*15* 届け、届け、届くな、届いて。


 ――あれは五月二十日のこと。



『待って下さい、ホーンス“先生”。図書館までわざわざいらしたのは、調べ物をされるところだったのでは? 今日学ぶはずだった範囲を教えて下されば、彼女の勉強はこちらで責任を持って見ますので』



 こっちがせっかく血を吐く思いでヒロインちゃんと二人きりにしてやったというのに、何故か追いかけて来た推しメンはそう言って私をエルネスト先生から引き剥がして温室で勉強を教えてくれた。あの時は一体どういうつもりかと本気で呆れたし、その鈍感さに物凄く腹が立ったっけなぁ。


 そして本日はもう“六月十日”なわけなんだけど……日が長くなり始めると急激に時間の進み方が早くなる気がする。


 この時期になれば夕方まで残った白い日の光が廊下を照らし出して、その先に佇む私の想い人を浮かび上がらせている。


「――遅いぞルシア。終業の鐘が鳴ってから十分も経っている。どこか途中で寄るところがあったのなら、ここで合流してから向かったところで構わないだろう」


 教室の前で待ちかまえていた推しメンは、提出物を出しに職員室から戻った私に向かって開口一番そう言った。しかし私は寄り道をしたわけでもなければ、そもそもの問題としてここで待ち合わせをした憶えもない。


 あの日以来、勝手にこうして迎えに来ては文句をいう間柄だ。普通に考えて好意を持ってくれていない女子にやったら、間違いなく嫌われるやつだとは思う。だから何が言いたいのかっていうとだねぇ、推しメンはあれだよ、一度私のちょろさに感謝して咽び泣いても良いんだよ?


「横暴な言い分だな~……授業で頼まれた提出物の回収で遅れたんだよ。どうせ行き先は同じなんだから、先に行って向こうで待っててくれたら良いのに」


 しかし口ではそう言いながらも心の中はムズムズとこそばゆい。控え目に言ってもかなり幸せだ。たとえこれから連れ立って向かう先が、自習室だったとしても。部室があるとはいえ、流石に六月ともなれば、温室内の気温が心地良い気温ではなくなってしまうのだ。


 それに一年生の頃は避けていた自習室も、今ではすっかり接点エフェクトのなくなった赤色アーロンがたまに現れるくらいだし。


 エフェクト消失については、何でも最近ついに婚約者が決まったそうで、それが関係しているらしい。でもそれはそうか。婚約者が決まったのにまだ攻略対象に入ってる方が道徳的に問題だもんね。


 ただそのお相手のご令嬢が、カーサの取り巻きの一人だとラシードが教えてくれた時には驚いたけど。聞けばやはりそのご令嬢も女性騎士見習いだそうで、これは今から将来有望な子供が産まれること請け合いだろう。


 散々邪魔をしておいてなんだけれど、ライバルキャラだからといって、彼等にも不幸になって欲しいわけではないのだ。我儘で、偽善的だと我ながら思う。でも出来ればどうか末永く幸せになってくれると良い。


「今のルシアの言い分だと、行き先が同じなら一人で行こうが二人で行こうが同じだ。そうだろう?」


 そんな小憎たらしい発言にすら、頬がニヤケそうになるのを必死に堪えながら何とか口答えしたというのに、推しメンは「どうせまたクラスの人間に仕事を押し付けられただけだろう」と苦虫を噛み潰したような顔をした。ぬぅ……鋭い。


「低能な奴等の嫌がらせなど下らん。次からは断れ。それとも自分で言えないようなら俺から相手に伝えるが?」


 好きな人が“毎日”教室の前で待ってくれている。しかも私のためにクラスメイトに注意までしてくれると言う。何もしていないのにご褒美が過ぎて最近“尊い”過多である。


 けれどここでこの幸せに流されては駄目だ。今こそ働け私の鉄仮面。ここに推しメンがいることはきっと何かの【バグ】なんだ。


 だってもう二年の夏休みも目前なのに、推しメンのエフェクトに全く色が浮かんでこないなんておかしい。同じクラスで運命的な過去を持つ二人が揃って、ドッキリが起こらないはずがないじゃないか。タイトルからしてこれってそういうゲームだったはずだしなぁ。


「いやいや、そんな揉めそうなこと、絶対止めてよ? Aクラスのエリート様にそんなことでお越し頂くわけにはまいりませんから、お気持ちだけ頂いておきます。それに今日はさ――」


 と、うっかり聞かされる相手側にしてみれば、気持ちが悪いことを言い出しそうになった口を噤む。本当は内心待っていてくれて嬉しいかったから、調子に乗って無意識にストーカーみたいな発言をしてしまうところだった。


「“今日は”何なのだ? おかしなところで言葉を切るな。気になるだろう」


 眉間に神経質そうな皺を刻んだ推しメンに苦笑しながら「ごめんごめん、何て言うつもりだったか忘れちゃったんだよ」と誤魔化せば、全然納得していない視線とぶつかる。


 疑われるのは辛いけど、だからって言えるわけがないじゃないか。特別に思っているのが私だけなら尚更だ。


「まぁまぁ、忘れる程度のことだから大したことがないってことで、この話はお終い! それより早く自習室に行かないと、壁際の良い席なくなるよ」


 無茶だろうが何だろうがこれ以上突っ込まれたくなかった私は、食い下がろうとする推しメンを相手に会話終了の大鉈を振り下ろした。渋々といった様子で「それもそうだな」と引き下がった推しメンに向かって、私も曖昧に微笑む。白黒つけずに曖昧であることも時として大事だからね。


 それに推しメンには迎えに来ないで良いと言いながら、本当のところ教室に立ち寄らないでも良いのは私の方だ。悪意のある人間はどこにでもいるから、基本的に学園内にいる間も荷物はいつも持ち歩いている。だから一度でも教室を出てしまえばもう戻ってくるようなことはない。


 それでも「ちょっと忘れ物したから取ってくるよ」と教室に戻るフリをする私に、どうか君は気付かないで。教室に戻れば待っていてくれるかもしれないと期待していることがバレたら、恥で死ねる。


 自分の使っている机の中をガサガサと適当に探しているフリをしながら、そっと入口で待っている推しメンの方を窺えば、ぼんやりと廊下の窓の外を眺めている姿が視界に入った。神経質そうな硬質さを持つ推しメンの顔に落ちた日光が、その外国人らしい彫りの濃淡を浮かび上がらせる。


 脳内スチルにそれを刻み込みながら、彼は血の通った人間なんだな、と。今さらながらにそんな当たり前なことを思った。何故今さらそんなことを感じたのか自分でも分からない。一瞬その姿に魅入って机の中を適当に漁る手が止まり、それに気付いた推しメンがこちらを振り返った。


「どうしたルシア。今度は忘れ物を忘れたのか?」


 そう少しだけ意地悪く微笑むその表情に、自分でもよく分からないけど胸が苦しくなって、何だか泣きそうになる。


「流石にそこまで馬鹿じゃありませんってば。ちゃんと見つけたよ」


 格好悪い内心を悟らせないようにやや大きな声で返事をして、書き損じたまま突っ込んでいたノートの切れ端を手に立ち上がった。入口で待ってくれていた推しメンの元に戻ると「もう忘れ物はないか?」と頭を軽く撫でられる。うーむ、同年代の友人というよりすっかり子供扱いだなぁ。


 先に身を翻して歩き出したその背中を眺めながら、私はポツリと聞こえないほど小さく「今日はね、スティルマン君が初めて話しかけてくれた日なんだよ」と囁いてみる。


 当然聞こえないように囁いた言葉に推しメンが振り返ることはないけれど、それでも言ってみたかったのだ。六月十日は、君が私を見つけてくれた、一年で一度の特別な日だから。


 ――――しかし。


 このしっとりと落ち着いた空気は長く続くことはなく、自習室に到着した直後に霧散することになる。

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