裏切りと代償(上)

 ――黒い炎を身に宿した子供たちによって、全身をかれた魔獣。

 その姿はあまりにも痛々しく、傍から見ても生きているのが不思議に思えるほどであった。


 まず体表のほとんどが炭化して、場所によっては白い骨までもが露出している。

 特に頭部と胸部においてそれが顕著けんちょだった。あばら骨の隙間からは、炭化した肉の下でなお鼓動する臓物が見え、頭部の半分はもはや獣の骸骨がいこつに熱で白く変質した眼球が収まっているだけの状態だ。


 炭化した腕が自重に耐え切れずボキリと折れ、魔獣はそのまま地に倒れ伏す。

 再生力がにぶい。

 肉体の修復が全然進まない。

 黒い炎にかれた部分を斬り落とせば再生は早くなるはずだが……場所によっては体のしんまで焦がされた今の状態では、それすらも叶わない。


(あの子供たちは、いったいどこから……?)

 魔獣は疑問に思うも、大した話ではなかった。

 例の子供たちは初めから、廃材の隙間に身を潜めていたのだ。

 いや、『息を潜めていた』というのは正しい表現ではないかもしれない。

 なぜなら、その時の子どもたちは仮死状態――呼吸すらほとんどしていない状態だったのだから。


 これは魔獣の知らない事実だったが、黒い炎を刻まれた子供たちは通常、仮死状態で保存されていた。

 そして、必要とされたときにだけ、子供たちは目を覚ますのだ。

 もはやそれは人間ではなく、完全に道具としての扱いである。

 魔獣は元人間とはいえ、日々の狩猟生活によって素人しろうとながら気配を読むすべを身に付けていたが……毛布にくるまって打ち捨てられた死体の気配は、流石にまだ察することができなかった。


「コイツ……本当にまだ息があるのか……!?」

「予定通りだろ、ボサッとするな!」

「心臓だ! 心臓をぶっ刺せ!!」

 魔獣を取り囲んで騒ぎ立てるバフォメット族の男たち。

 足元に転がる消し炭が、元々は同族の子供たちであったことなど気にもかけていない。

 この場に居る者で、そんな些細なことを気にするのは……せいぜい倒れ伏している魔獣ぐらいのものだろう。


 バフォメット族の男たちが手にしているのは、先ほどまでの粗末な錆びた剣や槍ではなかった。

 キラキラと輝く明るい銀色――それは聖銀、あるいは破邪の銀とも称される特殊な金属、ミスリルで加工された武器だ。

 魔力伝導率が極端に高くなる処理が施されたその金属は、魔術と剣技の併用に向いている他、魔力を切り裂く性質から、ドラゴンの鱗にすら届くとわれている。

 それゆえに、特に質の良いミスリル製の武器は竜殺し――ドラゴンキラーとも呼ばれていた。

 それらの武器は易々やすやすと魔獣の身体に突き刺さる。

 聖銀ミスリルで加工された竜殺しの剣ドラゴンキラーならば、焼け焦げた魔獣の毛皮や肉など容易たやすつらぬけるのだ。


 それら竜殺しの武器はもちろん希少であり、恐ろしく高価な代物であった。決して奴隷の身分で簡単に手に入れられる品物ではない。

 だが、男たちはそんなこと構わず、心臓を目掛けて魔獣の背中に突きたてる。


 何回も、何回も、聖なる銀の輝きが魔獣の血でにぶるまで。

 何本も、何本も、魔獣の背が剣山のように成り果てるまで。


 剣と肉の隙間から、どくどくと流れ出す血液。

 赤い液体がいくつもの小さな川となって魔獣の身体からだから流れ落ちる。


 身に覚えのない殺意を全身に受けながら、魔獣は口を開いた。

「……な……ぜ」

 ここまで裏切られて、騙されたことを理解してなお、魔獣が選んだのは対話することだった。

 努めて必要以上に理性的であり続けようとするその愚鈍ぐどんな姿は……あわれを通り越して滑稽こっけいとすら言えるだろう。

「う、嘘だ、こんなになっても、まだ生きているのかこいつ!?」

「な、ぜ……だ………?」

「――ほう、まだ息があるとは、流石はあのクロード卿が不死身と称しただけのことはある」

 魔獣の背後から近づいてくる足音。

 その正体は、白銀の飾緒しょくちょで飾られたマントを羽織はおる中年の軍人。

 戦場であるにもかかわらず呑気にパイプをくわえているその男は、神聖メアリス教国軍部の大佐だった。




 ――レヴィオール王国の侵略から八年続いた、神聖メアリス教国の支配。

 その八年という歳月は、あまりにも長すぎた。


 メアリス教国はバフォメット族を支配するため、とある手段を講じていた。

 それは、一部の者だけを――例えば、今まで不遇だった者たちを極端に優遇するという手段だ。

 そうすることによって、被支配者同士を争わせて、その力を結集させず、結果的に統治者へ矛先が向くのを避けることができるのである。

 この狡猾で効率的な統治手法は、地球の歴史上でも分断統治デバイド・アンド・ルールと称され、植民地支配において大活躍していた。


 この場に居たバフォメット族たちも、そうして優遇された者だった。

 だからこそ、奴隷の身でありながらある程度の自由が許可されており……そんな理由で他の監視の目が付いたバフォメット族より魔獣が接触しやすかったというのは、なんとも皮肉である。


 彼らにかつての故郷を想う気持ちなどない。

 なぜなら特別良い思い出など無いからだ。そしてメアリス教国もそういった者たちを選んで厚遇していた。


 彼らにはソフィアを、かつての王家を敬う気持ちなどない。

 なぜならそんなもの、銅貨一枚の価値も無いから。むしろ、今の自分たちに良い目を見させてくれる枢機卿すうききょうを敬ってさえいた。


 彼らの生き様は、見方によっては卑怯なのかもしれない。

 あるいは、立場によっては悪とみなす者が居るかもしれないし、彼らを裏切り者とののしるかもしれない。

 しかし、彼らとてかすみを食べて生きているわけではない。

 どんな境遇であれ、より良い暮らしを望むのは彼らの権利だ。

 そして、より良い暮らしを手に入れる手段として、弱者が強者になびくのは自然な流れである。

 そう、人として当たり前なのだ。


「あ、あのー……大佐殿?」

 バフォメット族の男の一人が、中年大佐にびるような態度で声をかける。

 それに対し、護衛の騎士の一人が声を荒げた。

「口をつつしめ、家畜どれい風情がッ!」

 怒声を発しながらバフォメット族の男を押さえつけようとする騎士。中年大佐はその騎士を、まあまあといった様子で制す。

「よいじゃないか。今回の働きはなかなかのものだった。家畜どれいとはいえ、多少の口をくぐらいは許してやろうじゃないか」

「へへ、ありがとうございます……それで、何かその、俺達にご褒美ほうびなんかがあれば、そのー、嬉しいのですが……何も無いのでしょうかね?」

 そのある意味正直な態度に、中年大佐は大声を上げて笑った。

「ハッハッハッハ……いつもながら、いやしい奴らめ!」

 そして一頻ひとしきり笑った彼は、今度はいやらしくニヤニヤ笑いながら何かを考える。

「うーん……得られた情報は微妙だったが、まあ、元々大したことは知らなかったようだし……そうだな。これからソフィア姫の率いる連合国軍が攻めて来る。それで間違いなかったな?」

 中年軍人が確認を取ると、バフォメット族の男たちは大きくうなずいた。

「ならばお前たちには、捕らえたソフィア姫を自由にする権利をくれてやろう」

 直後、驚きを含む歓声が路地裏に響き渡った。


「よ、宜しいのですか!?」

 中年軍人の言葉に驚きの声を上げるバフォメット族の男。周囲の同胞たちはもちろん、中年軍人を護衛する騎士たちすら驚きの表情を隠せない。

 しかし、中年軍事はすまし顔で答える。

「構わんよ。奇襲を受けずに済むのは、お前達の働きの結果だ。それに、兵士たちも、魔獣けだもの目合まぐわった女を抱く気にはなるまいて」

 さらに付け加えれば、家畜どれいに王家の血統――より大きな悪魔の瞳バフォメット・アイをもつ血が交ぜられると考えれば、彼に損はないのだ。

 枢機卿すうききょういわく、レヴィオールの王族は確実に殺せと聖都から厳命されているらしいが……まあ、何もかも今更いまさらだし、薬漬けにして地下に放り込んでおけば、他のメス共と一緒に孕み袋としての役目を全うしてくれるだろう。

 そう判断して中年軍人はソフィアをなぐさみ者にすることを許可した。


 そんな思惑おもわくを知ってか知らずか、バフォメット族の男たちは仲間同士で狂喜乱舞する。

 まだ実際に彼女を犯したわけでもないのに、満たされていく征服欲と支配欲。

 彼らの頭の中には、なぜか『勝利』を意味する単語が浮かんでいた。

「やったっ……! やったっ……! やったぞっ……!!」

 見ていて吐き気をもよおすほどに無邪気で、目をおおいたくなるほどにみにくく、それが人のさがだと信じたくないほどにおぞましいその光景。

 いったい何に対する勝利なのか、彼ら自身も分かっていない。だが、それはとても浅ましく、同時に人間味にあふれた感情だった。



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