冬に閉ざされた平穏

 朝になって部屋から出た俺が見たのは、なんとも奇妙な光景だった。


 例のあいつらである。

 不気味な人型のゴーレムたちが、城の中を掃除していたのだ。

 仮面をつけた白磁の人型が黙々と掃除をしている異様な姿に、俺は思わず驚きの声を上げてしまった。


 乾燥していながらも清々すがすがしい冬の朝の空気が、一瞬でまさかのホラー展開だ。

 そして仮面ゴーレムたちの中に混じって、修道服を着た少女が一緒に掃除していた。


「あっ、魔獣様。おはようございます」


 俺の驚いた声を聞いて、彼女はこちらに気が付いたようだ。

 修道服の少女――レヴィオール王国の姫君、ソフィア・エリファス・レヴィオールが、汚れた雑巾を片手に挨拶あいさつする。

 その脇には水の入った木製のおけが置かれ、モップなんかも立て掛けられていた。


「お、おう……おはよう……」

 呆気にとられた俺はそれ以上何も言えず、生返事するので精一杯である。

 一方で、彼女はこちらに向けて朝一番にこりと微笑ほほえんだ。その笑顔は今まで俺が見た中でも最高に魅力的だった。

 しかしながら、俺の内心はそれどころでない。

「朝食の準備ができていますよ。それと、ドロシー様がお呼びでした。食堂でお待ちとのことです」

「あ、ああ。分かった……」

 ソフィア姫にそう返して、俺はとりあえず食堂に向かった。


 * * *


「――おい魔女!! なんでお姫様に掃除なんかやらせてんだよ!!」

 食堂に入るなり、開口一番で俺は怒鳴った。天井のシャンデリアが勢いよく開いたドアの衝撃と振動で小刻みに揺れる。


 萌木色のドレスを着た魔女はテーブルの一角で朝食を食べていた。

 室内であるからかローブをまとっていない彼女は、貴族のお嬢様のようにも見えた。


 テーブルの上にはソフィア姫の言ったとおり、素敵な朝食が用意されていた。

 今朝の献立はチーズの乗ったパンにベーコンエッグ、そして飲み物はミルクである。絵に描いたような欧州風の朝食だ。


 ……あれ? そう言えば、あの仮面ゴーレム共はまともに料理できなかったような。

 ということは、この朝食を用意したのは誰だ?

「ま、まさか……これもあの娘に……!」

「なんじゃ? 朝から騒がしいのう。もう少し静かにできんのか」

 パンをかじりながら魔女は言った。


「おい、これはどういうことだ? 俺はてっきりあの仮面を付けたゴーレム共が世話をしていると思っていたんだが。なのになぜ、あの娘が働かされているんだ?」

 俺は真っ白なテーブルクロスを力強く――もちろん勢い余って破壊しないよう手加減をして――叩いたが、魔女は平然とした顔だ。

「ソフィーが自分で言いだしたんじゃよ。なんでも、修道女としての生活が長かったから、家事をするのには慣れとるんじゃと」

 魔女は優雅な朝食を続けつつ、至って普通のことであるかのごとく答えた。

「いや、だからって、本当に家事をやらせるのはおかしいだろ!」

 わなわなと俺の体が震えだす。


 なんて恥知らずな。

 仮にも客人に働かせるなんて。

 俺は眩暈めまいのする気分だった。


 最底辺のIT土方にだって、客人をこき使わない程度の良識はあるのだ!

 基本的なスタンスが不干渉なのは変わらない。だが! なにも不遇な扱いを受けさせたいわけではないのである。


うるさいのう……いったい何が不満なのじゃ? ソフィーが自分の意志でやっていることなのじゃから、そう過剰に気を遣う必要ないじゃろうて」

「いや、そりゃ俺の側に不満があるわけじゃないが、そういう問題じゃないだろ!」

「それほど気を揉むのならば、お主も手伝ってあげるなり、あるいは何か別の形で報いてやればよいじゃろ」

「だから違う! なんかもっと、こう、ホラ、常識とかマナー的な……しかも彼女はただのお客様ゲストどころか、お姫様だぞ? そもそも、料理とか掃除させているのが根本的に不味いだろ」

「まったく……お主は変なところで律儀じゃな」

 魔女が呆れた表情でため息をいた。

「じゃから、その本人が進んでやっているのじゃ。別にお主らの間に主従関係があるわけでもなし。ならば、それでよいではないか」

「いや、まあ……あれ? そうなるの、か……?」

 言われてみればそんな気もしてくる。

 本人がやりたいと言っているのならば、俺が口出して邪魔するのもおかしな話だ。

「第一、ソフィーのほうから歩み寄っているのに、それを腫物はれもの扱いするほうがよっぽど失礼だと儂は思うぞ?」

 ……確かに、無理やりやらせているわけでもないし、本人が不満に思っていないなら別にいいのか?

 だんだん自信がなくなってきた……。

「ソフィーの立場からすれば一宿一飯の恩義もある。義理堅いあの娘にとっては、むしろ当然の行為じゃろうて」

「…………」

 俺は何も言い返せなかった。


 しかし理解はできても、何かが納得できていない。もう、何が正しいのかよく分からない。

 胸の内に、もやっとしたものが残った。

「……とりあえず座るのじゃ。せっかくの朝食、冷ましてしまうのももったいないじゃろ?」

 未だ考えはまとまっていなかったが、魔女に言われて仕方なく俺は席に着いた。




 用意された朝食を食べながら俺は考えた。

 ……悪いか? 食べずに残すのは勿体ないだろ?

 メニューは決して手の込んだものではなかったが、その分丁寧ていねいに作られているのが分かった。


 特にこの形が整ったベーコンエッグ。

 ベーコンエッグという料理は、自分で作ってみるとなかなか難しい。

 薄切りのベーコンはカリカリに焼くと美味いが、ちょっとの油断ですぐちぢれて悲しい状態になる。

 その点、この朝食は完璧であった。

 カリッと香ばしいベーコンの焦げ目にプリッとした目玉焼きの白身。そしてふっくらと膨らんだ黄身からは、つつけばトロリと中身があふれ出す。

 昨晩の生焼け魚なんかとは、大違いだ。


 ……そう言えば、あのゴーレム共が料理できないことは、昨日の晩餐会が終わった時点で分かっていた情報だったな。

 ということは、もしかして朝食これは俺が手配すべき案件だったのでは?

「うわ、やらかしちまったな……」

 俺は自分の不手際ふてぎわを恥じ入った。

 基本この一か月の間は飲まず食わずだった上に、人間だった頃も朝食は食べないライフスタイルだった。

 そのせいで朝食という概念が頭からすっぽりと抜け落ちていたのだろう。


 だが、気を付けていれば気付けた事案だ。

 てっきり面倒くさいことは全部あのゴーレム共がやってくれる気でいた。実際はとんだポンコツ軍団だったがな。

 本当に、かゆいところに手が届かない奴らだ……。

「まーだ悩んでおるのか、お主は」

 魔女はまた、呆れた顔で言った。


 彼女はホットミルクのカップをテーブルに置くと、神妙な面持おももちで言った。

「よいか? お主の態度は一見すると、ソフィーを気遣っているように見える。だがその実、彼女を客人……いや、に分類することで、心に壁を作っておるだけじゃ」

 それは否定しない。

 実際に彼女は他人だ。当たり前のことである。

 フレンドリーであることと馴れ馴れしいこと、そして厚かましいことは、決して同じではない。

 こと人間関係においては、きちんとした線引きが大事なのだ。


「その顔……何がいかんのか分かっておらんようじゃの。ならば教えてやろう。お主のそれは敬意ではない。単にだけじゃ」

 魔女は厳しめの口調で続ける。

「お主は無償の善意に裏があると決めつけ、あの娘を潜在的な敵とみなしておる。浅ましいことよ。しかも、それを無意識……いや、のうちにやっておるから尚始末に負えん」

「……敵とみなしている、だって?」

「そうじゃ。だからお主は、つけ込まれる隙を作らないよう、必死で借りを作らないようにしておるのじゃ。それこそが、お主がソフィアの厚意を素直に受け入れられない真の理由じゃよ」


 それはない。流石に言い過ぎだろう。

 俺はその大げさな物言いに反論しようと思ったが、上手く言葉が紡げなかった。


 少なくとも、ソフィア姫を絶対的な味方としては見ていない――これは紛れもない事実だったからだ。

 それが『潜在的な敵とみなしている』状態だと言うならば、まさに魔女の言う通りである。


「結局お主は、自分の領域しろで好き勝手されておるのが気に入らんだけじゃ。心の狭い男じゃのう」

「……言ってくれるじゃねえか。じゃあ、俺に教えてくれよ。ソフィア姫に対して……俺はどう接するのが正解なんだ? このまま放っておけばいいのか?」

 魔女はあきれたようにため息をいた。

「まずは素直に感謝しとればいいじゃろ。何するにしても、全てはそこからじゃな」


 ……目からウロコだった。

 確かに、まずはお礼を言うべきだ。

 信じるとか、信じないとか、それ以前の問題である。


「そもそものう。いくら悩んだところで、お主にはソフィーに振る舞えるほどの料理の腕があるのか?」

「……確かに、無いな」

 最低限の自炊はできるが、所詮は一人暮らしのIT土方だ。他人に食べさせられるほどの料理の腕はない。

「ついでに、掃除や片づけも得意ではないじゃろ? 元の住家も散々な状態だったではないか」

 俺はお世辞にも整理されているとは言えない男一人暮らしの部屋を思い出す。

「……そのとおりだ」

「ならば、やりたがっているソフィーにやってもらうのが一番じゃろ。適材適所じゃよ」

「…………そうだな」

 魔女は満足そうにうなずいた。

「いつでも手放しに相手を信じろとは言わん。だが、曲がりなりにも一つ屋根の下で暮らしておるのじゃぞ? まずは互いに助け合うこと、支え合うことをお主は学ばねばならんようじゃのう」

 俺は何も言えなかった。そんな俺を見て、魔女は優しげな笑みを向けた。


「お主は孤独をこじらせすぎなのじゃよ。そう難しく考えんでよい。ソフィーに何かをしてもらったのなら、その分お主も、後で何か返してやればよいのじゃ。な? 簡単な話じゃろ? さあて、そのためにも、そろそろ行くとするかの」

 魔女はミルクを飲み干すと、すっくと席を立った。

「……行く?」

 どこへ? 俺には分からなかった。

「昨日話したじゃろう? シカを狩りに行くんじゃよ。今回は血の処理のやり方を教えてやろう。先に外で待っておるぞ」

 ……ああ。そういえば、そんな約束もしていたな。

 魔女はローブを着こむと、食器の後片づけをゴーレムに押し付け、食堂から出て行った。




 食堂に一人残された俺は、先ほどの会話を思い出していた。


「……まずは素直に感謝すればいい、か」

 俺は自嘲気味に笑う。


 何はともあれ、手助けしてもらったら「ありがとう」と言いましょう。


 まるで幼稚園児に対する教育だな。

 なのに、そんなこと魔女に言われるまで、考えることすらしなかった。


 こんな簡単なことにさえ、俺は気付けなかったのだ。

 その言葉は感謝の意を示すはずなのに、俺の中ではいつの間にか、無機質なビジネス用語に成り下がっていた。


「独りの時間が……長すぎたのかもな」

 あろうことか、この期に及んで俺は、互いに不干渉でいられたら楽だな……なんてことを考えていたのである。


 最底辺の社畜どれいとしてすり減らされているうちに、どうやら俺は人として最低限の、善意の受け取り方すら忘れてしまったらしい。


 上手に焼けたベーコンエッグの残りを口に入れながら、俺は一人、今後ソフィア姫にどう接していくべきか考えていた。


 * * *


 朝食を食べ終えた俺は魔女と合流し、蒼シカを狩るために枯れ木の立ち並ぶ森を訪れていた。

 外の天気は晴れであった。

 多少の雲はあったものの、青空の占める領域が広くて清々しい天気だ。


 冬に呪われた領域は、意外と結構広い。

 西を見れば山岳地帯が目に入るし、北東に向かえば沿岸部があるらしい。

 だが、俺の活動範囲はもっぱら冬の城周辺の平野部と、外の世界との境界も兼ねる森林の一部分だけだ。


 その枯れ木が立ち並ぶ森の一角に、蒼シカの悲鳴が響き渡った。

 俺は暴れる蒼シカを魔獣の怪力で無理やり押さえつける。

 そして首の骨を折り、止めを刺した。


「三回に一回……成功率は三割といったところか。優秀じゃな。昨日が初めてだとは、とても思えんの」

 いつの間にか後ろにいた魔女が俺の狩りについてそう評価した。


 蒼シカの狩りは怖いくらいに順調だった。

 流れは昨晩と同じである。魔法の鏡で獲物の位置を確認し、相手の知覚外から急接近、あとは流れで臨機応変にだ。

 初め二回は蒼シカに上手く逃げられたが、三回目であっさりと目的を達成した。


 成功率はまだまだ高くないものの、昨日より体が馴染んでいる。明らかに動きがよくなっていることが自分でも分かった。

 きっと次は、もっと上手く狩れるだろう。


「要望通りだ、傷付けず仕留めたぞ」

 俺は事切れた蒼シカをそっと雪の上に寝かせる。そして魔女に預けていた魔法の鏡を受け取りながら尋ねた。

「で、次はどうすればいいんだ?」

「……そうじゃのう。とりあえず、冷やしながら城まで持ち帰るとするか」

 魔女が杖を振ると、蒼シカの死体が宙に浮いた。魔女が移動に合わせて、蒼シカの死体もだらんと四肢をぶら下げながら付いていく。このまま持ち運べるようだ。


「……やっぱ便利だな、魔法ってやつは」

「こんなのは、ただの魔術じゃよ。大して難しい技術ではない」

 魔法ではなく魔術。

 魔女はそう訂正したが、俺には違いが分からない。

 どちらにせよ、奇跡も魔法もない地球出身者の俺にとっては未知の力だ。


 しかし……なんとなく懐かしい気分になるな。

 俺も昔はよくファンタジーの世界を冒険するゲームをやっていたし、そういった不思議な力に憧れたこともあった。

 むしろ、今でも憧れていると言って過言ではない。


 ……そうだ! せっかく魔法がある異世界に来たのだ。

 もしかしたら、この世界でなら俺も魔法が使えるのではないだろうか?


 もし可能なら、是非とも使ってみたい。

 そうだ。こっそり試してみよう。


「…………ウィンガーディム・レビオーサ」


 昔見た映画の呪文だ。

 雪の塊に向かってぼそりと唱えてみる。しかし、当然のごとく何も起こらなかった。


「なにを言っておるのじゃ、お主は?」

 しかも運の悪いことに、魔女にはしっかりと聞かれたようだ。

 なるべく小さい声で唱えたのだが、振り向くと魔女は俺のほうを見ていた。


「し、小説に出てくる浮遊呪文だ……そういえば、この世界の魔術には呪文とかは無いんだな」

 気恥ずかしくなった俺は、今見られたであろう行為を誤魔化すために話題を変えた。


「ふむ……それは人それぞれじゃな。唱えて威力が増すなら好きに唱えればよい、そんな扱いじゃの」

「呪文の有無で威力が変わるのか?」

「そりゃそうじゃ。ただ知識やセンスがないと逆に弱体化するからのう。発動も遅くなるし、儂はあまり唱えんな」

「へぇ、それは興味深い話だ」


 呪文の内容で魔法の威力が増減するならば……竜○斬ドラグ・ス○イブみたいな強い呪文を詠唱したら、やはりとんでもない威力になるのだろうか?


 使い勝手を重視するなら、光の白刃はくじんを放つ詠唱でもいいな。


 いや待て、オシャレな黒い棺桶かんおけの詠唱も捨てがたい。


 雷と自身を融合させる闇の魔法マギアにも憧れる。


 いや、いっそ皆大好き無○アンリ○テッド剣製ブレイド○ークスを再現するのはどうだろうか――。


「そうじゃ! お主、これを機に魔術を学んでみんか?」

 俺が空想にふけっていると、唐突に魔女が提案した。

「幸か不幸か、その姿のお主なら十分な魔力もある。ちょいと儂がチャネルを開いてやれば、お主にも使えるようになるじゃろ」

「チャネル? よく分からないが、それを開けば俺も魔法を使えるのか?」

「魔法が使えるかまでは知らんがな。じゃが、この地で練習すれば……そうじゃな。中位の凍結系統の属性魔術ぐらいなら、すぐに習得できるはずじゃ」

 意味はよく分からなかったが、この世界の魔法は俺でも結構簡単に覚えられるものらしい。

「そうか。なら是非頼む!」

 思わぬ楽しみに自然と気分が高揚した。


 ついに俺も魔法使いデビューか。

 そうだよ、こういうのでいいんだよ。

 やっぱり異世界転移にはこの手のイベントがないとな。

 雪の積もった平原を踏みしめながら、俺は意気揚々と城に向かった。



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