*5* タイミング悪いって言われない?


 前回ラシードに知恵を授けてもらった私が自主避難というか、自主逃走を始めて早いものでもう二週間。


 本日は“五月十日”。気が付けばラシードの誕生日まで後二日だ。


 本当なら今の時点で推しメンとプレゼント探しに行ったり、カーサと何を贈るか相談しあったりしていたはずなのに……。


 段々と以前の感覚を取り戻しつつあるぼっち飯を終えてふと思う。


「一日の睡眠時間を限界まで削って推しメンと同じクラスになったのに、こんなところで何をやってるんだろうか私は……」


 しかも、エルネスト先生に拝み倒して借してもらった鍵で侵入している空き教室の隅で。周囲には長年使われた形跡のない数百枚にも及ぶ星座表や、新しくなった教材に代わってここに放り込まれた古い教材の山が積上がっている。いわば教材の墓場だ。


 そんな場所にたった一人座り込んで食べる昼食の味気なさよ。前世の私が見たら大袈裟だと笑うかもしれないが、世界に独りぼっちの気分だ。つい二週間前までは推しメンと楽しく昼食を食べていたというのに。


 まあ自分で蒔いた種と言えばそれまでなんだけど、ラシードの提案にも一つ大きな誤算があったことは否めない。次回会ったら慰謝料と称して、以前言ってたパフェの美味しいバーという謎の空間に連れて行ってもらおう。


 ここでいう誤算というのは、推しメンが折れるどころか現状に馴染み始めたことにあるのだ。


 最初の一週間はラシードの読み通り推しメンも授業が終わるたびに、自分の席からステッキをついて私の席まで来ようとしてくれた。しかしその都度私はラシードの助言通り、推しメンの接近をかいくぐって教室を抜け出していたのだ。


 如何に教室という限られた空間であれ、人や障害物を避けて近付いてくるのが困難な推しメンに対し、私は難なく人や障害物を避けて歩けるから、そのうち推しメンの方が席を動かなくなった。


 一応授業が終わるたびに一度は視線をこちらに寄越してくれるけど、目が合えばすぐに興味をなくしたように逸らしてしまう。あの反応は確実に怒らせてしまった。そもそも何で私は自分が逃げれば、推しメンが追いかけてきてくれるものだと思ったんだっけ?


 逆の立場だったら間違いなくストーキングするけど、推しメンがその立場になったからって私を追いかけて来てくれるだなんてとんだ過信だわ。


 街中を歩いている最中に、お忍びで出歩いているアイドルが自ら握手を求めてくるくらいあり得ない。


 この教室の鍵も、そろそろエルネスト先生に返したって問題ないに違いない。だって推しメン毎日普通にカフェテリアでぼっち飯してるし。ああそうさ、探しに来てくれないから探しに行ったわ。本末転倒とはこのことだよ。


 モテの伝道師であるラシードも、私のモブ力の前には無力であった……。


 ――しかし、しかしである。


 私も別に疎遠になるのをただ手をこまねいて見ていた訳ではない。この二週間で私はある大変な出来事に気付いた。


 ――というか、気付かなかったことがすでにおかしい。


 親しい人でも長く近くに居すぎると、日々の微妙な変化に気付けなくなるとは聞いたことがあるけれど、あれは本当だった。


「結局あの推しメンに宿った真珠色の星のエフェクト、何の色にも染まらないで消えちゃったけど……何だったんだろうなぁ?」


 考え事をする時というのは、何故だか独り言が増える。しかも大きい。端から見たら危ない人だという自覚はあるけれど、如何せん前世の一人暮らしが長すぎた哀しい喪女の性なのだ。


 そしてエフェクトの消失に気付かなかったことこそが、今回のゴタゴタを引き起こしたといっても良い。攻略ルート手帳を広げて、ほとんどの攻略対象キャラクターからエフェクトが消失した日付を確認する。


 一番早く消えたのがヨシュア・キャデラック。これは出会ってすらいない人物だからノーカウントで良いだろう。


 次は面倒くさい熱血漢のアーロン・ワーグナー。こいつは一年の天恵祭の時点で出鼻を挫いてやったから、割と早く薄れた。二年生の五月地点で婚約者が出来たから、攻略ルートは完璧に抹消している。


 その次は同学年の弟キャラという、どう突っ込んだもんか分からん甘えん坊カイン・アップルトン。こいつは二年の天恵祭の時点で……以下略。三年生の現在はクラスも違うとあってルートは自然消滅。


 そして前世仲間の我等がオネエ。イケメンでありながら女子力までカンストされているラシード・ガラハット。これはもう一年の時点で接近禁止を頼み込んでいたから、ルートに繋がらなかった。


「おお何だ、こうやって見てみたら、意外と私は推しメンのアシスタントとして有能なんじゃないの?」


 ――……何てことをこの二週間一人でやって自分を鼓舞していた……だけではないですよ、はい。いやでも時にはこうして、自分で良かったと思うところを自分で褒めるのも大事だよ。


「問題はこいつだったよねぇ――って、鍵を借りたり勉強教えて貰っておいて言える立場じゃないけど。むしろAクラスに上がれたのは先生のお陰で御座いますよ」


 “隠しキャラ?”と書き込まれたのが最も早かったこの人物こそが、今回私の頭を悩ませてくれる。落ち零れな私をAクラスにまで押し上げた手腕を買われて、今年はついに念願の教員免許まで取ってしまった。


「見た目と年齢でエルネスト・ホーンスが一番ないと思ってたんだけど……ヒロインちゃんのご家庭事情を考えれば、一番人格がマトモな人を選ぶよね。だけどさ、今回は私の推しメンだって、きっと同じくらい家庭的な人になれたと思うんだよ?」


 独り言のついでについーっとその名前を指先でなぞって溜息を吐く。


 なぞった指先の下には“推しメンと会話が出来た!”とデカデカ書かれた一年生の“六月十日”。ようやく“もしかして隠しキャラ昇格?”と書き込まれたのが二年生の“五月八日”。


 それが一体いつ消えてしまったのか、私の手帳にはその記載がない。あれだけ傍にいて、あれだけ見つめていたのに。浮かれて本来の仕事を忘れるとか、万死に値するわ。


 そもそも推しメンを助け出した後に二日間だけ泊まったあの小屋で、何で夜に真っ暗なのか少しも考えつかなかったんだろう? 真珠色のエフェクトは、あの時にはすっかり消えてしまっていたってことじゃないか!


「問題はいつ頃、何が原因でエフェクトが消えてしまったか、だよねぇ」


 一番考えられるのは、ヒロインちゃんがルートを確定させてしまったからという線が濃厚だけど、それ以外にもアーロンのように他に好きな人が出来た場合……?


「そっか。何も乙女ゲームの世界でなくても、心変わりは有り得るよねぇ」


 星が消えたのは大切な人の心変わり。望みのない恋に身を焦がす推しメンを見るよりも、随分と喜ばしいことじゃあないか。なのに……。


「どうせ心変わりするなら私とかどうよ、って。無理だよなぁ。前回好きになった子がヒロインちゃんだもん。成績も、星詠みの能力も、顔面偏差値も、全部が違いすぎるわぁ」


 声に出してみてから、身の程知らずにもズキリと痛む胸元を探ったところで、あるはずの首飾りはもうそこにはない。唯一故郷へ持ち帰れるはずだった“星”がなくなってしまったことを悟って、初めて。私はあの日、首飾り以外に差し出せる物を持っていなかった自分を責めた。


「はぁー……なぁんか急に、午後からの授業面倒くさくなってきた」


 言いながらモゾモゾと周囲にあった古い星座表を床に敷き詰めて、その上にゴロリと横になる。まさに夜空に寝転がったってやったぜ――って、うん?


 視界の端に焦がれた星の名前を見つけて身体を起こすけれど、他にも細かく記載された星の中に紛れて見失ってしまう。それでも諦めきれなくて星の海に視線を走らせる。なにせ昔の紙だから変色したり文字が潰れたりで、普通に気をつけて読んだって読み辛い。


 その中から一等星とは言え、たった一つの星を探し出すにはちょっとばかり骨が折れる。どうして人間というのはその瞬間にパッと視界に入った物が、居住まいを正した次の瞬間どこにあったのか忘れてしまうのか……。


 何よりこの星座表の記載の仕方が古いのがまた悪いんだよ。最近の記載はもっとすっきりしてて見やすいんだから――か、そうか。君達がここへお払い箱になった理由はきっとそれだもんな? 酷いこと思ってごめんよ。


 全くどこで見つけたのか分からなくなったので、失礼ながら靴を脱いで星座表の上にお邪魔する。クラスメイト達が信仰している星が足許にあるかもしれないと思うと緊張するけれど、そこはそれ。私はむしろどのお星様方も等しく尊敬しておりますから。


 しかし星座表の正しい読み方を去年の暮れ辺りにやっと憶えた私には、まるで○ォーリーを探せの状態だ。皆同じ星に見える。一等星と二等星、三等星の繋ぎ目にある小さな星すらだ。そんな風に目がチカチカしだした頃、ようやくお目当ての星と再び出逢うことが出来た。



 “カヒノプルス”という名の孤独星。


 私の愛しい禍星まがつぼし



「……こんなところにいた」


 そう指先で撫でた紙の表面はザラザラとしていて。そこに記載されたその星の上にそっと口付けを落とせば、当然だけれど埃と古紙の香りがした。


 ――と、不意に背後から“んん”という空咳が聞こえ……え? いつもこの部屋に入る来た時には、外から開けられないように施錠してあるはずなのに一体誰が? 


 考えつくのはエルネスト先生だけど、この現場を見られたとなると恥ずかしすぎる。いやでも仮に相手がエルネスト先生だったなら、傍目にはまだ空き教室でぼっち飯をしながら、星座表に接吻する星空信者の教え子にしか見えないはず……ええい、ままよ!


「どうしたんですかエルネスト先生、何か授業で使う物でもありまし――」


 勢い良く振り返りざまにそう言いかけた私の視界に入ったのは、鉄製の石突き。そこから口を噤んでスーッと視線を上げた先には気まずい表情の推しメン。



 ――……ああ、拙い。これ詰んだかもしれないや。

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