ブレイキングルール! ~こんな世の中絶対にぶっ壊してやる!~

北西貫幸

俺の中の戦争

「はぁ…」


 彼、西貫村優のため息が白い靄となり空を泳ぐ。そんな今日の天気は曇り気味で霰のような粒がチラチラと辺りに降り注ぎ、もう何年も着馴れてヨレヨレとなった彼の2000円ばかりのコートに水跡を残す。


「今日も今日とて派遣の糞みてぇな工場で誰でも出来る糞みてぇな仕事して年上の糞みてぇな社員やらリーダーやらにデカい顔でグチグチと糞みてぇな事言われて終わるのか…」


 そんな彼は20も後半を迎えようとしているにも関わらず未だに派遣の仕事を続けており女の手すら握ったことも無い。世で言うところのただの負け犬である。


「良いよなぁアイドルだのAVの男優だの歌手だのコメンテーターだのよぉ。さっさと死ねよと言いたくなるくらいには華やかだよなぁ。」


 優は名に優秀の優という文字が付いている割には中学の時のテストで全て赤点を取る位に出来が悪い。それこそ偏差値等という数値にすればマイナスが付いてもおかしく無い程の勉学が出来ぬ脳みそを持ってこの世に生を授かった。


 そんな彼も高校に入ったは良いものの入学式にすら顔を出さずそのまま退学し、何か向上心を持つワケでも無く生来の出来の悪さに悪態を付き、親から金を盗んではプラプラとその辺をふら付くだけの生活を何年も続けていった。


 そんなある時、皆が大学に入りそれこそ人生を謳歌しているであろうくらいの歳の時、歳を取った親が優に自立の念を押し付けるようになった。そんな親に


「誰のせいで産まれて、誰のせいでこんな不幸な道を進む羽目になり、誰のせいでこんな嫌な思いをしてまで生きなきゃいけなくなったんだよ」


と大きな大きな声で怒鳴り散らし、一晩泣きわめき、そのまま親が隠していた現金をありったけむしり取り、そのまま家を出て行ってしまった。


 親からむしり取った金でボロいアパートの一部屋を借り、そこを拠点として生活を始めた彼はコンビニのバイトや派遣や日雇いで日々を食いつないでいった。そして現在に至るのだ。


 人生なんて何も面白いものじゃない。才能のある奴が勝手にキャッキャと騒いで女とヤッてるのを永遠と指加えて見てて「楽しい」なんて感情を持てるワケが無いだろう。嫉妬とイライラを貯め込んでそれを全て水に流してねなんて心良く出来るワケ無いだろう。


 仕事中、こんなことが頭の中を過る。


「おい、おい!お前だよ!馬鹿!仕事中ボーっとしてんじゃねぇよ!ったっくライン止めろ!なんでこんな簡単な仕事も出来ねぇかなぁ!ったっく馬鹿なんだからよ!」


 ハッとした瞬間にはもう遅かった。流れてきた部品に部品をくっつける彼の手が完全に止まっていた。


「おい!ふざけんなよ!今日中にあとこれ全部やんねぇとなんだぞ!」


「すいません…あの、リーダー、今日体調悪いんで帰ります。」


「は?お前な、いい加減にしろよ。仕事は出来ねぇ上にもう帰りますか?お前さ、その年にもなって他人に迷惑掛けて何がしたいんだ?」


 こんな言葉を掛けられながらも優は更衣室に直行し私服に着替え、そのままタイムカードを切り帰宅の路に着いた。帰る途中薬局でフィリップモリスをひと箱買い、死んだ目をしつつ吸いながら歩く。何も考えず。タバコの白い煙が彼の脳内にある嫌なことを全て煙に包んでいる間こそ、彼にとって何もかも忘れられる至福の時間なのだ。


「晩飯の時間か。そろそろ飯でも買いに行くか。」


 家に帰ってから電気も付けず既に四時間が経ち、辺りも大分暗くなった。優はコートを羽織り玄関のカギを掛けいつもの場所にいつものを買いに出て行った。

 先ほどまでの曇天は嘘のように晴れ渡り夜空には星々が少しばかり都会のどんよりとした明るさに交じって光輝いていた。優のボロいアパートから駅まで歩き、電車で繁華街のある都心に近いところまで行く。この時間になってくると親子連れの姿はほとんど無く、ファミリー層には到底見せつけられないような夜の顔がこちらを覗いてくる。破廉恥な恰好をした女やそんな雰囲気を漂わせるような看板を持った客引き達を見ると童貞の優はいつも


「ヤッてみたいなぁ」

 

 とぼんやりと思うのだ。そんな時だった。


「ねぇねぇそこの僕、私と楽しいことしない?」


  劣等感で頭が一杯の優は何か幻聴でも聴いているのかというような錯覚に陥った。


「そ・こ・の・ぼ・く」


 振り向いて見ると胸がデカくてボディラインも完璧の璧で下の短いタイトなワンピースを着ている少々ギャル要素が強めの女性が自分に向かってウィンクしながらこちらに語り掛けていた。


「ねぇ、ここじゃなんだし、人目の付かないところで…」


 女は優の下を見ながら男のそこを指でスゥっとなぞった。


「ど・お?」


 優はゴクリと唾を飲んだ。といよりはそれだけでイきそうだったのだ。その時、優は男の理性が負け、今まで皮を被っていた本能というものが全て剥き出しにさせられるような、自分の劣等感に抑圧されていた感情が一気に開放され外に放出されるような感覚を覚えた。そして、それが「男になる」という衝動なのだと悟った。


「どうするのヤ・る・の?」


 女が今度は耳元で囁く。優の体がゾクゾクとした震えを起こす。そのままその女に誘われるがままに優はその後を追いかけていった。

 人目の無い薄暗い路地に連れられるように入っていく。


「ここ、良いでしょ。廃墟の跡地なんだけど全然人目に付かないし。」


 最早、彼女に完全に気を取られていた優にはそんな事は耳に入ってこなかった。


「さて…と…じゃあ…」


 そういうとその女は優の体に抱き付き、どこからかサプッレッサー付きの拳銃を取り出し優の口の中に押し当てた。


「声…出したら撃つわよ」

 

 優には何が何だかさっぱりワケが分からなかった。


「財布、出しなさいよ。」

 

 やっと少しばかり冷静になった優は拳銃というもののおぞましさ前に恐怖で体を動かすどころか声すら出せずにいた。


「早く!」


先ほどの女の甘い声から一変し、きつく恐ろしい声で女は怒鳴りつけた。


「ハァハァ…」


胸が背中にピッタリとくっつくというのは本来男からしたら気持ちの良いものである筈だが、口の中の冷たい拳銃の方が強く感覚として残っており、それどころでは無かった。


「早くしなさいよ!撃つわよ!」


 女の声が強まる。しかし恐怖心のせいで優にはその声が届いていなかった。


「ウッウッ…」

 

 優はあまりの恐怖心に泣き出してしまっていた。


「泣き顔キモいんだけど。ホント撃つわよ。…てか、あんたさ、なんで下勃ってんの?」


 優の逸物は完全に勃起していた。


「プッ!泣きながら勃起させる男とか!ププッ!ウケんだけど!どれちょっと下脱がせてやるよ」


 そういうと女は優のズボンとパンツを拳銃を持っている手とは逆の手で脱がせた。


「え…皮…ププッ!あんたもしかして童貞!!?ププッ!あんたさいい年してそうなのに童貞なワケ?キモい!プップププッ!」


 優は女の手が緩んだのが分かった。しかし、優は恐怖心と女に脱がされ童貞を馬鹿にされたという自分の自尊心とも言えるようなそんなものが粉々に砕かれ、ある種放心しているような状態に陥っていた。


「いい年して童貞なんて、私に声掛けられるのがよっぽど嬉しかったのね。」


 そう言いながら女は放心して動かない優の体を漁り財布を取り出した。


「さて…と…三千円って…良い大人が持つお金の額じゃないわよね…まぁ童貞だしこんなもんか。ん?なにこれ」


 財布の中から優がいつも工場に入る時に切るタイムカード及び派遣事務所から渡されていた連絡用のメモ用紙が出てきた。


「いい年してまさか…派遣なんてやってるの!?プププ!どうっていでいい歳ではっけん!超底辺じゃん。そりゃあモテないわよねぇ!」


「まえも…」


「なぁに?もっと大きな声で言ってよ聞こえなぁ~い」


「こんなことやってるお前も俺と同類なんだよ…」

 

 そう言うと優は完全に緩んでいる女の拳銃を持っている側の手を力を入れて握りしめた。


「なっ!離しなさい」

 

 女はそのまま体制を崩し、拳銃を地面の上に落とした。


「しまっ…」


 優はそのまま女の顔を握っていない方の拳で女の顔を思いっきり殴りつけた。


「俺はなぁ!」


 そう言うとまた思いっきり女の顔を殴りつけた。


「童貞で頭も悪くていい年して派遣だよ!だけどなぁ!俺だってなぁ!俺だってなぁ!俺だってなぁ!!!」


 優は泣きながら思いっきり女の顔を殴りつける。


「ハァハァ…」


 優はハッと我に返る。女は胸倉を掴まれながら、殴られ過ぎて晴れた目から涙を流していた。だが、そんなものを見ても優の気は収まらなかった。


「そうだ…拳銃…」

 

 優は地面に落ちていた拳銃を手に取り、拳銃のスライドを目一杯に引く。


「やめ…て…お願い…」

 

 女が腫れて変形した口で懇願する。


「…俺さぁ…こうゆうのって一回撃ってみたかったんだよね。なんか銃って良いよな。俺みたいな惨めな奴でもこれを持てばどんな奴にも勝てる気がするんだよね。力無い奴がさ、どうやってああいう人生を謳歌してるような”ムカつく”奴らをぶっ飛ばせるかっていつも考えるんだよね。なんかさ、ありがとね。そう、やっぱ”これ”しか無いんだよな。」


 優は何か吹っ切れた気持ちになっていた。優の頭の中を今までの惨めな人生が走馬灯のように駆け流れる。そして今までの自分に”さよなら”を告げたのだ。


「俺、捕まるのが怖いから逃げてた。こうゆうの。後、なんか馬鹿にされそうだし。でもどうせ何も無いなら、こうなっても同じじゃん。馬鹿にされて馬鹿にされて友達もいなくて、誰も俺なんて見てないし、俺は虫けらみたいなもんなんだろう?」


 そう言いながら優は女の額に銃を当てる。その時だった。


「ねぇ」


 後ろから若い女の声がした。


「…今良いとこなんだよ」


 優はいらっとしながら声の方を向いた。高校生が着るような制服を着た若い少女がそこに立っている。髪はピンクで耳にはピアスを付けている。カラーコンタクトでも入れてるのか目の色までピンク色に近い色している。体は小柄で優より一回り半程小さく全体的に中肉といったところである。


「それ」


 少女がさっきまで優が殴っていた女の方に指を指す。


「この女がどうした」

 

 優が乱暴に言い返す。


「殺すんでしょ。その後どうすんの?」


 優は少し凍り付いた。しかし直ぐに口元が緩み、少し笑った。こんな女の子が”殺す”だなんて。


「ねぇ」


「そうだな。ホントは薬品で溶かして下水に流してやりたいところだがまぁ骨は溶けないみたいだし、歯から調べが付いたなんて話もある。」


「ヒドリキシアパタイト」


「ハッハッハ!良く知ってるな。最近の高校生は凄く賢い。」


 優は少し嬉しかったのかも知れない。こんなに惨めな大人のことを理解してくれる女の子がいて。


「ねぇ、知識自慢なんて下らないでしょ。殺りなよ。」


 優はコートのポッケからタバコを取り出し、火を付けた。深々と一服すると、拳銃をまた女の方に向ける。


「サプレ付きで助かったよ。ホントはこいつの出処を知りたかったが、今は物凄くお前にムシャクシャしてるんだ。」


 ”覚悟”は決まった。これが俺の中のどこかにあった使命感というもので、これが始まりというものなのだろう。


 そして優はその引き金を引いた。何かを悟ったような穏やかな顔で。


「戦争だ」


 とても強い目で。とても強い意志で。強く力のこもった口調で。こう言い放った。


「ねぇ」


 一瞬、少女が溜める。


「超、カッコいい」



 






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