魔術師と司祭(下)

 黒騎士の足が地面に呑まれた瞬間を遠目に確認したジーノは、続けて別の呪文を畳み掛けるように詠唱する。


偉大なるディ・エルダ大地よ・ボーデン私の意志ビタェ・フォルに従いゲ・マイナ暗きフォーメン天蓋を・ドゥンケル為せ・ヒンメル


 すると、今度は流砂の周囲が盛り上がり、大量の土がまるでふたをするかのごとく黒騎士を圧殺した。

 盛り上がった地面には石畳の石材や、周囲の建造物の瓦礫がれきなんかも巻き込まれており、それら不純物が組み合わさることで大地の牢を強固なものにしている。


 黒い炎は魔術を焼いてくる。ならば物理的に埋めてしまえばいい。

 たとえ魔術が焼き払われても物質つちは残るのだから――ジーノはそれを実行したのである。


 ……だがその考えが甘かったことを理解するまで、数秒とかからなかった。


 しばし沈黙したかと思いきや、埋め立てられた大地が突如として内側から膨れ上がり、あかい光を放つ。

 そして一部がさらにブクリと膨らんだかと思ったら、その膨らみがどろりと割れて、中から黒い炎の火柱が上がった。


 ようやく火柱が収まると、その穴からは黒い炎をまとった騎士が、まるで封印を解かれた亡霊のように姿を現す。


 黒騎士が後にした墳墓は、表面が硬くて黒い透明な物質でおおわれていた。

 あまりの熱量に地中のケイ素が黒曜石化、あるいはガラスと化してしまったのだ。


 あっさりと抜けられたジーノの攻撃。それが黒騎士にとってどれほどの脅威だったかは分からない。

 しかし、それは彼を優先して倒すべき敵だと思わせるには充分だったらしい。

 ジーノはまるでドラゴンににらまれたかのような、致死量のある視線が向けられたのを感じ取った。


 かぶとの奥にあるはずの双眸そうぼう

 きっとその鋭い眼光は魔術師と司祭の姿をとらえ、次に叩きのめすべきとして彼らをじっと見据みすえているのだろう。


 そして黒騎士は、狂ったような雄叫おたけびを上げた。


「……埋葬するには、ほんの少し、質量が足りなかったようですね」

 背筋に冷たいものを感じながら、それを誤魔化すようにジーノは苦笑する。

 無意識のうちにメガネの位置を直すが、それでも動悸どうきが止まらない。

 だがそれは一発目から魔力を使いすぎたからだと、ジーノは自分に言い訳した。


 中途半端な魔術ではいたずらに消耗するだけ。そう思った彼は初撃から全力を注いだ。

 しかし、まさかそれが時間稼ぎにすらならないとは……それはいささか計算外だった。


 普段のように魔術による固定化は行なわなかったが、あれだけの質量攻撃だ。人間サイズの相手なら過剰だったとすら言えるだろう。

 もっとも、黒騎士が相手ではまだ足りなかったようだが。

 まさに理不尽の権化である。

 そして困ったことに、素のジーノが一度に操れる質量はあれで限界だった。


「せめて私も地属性の魔術が使えれば……」

 ディオン司祭が悔しそうに歯噛みする。

「まあ、こうなることは予想できていましたが。これで倒せるなら魔女サマの予言に私の名前が出たはずですし」

 本当は予言すらくつがえす勢いで放った渾身の魔術だったが、ジーノは焦る内心を隠すように強がった。


 ジーノは並行思考で次の一手を必死に考える。

 ……そう言えば、先ほどから黒騎士には不可解な点があった。

 流砂を生み出したあの詠唱は、別大陸にて語られる伝説『サソリの女王』にちなんだものだ。

 つまりあの術式は砂と同時に毒を操る魔術であって――きめ細かい砂の中には、密かに毒の粒子が混ぜられていたのである(ちなみに催眠効果も付与されていたのだが、そちらには初めから期待していなかった)。

 それなのに、とても毒の効果が出ているように見えないのは何故なぜだろうか。

 たまたま毒を吸わなかったか、もしくは効果がなかったのか。

 しかし、過去にアレックスが毒矢で撤退させた実績もあるので、この手は有効だとジーノは思っていたのだが……。


「ジーノさん、そろそろクロード将軍が来ますよ。考え事は一旦いったん後回しにしたほうがよろしいのでは?」

 ディオン司祭が身構えながら警告する。

 確かに。これ以上効果のなかった毒について考察をしていても仕方がない。

 とりあえず不幸中の幸いは、あの地面すら融かす異常な火力が、常時使用できるものではなさそうだということぐらいだ。


 それにしても――奇声を上げ、全身から炎を噴き出させて二人に向かって来る黒い鎧の人型は、もはや本当に人間かどうかすら疑わしい。

 ジーノの記憶に間違いがなければ、確か全身鎧フルプレートの重さは生まれたての子牛一頭分に匹敵する重さ――地球の単位に換算して約三十キログラム程度――はあったはずだ。

 さらにあの熱量で一切変形していない点を考慮すれば、材質は鉄よりも硬くて重い金剛鉄アダマンタイトかもしれない。そうなれば鎧の重さはもっと跳ね上がる。


 そんな装備では広場へ続く通りを全力疾走するだけでも激しく消耗するだろう。魔力で身体強化しても、並の人間ではすぐにガス欠となるはず。

 にもかかわらず、あれだけ全身から無駄に炎を噴き出させて真っ直ぐこちらへ向かって来る……完全に人間を逸脱した潜在能力。

 もはやそんじょそこらの魔獣なんかより、よっぽど化け物らしいとジーノには思えた。


墓穴ブルードに落・フス・ちろグレイバ!」

 ジーノは足元に穴をあけて突撃してくる黒騎士を転ばせようとした。だが、発動の兆候を黒騎士に見切られる。

 石畳が沈む直前で術式は黒い炎によって焼き払われ、結局そのまま素通りされた。


 さらに鎧の隙間から炎をあふれさせながら、猛スピードで突進して来る黒騎士。

 黒い炎におおわれた騎士剣が、無光沢で持ち手のない巨大な刃物ブレードのように見える。

 はたしてジーノとディオン司祭が駆けつけるまでに、何人がその凶刃の犠牲となったのだろうか。


風のヴェントゥ槌よ、ス・カエス掌底にトゥス・ア宿れルテムク風のヴェント衣よ、ゥス・ラピ腓にドゥス・カ宿れルケウス


 ディオン司祭が両椀に風の鎧を展開する――その使用目的を考えれば、ガントレットかナックルガードと称したほうが適切かもしれない。


 間近に迫る狂気の騎士が、兜の下からよく分からないことを叫びながら、二人に襲い掛かる。

「ォアアアッ!!」

 理性を失ったような叫び声を出す癖に、その剣筋は恐ろしく速く、そして正確だ。

 だが、追い風によって移動速度を上げた老人は前に出て、黒炎によってリーチの伸びた騎士剣ブレードを冷静にかわす。

 そしてさらにそのまま一歩踏み込んで、突っ込んできた黒騎士に目にも留まらない速さの掌底打ちを放った。


 黒い炎は危険なので直接触れることはできない。しかし掌底が届かなくとも、風のガントレットから発せられる風圧が黒騎士の体幹バランスわずかに崩す。

 ディオン司祭はそのを見逃さない。

 続けて繰り出される、足元をるようなローキック。あるいは柔術における足払いと言えば伝わるだろうか。

 魔術が焼かれてしまうなら、体術でカバーすれば良い。まとった風が打ち消される前に、技を決めてしまえば良い。

 意外と脳筋なディオン司祭が繰り出す、まるで突風が吹いたかのような一連の技。

 黒騎士はおのれの勢いを逆に利用され、石畳の上で宙返りをする羽目となった。


 しかしそこは流石の黒騎士。

 石畳の上を転がりながらも、勢いが止まるころにはきちんと体勢を立て直す。

 しかし、そんな彼を次に襲ったのは、頭上から落ちてくる瓦礫がれきの山だった。


壊れろブラヒェン!」


 ジーノの口から発せられたシンプルな一言ワードに呼応して倒壊する通り沿いの建造物。

 黒騎士のかたわらにそびえていた壁が崩れ落ちる。

 彼は再び地面を転がってその場を離脱し、大通りからより広い噴水広場に出る。そしてそのまま間を置かず、ジーノに向けて黒炎の火球を放った。


大地の盾よディ・エルダ・マウワッ!」


 大地から一瞬でせり上がった土の壁。石畳をひっくり返しながら、飛来した黒い火球を受け止める。

 その隙に今度はディオン司祭が黒騎士との距離を詰めていた。


 ディオン司祭は再び掌底を放とうとする……が、今度は黒騎士の盾によってしっかり防がれてしまう。

 ジーノも援護しようとするが、黒騎士を中心に地面の上を燃え広がる炎が地形に干渉する攻撃を許さない。

 仕方なく気を引くために簡単な石弾を飛ばすものの、全身をおおう黒い炎によって黒騎士に届いたころには砂利を投げつけたほどの威力しかなかった。


 ――しかし、そのタイミングで、空から予想だにしていなかった攻撃が黒騎士を襲う。


 ガンッ


 かぶとにぶつかって音を立てたのは、ひょうと呼ぶにはあまりにも大きい氷の塊だった。

 城壁の向こうからだんだんと荒れてくる空模様は、じわじわと縄張りを広げていた。言うまでもないが、その正体は冬を統べる魔獣が精霊たちに命じた天候攻撃だ。


 その完全な不意打ちに、黒騎士は新手の存在を過剰に警戒――三人目の居場所を向かいの屋根の上だと推測した彼は、頭上に黒い火球を放って牽制けんせいする。

 狙い通り命中した火球は、屋根の一部を爆音とともに吹っ飛ばした。だが実のところ、その行動はあさっての方向に攻撃を放つ悪手であった。


 幻の三人目に黒騎士の注意が向く。

 ディオン司祭はチャンスとばかりに足元の瓦礫がれきを蹴り上げて、掌底で黒騎士のあごへ思いっ切り叩きつけた。


 本当なら“鎧通し”や“発勁はっけい”にも似た技を会得しているディオン司祭。彼にとって直接触れれば黒い炎の餌食となるこの戦闘はもどかしく思っていただろう。

 これはそんな老人がやっとまともに入れられた一撃――そのはずだった。


 何かに気が付いたディオン司祭が後方へ跳ねる。振るわれるは、黒い炎のブレード。

 その追撃はディオン司祭に届き、彼の皮膚を一部焦がした。


「ウッ!?」


 思わずうめく老人。幸い大事には至らなかった模様もよう

 だが黒騎士の追撃が此処ここで終わるわけがなく、よろめく老人に止めを刺そうと剣を構え――彼もまた、後方へと飛び跳ねた。



「――オラァアッ!!」



 凶暴な叫び声とともに振り下ろされる大剣。黒騎士を退けたのは戦士グランツだ。

 上空から降ってくるように現れた戦士の男は、思いっ切り振り下ろした大剣で石畳にひびを入れた。


「グランツさん! 生きていたんですね!」

「おう! てか、勝手に殺すなや!」


 ジーノとグランツがお約束な台詞セリフを交わすなか、次に黒騎士へ襲い掛かってきたのは氷のランス

 冷たい鎧をまとう魔獣が、手に持った鋭い氷の錐体を暴力任せにつらぬいてくる。


 さらに跳躍して後退する黒騎士。

 しかし、魔獣の猛攻を逃れても、今度はその陰から二本の矢が飛び出した。


 曲線を描きながら正確に両目を狙って来るそれらを、黒騎士は暗く燃える騎士剣ブレードで焼き払う。


「ジーノ、ディオンさん!」


 最後に矢を放った少年が、魔術師と司祭の名を呼んだ。

 彼らをかばうように黒騎士の正面に立つ戦士と魔獣。


「……さぁて、リベンジと行かせてもらおうか」


 黒騎士を見据える冬の魔獣が、牙をきながらそう言った。



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