更なる進化

 首に刺さった剣に邪魔されて、脊髄が治らず動けない俺。

 眼前に迫る黒い炎。目が焼き潰されて見えないが、嫌な気配と熱さで分かる。


 理屈は分からないが、この黒い炎は俺の再生力を打ち消してしまうらしい。

 しかも黒騎士が炎をまとって狂戦士化してからは、焼かれた箇所の再生がますますにぶっている。

 もしも、この炎で全身を焼かれてしまったら――再生はできず、そのまま死んでしまうかもしれない。

 まさに絶体絶命のピンチだった。


最期さいごに教えてもらおうか」

 黒い騎士の声が聞こえた。

何処どこに居る」

 間違いなく、彼女とはソフィアのことだ。

 俺は唾を吐きながら答えてやった。

「……教えるわけがないだろ、馬鹿が」

 本当のところ、俺がその黒い炎で死ぬかどうかは分からない。

 もしかしたら、単に再生に時間がかかるだけかもしれない。

 死なないなら教えるだけ損だし……本当に死ぬのならば、むしろ絶対に言いたくなかった。


 結局のところ、この騎士にソフィアの居場所を教えるのは無意味だ。

 ――何より、今まで社会の秩序や法律を守って生きてきた俺だ。暴力が強いだけの男の、その思うがままに従ってやることがとてもしゃくだった。


 その直後、いまだ炭化したままの眼球が潰される。

 ぐちゅりと嫌な音がした。

 眼球が潰れ、頭蓋骨が陥没した音だ。

 肉にめり込んだ金属の鎧が冷たく感じた。どうやら俺は今、踏み潰されているようだ。

「ならば、死ね」

 その機械的な声音に慈悲はない。黒い炎の気配が近づいてくる……。


 ――ゴンッ。


 何か軽く、同時ににぶい音がした。

 炎の気配が消える。騎士の鎧の音が俺から離れる。

 何が起きた? そう思っているうちに片目の視界が徐々に修復されていった。


 怪我の功名とでも言うべきだろうか、黒い炎に焼かれた部分が一度完全に潰されたおかげで取り除かれたらしい。

 焼かれて炭化した部分を切り落とせば、黒い炎の呪いも切り離せるわけか。

 明らかに俺の眼球の再生は早まっていた。


 とりあえず視界が確保できた修復途中の眼を動かして、俺は騎士の姿を探す。

 すると、視界の端に映ったのは、素早さで黒騎士を翻弄するクソウサギの姿だった。


 ……なぜ、あいつがここに?

 俺の疑問を無視して、ウサギと騎士の戦闘は続く。

 ウサギは華麗に跳ねまわり、四方八方から騎士を襲撃する。対して騎士は剣を持っていないため、盾と格闘術で対応していた。


 ――こうして客観的に見ていると、今まで俺がウサギに攻撃が当てられなかった理由がよく分かった。

 空間を縦横無尽に移動し、隙を見ては鋭い蹴りを入れる。その攻撃の合間を埋めるように放つ魔術の牽制も見事だ。

 しかし、騎士にとっては、このウサギもただの雑魚魔獣に過ぎなかったらしい。

 そして何より、小さなウサギの攻撃は、全身鎧の前には軽すぎた。


 ドンッ。

 くぐもった衝撃音。


 盾の突き上げによる重い一撃――いわゆるシールドスラムを食らったウサギは、苦悶の表情で地面に転がる。

 黒い炎による攻撃は一切貰っていないのはすごいが、逆にそれを意識し過ぎた結果だろう。

 たった一回、攻撃を食らっただけで、ウサギはもう立ち上がれなくなっていた。

 乱入してきた小さな獣をほふるため、黒い騎士は横たわる彼女に歩み寄る……。


「――待ちなさい! クロード・フォン・ニブルバーグ!!」


 今度はウサギをかばって、誰かが叫んだ。

 それは今、一番聞きたくない少女の声だった。


「……やはり、此処に居たか。ソフィア・エリファス・レヴィオール」

 黒い鎧の騎士が、その少女の名を呼んだ。


 メアリス教国からの刺客、黒騎士ニブルバーグの末裔まつえい、クロード将軍。

 奴はとうとう、目的の少女を見つけてしまった。




「ここからは……わたしが相手します!」

 相変わらず動かせない体。視界の外からソフィアの声が聞こえた。

「駄目だ、来るな……ソフィア!」

 しかし、俺のかすれた声では、彼女に届かない。


水の球よスフィアェラ・アクァエ!」

 ソフィアが攻撃呪文を唱える。しかし翻訳魔法を信じるならば、たかが水の玉だ。ウォーターカッターとかならまだしも、攻撃力には期待できそうもない。


 そもそも、以前にソフィア自身が言っていた。

 攻撃魔術は得意ではないと。


「えいっ!!」

 ソフィアの掛け声が聞こえた直後、ジャバーンとバケツの水をひっくり返したような、どこが場違いな音がした。

 そして何も起こらなかったかのように、移動を再開する鎧の音。


「うっ……聖なる壁よサンクトゥス・ムルム!」

 ソフィアが次の詠唱を始める。今度は結界魔術のようだ。

 だが、その光属性の気配は、すぐに黒い炎の気配に上書きされてしまった。


 燃え広がる炎の音。

 どうやらあの黒い炎は、俺の再生能力を焼くだけでなく、魔術そのものを焼くことができるらしい。

 つまり、ソフィアが得意としている結界魔術では黒騎士を止められないということである。


 例え目に見えなくても、全く歯が立っていないことが分かった。

 このままではソフィアの命は風前の灯火ともしびだ。


 誰か、この状況を打開できる者は居ないのか?

 俺は必死で考える。

 俺以外で唯一この場に居るのは、視界の隅で悶えているウサギのみ。しかし、彼女は思いっきり腹部を殴りつけられて、まだ呼吸が上手くできていないようだ。

 考えた結果、もはやこの状況をどうにかできる者は、誰も居なかった。


 クソッ! 動け! 動け!!


 せめてものの抵抗で、俺は悪あがきをする。

 神経の途切れた体を動かそうと、必死で念じた。


「キャァッ!!」

 聞こえてくるソフィアの悲鳴。雪と泥の上を何かが転がる音。

 ソフィアが転ばされたらしい。


 もう、時間が無い。

 畜生! ここで動けないで、なにが不死だ! こんなの、本当にただじゃないか!!


 ふざけるな! ふざけるな!!


「恨むな、とは言わない。せめてここで、苦しまないよう死なせてやろう……!!」

 騎士が何かほざいているのが聞こえた。

 黒い炎の気配が膨れ上がる。

「ああ、せめてものの慈悲だ。元の姿も分からないほどに、この黒き炎で――」

 ソフィアが黒騎士の手によって、今まさに殺されようとしていた。


 ……その時、俺の全身を不思議な感覚が包んだ。

 それはこれまでにも何度か経験した、身に覚えのある感覚だった。


 一回目に感じたのは、この冬に呪われた地に連れてこられた日、オオカミの群れに襲われた時。

 あの時は血が止めどなく流れていたはずなのに、傷付けられればられるほど、近づいてくる死に抗うための力が湧き上がってきた。

 そして俺はその時初めて、自分が不死の魔獣であることを理解した。


 二回目は、ソフィアが初めて冬の城を訪れた日、蒼シカの狩りを何度も失敗していた時。

 無謀な狩りを続けた結果だんだんと、まるでパズルのピースが埋まっていくように、足りなかった歯車がかみ合っていくように、魔獣の肉体を使いこなせるようになっていった。

 そして俺はあの時から、多少の痛みを無視できるようになったのだ。


 そして今回は……繋がらない神経系の代わりに、魔力の網が体に張り巡らされる感覚だった。

 動かぬ肉体からひとつひとつ、自分の支配域が取り戻されていく。


 頭部、首、背中、胸部、両腕、両足、尾……。

 そしてついに、その新たな魔力の神経が全身に張り巡らされる。


 ――動いた!!


 俺はその奇跡に歓喜した。

 体を動かすのではなく、操り人形を動かすような感覚。


 内部操作ではなく、外部からの操作。

 脚の腱も切られたままだったが、関係なく動かせた。

 魔獣として、俺はさらなる高みへと進化したのだ。


 俺は弾けるように体を起こし、振り返りざまに駆けだす。

 そして視界に入るや否や、憎き黒い鎧の騎士に殺意を込めて全身全霊で突き飛ばした。


 それでも黒騎士は転びすらせず、俺と距離を取って対峙する。

 俺はソフィアと奴の間を陣取るようにして、黒騎士の前に立ち塞がった。


「まさかこの短時間で――魔力で無理やり、己の体を操っているのか! 化け物め!!」

 再び立ち上がる俺の姿を見て、黒騎士が忌々しげに叫んだ。


 * * *


 俺と黒騎士は再び睨み合っていた。

 とはいえ状況は俺が圧倒的に不利だ。


 確かに騎士の剣は俺の首に刺さったままで、相手は格闘戦を強いられている。だが黒い炎の脅威は健在だ。

 未だ俺のもう片方の目、片腕、尾は炭化したまま回復しない。

 どこかのタイミングで一度かれた部分を切り落とせれば、もっと早く回復できるだろうが……それでもノータイムで修復できるわけではない。


 そして何より、俺はソフィアを守りながら戦わなくてはいけない。

 黒い炎を前にソフィア自身の結界魔術が役に立たない以上、彼女を守れるのは俺の肉壁だけだ。


 いや、そうでなくても……さっきみたいな超広範囲の炎属性魔術をばら撒かれるだけでこっちは終わりである。

 たとえ俺が死ななくたって、黒騎士を殺したって、ソフィアが死んでしまったら意味がないのだ!


 緊張で張りつめた空気が、場を支配していた。


「――そこまでじゃ! メアリスの騎士、ニブルバーグの末裔まつえいよ。今すぐ剣を納めるのじゃ!!」


 いきなり、ソフィアとは違う少女の声が雪原に響いた。

 振り返ると、そこには萌木色のドレスにローブを羽織った幼い少女が――放浪の魔女が立っていた。



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