*33* 嵐だろうが、吹雪だろうが。
本日は“一月八日”。大雪が窓の外を真っ白に染め上げて、世界の何もかもを白く塗りつぶしている。
実家の方から昨日届いた手紙には“皆元気にやっているからお前も風邪をひかないように”というような内容がびっしり書き込まれていて、過保護な両親と領地の皆に笑ってしまった。
だというのに、私は今朝届いたばかりのたった一通の手紙を前にして、もうかれこれ一時間は封を切れずにぼんやりと眺めている。消印が四日前だということは、雪で足止めを食らったのだろう。
さっきから封筒に書かれた差出人の名前をなぞっては、封を切ろうと手にしていたペーパーナイフを机の上に置くのも何度目だろう。
――クルリ、クルリと。
手の中の小さな天体望遠水晶を回せば、そこには無数の星々が今にも掴めそうなほどの輝きを見せ、落ち零れの私を魅了する。
いつも手にしている実家から持ってきたヒビだらけの天体望遠水晶とは全く違う、どこまでも純粋な輝きだけを掬い取った水晶。
それを手中で弄りながら思い出すのは、冬期休暇に入る前日のこと。
『ねぇ、ルシア。本当にスティルマンに挨拶しないの? 去年の冬季休暇みたいに、天候不順で帰ってくるのが遅くなるかもしれないわよ?』
“――いやいや、聖星祭での失態の後にどんな顔して会えって言うんだ”
『そうは言うがなルシア。何が二人の間にあったのかは知らんが、ワタシも挨拶しておいた方が良いと思うぞ?』
“――カーサまで……良いんだってば、冬季休暇の間に頭を冷やしたいの”
二人が困った表情のまま、頑なに見送りを拒み続ける私を残してカフェテリアの席を立つ。その視界の端に、こちらを見つめて佇んでいる推しメンの姿が映り込んだけれど。私は推しメンの視線から逃げるように顔を伏せて、行ってらっしゃいの言葉を言えずに別れた。
そのことをラシード達が咎めることはなかったけれど、私は自分が許せない。それどころか推しメンを傷付けたかもしれないことに、少しだけ安堵する私がいるから、尚更だ。
自分モブ程度の存在が、あの聖星祭での出来事を上書きしてしまえるほどの効力はないと分かっているのに。冬季休暇の間に少しでも私を思い出すことがあれば良いと。そう考えてしまった、この手の中にある輝きからかけ離れた汚い心根。
――クルリ、クルリと。
今この手の中にあるのはちゃちな夜空の模造品とは違う。まるで宇宙そのものを切り取って掌に載せられたような不思議な感覚に、鼓動が早くなる。
推しメンに贈ってもらったこの小さな天体望遠水晶が、贋作どころかまさかこんなに純度の高い物だったとは考えつきもしなかった。
元所有者のゴド爺に問い合わせれば、随分昔に大箱で購入したアンティーク製品に紛れて入荷したものだろうということだったけれど、星詠みの能力を持たないゴド爺には真贋のほどが分からなかったのだそうだ。
だから長年の勘だけで店頭に並べただけのこの水晶を、推しメンが選んで持ってくるまでは存在を忘れかけていたと言う。
そうだ……あの時は私が奨学金制度を詳しく知らなかったとはいえ、天体望遠水晶の購入という悪魔の契約を結びかけていたんだっけ。
制度自体は無利子だけれど余程実家に余裕があるのでもない限り、返済の目処が立たないという恐ろしい内容を思い出して、背筋が震える。もしも推しメンに真相を教えてもらえなかったら、実質私のような貧乏貴族は一生王都で飼い殺されてしまうところだった。
それでも傷のない天体望遠水晶に対して、当然憧れがないわけではなかった私に、わざわざこれを購入してくれたのだろうか? ああ……でも、これを私にくれた時に推しメンは言っていたじゃないか“たぶん眉唾だろう”と。それを変に深読みして勝手にときめいてどうする。
だって覗いて見ないと分からないのだ。
この水晶も、彼の心も。
中に星が瞬くのか、中に嫉妬が渦巻くのか――……なんて。
「三流のポエムか。湿っぽいのは前世だけにしとけよ。そんなだからこの長期休暇の間に手紙出すタイミング無くすんじゃないか。ロマンチックは性に合わないし、手紙なんて開封して読んで見なきゃ分からないんだよ。それを一時間も睨んで透視でもする気か私は……!」
“ダンッ!”と机に両の拳を叩きつけて悶える。その衝撃で握っていた水晶を落としかけたのにはヒヤッとしたけど、何とか取り落とさずにいられたことに胸を撫で下ろす。
元がアンティークな水晶なだけに同じ物はもうないだろうし、推しメンにもらったものだから絶対に割りたくない。
「こんなことなら“明日こそは手紙を出すぞ~”とかって、問題を先送りにしてウジウジせずにささっと手紙書いて出せば良かった……。先を越されると余計にこっちから謝り辛くなっちゃったじゃないかよぉ」
今年の冬期休暇は私がおかしな意地を張ったりしたものだから、お陰でラシードが呆れて遊んでくれなくなるし、せっかく学園生活最後の休暇だからと女子寮に残ってくれたカーサも、ラシードに釘を刺されて遊んでくれないしで寂しいったらなかった。
一人でも出来ることといえば図書館に入り浸って本を読んだり、年明けに向けて予習復習を万全にすることぐらいだ。これで年明けのクラス分けでAクラスに入れていなかったら軽く引きこもれそう。
そもそも誰にも相手にしてもらえない寂しさから、祭壇に飾ってあった水晶を手にとって覗いたことでこの水晶の秘密に気付けたのだ。でなければこの秘密に気付くのは、領地に戻ってここでの生活を懐かしむ頃になっていたかもしれない。
――まあ、それでも宝の持ち腐れにはならないか。むしろ領地に戻ってからの方が役に立つし。
もう休暇なんてさっさと明ければ良いと思っていたら、ラシードの心配した通り去年同様の大寒波で、二日ほど前から降り続いている雪が結構な嵩になっている。
これは去年の再来だろうなぁ。それに毎日星詠みはしてたから寒波が来るのは予想出来てたよ。でも星詠みで大事なのは的中率だから。要はそういうことだ。
仲直りが遠退くのは確実になったのであれば、これ以上封筒を眺めていても仕方がない。私はついに覚悟を決めてペーパーナイフを封蝋に滑らせた。指で調べてみたところ、中に入っている便せんは一枚だけ。
それをそーっと抜き出して薄目を開けたまま開く。中に何が書かれていても絶対にショックを受けたりしない強い心臓を持っていないのだから、これもまた仕方のないことなのだ――が?
恐る恐る開いた便せんには、一行どころか一文字も書かれていなかった。入っていたのはただ表面を真っ黒に塗り潰された紙。
表面に鼻を近付ければ、焦げ臭いような匂いと、ザラリとした指触り。素材はたぶん暖炉に使われている木炭だろう。
普通なら悪戯か嫌がらせにしか見えないそれは、私を違った意味で不安にさせた。それというのも、これに近いことを前世の私もよくやったことがあるからだ。
もしこれがただの悪戯や“怒っている”という意思表示ならまだ良い。けれどこれが前世の私と同じ理由からくるものだとしたら、私は外が嵐だろうが吹雪だろうが今すぐ行かなければならない。
封筒を眺めるのに一時間も使った自分をはり倒したい気分だけれど、それはいつでも出来ることなので、取り敢えず今は学園の窓口まで外出の許可証をもらいに行くことが先決か。室内にある防寒具をあるだけ一式身につけ、封筒と仕送りの全額を握りしめたまま部屋を後にする。
淑女らしく楚々とした足取りで女子寮を出た私は、人目がなくなった瞬間全力で走った。学園の窓口を目指す為に途中でカフェテラスを突っ切ると、図書館にでも行っていた帰りだろうラシードとカーサに出くわした。
気まずいのと急いでいるのとで、適当に会釈だけして駆け抜けようとしたら「ちょっと待ちなさいよ」と呼び止められてしまう。いくらラシード達とはいえ今は邪魔されたくないんだけど、より呆れられるのも困る。
舌打ちしそうになるのを堪えて「今急いでるんだけど」と口にした声は、自分のものとは思えないほど平坦だった。ラシードの隣にいたカーサが驚いた表情をしていることからも、今の私には表情がないのだろう。
正直、咄嗟に笑えないくらいには慌てていた。でももしもこの手紙の分析を間違えているだけなら、カーサにとってはただでさえギクシャクしている私に、さらに八つ当たりされたことになる。
嫌われたくはないので「これからちょっと出かけるんだ。手短にお願いね」と明るい声を出して微笑む努力をすれば、つかつかとこちらに向かって来たラシードからおでこへのデコピンを食らう。しかも手加減が一切ないやつを。
あんまり痛すぎて思わず「んん゛」と変な声が出た私に、ラシードは「そんなに慌ててどこに行くのよ?」と横柄に問う。常に笑っているような形をしているラシードの目が、一瞬だけあからさまな怒りを宿した。
言ったところで信じてもらえないかもしれない。そう思って口を噤んだ私に、それまで黙って見守っていたカーサが「ワタシ達に出来ることはないか?」と優しく訊ねてくれるから。
「たぶん呼んでるから、行かなきゃ」
「――アンタこの空模様で正気なの?」
一瞬だけ私から視線を窓の外に移したラシードが冷たい声で言った。わざわざ“誰を?”とは訊かないから、何か察してくれているのだろう。私だって逆の立場ならきっとそう言っただろうけれど、それでも答えなんて決まっているのだ。
「独りぼっちは、寂しいからさ」
――嵐だろうが、吹雪だろうが。
「私が正気でいたいから、勝手に飛んで行くんだよ」
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