★14★ 終わらぬ円環の綻びを。
さっきまで生意気にも口答えしていたルシアは、目の前ですでに一足先に眠りの世界に落ちている。そのあまりの無防備ぶりに苦笑して、ぼんやりと幸せそうな寝顔を眺めた。
ここ一週間ほどよそよそしいルシアが気になり、渋るラシードにルシアの居場所を教えてもらったのだが……こんなにあっさりと俺の言い分を信じて昼寝を始めた友人の姿に安堵する一方で、やはり何か心の距離が開いていることに気付く。
恐らく十五分の昼寝という無茶な提案をしていなければ、きっと何かしらありもしない“急用”を思い出して教室に戻ってしまっていただろう。上着に頭を預けて眠る姿に、嘘だったはずの眠気が沸き上がる。
しかし寝不足であること自体はまるきりの嘘でもない。実際にこの二週間ほどは連続した睡眠をとることが出来なかった。少しでも睡魔に身をゆだねたところで一時間に四度も目を覚ます。朝までにうつらうつらとしては目覚め、すっかり身体が眠ることを拒否していた。
――理由は、五月四日の夕方だ。
『その――……ね。聖星祭のダンスで貴男がわたしを呼んだ愛称を、あの後ずっと考えていたわ。そしてふと、とても懐かしくて幸せだった記憶の中に、わたしをそう呼んでくれる男の子がいたのを思い出したの。スティルマン、貴男はもしかして……幼い頃にわたしと一緒に遊んだクラウスではない?』
アリシアからそう告げられた瞬間、俺は全てを思い出し――ああ“また駄目”なのかとよく肌に馴染んだ絶望を感じた。かつてそう思い出してくれていたら、どれだけ良かっただろうか。以前ルシアは暗闇を酷く怖がったが、あれは俺にも当てはまることだったのだ。
まるで同じ悪夢を見ているようだと感じる時が、これまで何度かあった。
まるで同じ悪夢を生きているようだと感じる時が、これまで何度もあった。
ただ一つ違うのは、俺はいつもその“人生”を“初めて”のものだと信じ込んで生きてきたということだけだ。そうしてそれに気付くのは、決まって取り返しの付かないことになった直後のことだった。
愛する女性に執着し、彼女が愛し、彼女を愛する男に嫉妬する。ただただ彼女を手に入れたいと、そればかりで。形振りを構うことなく自滅していく歪んだあれを“愛”だと信じた。
今にして思えばあれが“愛”などであるはずもなく、醜くねじ曲がったあの感情を言い表すに相応しい言葉を当てはめるとすれば、それは“妄執”だ。
唯一幸せを感じた幼少期のほんの一瞬を避暑地で共に過ごした、たったそれだけの繋がりしかなかったアリシア・ティンバースという少女の人生を狂わせる。そんな価値も権利も、俺にはなかったのに。
無理矢理にでも権利を主張するとすれば、木から落ちそうになったアリシアを助けたことで脚に後遺症を残したことだろうが、それで将来的に命を奪うのであれば彼女にとって全く割に合わない。
それが分かっていても、何度やり直すチャンスを“見えざる何か”に与えられたところで、俺はアリシアを殺すのだ。彼女が愛する男と結ばれる直前に、嫉妬にかられて襲いかかり、狂った獣のように彼女を殺す。
ある時はカイン・アップルトン。
ある時はアーロン・ワーグナー。
ある時はヨシュア・キャデラック。
彼女を惨殺された怒りに震える彼等に時に俺も惨殺されたり、捕まって法の下極刑に処されたり、領地の不正を暴かれて国外追放になった後に野垂れ死んだり、物取りに殺されたり。時々そこに自害が加わる。死に方の種類はそう多くもない。
何度も、何度も、何度も、何度も――――悪夢から呼び起こされては、懲りずに凶行を繰り返す。
何故、何の力によってかは分からない。唯一はっきりと理解出来るのは、これがかつて自分が起こしたことへの罰なのだということだけで。それとてただの世迷い言で、俺の気がとっくに狂っている可能性もある。
実際一族で気を患って死んだ者は過去にも多くいたそうだから、俺もそうである可能性は高い。
なのにどういうわけか今回はそうはならなかった。いつもはどこにもないはずの逃げ道が、今回は身近に用意されていたのだ。今までの記憶の中のどこにもいなかった、かけがえのない“友人”という姿をとって。
よくよく考えればこれまでのループの中に、ルシアやラシード達の姿はどこにもなかった。単に俺が人と関わり合うことを厭っていたからだけではない。少なくとも……傷を負ってもそれまでと態度を変えることなく傍にいる人間は、これまでのループで一人もいなかった。
そして不思議なことにルシアと一緒に行動していれば、アリシアはかつてループした中では見たことがないような優しい眼差しを向けてくれる。それこそ、初めて出逢った幼い夏の日のように。
ルシアといれば今度こそ、この地獄のようなループから逃れられ、誰も傷付けることなく、卒業後は領地に籠もって生きていけるのではないかと――そう身勝手にも考えてしまう。
けれど浅ましい俺の心を見透かすように、ここ最近のルシアは傍にいるのにどこか遠い存在になり始めた。そしてそう感じる一方で、アリシアが記憶を取り戻し、脚の怪我について謝罪までしてきた時にはっきりと感じた。
――きっとこれが、愚かな俺への最後のチャンスだ。
もしも途中で上手く行かずに、このループで死ぬことになったとしても。それはそれで、本望に違いないだろう。その後は予測でしかないが、ルシアという変則的な人物の介入を認めたことで、恐らくもうこのループが繰り返されることはない。
「……俺のエゴに巻き込んでしまって、すまない」
そう声をかけても反応がないことを確認してから、その丸い額にかかった前髪を指先で掬う。
そうすると隠れていた傷跡の凹凸がうっすらと現れて、後ろめたい安堵が胸に広がった。目の前で無防備に眠る“友人”の存在が、俺の見せる都合の良い夢ではないのだと。
「何度繰り返しても、度し難いクズだな、俺は――」
額に触れた指先がくすぐったかったのか、それまでの規則正しい寝息が止み、目蓋がピクリと動いたので慌てて手を引っ込める。するとすぐにまた規則正しい寝息が戻ってきて、それにつられるように思考が鈍り始めた。
悟られてはならない。
逃がしてはならない。
そんな風にまた、俺は誰かに依存してその世界を壊すのだろうか――? 暖かな日差しにそぐわぬ暗く冷たい感情を胸に、意識は闇に落ちていく。
***
肌寒いと、そう感じて意識が浮上してきたところで、誰かに肩を揺すられる感覚に目蓋を持ち上げれば、そこには傾きかけたオレンジ色の日の名残と「おはよう、クラウス?」と、悪戯っぽくそう微笑むアリシアの顔。
それはいつかの再現かと見紛う親しげな微笑みで、今が何度目の再現なのかと一瞬迷う。小首を傾げたプラチナブロンドの髪が肩から滑り落ちて、アーモンド型の黒い瞳が柔らかく細められた。
少し遅れてついてきた意識に身体を起こせば、羽織った覚えのない上着が上半身から落ちた。きっとここにいないルシアの仕業だろう。
「ふふ、本当にリンクスさんの言った通りだわ。いつもしっかり者なあなたの寝ぼけているところを見られる、貴重なチャンスだからって教えてくれたのよ」
その微笑みにフワリと胸が温かくなりかけたが、過去に自分が犯してきた罪と向き合う前に許されることは出来ない。この身に宿った記憶はもう”恋情”と呼ぶには汚れ過ぎた。
「それはみっともない姿を見られてしまったな。しかし話の腰を折って申し訳ないが、ルシアは今どこに――?」
「ああ、リンクスさんでしたら……午後に出席するはずだった星詠みの授業を休んでしまったからと、先ほどここで会ったホーンス先生について遅めの授業に行かれましたわ」
そうしてまた、花が綻ぶように穏やかに微笑みかけてくるアリシアを見ていると、ここから離れがたいと思う一方で、すぐにも離れないと駄目だと頭の深い場所から警鐘が鳴り響く。
「そうか、それなら今から追いかければすぐに追い付けるな」
「あら残念だわ。いつも教室だとあまり話すことが出来ないから、せっかくだからもう少し昔のことを話してみたかったんだけど」
「すまない、アリー。また今度の機会にでもゆっくり話そう」
寝起きを見られた意趣返しに昔のように愛称でそう呼べば、アリシアはほんの少しだけ驚いた様子で目を瞬かせたかと思うと「ええ、それじゃ、また明日ねクラウス」とはにかんだ。
ずっとずっとその笑顔を、言葉を、ループの中で待ち望むだけだった自分を殺してやりたい。
だからせめて、この幸せな夢が終わるまでは。
アリシアに“また明日ね”と言われる自分でありたい。
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