天地凍結の戦場(上)

「すごい……」


 戦場を見てそう表現するのは、不謹慎だし場違いだったかもしれない。

 それでもオレは、この世界の色が変わる瞬間を目にして、感嘆せざるを得なかった。


 湖面を突っ切るようにまっすぐと、レヴィオールの王都へ向かって駆け抜ける魔獣さん。

 そのあしが一歩踏み出されるたびに、また水面みなもが凍っていく。


 置き去りにされた風景が、追ってきた冬に侵食される。

 曇りがちな空を映し出す鏡のような湖が、足元から背後へと、見る見るうちに凍っていく。


 魔獣さんの背中にまたがるオレは、そのひんやりとしたたてがみにしがみ付く。

 季節の王が不在だった昨日までとは違う、冷たい空気が隙間なく空間を埋め尽くす本物の冬。

 吐息が白く凍って、そのまま砕けて、胸に突き刺さるような速度スピードと寒さのなか、吹雪をまとう魔獣さんは加速する。


 振り返れば、世界はまるで時を止めたかのように、あらゆる生命の気配が静まり返っていた。


 支配者にはべる北風だけが、物悲しい旋律をかなで、しぶとく残った木の葉を吹き飛ばす。あるいは、慈悲あき女王きせつの忘れ形見を消し飛ばす。


 その風の不気味な響きを誰もが恐れて、草木も鳥も蟲も獣も妖精も……何もかもが息を潜める。そして、次に訪れる救済はる女王きせつをひたすら待つ。


 生者は冷たい季節に殺されていく。それが自然の摂理。

 厳しい寒さを越せない者から、死の季節は無情にぬくもりを奪い去っていく。


 視界から色彩が失せ、何もかもが仄暗い灰色の風景に閉じ込められ。

 さらに降ってきた雪と生えてきた霜が、せめてものはなむけとして、沈黙した世界をけがれなき白の死化粧で埋葬し直していく。


 北の果ての白亜の城から、雪と氷の精霊たちを連れてやって来た。

 真っ白な偽物の花びらが風に舞い、冷たい氷の花が咲き乱れる。


 塗り替えられていく世界。その先頭を駆ける藍色の毛皮をもつ獣。彼を境界にして、前と後ろでは完全に別世界だ。


 ――これが、“冬の王”となった、魔獣さんの世界なのか。


 あの時は背中に刺さった剣のほうが気になって仕方がなかったけれど、そのチカラの一端を目撃して、今さらになって魔獣さんが言った本当の意味を理解する。


 おとぎ話や伝説、あるいは神話に語られてもおかしくないその威容。

 あらがうべきでない強大な存在を間近で感じたオレは戦慄せんりつし……その背中から奇跡を目撃している現実に、オレの気分は高揚させられた。


「とりあえず、戦闘を中断させるか」

 不意にそんなことを言い出した魔獣さんは、走りながら大きく息を吸った。


 ――響く大咆哮。震える大気。

 明らかに言語ではないはずの轟音が、オレ達の耳には言葉に聞こえる。



 ――【ひれ伏せ】【冬の王の前に】【我が威に従え】――



 圧倒されながらオレは、おとぎ話で聞いた龍のドラゴン言霊・ヴォイスという現象を連想した。


 魂に直接響くような言霊たちは、敵の戦意を大雑把に刈り取る。大いなる存在からの命令に、彼らは体をすくませる。

 そして、その大音量をすぐそばで聞かされたオレの耳はキーンってなった。


「ちょっと魔獣さん! 大きな声を出すなら先に言ってよ!!」

 仕返しにオレは魔獣さんのたてがみを引っ張って大声で叫ぶ。

「え? あっ、そうか!? ご、ごめんな、ホントに……」

 なんか狼狽ろうばいしたような、いつもより威厳がない声で謝る魔獣さん。

 しかしそんなやり取りをしている間にも、メアリス教国の兵たちは互いの号令で恐慌状態から秩序を取り戻しつつあった。

 けっこう距離もあったし、さすがに隊長格ともなれば、ドラゴンに近い存在の咆哮を受けても正気を保てる者がいたようだ。

 それを見て魔獣さんは、走りながらチッと舌打ちした。

「戦意喪失しないか……参ったな、これは」

「え? 魔獣さんなら余裕でしょ?」

 聞きようによっては弱気にも聞こえる発言が、オレにとっては意外だった。

「まあ、そうだが。しかし、殺さないで無力化するとなると、途端とたんに難しい。敵と味方が入り乱れている場所もある。前回やらかしてしまった手前、面倒だって切り捨てるわけにもいかないからな……」


 確かに、魔獣さんが操るような自然現象で、脆弱な人間相手に手加減するなんて本来ならば難しい話だ。

 単に氷漬けにするだけでも、窒息や低体温で人間は簡単に死ねる。

 それに、味方が巻き添えになるのも問題だ。

 実際のところ、前に魔獣さんが暴れた時も――死者こそはほとんど居なかったが、風に舞う氷の剣に巻き込まれた被害者の数は決して少なくなかった。


 魔獣さんにとっては取るに足らない存在であるはずの人間たち。

 なのに、なるべく人間を……可能なら敵すらも傷つけまいとする真摯しんしな態度。

 オレには魔獣さんが、ソフィア姉ちゃんの思いを尊重しているのだと分かった。


「なら、オレが!」

 魔獣さんに代わって、オレが矢をつがえた。

 全速力で走る魔獣さんの胴体を股でしっかり挟んで、両手が離れても振り落とされないよう気を付ける。

 そしてエルフ族の爺やに教わった狙撃魔術で視力を強化して、部隊を整えるメアリス教国の司令官に狙いを定めた。


 魔獣さんの意をんで、やじりに毒はらず、急所には当てない。頬をかすめての警告に止めておく。

 …………今だ!

 パシュっと、短弓から軽く鋭い音とともに放たれたオレの矢は、風を切り裂きながら飛んで行き――そして狙い通りに命中した。

 だが、結果はオレの思い通りにならない。

「ダメか……」

「やっぱり外れたか?」

 魔獣さんが尋ねてくる。

「いや、当たりはしたんだけど、顔を切ったぐらいじゃ威嚇にもならないみたい」

 オレの視線の先では、相変わらず兵を統率する指揮官が居た。


「てか、当ててはいるのかよ。何キロ離れてると思ってんだ。この距離で平然と命中させているお前も、大概チートだよな」

 驚きを通り越して呆れる……そんな様子で魔獣さんは言った。

「ちーと?」

「ん? ああ、翻訳できてないのか……まあ、“反則級”って意味だ」

 ――ちなみに、それがかつての英雄たちが持っていた特別なチカラを意味する言葉だと知ったのは、ずっとあとになってからのことだった。


「お前ならその気になれば、一撃で仕留められただろうに……別に俺に合わせてくれなくていいんだぞ?」

 走りながら魔獣さんがオレを気遣きづかう。

「殺さないのは俺の気まぐれだ。無力化が無理そうなら遠慮はしないし、何よりこの世界に生きるお前たちにまで、不殺を強要するつもりはない」

「違うって、オレがしたいからやっているんだ……そうだ、背中の剣貰っていい?」

 ちょっとした思い付きで魔獣さんにいてみる。

「構わないが、何か策があるのか?」

「確証はないけど、弓で射るのが精霊に祝福された剣なら……抜くよ、ちょっと痛いかも!」

 許可をもらったオレは、魔獣さんの背中に刺さっていた聖銀ミスリルの剣を一本引き抜く。

 思った通り……いや、それ以上だ。魔獣さんの血をたっぷり吸った剣は、その魔力を蓄えて天然の精霊剣と化していた。


 しかも、見たこともないほどに高純度な魔力。属性が違うとはいえ、その輝きは普段使っている光精霊ルミナスの剣をも凌駕りょうがする。

 凍結属性の精霊名は確か……凍精霊グラキエス

 凍精霊グラキエスの精霊剣だ!


「どうだ、使えそうか?」

「想像以上! これならバッチリだよ!」

 走り続ける魔獣さんの問いかけに答えたオレは、さっそくその剣を弓につがえる。

 光精霊ルミナスとはだいぶ性格が違うみたいだが、凍精霊グラキエスもオレの魔力にこたえてくれた。


 メアリス教徒が密集している場所を狙って放たれたは、空気の抵抗を受けて不格好ながらも、オレの意思に従って重力に逆らった緩やかな放物線を描く。


 オレの指示に呼応して、兵士たちの間を這うよう剣が飛んで行く。

 雪の上に残ったその軌跡から氷の枝が伸び、敵兵たちの足をからる。


「狙うは地面すれすれで――よし、凍らせろ!!」


 そして最後、剣が地面に刺さって、そこを中心に氷の大輪が咲いた。

 上空から見れば雪の結晶が成長するかのごとく見えただろうその開花。巻き込まれた者たちは地面から伸びる無数の鋭い氷に貫かれる――なんてことはなく、無傷で足を氷漬けにされた。

 ただ、場所によっては下半身どころか胸から下が氷の中に閉じ込められた可哀そうな兵士もいて……遠めに見ても、雪原に咲いた氷の花は明らかに巨大。ていうか、もはや地形が変わっている。

 凍精霊グラキエスの剣を用いた攻撃は、オレが想像していたよりずっと強力なものになってしまった。


「うわっ、強すぎたかな……?」

 もし手加減なしでを放っていたら、あの一帯は血の海になっていたはずだ。

 まあ、その強力過ぎる凍精霊グラキエスのおかげで、あの氷は火属性魔術でもなかなか解けない強固な拘束になったんだと思うことにする。

「お前さん……可愛い顔して、えげつねえな」

 人間に例えるなら、「うわぁ……」って感じで引き気味な魔獣さんの声。

「もともとは魔獣さんのチカラだよね!? さらっとオレだけのせいにしないで!!」

 オレは次の剣を引き抜きながら魔獣さんに言った。


 心臓を狙って突き立てられた剣は、まだ何本もあった。

 刀身に冷たい魔力の宿った剣を一本一本そっと抜きながら、弓につがえては放っていく。


 それらは蒼い光をまとった彗星すいせいのように戦場に向かって流れ、地に落ち、周囲を凍らせる。

 戦場に咲いたいくつもの氷の花は、雪原をミニチュアの霊峰のように変貌させた。


「これで……おしまい!」

 最後の一本を空に向かって放つ。これで百人くらいは足止めできたかな?


「上出来だアレックス。さて、ある程度雑魚を蹴散らしたら、今度は黒騎士の末裔まつえいを探さなくては……」

「城壁が壊されたところじゃないかな? 黒騎士が居るとしたら、たぶんそこの近くだと思う」

 オレが言うと、魔獣さんは納得したような声を出した。

「なるほど、一理ある。それなら外側から行ったほうが早いな」

 魔獣さんは雪原の戦場に進路を合わせた。


「さあ、突っ込むぞ。覚悟はいいか?」

 オレは鬣をたてがみぎゅっとつかんで答える。


 そしてついに湖を全て凍らせて、魔獣さんとオレは戦場となる雪原へと足を踏み入れた。



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