手繰り寄せる勝機(上)

「なんなんだ、こいつは……」

 頭を潰されて後方に飛び下がった魔獣を、オレたちは唖然あぜんと眺めていた。


 メキメキと、骨がきしむ音がする。

 新しく作られていく骨が、砕かれた頭蓋骨を喰い潰している。

 炭化した肉が崩れ落ち、新たな筋繊維が再生されていく。

「ありえない……」

 世界中のあらゆる知識を修めた博識のジーノでさえそうつぶやいた。オレも全くの同意見だった。


 この漆黒の魔獣は、初めて見る存在だった。


 最初にこいつを見た時は、漠然と強そうな印象を受けた。


 こいつがグランツの剣を受けとめた時、俺たちはその強さを確信しただろう。


 リップが背後に回り込むことを阻止した時、その隙の無さに固唾かたずんだ。


 オレたちに向かって雪のかたまりを投げつけた時、外見からは見受けられない想定以上のかしこさに驚いた。


 そして、ジーノの炎を受けても平然としていた時、これはヤバいかもしれないと察した。


 でも、それでも足りなかった。


 頭を潰しても死なないだなんて。

 その潰れた頭すらも瞬時に修復するなんて。


 頭部を完全に修復した漆黒の魔獣は、左目に突き刺さったままだった矢を引き抜いた。

 矢が引き抜かれた眼も、またたく間に再生していく。


 あまりにも早すぎる。

 再生能力に特化している合成獣キメラやドラゴンだって、ここまで早くは再生しないはずだ。


 これはもはや、ただの魔獣なんかではない。

 まことなる不死身の魔獣。


 実在してはいけない、おとぎ話の化け物だ。


「……撤退だ」

 歴戦の戦士であるグランツが、一言だけ発した。その表情は、何かを覚悟しているかのようにも見えた。

 俺たちは無言でうなずきあった。


 * * *


 たかぶった俺ののどは唸り声を上げる。

 修復された視界は良好。

 むしろ、魔獣の肉体は戦いの経験を経て、また一段高みへと進化したようだ。

 一度殺された今のほうが、かえって体の調子が良いくらいだった。


 さっきより周囲がよく見えるし、よく解る。


 さっきより体に力が入るし、体も軽く感じる。


 さっきより魔力が繊細に知覚できるし、扱える気がする。


 血がたぎる。

 魔獣の本能がたかぶる。


 さあ、殺し合いを続けようか。

 冬に呪われた雪原に、再開を告げるけものの咆哮が響いた。


「――今だッ!! 行けッ!!」

 俺の咆哮を皮切りに、四人の侵入者共も動き出す。

 最も経験のありそうな戦士を殿しんがりに残し、残りのメンバーは脇目も振らず駆け出した。

 どうやらチームとしての方針は、とっくに逃げに徹しているようだ。


 逃げ出す直前に、弓使いの少年が俺を目掛けて矢を放つ。

 二連の速射。

 俺はそのうち片方をかわし、もう片方を尻尾で払い除ける。

 今や俺は、至近距離で放たれた矢でも余裕でかわせる。そのぐらいに、動体視力や反射神経が向上していた。


 それでも片方の矢は尻尾で防ぐ破目になった。これは純粋に弓使いの腕だ。

 どうやらすでに俺の回避におけるくせも見切られていたらしい。回避行動すらも見越して放たれた布石の矢に、俺は釣られてしまった。

 ゆえに二本目の矢はかわせず、尻尾で払う必要があったのだ。


 ――そしてさらに、認識外のが右太腿ふとももに命中する。

 一本目の矢を避け、尻尾で二本目の矢を払った。その段階で、安心しきっていた俺。

 その油断を的確にうような追加の一本であった。

「ガルゥア!?」

 痛みは我慢できる程度だった。だが、驚きのあまり声を上げてしまう。

 威力は小さく、完全に足止めのためだけの攻撃。


 しかし、この矢はいつ放たれた? 間違いなく弓使いが放ったのは二本だけだったはずなのに。

 この程度の傷ならば数秒もあれば修復できる。そもそも今の俺は、脚の腱が斬られても問題なく走れる。

 だが俺は脚に刺さった矢の衝撃に、そんなことすら忘れていた。


 予想外の攻撃に行動が阻害されたが、ふと我に返った俺は弓使いたちの姿を探す。

 脱兎のごとく逃げ出した三つの影。

 その後ろ姿は、すでにだいぶ小さくなっていた。


 悪いが、誰一人とて逃がしてやる予定は無い!!

 即座に足を修復した俺は殿しんがりを務める戦士を無視して、逃げる弓使いたちを追おうとする。

「おっと、無視すんじゃねえ」

 そして当然のごとく、大剣を構えた戦士が立ちはだかった。


 割って入ってきた戦士は、俺に大剣を振り下す。

 再び真正面からの兜割かぶとわり

 今回もそれはかわしたが、薙ぎ払いの追撃から距離を詰められ、進路を再びふさがれる。


 俺はなんとか戦士を出し抜こうと試みた。しかし、どうやっても追従してくる戦士を振り切れない。

 逆にこっちから攻撃を試みるも、俺の間合いは完全に把握されていた。


 腕も尾も、ギリギリで届きそうな距離感である。だが、実際に振り回してみるとかすりもしない。

 かといって、魔力で肉体強化をほどこそうとすると、その隙をついて戦士は剣を振り下す。


 やはり、先ほど思ったとおりだ。この戦士の技量はかなり高い。

 そんな相手を真正面から押し切るのも面倒だ。それに、こいつを相手していたら残りの奴らにも逃げられるだろう。

 だから、ご褒美だ――腕を一本、くれてやる!


「なッ!?」

 戦士が驚愕の声を上げた。

 立ちふさがる戦士に、俺はわざと腕を切り落とさせて隙を作る。そして勢いに任せ、戦士を強引に突破した。


 一対一タイマンで互角にり合ってくる戦士とダラダラ遊んでいる余裕はない。俺が優先すべきはその他三人、後衛職の連中を速やかに始末することだ。

 失った直後から、修復されていく腕。

 今や、そこになんの感慨もない。

 体の一部を切り落とすくらい、黒騎士の野郎に一度切り落とされてから、もはや忌避感はなくなっていた。


 どうせ死なないのだ。

 無限にある残機を無駄遣いして何が悪い。

 戦士のおっさんよ、お前は他の連中を片付けてからゆっくりと相手してやろう。


 長い尾でバランスを取りながら、俺は恐竜ラプトルのように二本の後ろ脚で雪原を駆ける。

 狙いは弓使い、および比較的軽装備なその他の二名だ。


 すでにだいぶ離されていたが、俺が本気で走ればぐんぐん距離が詰まっていく。


 走りながらもメキメキと音を立てて腕は再生していく。


 前を走る三人が俺の気配に振り返り、今まさに生えてくる腕の有り様に驚愕の表情を見せた。


 そうだ。せっかくだから、新しく使えそうな魔術を実戦投入してみるか。

 魔力操作能力が進化した今の俺なら、思いつく限りの凍属性魔術が扱えそうだ。


 俺は走りながら復活したての腕で雪を撫でる。

 そして俺は一度え、凍てつく魔力に命じた。


「グルァア!!」


 その正体は、もはや言語の体すら成していない呪文だ。

 俺の呼びかけに呼応して、次々と地面から生えてくる鋭く尖った氷の柱。

 その軌跡はまるで凶暴な猟犬のように、冒険者たちを追い立てる。


「キャアッ!?」


 突如として足元から跳び出した鋭い氷の柱。

 足を取られた斥候の少女が雪原を転がった。


「リップ!!」

 弓使いの少年が叫ぶ。おそらく、斥候少女の名だろう。


 弓使いと魔術師の二人が足を止めても、俺の魔術は止まらない。

 つらなって生え続ける氷の柱は冒険者たちを追い越すと――彼らの前で扇状に広がって、進路を妨害する壁となった。


 氷の壁はさらに横に広がる。

 天井の空いた壊れかけのドームのように、三人を囲んで捕らえるよう三方向に立ちはだかる。

 後方に唯一残る退路。其処そこに待ち構えるは俺。

 三人の冒険者は完全に追い詰められる。

「……どうやら、見逃してくれる気はなさそうですね」

 逆境のさなか、魔術師が皮肉気な笑みを浮かべながら銃を構えた。


 さっきと違い、魔術師の青年が構える銃には魔力が込められていた。

 その銃口を見て、なんだか嫌な予感がした俺はあしを止める。

 やや遠巻きににらみ合う俺たち。

 間合いは、俺が銃声を聞いてからでもギリギリ反応できる程度。

 この距離感を保ちつつ、俺は奴らの様子をうかがうことにした。


「……ここで足を止めますか。考えなしに突っ込んできてくれれば、まだ希望はあったのですが……」

 魔術師が苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。

 やはり、俺の嫌な予感は正しかったようだ。

「偶然では……ないでしょうね。足止めに魔術を使う知能があるわけですから」

「……ごめん。オレの軽率な判断のせいで」

 弓使いの少年が、申し訳なさそうに謝った。

「私も止めませんでしたし、これはもはや事故みたいなものです。なげひまがあったら、生き残ることを考えましょう」

 そう言いながらも、魔術師は油断なく俺に銃口を向けていた。


 背後からは遠く、戦士が駆けてくる音が聞こえる。

 しかし結構な距離があるし、あの戦士はなかなかの重装備だ。追いついてくるまで、まだ時間はあるだろう。

 今のところ、俺と真正面からやり合えるのはあの戦士だけである。できれば、合流される前に終わらせたい。


 俺は氷柱つららを作り出し、中距離射撃の準備をする。

 しかし、それはさせまいと、弓使いが俺の眉間みけんを狙って矢を射った。

 俺はそれを余裕を持ってかわした――はずだった。


 ここで予想外の事態が発生する。

 その矢は、まるで俺の眉間を付け狙うかのように曲がってきたのだ。

「んガァッ!?」

 予想外の動きに俺は驚きつつも、俺はギリギリで飛び跳ねて、さらにその矢をかわした。

 矢は俺の体の下を通過し、そのまま過ぎ去っていった……かに見えた。


 通り過ぎた矢は、まるでツバメのように舞い上がる。

 そしてくもり空を背に旋回せんかいし、ハヤブサごとく急降下。

 空中に跳ねてしまった俺はその矢を回避できなかった。

 矢はそのまま俺の左肩に命中する。

 刺さったやじりに込められた魔力が弾け、肩の肉がズタズタに引き裂かれた。


 その隙をついて、魔術師が引き鉄トリガーを引く。

 放たれたのは、さっきと同じ散弾だ。

 散らばって飛んでくる無数の弾丸。隙を突かれた俺は、そのほとんどをまともに食らってしまった。

 しかし、魔力の込められた弾の威力は、さっきの豆鉄砲とは段違いだ。

 弾丸の当たった部分の肉が弾けるように吹き飛ぶ。場所によっては、白い骨が見えるほど深くえぐられた。


 射撃のために用意した氷柱つららも、散弾の雨に打たれて砕け散る。

 だいぶ頑強に作っていたのだが……どうやらこの散弾の弾一発一発に、木をなぎ倒す程度の威力が込められているらしい。


 なんだよ、それはもうバズーカ砲並の威力じゃないか!?

 片手で扱う銃が持っていい破壊力じゃないぞ!!


 だがそれ以上に、弓使いの放つ矢の追尾性が俺にとって危険だった。

 あそこまで自由自在な操作が可能となれば、今後は外れた矢にも警戒しないといけない。

 クソが、厄介な。

 しかし同時に、今までの不可解な矢について謎が解けた。

 一見外れたように見えた矢を、同じように操った――それが、あれらの正体なのだろう。


 そして俺は思い返す。

 そう言えば、最初に飛んできたのも矢だった。

 さらに俺に致命傷を負わせた切っ掛けも、あいつの矢だった。


 俺は肩に刺さった矢を抜きながら、弓使いの少年を見据える。

 ……改めて見てみると、少年か少女かはっきりしない中性的な外見だ。


 髪色はピンクの混じった金髪。ローズブロンドとかストロベリーブロンドとか呼ぶのだろうか。瞳はあおとピンクの中間のようなサファイア色。

 そして、その美しい面貌に似合わない頬の傷。

 構えた弓と背負った矢筒の他に、腰には複数の片手剣をたずさえている。どうやら接近戦もこなせるようだ。


 少年は俺を恐れながらも、真っ直ぐと目を逸らさずに相対する漆黒の魔獣を見据えている。

 その姿はまるで――物語に描かれる勇者ヒーローのようであった。


 その姿に、獣の直感がささやく。

 ああ、間違いない、こいつだ。

 この弓使いこそが、こいつら冒険者パーティのかなめ!!

 俺は弓使いの少年を最優先の標的に定め、気合を入れるため再び咆哮ほうこうを上げた。



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