本物の呪い(下)
俺は背後に現れた星詠み魔女に向き直る。念のため、
実は今見えている光景が幻術で、手に持っているこの氷のほうこそが本物の魔女だった……そんな可能性を考慮した上での行動である。
もっとも、考えるだけ無駄だったようだがな。
氷は手の中で砕けても氷のまま、ガラガラと足元に落ちた。
闇の中で燐光を
さっきの攻防のせいで、もはや自分の五感が信用できない。
こうしている今だって、下手すれば
幻術か、あるいは完全催眠ってやつか。もしかすると、もっと別の何かなのか……。
俺は次の攻撃に移れないでいた。それ以上に、もはや彼女に勝つ
視線の先には、にやけながら
完全に遊ばれているようだ。実際、彼女にとっては……俺が何かをしたところで、一切の脅威とならないのだろう。
ただ不死身なだけの魔獣を超越して、冬を
もう二度と誰にも負けないと、根拠も無く信じていた。
だが……ここまで絶望的な差があるとは。現実というやつは、いつだって余りにも残酷だ。
「攻めあぐねていますねえ。それとも、もう終わりですか?」
星詠みの魔女が口を開いた。
「ところで、“
俺は何も言い返せず、ただ歯ぎしりするしかない。
圧倒的優位な状況に笑みを深める星詠みの魔女。彼女は微笑みながら
「……貴様の目的はなんだ?」
一瞬、逃げ出そうかとも思ったが、逃げ切れるとは到底思えない。
だから……という理由でもないが、俺はダメ元で星詠みの魔女に問いかけてみる。
すると意外にも、魔女は素直に答えてくれた。
「もう、本当に話を聞いてくれないんですから! ちゃんと初めに言いましたよね? ステラちゃんが来た理由は、貴方の救済――そして、未来を選んでもらうためです」
彼女はどこか呆れたような口調でそう言うと、どこからともなく一輪のバラを取り出す。
――それは、とても美しいバラの花だった。
花弁は氷のように透き通って輝き、まるで
少なくとも見た目は、俺が知っている紅いバラと似ても似つかない。
しかし、そのバラには明らかに命が宿っていること――より具体的には、俺自身の心の一部、胸の中に開いた穴を埋める存在であることが直感的に理解できた。
「それは……!?」
俺は驚きを隠せない。間違いなく、あの花は散ってしまったはずなのに……。
「そう、これは散ってしまった貴方の心の一部。ドロシーちゃんが、その存在を賭けて、取り戻そうとした……」
「なんだと?」
俺は星詠みの魔女が発した不穏な言葉が気になった。
「おい……あいつは、放浪の魔女はどうなった?」
「知りたいですか? でも、今の貴方には、教えてあげられません♪」
星詠みの魔女は意味深にそう言った。
「いま大切なのは、貴方がこのバラをどうしたいかです。せっかく話を聞いていただけるようになったことですし、このまま始めちゃいましょうか♪」
始めるって、何を? そう
「大きく分けて、今の貴方には三つの未来があります。例えるならそれは……そう、朝と夜、あるいはその狭間の道を歩んだ、かつての英雄たちのように――」
星詠みの魔女は水晶のバラをその手で
その姿は不本意ながら、とても神秘的だった……それとも、この姿こそが彼女の本性なのだろうか。
「――ひとつは、このバラを受け入れて、元の世界へ帰る未来。それは本来、貴方が
「……まさか、返してくれるのか、そのバラを?」
魔女の言葉に、俺の心臓はどくんと高鳴る。
「おや? 返してほしいのですか? 最初にその未来を拒絶したのは、
意地悪な笑みで
そもそも、仮にバラを返してもらったところで、俺は何がしたかったのだろうか。あちらの世界に戻ったところで、俺の居場所などありはしないのに……。
「この未来はドロシーちゃんのおススメです。安全な世界で、ソフィア姫と共に生きる未来――でも、こちらの世界の全てを忘れて生きることなんて、貴方にはできませんよね?」
ああ、なるほどな。あの萌木色のドレスを着たお節介な魔女なら、きっとこの未来を推奨するはずだ。俺は一人で納得する。
しかし、論外である。
だって、そうだろう? 今さら無力な
「あっ! 一応言っておきますけど、あちらの世界でも魔術は使えますよ。上手く立ち回れば生活に困ることは無いでしょうね♪」
星詠みの魔女はご
拒絶する理由が一つ消え、俺はふと考えてしまう。
――バラを受け入れる選択をすれば、きっとその物語の結末は、童話のようなハッピーエンドを迎えるだろう。
心の一部を失くしているせいか、いまいち実感がわかない。
まるで、幸せな
だが、それが実現すれば、きっと素敵な毎日になることは想像できた。
この未来を選べば、かつての俺の望み
かつて俺が
――しかし、やっぱりこの未来は、選べない。
「その場合……レヴィオール王国はどうなる?」
「元の世界に帰るなら、貴方にはもう関係ありませんよね?」
俺が未来について
「さて、続いては、このバラを
星詠みの魔女は二つ目の選択肢を示す。その声音は心なしか、さっきよりも楽しげであった。
「この未来を選んだ時、貴方は心身ともに全ての命を憎む不死の怪物となるでしょう。でも、貴方が望むなら、ステラちゃんが貴方の存在理由になってあげます。憎悪の対象になってあげます――ステラちゃんを殺し得るその日まで、弱いことを
自分を憎め。そう語る彼女は輝かんばかりの笑顔だ。
放浪の魔女曰く、星詠みの魔女は魔女の中でも屈指の狂人らしい――今更ながら、そんな事実を思い出した。
「……それが、あんたの目的か? ああ、そうだな。不死身の怪物を従魔にできれば、さぞかし便利だろうよ」
「いいえ。これは、貴方の幸福を想ってのことですよ? 命ある限り、戦いの運命から逃れられない……そんな貴方にとって、間違いなくこれが一番苦しまない選択です」
皮肉が込められた俺の言葉に、星詠みの魔女は
しかし実際どうなのだろうか。俺はさっきまでの戦いを思い出す。彼女が本気で俺を屈服させようとすれば、それはとても容易なのではないか?
そう考えると、無駄な反骨心が虚しく思えてきた。
「さあ、安心して、全てをステラちゃんに
「……
魔女が差し出した手を拒絶する。
それは、せめてもの抵抗だった。
弱者である自分が言い返せる立場ではないと理解していた。服従しないのは、もはやただの意地だった。
「おや、どうしてですか?
もちろん、そんな未来を受け入れられるはずがない。
「もしそれが救いだとしても……俺はもう、奴隷であり続ける未来は選べない。お前が立ち塞がるなら、その時は自由を勝ち取るまでだ。もうこれ以上、誰かの言いなりになるつもりは無い!」
口から飛び出したその言葉は、自分でも驚くほど強い意志が込められていた。
理不尽を
「……そうですか。ならば、三つ目に参りましょう」
星詠みの少女は続けて俺に語りかける。
誘いを断られたことについては……少なくとも表面上は、特になんとも思っていなさそうに見えた。
「最後の選択肢は、バラを取り戻し、しかし人間に戻らず、この冬の世界で獣として永遠を生きる未来――最も辛く、そして救いの無い選択です。それを、貴方は選ぶことができますか?」
「……どういうことだ?」
魔女が言った意味を理解できず、俺は
「この選択の先にある未来――それは人の心も、魔獣の
星詠みの魔女が語る三番目の未来は、まるで壮大な物語の序曲のようにも聞こえた。
改めて考えると、俺が冬の王様だなんて、なんとも現実感のない話である。魔女の語る未来を聞きながら、俺はどこか他人事のようにそう思っていた。
「しかし、貴方は人間が嫌いです。貴方は人の世を
……確かにそうだ。全てが魔女の言う通りである。
だからこそ、この雪と氷に閉ざされたこの異界は、俺にとって牢獄であると同時に楽園でもあったのだから。
「この未来を選べば、
俺の貧困な想像力でも、その未来が苦痛を
なんだ、最初に思った通りじゃないか。結局、
「さて、貴方はその現実を、受け入れられますか? それとも、先二つの未来から、歩む運命を選びますか?」
星詠みの魔女は、水晶のバラを俺に差し出しながら問いかけた。
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