 彼女の美しさは身にまとうドレスにも決して負けておらず――間違いなく、彼女は今この国で、一番美しい少女だった。


 彼女の礼装ドレスは、アレックスとは対極に白と銀色を基調としたものだ。

 アレックスの出身が太陽の国と称されるヘーリオス王国だから――二人が並ぶと、その姿は太陽と月を連想させるよそおいである。


 黄金の太陽と、白銀の月。


 誰が見ても、お似合いの二人。


 姉と弟のように見える身長差も、あと数年すれば少年が追い越すだろう。


 ……そして、時が経つにつれ、あの冬の城の思い出は、遠い記憶の彼方へと埋もれていくはずだ。


 少女は、ふと思った。


 だが同時に、それ自体は仕方のないことだとも思う。


 永遠を知る彼と、刹那せつなに消える自分たちとでは、どうしても生きる尺度が異なるのだから。


 そう。何もかもが、変わっていく。


 この国はどんどん復興するだろうし、自分たちも大人になって、いずれ子供も生まれるだろう。


 そして、次の世代に未来をたくし、定命じょうみょうの者たちはこの世界を去る。


 それは、当たり前のいとなみ。




 ――しかし、わたしたちがそんないとなみを繰り返すなか、不死身の魔獣は変わらずあの白亜の城で、冬の玉座に君臨し続けるのだ。




 そう考えると、少女は胸がキュウッ切なくなって、結局お礼を言えなかったことが心残りとなった。


「……また冬が来たら、魔獣さんに会えるかな」


 少年がしみじみと口にした。


「ええ……そうだといいですね」


 少女が、静かに答えた。




「――俺を呼んだか?」


 一陣の、冷たい風が吹いた。


 しかし、それは決して嫌な冷たさではなく、少女にとっては懐かしさすら感じられた。




「……魔獣さん!? どうしてここに!?」


 振り返れば、バルコニーの片隅。そこだけが冬となっていた。


 凍る水瓶みずがめに、降りる霜。


 その中央にたたずむは、藍色の毛皮を持つ氷の魔獣。


「魔獣さん!」

「よお、数ヶ月ぶりだなアレックス。ほおの傷が治って、男前が上がったんじゃないか?」

 ……ん? 普通は逆か?

 自分の発言に違和感を持つ魔獣。

 いきなり褒められて照れる王子は、魔獣のたてがみに抱き着いた。


「冷たい!」

「いや、そりゃそうだろ。俺は冬の王だからな。ほら、あまりベタベタすると霜焼けするぞ?」


 そう言って苦笑するように牙をきながら、冬の魔獣は少年を引きはがす。


「……ああ、そして、ソフィアも。その……元気そうだな」

「はい、おかげさまで!」


 少女は再会の喜びに涙をにじませながら、にっこりと微笑ほほえんだ。


 パッと笑顔を咲かせる王子。少年は素直に再会を喜んでいる。


「あっ、そうだ! 皆も呼んで来るよ!」


 良いことを思いついたとばかりに彼が提案した。


 ところが、部屋を飛び出そうとする少年を魔獣は制止する。

 どうやら残念なことに、魔獣は少年の心遣いを良い考えだと思わなかったらしい。


「いや、待て、アレックス。悪いが、あまり時間がないんだ」


 そして、改まった態度で魔獣は言った。


「ほら、見ろ――」


 魔獣が空を見上げ、二人もつられて上を見る。

 美しい夜空には、いつのまにか雲がかかっていた。そして、白くて冷たいものが、はらはらと舞い降りてくる。


「あっ……雪……」


 少女の鼻の頭に、その氷の欠片はちょこんと乗っかった。


「そうだ。せっかく春の花も咲き始めたのに、あまり冬の王おれが長居したら、顰蹙ひんしゅくを買うだろうさ」


 その声音は、少女には少し淋しそうに聞こえた。


 春が訪れた世界に、冬の王の居場所はない。

 それは、自然の摂理である。


 しかし、少女にはその事実が、なぜか無性に悲しく感じられた。


「そんな……じゃあ、どうして今日はここに?」

 少年がたずねる。すると魔獣の王は、そっと微笑むように、穏やかな声音で言った。


「本当は冬の王とか管理者とか、立場的にあまりこういうことはやっちゃ駄目なんだろうが……どうしても、お前たちの結婚を祝福したくてな」


 そう言いながら魔獣は、どこからか二人の前に花束を差し出した。


 祝福の花束ブーケに、咲き誇るはバラの花――ただし、それは今まで見たことのない、水晶のように輝くバラだった。


「これが俺からの、ささやかな贈り物だ」


 受け取ったソフィア女王が、目を丸くして驚いた。


「そんな、こんな素敵な……いいのでしょうか?」


「構わないさ。それは俺の魂の欠片かけらから生まれた、永遠に枯れない水晶のバラだ。愛を誓う二人には、相応しい贈り物だと思わないか?」


 冬の魔獣は、にやりと牙をいた。

 二人にはその恐ろしい表情が、彼なりに笑っているのだと理解できた。


 * * *


「……さて、受け取ってもらえると嬉しいのだが……もしかして、迷惑だっただろうか?」


 俺がたずねると、ソフィアが慌てたように首を振った。


「いいえ、とっても嬉しいです!」


 その可愛らしい反応が嬉しくて、俺は思わずほおを緩ませた。


 やっぱり、ソフィアは美しい。

 魔法を掛けられて、獣になって、そして彼女と出会えたことは――俺にとって生涯最も幸運な出来事だったのだろう。


 ……実のところ、二人の結婚式の様子は、魔法の鏡を通して見ていた。

 鏡の中で幸せそうに笑うソフィア。純白と銀のドレスに身を包み、アレックスと寄りい合うその姿はとてもまぶしかった。


 複雑な気分だった。

 だが、意外と俺はその光景を、すんなり受け入れることができた。


 上手く言い表せないが……もし俺が結婚していて、娘なんかが居たとしたら、その娘が結婚するときはこんな気持ちになったのだろうか?


 とにかく、今の俺は素直な気持ちで二人を祝福できていた。


「……そう。だから、これでいいんだ」


 自然と俺は目を細め、知らずのうちに、作り笑いではない本物の笑みをこぼしていた。


「ソフィア、アレックス。結婚と、あと戴冠たいかんも、おめでとう」


 さあ、愛し合う二人よ。


 お前たちの変わらぬ愛を誓うがよい。


 この永遠に枯れることのない、水晶のバラに誓うがよい。


 バラが愛の象徴ならば、この永遠に咲く水晶のバラの花言葉は――『永遠の愛』が相応ふさわしい。


「遠慮せず受け取っておくれ。お前たちの永遠の愛は、この永遠を生きる不死身の魔獣が、きっと見届けよう」


 俺は王様らしく、高らかに宣言した。

 そして、ふとソフィアの顔を見ると、彼女はぽろぽろ涙をこぼしていた。


「ど、どうした? ソフィア……?」

「すみません、でも、こんな素敵なものを……いつも、わたしがもらってばかりで……」


 おそらく、それは嬉し涙。感謝に目をらせた少女。

 俺のほうが申し訳ない気分になる。


「……そんなことは無いぞ、ソフィア。俺のほうこそ、君からたくさんのものをもらったのだから」




 それこそ、言葉にできないものを。


 冬の城での、暖炉の前での、リンゴの木の下での、幸福な時間を。


 あえてそれらをまとめて、陳腐ちんぷな言葉で表現するなら――『真実の愛』を。




 しかし、ソフィアは感情を抑えきれなかったらしい。

 花束を持ったまま俺に近づくと、さっきのアレックスと同様に俺の首に腕を回して、たてがみに抱き着いた。


「――ありがとうございます。魔獣さん」


 彼女は涙を流しながら、それでもはっきりと俺にお礼を言った。


 あたたかい。


 そして、あたたかい。


 すっかり冷たくなってしまった俺の身体からだを、彼女は優しさで包み込む。


 俺を抱擁ほうようする彼女の体温が、胸の鼓動が、俺の心に響く。


 むくわれた――自分でもよくわからないが、なぜかそんな気がした。


「……礼を言うのは、俺のほうだよ。ソフィア」


 まるで彼女の温かさが、氷をかしたように……俺の目からも、自然と水滴がこぼれた。




 ありがとう。


 君が未来で笑っていてくれるから、俺は少しだけ、自分のことを好きになれたような気がする。


 何者にもれなかった俺だけど、初めて俺が俺であることを、俺は誇りに思えた。




「……魔獣さ~ん」

 俺たちに当てられたのか、アレックスも涙声で俺に抱き着いてきた。


「グスッ、オレからも……ありがとう、魔獣さん……」

「お前、結構涙もろいんだな……」

 俺は尻尾でピンクブロンドの頭を撫でてやった。


 その傷跡が消えた顔を見て、俺はまた自分が誇らしくなった。




 ……さて、名残惜しいが、そろそろお別れの時間だ。


 季節遅れの雪も、だいぶ深くなってきている。

 いい加減、早く帰らなければ。


 これ以上ここに居たら、ますます別れるのが惜しくなってしまうから。


「また、来年になったら会えるよね?」

 アレックスが涙目でたずねてくる。


 だが、俺は首を横に振った。


「残念だが、余程のことがない限り、俺たちが合うことは二度とないだろう」


 仮にも俺は、季節の一角をべる王なのだ。

 世界の敵――邪神が関わってでもいない限り、特定の個人や国を贔屓ひいきし過ぎるのは……おそらく駄目だと思う。


「……やっぱり、そうですよね」

 ソフィアが悲しそうに目を伏せた。


「そう悲しまないでくれ。おれにかまけて、お前たちが他の季節を見過ごしてしまうのはしのびない。めぐる季節を生きるのは――今を生きる者たちの特権なのだから」


 だから、おれに気をつかう必要はない。

 悲しい過去や、つらい思い出にとらわれ過ぎないでくれ。


 まだ若い君たちには、めぐる季節の中で、まずは幸せになってほしいんだ。


 冬の世界に閉じ込められた俺は、それを切に願う。


「……そうだ。せめてものはなむけと言うか、何と言うか……俺の名前を教えてやろう」

「名前?」

「ああ、冬の王になって、俺は新しい名前を手に入れた――これを親愛の証として、聞き届けてくれれば、俺は嬉しい」


 これは儀式だ。

 俺と彼女たちの間に、境界をくための。


 精一杯に超越者を演じながら、俺は新しい名を名乗った。

 出来るだけ堂々と、威厳を込めて。




「――さあ、この世に生きとし生ける全ての命よ。我をおそれよ、記憶にきざめ。

 我が名はインヴェルノ。四季の一角、厳冬げんとうべる者!」




 さて、お別れだ。


 新しいこの名前に、覚悟と誓いを込めて……今度こそ俺は、自分に誇りを持って歩んで行こう。




「冬が来るたび思い出せ!


 この不滅なる魔獣けだもの勇姿すがたを!


 雪と氷の精霊を引き連れて、凍てつく三千世界せかいを駆け抜けた――」




 ―― 強 靭 不 死 身 の 魔 獣 王 を !!




【Fin.】

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