魔術師と司祭(上)

 魔術障壁を黒い炎に燃やされて、一気に追い込まれたレヴィオール王国陣営。

 障壁の魔術具がある監視塔に居た魔術師のジーノは、自分から黒騎士を足止めする提案をした。


 とにかく一番の悪手は、このまま何もせず黒騎士を迎え入れることだ。

 おそらくグランツが行動不能である以上、まだ可能性があるのは自分だけだと魔術師のジーノは思ったのである。


 幸か不幸か、障壁再構成の目処めどが立たない以上、ジーノがここに居てもできることはあまりなかった。

 だからこそ、出向くなら今しかないと判断したのだ。

 それに、湖を凍らせたのがアレックスたちなら、あとほんの少し時間を稼げばいいという勝算もあった。


 当然ソフィア姫は反対したかった。

 だが、理路整然とジーノに説得されれば、たとえ彼を捨て駒にするような進言でも王族の一人として受け入れざるを得ない。

 彼女は申し訳ない気持ちを呑みこみながら、魔術師に黒騎士の足止めを命じた。

 なお、斥候のリップも赤毛のネコミミと尻尾をぴんと立てながら立候補したが……姫の護衛という大義名分のもと、彼女の意見はバッサリと切り捨てられた。


 ところがである。部屋をとうとするジーノを引き留める者がいた。

 その人物はディオン司祭だった。


「私も行きましょう。私ひとりでは奴に打つ手はありませんが、こんな老耄おいぼれでも……一応、体はきたえていますから。多少は戦力になれるはずです」


 老人は着ていた法衣を脱ぎ捨てる。

 すると、木綿製の質素な長袖長ズボン――しかし体の動きを阻害しない動きやすさと防御力を追求した実用的な格好が現れる。

 その姿はもともとの厳格な雰囲気と相まって、まるで拳法に人生を捧げた武闘家のようにも見えた。


「いえ、貴方もかなりの重要人物なのですが……自覚あります?」

 ジーノは困惑した顔で言った。


 メアリス教の司祭にして現教皇と対立する道を選んだ彼は、教国内でも革命の旗印となっている。

 むしろ元枢機卿でもあるディオン司祭は、この戦争における正当性の象徴だ。

 戦後にはソフィア姫の聖女認定を正式なものにする役目だってある。

 その他諸々もろもろの理由もあって、この老人にはそう簡単に死んでもらうと都合が悪いのだ……もちろんジーノは生き残るつもりだったが、何事にも絶対の保証はない。


 しかし、ディオン司祭はそんな事情も意に介さず、武人の目で言い放った。

「そんなの、今さらでしょう」

 何しろここは最前線。しかも黒騎士まで攻めて来ている。

 老人は静かに闘志をたぎらせていた。


「それに、若い人たちが命をけている最中さなかに、後方で何もできず過ごすのは……矢張やはり、性に合いません」

 そう語るディオン司祭は、どこか後悔しているようにも見えた。

 もしかすると、そもそもの発端は教皇派の暴走を自分が止められなかったから……そういった罪悪感があったのかもしれない。


 ちなみにディオン司祭は一見すると厳格で礼儀正しい老人だが、かつては暴風テンペスト・大司祭ハイプリーストなんて物々しい二つ名で呼ばれていた時期もある武闘派である。

 ただし、その戦い方は風の魔術に徒手空拳――どう転んでもジーノと同様に、黒騎士とは相性が悪い。

 しかしその鋭い眼光に射竦いすくめられて、自称ただの魔術師にすぎないジーノは同意せざるを得なかった。

「む、無茶はしないでくださいよ。目的はあくまで時間稼ぎですから」


 こうして、魔術師と司祭の二人が黒騎士を迎え討つことになったのである。

 二人は城を出ると、町の中心部を目指して走り出した。




 ――壊れた城壁が近付いてくる。戦いの気配が近付いてくる。

 雪が降り始めるなか、二人は王城から通じる街道をまっすぐ走り、王都の中央にある噴水ふんすい広場へ向かっていた。


 本来ならば白いモルタルと暖色系のテラコッタ瓦の屋根による美しい町並みなのだが……前回の魔獣の襲撃によって屋根や壁は所々破壊されている。

 街道の石畳も氷柱つらら穿うがたれて凸凹でこぼこしているため若干走り辛い。


 この町は中心の広場から放射状にメインとなる広い通りが延びている。

 そして横道に入れば、高低差のある建物が複雑に入り組んでいて非常に迷いやすい。黒騎士も含めた余所者には、まず攻略不可能だろう。

 つまり建物を壊したり屋根の上を移動しない限り、黒騎士も二人が走る道を必ず通るはずだった。

 ……まあ逆に、路地裏で黒騎士が迷子になっていれば、その時は盛大に笑ってやりながら、建物ごと破壊して瓦礫がれきの下敷きにしてやればいい。

 これは冗談の域を出ない想定だが、瓦礫がれきなどによる質量任せの圧殺は黒騎士に対しても有効であるはずだった。


 ちなみに向かっているその広場はかつて、ソフィア姫とバラを散らせた魔獣が再会した場所だった。

 もちろん、そんな事実を二人が知っているわけもないが。


「ところで、ジーノさん。ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 走りながらディオン司祭が口を開いた。

 全速力で走っているのに、流石は鍛えているだけあって彼は余裕だった。むしろジーノよりも疲れてなさそうに見える。


 ディオン司祭の問いかけに、ジーノはこころよく答える。

「はい。なんなりと」

「本当ならこんな時にすべき話題ではないしょうが……ジーノさんはなぜ、この戦いに参加したのです?」

 唐突にかれて、ジーノは怪訝けげんそうな顔をした。

「……なんと言うか、今さらな質問ですね」

「いえ、ただ純粋に気になってしまって。魔法学校の実力者は、徹底して個人主義な方が多いと聞きますし」

 魔法学校で研究なんてしているような人間は、それこそ自分の工房やらアトリエさえあればそれで生きていけるようなイメージがある。

 そしてジーノも、そういった者たちに分類されるタイプだった。


 今のメアリス教国は亜人に隷属を強いている。そしてこれは奴らが大陸全土の支配者になるか否かを決める戦いだ。

 だから猫人ケット族のリップや、嫁に亜人のいるグランツが参戦する理由はまだ理解できた。


 しかしジーノが籍を置く魔法学校は完全に国家という組織から独立した存在。そして彼は故郷にも思い入れがない様子。つまりその気になれば、親しい者たちを連れて別の大陸へ逃げることだってできる。

 そういった事情を考慮すれば、ジーノはただ成り行きで参戦しているようにすら思えた。


「そうですね。まず二つほど訂正させてもらうなら、残念なことに私は“実力者”ではありませんし、在籍する誰もが徹底した個人主義だという事実もありません。おそらく一部の目立った方々が、たまたまそんな性格だったのでしょう」

 ジーノは理屈的な言い回しで謙遜けんそんしたあと、何かを隠すように魔術師全般を弁護する。

「ですが、うーん……改めてかれると、難しい質問ですね。ちなみに司祭殿は?」

 逆にジーノが聞き返すと、ディオン司祭は後悔にも似た感情を顔に滲ませながら答える。

「……私の場合はもちろん、教国の蛮行を止めさせるためです。正しい形で教えが広まるなら大歓迎ですが……今の在り方は、あまりにもゆがんでいる」

 そう答えたあと、ディオン司祭は横目でジーノの表情をうかがった。

「理想論だと笑いますか?」

「そこまで性格がじ曲がって見えます?」

 ジーノは返答する代わりに、おどけた調子で尋ね返した。


「そう考えると私のほうは……はい、よくよく考えると戦う理由がありませんね。やっぱり今から逃げちゃってもいいでしょうか?」

 ジーノは冗談めかしてヘラっと笑った。

「まあ、強いて言えば、あの黒い炎の研究サンプルでも手に入ればいいなと」

 彼らしい理由だ。その貪欲さはある意味で称賛されるべきだろう。

 しかしそれから照れ臭そうに口元をゆがめて、ジーノはさらなる理由を述べる。

「あとは……顔見知りが困ってて、私は力になれそうだから貸してあげる――それでいいじゃないですか」


「……確かに、そうですね」

 ディオン司祭はフッと笑った。どうやらこの世界の未来も、暗いものではないかもしれない。

「あっ! 当然、報酬も弾んでもらえれば、それはとっても嬉しいですよ!」

 自分でもらしくないと思ったのか、ジーノは最後にそう付け加えた。


「それに、今でこそ遠いから互いに不干渉なだけで……奴らが隣に来たら、魔女が相手でも絶対にちょっかいをかけてきますよね?」

「それは否定できません……迷惑を掛けますね」

「いやいや、半分は自分のためにやっていることですし――さて、このあたりが良いのではないでしょうか」

 雑談もたけなわ、二人は目的の広場に到着する。

 本来なら露店なんかも出てにぎわっているはずの城下町。しかし今は当然誰もおらず、いこいの場であるはずの噴水も今は冷たい氷が張りながら沈黙していた。

 おそらくここが最終防衛ラインとなるだろう。


 広場から放射状に伸びる幅広い道の一本、崩された城壁へと続くそれの入り口にジーノは近付く。

 そして石畳に手を突きながら、彼は最初の詠唱を開始した。


狡猾なスコピオン・る流砂ケーギニン・の女王デル・ヴェステ異国のビンデ・ディン勇士に・エクソーテ千夜とィシュ・ヘルト一夜の・イム・エー束縛をヴィヒ・ナハト



 ――そこから少し離れた場所、なんの前触れもなく黒騎士の足元が崩壊し、アリジゴクのような流砂が彼を呑みこもうとした。



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