密談
中央は今も兵の怒声で騒がしいのに、その裏路地は異様なまでに静かだった。
石畳の細い小道を、できるだけ足音を立てずに進んで行く。
町の東にあるボロボロの塔。その下の、屑石捨て場。
多分この辺りだが……。
「おーい、こっちだ」
先ほどの青年が声を潜めて、壁の裏から顔を出して手招きしている。
ここで合っていたらしい。
俺は案内されるままに、その
狭い裏道。体をぶつけそうになりながら進む俺。人間サイズなら十分以上に広めの道だが、俺にとってはやや
手押しの
俺は先導するランタンの明かりにひたすら付いて行く。
そして突き当りまで進むと、その先に居たのは十数名のバフォメット族の男たちだった。
彼らは警戒した様子だったが、その手に持っていた武器を俺に向けることは無い。
ただじっと、俺を品定めするように見つめながら、緊張を抑えるように息を殺している。
建物の隙間の路地裏にしては広く、その袋小路はちょっとした集会スペースとなっていた。
元々は職人街の屑石捨て場だったらしいが、屑石の他にも廃材や鋼材の保管場所として使われていたらしい。
地面や廃材の上に置かれた数個のランタンで照らされる空間。
ランタンの周囲は明るいが、それ以外は薄ぼんやりとしている。
その場所には説明されたとおり屋根が存在したが、
なんと言うか、秘密基地みたいだな。
実際に隠れ家として使われている場所なのだろうが、呑気なことに俺が真っ先に抱いた感想はそれだった。
強いて言えば、まるでしばらく使われていなかったみたいに
あと、密造酒なんかの保管にも使われているのだろう。まるでぶちまけられたみたいに強烈な酒と
俺はじっくりと、その場に集った男たちを見回す。
褐色の肌に白い髪。ヤギの
数にして二十名ほど。年齢はバラバラに見える。
「これで全員か?」
なんとも心もとない数に俺が問うと、俺を案内した例の青年が震えながら返した。
「……いや、そういうわけじゃない。が……」
青年は中途半端なところで言葉を止めた。
魔獣の
だが、それにしても、妙に引っかかる言い方だな。
まあ、あくまで代表者ということか。全バフォメット族がここに集結するのは非現実的だし、仮にそうなれば逆に困った事態になるだろう。
「そうか。それならいいんだ」
俺は自分を納得させた。
さて、まずは自己紹介をすべきかな。
そう思った俺は、緊張した面持ちの男たちのほうを向き直った。
「俺は、『冬に呪われた地』に住む……名も無き魔獣だ。お前たちの、敵ではない。ソフィアとは縁があり、レヴィオール王国解放の助力のため、
彼らを安心させるため、俺は精一杯堂々と挨拶した。
しかし、彼らの心は開けなかったようだ。彼らはずっと警戒するように、遠巻きに俺のことを観察している。
一瞬ソフィアの名前を出した時には反応が見られたが、その程度で警戒心が解けるわけもなく……ただ、言わないよりはずっとましだっただろう。
「それで、俺を招いたからには、何かしら伝えたいことがあるのだろう?」
「……その前に、いくつか
バフォメット族の青年が恐る恐る発言した。
「なんだ? 言ってみろ」
「あんたは……本当に、ソフィア姫の、使役獣……なのか?」
使役獣! なるほど、この世界にはそういうのもあるのか。
ここは、肯定しておいたほうがいいかな。そうすれば彼らも安心できるだろう。
「まあ、そうとも言えるな」
厳密には違うが、ある意味で似たようなものだ。
「……なら、あんたは俺達を殺すのは、絶対にできないって、つまりそういうことだよな?」
うーん。まあ、これも肯定しておこう。
「ああ。そうだ」
心理的にできないだけだが、嘘はついていない。
おそらく正当な使役獣ならば、そういった制約が課せられたりするのだろう。もちろん俺の場合は完全に俺の気持ち次第だし、そんな制約が課せられた覚えはない。
しかし、これから協力し合う相手なのだ。まずは敵意が無いことを理解してもらわないと何も始まらない。
仮にここで「その気になれば
「そうか。じゃあ……最後にもう一つ、いいか?」
青年は一度言葉を区切り、
「あんたがここに来たってことは……連合国の軍も、ソフィア姫も来るのか?」
「ああ、そうさ」
俺はにやりと牙を
「
俺の宣言を受けて、バフォメット族の男たちは困惑したような、それでいて何かを覚悟したような表情で
「俺らからも、質問いいか?」
別のバフォメット族が
「ここに向かっている奴らの、数はどのくらいなんだ?」
「正確な数は知らないが……レヴィオール王国の生き残りが主力の部隊だと聞いている。その部隊を
俺は可能な限り詳細に答えた。
「奴らは、どこから攻めてくるつもりだ?」
「ん? それは西側から……としか知らないな」
なんで
「街道を通って?」
「いや、だから俺は詳しく知らない……だが、多分通らないと思うぞ」
でも冷静に考えてみれば、この情報が無いと連携も何もないな。
ここに魔法の鏡があればよかったのだが、監視塔の上に置いてきてしまったので自由に取り出せない。
俺の
今さらながら失敗したな、と思った。
「……それは、いつ頃?」
「俺の記憶に違いが無ければ……今日の晩、と言っていたはずだ」
今は日が沈んでから三時間ほどが経過したところだ。真夜中に戦闘開始するなら、あと数時間後といったところだろう。
「ソフィア姫も、英雄様の
ソフィアは確か、守りと癒しの力を持った英雄の
「守りの力は直接見たことないが、結界魔術は得意だと聞いている。治癒魔術のほうは……それこそ聖女と呼ばれるぐらいには優れているな」
ここまで答えたところで、彼らの質問はいったん途切れることとなった。
さて、どうだろうか。これでバフォメット族の男たちも、一緒に戦う覚悟ができただろう。
夜も深まり、日が暮れた時よりもだいぶ冷えてきた。
暗い中、ランタンの明かりが静かに周囲を照らす。その明かりに照らされた彼らの吐いた息が白く染まる。
彼らの着ている粗末な服では、寒さを十分に防げないだろう。それでも彼らは静かに、その気を張らせていた。
「質問は以上か? そろそろ今後の話に移りたいのだが」
「……ああ、知りたいことは、大体
なぜか、バフォメット族の男たちの間に、今まで以上の緊張が走った気配を感じた。
「だから……もう、十分だ……!」
――その瞬間、俺の頭上から何かが落ちてくる。
それは、
ガシャンと、大きな音を立てて落ちる金属の塊。
網の端に括りつけられた
俺は突然の出来事に困惑しながらも、網を引き千切りながらバフォメット族を
「おい、これは、なんの冗談の、つも、り……だ……?」
俺はバフォメット族の男たちのほうを見て、そして目を見張った。
そこには、いつの間にか人影が増えていた。
男たちと比べて明らかに小さい、十歳にも満たない子供たち。
当然その子供たちはバフォメット族で、不気味に光る
一体どこから現れたのだろう。
突然降って湧いたかのように現れたその子供たちは、いつの間にか俺の周囲をぐるりと取り囲み、感情の無い瞳で俺に抱き着いた。
完全に油断していた。
俺はしがみ付く子供たちを振り解こうと体を大きく震わせるが、網が絡まって邪魔だったことと、さらに子供に乱暴を働く抵抗感も相まって、それは
――
ほぼ同時に唱えられる詠唱。
その黒い炎は、相手が一人だった時でも、肉が焼き
つい先ほど受けた深い火傷の
不死の呪いすら焼き払う黒い炎。たとえ模倣であっても、その効果を
ましてや、それを放つ者の数が二桁にもなれば、いくら魔獣の肉体でも無事では済まない。
黒い炎が天井を突き抜けるほどの火柱となり、俺の全身を包みこんだ。
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