メアリスの兵

 魔獣が暴れるネナトの町から、ほんの少し離れた場所。

 広大な湖の南端。かつてのレヴィオール王国の王都だった町。

 其処そこを占拠するメアリス教国の兵士たちは、予期しなかった襲撃に緊張が走っていた。


 ネナトの町はメアリス教国側。

 連合国が攻めて来るとしたら、湖を挟んで対岸に位置するバルナの町であるはずだ。

 メアリス教国の者にとって、ネナトの町襲撃はまさに寝耳に水の出来事であった。




 かつてのレヴィオール王国の王城。

 その廊下を勇み足で歩く、白い法衣をまとった一人の男。

 真夜中に叩き起こされた枢機卿すうききょうは不機嫌だった。


 神聖メアリス教国における枢機卿の役目を簡単に説明すれば、教皇の補佐役、最高顧問の相談役である。

 そして同時に、一応は教皇候補という立場でもあるのだ。

 ただし、彼の見事に肥えた外見。その姿は枢機卿というよりも……悪徳領主とか悪代官といった言葉のほうが似合いそうだった。


 歩くたびに白い法衣の中で醜く振動する贅肉ぜいにくの塊。

 食欲と肉欲、とにかく贅沢の限りを尽くす堕落した生活が彼の全て。

 今日だって連れ込んだ娼婦や性奴隷たち相手に散々楽しんだあと、いい気分で眠りに着こうとしていたところだったのである。


 占拠した元レヴィオール王国の王都。

 そのかつての王城にて、彼はまさに王様――とは言っても、その贅沢三昧な在り様は暴君か暗君であったが――のような暮らしをしていた。

 そして、そんな王様気分を害された今、彼は途轍とてつもなく不機嫌で、同時に今の暮らしを失うことをひどく恐怖していた。




 枢機卿が勢いよく扉を開くと、そこでは先に二人の男性が言葉を交わしていた。

「大佐!! これは一体どういうことかね!?」

 作戦会議室に入るなり、開口一番で彼は叫んだ。

 その声の震えからは、彼の焦燥が読み取れた。


 先に部屋に居た二人のうち、片方はジャケットと軽鎧を組み合わせたような軍服に身を包む青年。

 特別に言及すべきことも無い、一般的な兵士の格好だ。


 もう片方は白銀の飾緒しょくちょで飾られたマントを羽織はおる中年の軍人。

 左肩を飾るいくつもの勲章から、彼が軍の中でも偉い立場の人間であることが分かる。


「おお、これは枢機卿殿。いらしたのですか。実は、ネナトの町に魔獣が入り込んだそうでしてな」

 中年のほうの軍人はくわえたパイプに火を着けながら、なんの問題もない些事さじであるかのように報告した。

「な、なんだ……そんなことか。驚かせおって」

 連合国軍が奇襲でも仕掛けて来たのかと思ったが、ただの魔獣か。

 枢機卿は露骨に安心する素振りを見せる。

「それで、当然もう駆除くじょは終わったんだろうな?」

「いえ、それがですねえ……」

 大佐と呼ばれた中年の男はどことなくねっとりとした喋り方で、伝令役の青年兵士に続きをうながした。


 青年兵士はビシッと姿勢を正し、ハキハキとした喋り方で報告を開始する。

「ハッ! 現状把握できている限り、その魔獣は聖堂内の研究所に侵入。その後、我が軍と衝突し……甚大な被害が出ているもよう!」

 その報告に、枢機卿は眩暈めまいがする気分だった。

だと!? 魔獣の群れでも流れ込んできたのか!?」

「いえ、報告に寄りますと、町に侵入した魔獣は一体のみだそうです」

 枢機卿の顔が、今度は怒りで真っ赤になる。その怒りは不甲斐ふがいない軍人共に向けられた。


「ふむ、なるほど。それで、被害の詳細は?」

 中年大佐はパイプをふかしながら尋ねる。

「はいッ。現在把握できている限り、すでに三名の指揮官が死亡! その他にも、多くの重軽傷者が出ているそうです!」

 その瞬間、ちょうどそこにあった灰皿が青年兵に向かって投げつけられた。

「たかが一匹の魔獣にそれほどの被害! そいつらは普段何をしていた!? 吾輩わがはいの輝かしい経歴に傷を付けるつもりか!?」

 駄々っ子のように怒鳴り散らす枢機卿。

 大佐は癇癪かんしゃくを起している枢機卿を無視して、これからすべきことについて考えた。


「……ん? 重軽傷者だと? 死傷者ではなく?」

 報告の中にあった、小さな違和感。

 老獪ろうかいな中年大佐はそれを感じ取る。

 その質問に困惑したのは青年の兵士だ。

「は、はい、もちろん死者もそれなりに出ているそうですが……それが何か?」

「だが死屍累々ししるいるいではないと。つまりはだね、兵士の死者が規模の割に少ないと思わないか? すでに三人も指揮官が殺されているのに――そう言いたいのだよ。ちなみに、一般兵の死者はどの程度出ている?」

「え? えっと、正確な数は……ちょっと分かりません。ただ、怪我人が圧倒的に多いのは確かみたいですが……」

 中年大佐は考え込む。

 そして、結論を出して、にやりと悪辣あくらつな笑みを浮かべた。

「ワシの予想が正しければ、その魔獣は本来、取るに足らない脅威のはずだ。現場で直接指示を出そう――よろしいですかな、枢機卿殿?」

「フンッ! この騒ぎが収まるなら好きにしろ。まったく……これ以上未来の教皇たる吾輩をわずらわせるな!」

 許可をあおがれた枢機卿は不機嫌そうに言い放つ。

「心得ました。では、枢機卿殿は、このままお休みくださいませ」

 中年大佐がそう言うと、枢機卿はフンッと鼻を鳴らして、挨拶もなしにそのまま部屋を出て行った。


 バタンッと、乱暴に閉められた扉が大きな音を立てる。

 部屋に残った二人は顔を見合わせ、ため息をいた。

「やれやれ、枢機卿殿には困ったものだ。キミもそう思わないかね?」

「……返答は控えさせていただきます」

 ちなみに身分的には、大佐よりも枢機卿のほうが偉いことになっている。

 神聖メアリス教国に政教分離なんて概念は無い。

 そして宗教国家であるメアリス教国においては、軍部に属する限り自動的にあの枢機卿より下というあつかいだ。


「ああ、そうそう。ついでにらの準備もさせておけ」

 中年大佐は追加の指示を出す。

 指示語を使った抽象的な命令だったが、内容は青年の兵士にも伝わったようだ。

「あれらを、ですか……? 実戦に投入するのは、まだ危険では?」

「だからこそ、運用試験も兼ねるのさ。失敗できるうちに使ってみんとな。それに、確かめたいこともある」

 そう言ってわらう、老獪ろうかいな大佐。

 彼は青年を通して、現場の指揮官たちに、とある命令を下した。


 * * *


 地球の感覚だと、銃が効かないからと言って剣や槍を持ってくる兵隊を見るのは、なんとも不思議な気分になる。

 しかし、この世界ではそれが正解だ。

 少なくとも奴らは、俺に「面倒くさい」と思わせることに成功していた。


 今俺が相手をしているのは、全身を鎧で固めた重装歩兵だ。

 白を基調とした装飾の重そうな鎧。魔力を付与されたその見た目は輝いており、むしろ聖騎士ナイトと呼んでやったほうがいいかもしれない。

 重い鎧ではスピードは落ちるが、軽鎧では氷の刃に阻まれて近付くことすらできないのだ。敵ながら良い判断である。

 彼らの持つ獲物は、片手用のランスに大きめの盾。

 数本の列に並んで槍を構え、互いを盾でかばいながら――いわゆるファランクスを形成しながら俺のほうへにじり寄る。

 大通りの真ん中で、前後からの挟撃だ。


 屋根の上からも、軽装備の弓兵たちが俺を狙う。

 彼らが使っているのは、両端に滑車のついたヘンテコな弓だった。偏見だが、機械っぽくてドワーフが好きそうな構造だな。


 だが、どんな弓でも関係ない。

 太陽の国の王子、アレックスほどの腕ならともかく、こいつらごときのレベルでは俺の氷の守りを突破できない。

 ……届かないとはいえ、視界の端で顔面をチクチク狙われるのは、非常に鬱陶うっとうしいがな。


 俺は頭上にするどとがった氷柱つららを何本も生成する。

 そして、十分大きくなったところを見計らって、屋根の上の弓兵目掛けて氷柱つららをばらいた。


 当然のごとくかわそうとする弓兵たち。動かぬ案山子かかしではないのだ。

 しかし、建物の一部ごと崩す勢いで飛翔する氷のランス。

 結局彼らはテラコッタ製の屋根が崩壊するのに巻き込まれて、狙撃場所の変更を余儀なくされた。

 とりあえずこれで十分だ。


 視界を邪魔する矢が飛んでこなくなったところで、俺は前脚で大地を叩く。

 石畳の下を駆けてゆく凍属性の魔力。

 それは密集する重装歩兵の足元に達したところで急成長をげた。


 突然として、円筒形の氷が、石畳を突き破って生えてくる。

 大地から生えて来た氷の柱に、数名の重装歩兵が吹っ飛ばされる。


 翼も無いのに宙を舞う鎧の兵士たち。

 その大抵は打撲か骨折ぐらいで済んだだろうが、運が悪ければ墜落時に首の骨を折って死んだだろう。


 混乱するファランクス。

 完璧だった盾の並びが乱れた瞬間を見計らって、再び氷柱つららの雨を降らせる。

 一部分が修復不可能なほどに崩れれば、あとはそこから崩壊していく隊列。


 さらに俺は吹雪の結界をまといながら、戦線が崩れたところへ畳み掛けるように突進した。

 どれだけ魔術で強化されたランスでも、先端が刺さらなければ意味がない。

 そもそも氷の守りを突き破って刺さるかどうか、仮に刺さったところでどの程度効果があったかはなはだ疑問ではあったが……試してやる義理は無いだろう。


 舐めてかかって危ない橋を渡る意味は無い。

 それに俺は、痛みを無視できるが、痛いのが好きなわけではないのだ。


 しかし……らちが明かないな。

 どれだけ雑魚の集まりでも、きちんと連携が取れた軍隊とは、こうも面倒くさいものなのか。

 俺は視点を変えるため、自分が作り出した氷の柱を登って屋根の上へ行く。


 ランスむしろを上手いこと抜け出した俺は、屋根の上から戦場を見回す。

 すると幸運にも、次に俺が潰すべき目標が、すぐ見つかった。


 すでに隊列を立て直しつつある重装歩兵の遥か彼方。

 重装歩兵を強化している法衣の魔術兵。

 その後ろで、戦況を見極めようとする軽装備の男。


 あいつがおそらく、このファランクスの指揮官だろう。

 やっと見つけた。


「……四人目」


 次の獲物はアイツだ。

 俺は隠れた弓兵を払い除けながら屋根の上を駆け抜け、その指揮官の元を目指す。


 途中で炎の壁が俺の進路を妨害した。

 流石に氷の守りとは相性が悪く、俺の毛皮は少し焦げる。

 しかし俺は止まらない。


 十分距離が詰まる。

 顔面蒼白の指揮官の顔がはっきりと見える。

 己の死期を察したのだろう。

 俺は屋根から飛び降りながら、そいつの頭を




 ――これでまた一人、相手の指揮官は減ったはずだ。

 しかしその実感は湧いてこない。


 なぜなら、メアリス教国の兵士たちは多少ひるんだところで、すぐに士気を取り戻すからだ。

 量産型の銃を装備した一般兵とは違う、不自然なほどに士気と継戦能力が高いエリート軍隊。

 これが神兵という奴だろうか。

 今だって自分たちの指揮官が死んだ直後だというのに、俺の背後ではすでに新たなファランクスが組まれていた。


 また隙のないランスと盾の壁が、俺を包囲しようと迫ってくる。

 そして今度は魔術師たちが、地属性魔術で地面の下からの奇襲を警戒している。風属性魔術で氷柱つららの弾幕を迎撃しようと身構えている。


 畜生が。指揮系統がしっかりし過ぎだ。

 手札カードを切るごとに対応され、やりにくくなっていく。

 頭が潰れても、すぐに次の頭が生えてくる。お前らはヒュドラか何かか?

 口の中にある血の味がする物体。俺はそれを乱暴に吐き捨てながら、次の手をどうするか考えた。


 このままでは駄目だ。

 俺が殺しているのは今のところ、指揮官の中でも雑魚ばかり。

 それどころか、こいつらは小部隊単位でもきちんと連携して動いてくる。

 そもそも指揮官って、一つの軍隊につき何人ほど存在するのが普通なのだろうか? ミリタリー知識が無い俺にはそんなことすら分からない。


 こうなったら、ではなくを潰さなければ。それが手っ取り早いはず。

 幸い俺の後ろはがら空きだ。さっさとここから移動しよう。

 大ボスを倒してメアリス教国の軍が機能停止すれば、あとはバフォメット族やドワーフ族の皆様で革命でも起こしてもらえばいい。


 一瞬だけ、「もういっそのこと、皆殺しにしてしてしまおうか」、「そっちのほうが、早いし楽なんじゃないか」……なんて考えが脳裏をよぎったが、まだそれを実行に移さないだけの理性は残っていた。


 もっと偉そうなやつは……もしかしたらこの町に居ないのか?

 いや、それでもこの町を管理する責任者的なポジションは存在するはずだ。俺は兵士たちを適当に蹴散らしながら根気よく探す。


 そして、町の中の広場で、俺はそいつを見つけた。



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