獣混じりの姫君

 その少女の姿は、一言で言い表せばであった。

 ココアのような褐色の肌に、新しく降り積もった雪みたいな純白の髪――ちなみにこの配色は、地球だと染めでもしない限り、まずありえない組み合わせとなる。

 前髪は目元を隠すように伸ばされていたが、それだけでは彼女の整った顔立ちは隠しきれていない。


 そして……人間にしては長い耳。

 修道服のフードによって隠されていた彼女の真の姿。それは俺にとって、少々予想外なものだった。


「まさか、ダークエルフか!」

 俺はその姿に興奮を隠せなかった。


 書籍によって設定は多少異なるものの、エルフといえば共通して、森に住む妖精や精霊に近い存在として知られている。

 そして、ダークエルフはその対なる存在だ。

 褐色の肌をもつ彼女たちは神秘的に描かれる通常のエルフと異なり、より肉感的かつ蠱惑こわく的な部分を強調して描写されることが多い。

 いずれにせよ、日本のサブカルチャーにおいては、美男美女のそろうファンタジーの王道種族である。


 エルフと言えばファンタジー、ファンタジーと言えばエルフ。

 異世界ならばエルフに似た種族が居るのも不思議ではないのかもしれないが、いざ本物を目の前にすると、その幻想的な姿に驚かされる。

 まさか、こんな雪と氷に閉ざされた辺境で、森の妖精たるエルフに会うことができるなんて……。


「お主、違うぞ。ソフィーはダークエルフではなく、バフォメット族じゃ」

 魔女が俺を杖で小突く。そして、声をひそめながら間違いを訂正した。

「……ん? バフォメット族?」

 耳慣れない言葉だが、聞き覚えがある。

 それは確か、どこかの牧神か悪魔の名前だったような……。


「左様。褐色の肌に白き体毛、横向きの瞳孔にヤギのヒヅメツノをもつ魔導の民じゃ。かなりの健脚を持ち、普通は険しい山を住家としておるの」


 確かに言われてみれば、彼女の長い耳もいわゆるエルフの笹耳ではなく、白い体毛におおわれたヤギの耳のように見える。

 清楚なロングスカートの裾からのぞいた足元を見れば、これまた純白の毛に覆われたヤギの足がヒールを履いていた。


「そして何よりの特徴は額の宝石じゃな。バフォメット族は第三の目とも呼ばれるその宝石を通して魔力を直接『視る』ことができる。その特性から、優れた魔術師や魔具師となる者が多いのじゃ」

 魔女はなぜか得意気な様子で解説を締めくくった。


 なるほど。つまりゲーム風に要約すると『魔法特化のヤギ系獣人』だな。

 そういえば、地球でも「バフォメット」と言えばヤギ頭の悪魔だった。

 おまけに魔女や黒ミサと深い関わりがあったはずだし、ヤギはどの世界でも魔法と縁があるのだろうか。

 なんにしたって、分かりやすいのは大歓迎である。


「しかしソフィーや、その髪型は少々野暮ったいのう……そうじゃ、これを使いなさい」

 魔女が懐から取り出した何かを少女に手渡した。

 その手の中には輝くアクセサリが握られていた。見たところ、どうやら髪留めのようだ。

「ここにはお主の瞳を、額の宝石を不気味がる者はおらん。せっかくの可愛い顔を、隠すような真似はしなさんな」

 少女は一瞬の間躊躇ためらったようだが、魔女に逆らうことなく素直に従う。そして、しなやかな手で髪留めをつまむと、顔が見えるように髪型を整えた。

 そしてあらわとなった素顔に、俺は思わず息をのんだ。



 なんて――綺麗なんだ。



 明らかに普通の人とは異なる姿。それなのに、そう表現せざるほどの美貌を彼女は持っていた。

 こんなに綺麗な女の子が、現実に存在するなんて……本当に俺と同じ人類か?


 いや、同じ人類とは違かった。

 この娘はバフォメット族だ。俺自身もよく考えたら、今は魔獣だわ。


 俺が少々混乱しているさなか、髪を整えた少女はその睫毛の長い目をおずおずと開く。

 そのアッシュグレーの瞳には、魔女が言ったとおり横向きの瞳孔があった。


 人によってはその瞳を、どこを見ているのか分からない不気味な目だと評するだろう。

 しかし俺からすれば、その瞳からは不気味というより、どこか眠たそうで、優しげな印象を受けた。


 そして何より目を惹いたのは額に輝く翡翠ヒスイかエメラルドのような緑色の宝石。それは俺にも分かるほどに濃い魔力を有する輝きを見せる。

 彼女の整った美貌びぼうを引き立たせる、天然の装飾品。

 その輝きは、魂さえをも魅了してしまいそうなほどだった。

 その吸い込まれそうな輝きを眺めていると、ここが地球とは違う世界であることを改めて実感させられる。


「うむ、やはりお主はそうしたほうが魅力的じゃぞ」

 魔女がバフォメット族の姫に言った。

 不覚にも、それには俺も同感だった。


 俺が彼女の幻想的な美しさに見惚れていると、少女は緊張をほぐすように深呼吸をして、一歩前へと進み出る。

 そして俺に対し、スカートの両側をつまんでお辞儀をした。


「改めまして、まずはお城にお迎えいただいたこと、感謝いたします」


 その振る舞いは、それこそ本物のお姫様みたいに可憐であった。

 どうやら彼女はすでに、最初のような恐怖心を抱いていないようだ。


「もうご存知かもしれませんが、わたしの名前はソフィア……ソフィア・エリファス・レヴィオールと申します。以後、お見知りおきのほどを」

 彼女は透き通るような声で名乗った。


 へえ、本当はソフィアという名前なのか。

 だから愛称はソフィーであると。

 うん、良い名前だと思う。

 家名もミドルネームまで入っているし、どことなく王族っぽい響きだ。

「伝説にも語られる冬の城、そのあるじへの謁見をこうして許されたこと、まこと光栄に存じます」

「ああ、これはどうも、ご丁寧に……」

 ソフィア姫のうやうやしい挨拶は続いていた。気が付けば俺は、半ば無意識でなんとも情けない受け答えをしていた。


 ……て、駄目じゃないか、彼女に見惚れるなんて!

 たとえ彼女が運命の相手であろうと、惑わされるな!


「そういえば、こっちもちゃんとした挨拶はまだだったな」

 俺は頭を切り替え、話題を考える。

 そうだ。俺の目的は不死の魔獣となって、永遠のスローライフを手に入れることだぞ!

 そのために俺のやるべきこと。

 それは、できる限り早く彼女にこの冬の城から出て行ってもらうことだ!

 彼女と仲良くなる未来なんて、ありえない!

 俺は気を引き締め直した。


「俺は、えーっと……」

 さて、名前は……どうしようか。さっそく言葉に詰まる。

「……俺は、この城に住んでいる…………ただの魔獣だ」

 一瞬迷ったが、人間だった頃の名前は名乗らなかった。

 その名前は俺にとって、すでに捨て去った過去なのだから。

「えーっと……つまり、魔獣様にお名前はないのですか?」

「ああ、そんなところだ。まあ、好きに呼んでくれればいいさ」

 普段なら迷わず敬語を使っていた場面。

 だが、これからは俺も不死の魔獣として生きていくのである。

 今後は人間相手に、無駄にへりくだった喋り方をするつもりは一切ない。

 なんてことを考えながら、俺は少しでも格好良く見える……もとい、威厳のある喋り方を意識していた。


 ちなみに、なぜか俺たちの言葉は問題なく通じている。

 細かいことはよく分からないが、おそらく魔女が翻訳魔法とかで上手くやってくれているのだろう。

 そんな俺たちの交流を眺めていた魔女は満足そうにうなずいた。

「自己紹介は済んだようじゃの。立ち話もなんじゃし、とりあえず席に座るがよい」

 魔女に指示されるまま俺は席に座った。




 俺が座ったのは長いテーブルの端、いわゆる誕生日席だった。

 一応、俺がこの城のあるじだからか?

 体が大きくなって太い尾も生えた今の俺だと、背もたれのある普通サイズの椅子は座りにくい。尻尾が邪魔にならないように調整してなんとか席に着くが、だいぶ無理のある姿勢となってしまった。


 魔女とソフィア姫は俺の両隣、二人向き合うような形で座った。

 ……はたして、この座り方は正しいのだろうか? 長テーブルの大半のスペースが無駄になってしまっているが……。

 だが向かいに座られても会話し辛いだろうし……実際のところ、どうなんだろうな。一般庶民な俺には、貴族の作法は分からない。

 しかし、元お姫様も普通に隣に座っている。だから……これで問題ないのかな?


「それで、あー、ソフィア姫と呼べばいいのか? 貴女がそこの魔女の知り合いだとは聞いている。とりあえず今晩この城に泊まることについては異論ない」

 流石に今から、この寒空の下に追い出すわけにもいかないもんな。

 それに、この城にいる間は魔女のゴーレムが面倒を見てくれると言質げんちは取っている。ならば俺から文句を言う筋合いはないだろう。


 ただし、それも今晩に限った話だ。

「だが、そもそも俺は詳しい事情を知らない。王家の血を引く者が、こんな何もない冬の城を訪れるなんて、ただ事ではない理由があるんじゃないか? できるならば、その理由を聞かせてほしい。もしかしたら俺は貴女の力になれるかもしれない」

 そして速攻でその問題を解決し、彼女にはこの冬の城からお引き取り願う。

 これが俺の素晴らしい計画だ。


 さあ、語ってごらんなさい。

 この不死身の魔獣が、あなたの悩みを華麗に解決してあげましょう。

 なんつってな。


 ソフィア姫はしばしの沈黙の後、決心したような表情で口を開いた。

「魔獣様からの申し出に感謝しかありません……実は、お願いがあります」

 ソフィア姫の目は俺をまっすぐ見つめていた。

「どうか、しばらくの間、わたしをこの城にかくまってほしいのです」

「……匿う、だと?」

「たいへん厚かましい頼みごとであることは、重々承知しています。ですが、何卒なにとぞ……」

「いや、そんなことしなくても、こっちの魔女に頼めば多分、どこでも好きな場所へ逃がしてくれると思うぞ?」

 魔女がすごい形相で俺を睨んでいたが無視する。

「いいえ。それでは駄目なのです。誰にも見つけられない、この冬のお城でなければ。どうか、お願いいたします……!」

 ……どうやら、すぐに解決できる悩みではなかったようだ。

 始まって早々、俺の計画は脆くも崩れ去ってしまった。




 冬に呪われた地にお姫様が来る理由。

 考えてみたが、いったいどんな理由があるんだろう?


 何かに追われている?

 それとも、この辺りにある伝説のアイテム的なお宝を探している?

 俺の頭ではそのぐらいしか思いつかなかった。


 もし何かに追われているなら、他力本願だが、神出鬼没の魔女がどこか遠くに送ってやればいい。

 確証はないが、異世界転移ができるのだ。同じ世界でも転移できるだろう。


 その相手が盗賊か反乱軍か、はたまた敵国の暗殺者かは知らないが、そういった陰謀的なゴタゴタは魔獣である俺の手は借りずに、人間同士で解決してくれ。


 もし何かを探しているのなら、もっと話は簡単だ。魔法の鏡を使えば一発で解決する。

 仮に鏡で見つけられなくても、一週間も付き合って探してやれば諦めてくれるだろう。


 てっきりその程度の問題だろうと高をくくっていた。だが、どうやらそれほど単純な話ではなかったらしい。

 俺は彼女の置かれている境遇を軽く考えすぎていたようだ。


「穏やかじゃないな。いったいどういうことだ」

 俺の質問に彼女は言葉を続ける。

「わたしは今、恐ろしい相手に追われているのです――メアリス教国の、クロード将軍に」

 ソフィア姫はだいぶ溜めてから、その名を口にした。


 しかし、そんな「誰もが知っているあいつ」みたいなノリで話されても、異世界出身の俺が知っているわけがない。

「……なあ、クロード将軍って、誰だ?」

「メアリス教でまつられる英雄の末裔まつえいじゃよ」

 ソフィア姫の代わりに、神妙な面持ちで魔女が答えた。

「英雄?」

「黒騎士ニブルバーグ。かつて女神メアリの信託を受けた勇者と共に戦い、そして勇者を裏切った背徳の騎士じゃ。儂の勘違いでなければ、クロード将軍はその子孫じゃったはず」

「はい。確か彼の真名はクロード・フォン・ニブルバーグだったと記憶しています」

 ソフィア姫が肯定した。

「そりゃまた……なんとも立派な肩書きで」

「しかしあの男が個人の抹殺に加担するとは少々意外じゃの。そんな暇があれば贖罪と称して異教徒を滅ぼすため、戦場を駆ける戦闘狂であったはずじゃが……」

 この世界の事情に明るくない俺は、完全に置いてけぼりだった。


「……その顔、いまいちピンと来ておらんようじゃな。お主にも分かりやすく例えるなら、つまり……アレじゃ。ドラ○エの勇者が狂信者になったみたいな男じゃよ」

「いや、その例えは余計に分かりにくい」

 むしろ魔女がド○クエを知っていた事実のほうがびっくりだ。

「分からんな。結局、なんでそんな大層な肩書きの英雄様に追われているんだ?」

「ふむ、ならば順を追って説明するとしようかの……」

 何も知らない俺のために、魔女は背景も含めた説明を始める。

 彼女の語った内容は、俺が想像していたよりも遥かに重いものであった。


 * * *


 魔女の話を簡単にまとめると以下のとおりだ。


 ソフィア姫の故郷、レヴィオール王国は大陸の北西部に位置する険しい山岳地帯に位置した小さな国だった。

 いくつかの広大なカルデラ湖周辺を囲うように作られた街並みが美しく、その特徴から『湖の国』とも呼ばれていたそうだ。


 住んでいた種族は、主にバフォメット族とドワーフ族である。

 両者それぞれ優れた職人が多い種族で、そのためレヴィオール王国では宝石や魔石を加工した装飾品の生産が盛んであった。

 そんな国を治めていたのが、察しのとおりレヴィオール王家だ。

 レヴィオールは代々バフォメット族の王家で、ソフィアはその王女であった。


 彼女たちを悲劇が襲ったのは八年前だった。

 近年勢力を広げている宗教国家、『神聖メアリス教国』がレヴィオール王国に対して侵略戦争を仕掛けてきたのである。

 メアリス教国側の一方的な攻撃から始まったその戦火は瞬く間に広がっていった。


 なぜメアリス教国が険しい山脈を越えてまで、わざわざレヴィオール王国を優先して手に入れようとしたのか、確かな理由は分からない。

 単にさらなる戦力の強化としてドワーフ族やバフォメット族の作り出す高品質の武具や魔道具が欲しかったのかもしれないし、大陸中央部に流れる河川の水源を独占したかったのかもしれない。


 もともとメアリス教国は周辺の亜人国家に対して不当な侵略行為を繰り返しており、当然ながらレヴィオール王国もメアリス教国の動きは常に警戒していた。

 レヴィオール王国に限らず、当時の周辺諸国はメアリス教国に対抗すべく固い同盟を組んでいた。連合国としてメアリス教国の侵攻に備えていたのだ。


 連合国軍とメアリス教国の戦力は拮抗していた。

 しかし、メアリス教国が新たに超大規模破壊魔法を開発したことにより、全ての前提がくつがえってしまう。

 その新たな戦略兵器を前に山奥の小国であるレヴィオール王国は成す術もなく、レヴィオール王国はメアリス教国の植民地となってしまったのだ。




 ――まあ、よくある悲劇だな。

 想像以上に重い話ではあったが、結局は他人事だ。


 薄情すぎるかもしれないが、俺にはそれ以上の感想はなかった。



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