天地凍結の戦場(中)

 ――【ひれ伏せ】【冬の王の前に】【我が威に従え】――


 かすかに聞こえた獣の咆哮と、頭の中に響く言霊。

 その正体不明な現象に絶対的な恐怖を感じた瞬間、メアリス教国の兵士たちは動けなくなっていた。


 頼れる上官の怒声でハッと我に返るも、不安がぬぐえない。

 戦場であるにもかかわらず、集中力を欠いて周囲をきょろきょろと見まわす者も少なくなかった。


「な、なんだったんだ、今の……?」

 ひとりの兵士が誰にとでもなく尋ねてみるも、当然周囲の兵士だって答えられない。

 声の正体が何かしら魔獣のたぐいだと気付けた者ですら、居もしない上級ドラゴンを警戒して空を見上げる。

 しかし、ふと湖の方角を見た者が、その異変に気付いてしまった。


 ――湖が凍って雪崩なだれのように、“冬”が迫って来る。


 自分で思って意味不明だったが、その表現がしっくりくる光景だった。


 あるいは、冬という季節の境界が、壁として迫って来る。

 その壁に追いつかれて、すり抜けた瞬間、あらゆる存在が冬に囚われ染まっていく――そんな印象を受けた。


 よくよく目を凝らせば、小さな点が冬の先頭を走り、寒波を先導しているようだ。

 なんだ、あれは?

 遠すぎて見えるわけがないのは分かっていたが、少しでも正体を知りたくてさらに目を凝らす。

「……オオカミ、か?」

 その曖昧あいまいなシルエットは、たてがみをもつ尻尾の長いオオカミのようにも見えた。


 言葉にできない光景をひたすら眺める兵士――次の瞬間、そのオオカミらしき影の背中から、蒼く光る彗星すいせいのようなものが飛び出す。

 厳密には背中に乗っていた少年の弓から放たれたものだったが、さすがにそこまでは見て取れない。


(あ……きれいだな……)

 その正体が冬の王の血を吸った凍精霊グラキエスの剣だと知らない彼は、そんな呑気のんきなことを考えた。

 あまりにも危機感がなさ過ぎる反応だが……弁護するなら、その壮大で非現実的な光景に呆気あっけに取られていた所為せいだとも言えるだろう。


 彗星は猛スピードで天をける。

 そのまま真っ直ぐこちらに向かって飛来して――その兵士から数メートル離れた横を通過した。


「……え?」


 遅れて聞こえてくる、ヒュゴゥッと大気を切り裂く音。

 地面すれすれで、その軌跡に氷の結晶を生やしながら、戦場を突き抜けるハヤブサのような彗星。

 そして、轟音とともに彼の背後で花開く、雪と氷の大輪。


 例えるなら、隕石メテオの魔術が衝突した瞬間で時を止めたかのような、あるいは身の丈を超す大波が瞬間的に凍ってしまったような、そんな氷の花弁が幾重にも重なった芸術作品オブジェ

 不幸にもそれの奇跡的な誕生の瞬間に巻き込まれた者たちは、決して抜け出せない氷の拘束に捕らわれていた。何人かが火属性魔術を試していたが、並みの熱さでは一切融ける様子がない。


 敵からの攻撃だ。

 そうと気が付いた時には、もう何もかもが遅かった。

 ――実は氷に捕らわれた者たちは誰一人として死んでいないのだが、その事実に気が付けるほどの精神的な余裕はない。


 また、大気を切り裂く不吉な音が聞こえる。

 それも、今度は複数だ。


 オオカミの背中から再び放たれる蒼き彗星すいせい

 城壁の内外問わず、断続的に氷の炸裂弾さくれつだんが降り注ぐ。


 それらはメアリス兵の密集している箇所をことごとく狙って地面に刺さり、雪原の一部を巻き上げ、そのまま凍らせる。

 彗星を見ていた兵士の同胞は逃げ惑い、その隙を突かれて城壁の上のバフォメット族から数人が射殺いころされる。


 その光景はまるで、世界を滅ぼす流星雨のよう。壁の向こうは見えないが、こっちのほうはもはや地形が変わってしまうほどであった。


 これほど大規模な魔術が連続して放たれるなど、常識的には考えられない。

 状況も相まって、兵士たちは半ばパニックにおちいってしまう。


 そうしている間にも、とうとう湖を完全に凍らせて、冬がこちらに迫って来る。

 湖から城壁の中へは侵入せず、雪原の戦場を目指して真っ直ぐ向かって来る。


 そのけだものは彗星の爆撃によって生えてきた巨大な氷のオブジェの隙間をうように、軽やかな身のこなしで飛び越えくる。

 いい加減兵士たちは、あの魔獣がこの攻撃を繰り出したのだと理解していた。


 判断力のある幾人いくにんかはその着地の瞬間を狙って持ち前のアサルトライフルにも似た銃を発砲したが、その弾丸は突然現れた氷の壁に阻まれてしまう。

 ビシッという音とともに氷の盾に描かれる無数の白い点。銃弾を受け止めた氷が、細かいヒビで白く染まったのだ。

 しかし、氷の盾は一切砕ける予兆を見せない。

 その壁を豪快に飛び越えて、オオカミ――いや、藍色の毛皮の魔獣は突っ込んでくる。


 次はお返しだと言わんばかりに魔獣がグォンと一度え、空中に数えきれないほどの氷柱つららが生成され……。


 ガガガガガガガガッ!!


 ――文字に起こせば、こんな感じだろうか。


 ひょうと呼ぶにはあまりにも鋭すぎる氷のかたまりが、激しい勢いで超局地的に降り注ぐ。

 地面や鎧の金属部分に当たって、戦場が荒れ狂うドラムのような音をかなでる。


 幸い魔獣は手加減していたので食らった者が直接死ぬことはなかったが……空中からの冷たい襲撃は死ぬほど痛かっただろう。


 特に銃を構えていた兵士たちには、執拗なまでに氷柱つららが打ち付けられる。

 彼らは急に荒れ始めた天候に為すすべなく、そのまま意識を刈り取られた。


 意識を手放さない兵士たちも、暴力的な異常気象に耐えるので必死だ。もはや戦争どころではない。

 そんな戦場に魔獣の咆哮が響く。



 ゴ ガ ャ ァ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ッ!!



 世界が割れてしまいそうな大音響。

 鱗や毛皮の隙間から漏れ出した凍てつく魔力が、蒼い光としてオーラのようにその全身をほとばしる。


 その声を聞いて、誰もがその咆哮に耳をふさぐ。だが、またさっきと同じように頭の中に言霊が聞こえた。


 ――【我をおそれよ】【おそれよ】【おそれよ!!】――


 恐れろなんて言われなくても、魔獣の姿は充分に恐ろしかった。


 奴は全体的に藍色の巨大なオオカミのような姿だが、見方によっては翼のないドラゴンのようにも見える。


 加えて毛先が雪のように白く染まった立派なたてがみと、四本の禍々しい大角オオヅノ


 雪原を踏み締める四肢は毛皮と鱗殻におおわれて、たくましくも刺々とげとげしい。


 規則正しく棘の生えた長い尾は、毒虫がごとくうねっている。


 吐き出す息は冷たく凍り、頭部を飾るは輝く氷の王冠。


 追いついてきた“冬”が戦場に突風として吹き荒れ、周囲の気温を急激に下げる。


 メアリス兵たちが全く知らない新種の魔獣だったが、湖を凍らせるほどの寒さを連れてきた魔獣に――まさに“冬の王”に相応しい姿だ。


 その姿を謁見えっけんしてもまだ魔獣に刃向かう気概のある者たちは存在したが、始まったのは魔獣による蹂躙じゅうりんであった。


 魔獣が前脚を振るえば、最低でも二人か三人がまとめて吹っ飛ばされる。

 体をひねって尾をぎ払えば、さらに数名が吹っ飛ばされる。


 魔獣が再び咆えれば空中に無数の鋭いひょうが生まれ、メアリス兵を狙い澄ましたかのように降り注ぐ。


 魔獣が息吹ブレスを吐き出せば、手足が凍りつき、周囲の温度はさらに下がった。


 ――【積もりし雪よ】【雪と氷の精霊共よ】――


 冬の王はさらなる命令を下す。

 ただし今回は、人間ではなく、精霊たちが対象なようである。


 ――【大地を】【凍らせろ】【我が敵を】【縛りつけろ】――


 そんなメアリス教徒には理解できないな命令が響いた瞬間から、自分や周囲の兵の足元が固まった雪に捕まり始めた。

 とは言っても所詮しょせんは普通の氷なので、その気になればいくらでも脱出可能だったわけだが……術式らしい術式のない超常現象に、魔術の素養がある者たちですら対応が後手に回る。

 もしこの場に精霊術師が居れば――精霊たちが楽しそうに笑いながらメアリス兵たちに悪戯イタズラをして回っている姿が見えただろう。


 気付けば城壁の外に居たメアリス兵は、端からどんどん戦闘不能にされていた。

 彼らは一応黒騎士と行動を共にできるエリート部隊――例えばこのレヴィオールの王都なら、黒騎士のチカラなしでも陥落できる集団なのだが、そんなの冬をべる不死身の魔獣には関係ない。


 雪の上に倒れたとある若い兵士は、降り注ぐひょうや精霊の悪戯イタズラに戦意喪失しかけていた。

 全身打撲だらけで、痛くないところなんてどこにもない。


「魔獣さん! オレを壁の上に!!」

 ふと、戦場には似合わないソプラノ声が聞こえた。


 見てみれば、魔獣の背中に可愛らしい少女――本当は少年であり、太陽の国の王子でもあるのだが――とにかく戦場にいるのが不思議な年齢に見える子供がまたがっている。

 雪と氷の魔獣はその子供を尻尾で器用に掴むと、城壁の上へと放り投げた。


 たまたまその姿をも目撃した兵士は、彼女が魔獣を操る術師だと判断した。

 せめて一矢報いようと、城壁の上で短弓を構える彼女に銃口を向ける。


 最後の瞬間まで戦い抜こうとする……彼も本質は立派な兵士だったということなのかもしれない。


 しかしその直後、周囲の雪ごとき上げられるように彼の体が宙に浮く。魔獣が振るった腕にぶん投げられたのだ。

 そのまま彼は雪の上に落ち、魔獣から手足を念入りに氷漬けにされた。


 彼は氷漬けにされながらも、呼吸に支障がない幸運に感謝しながら気絶した。

 結局彼らは最後まで、魔獣が相手を殺さないよう手心を加えていたことに気付けなかった。



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