*12* ひえぇ……余計なお世話ですからぁ。


 涙型の星火石の首飾りに、推しメンの生(?)スチル、そして三日前にもらった天体望遠水晶モドキ。水晶モドキはうっかり外に持ち出して割ったりしたら嫌だから、もらってからずっと一番お気に入りのハンカチの上に置いてある。古物だから特に管理には気を付けてあげないと。


 私は自室のベッド横に作った祭壇を眺めて溜息を……吸い込む。健康的には溜息っていうのは吐いた方が良いらしいんだけど、吐くと幸せが逃げてしまいそうだからなぁ。


 宝物だけで飾られた祭壇を見つめながら、雨の前に感じる偏頭痛のような鬱々とした気持ちと、お酒を飲み過ぎてフワフワとした時の夢見心地な気分が交互に襲いかかってくるような感覚を覚えつつ、さっきからもう三十分はこうしていた。


 すぐ傍には星詠み同好会メンバーの誕生日が書かれた卓上カレンダー。それを目にしたら顔がだらしなくニヤけてしまう。


 ラシードのお陰で推しメンの誕生日を聞き出せたのは凄く嬉しかったし、勿論ラシード達の誕生日を知ることが出来たことも大きな収穫だった。


 ラシードが五月十二日、カーサが十月九日、推しメンが七月二十二日、私は八月十七日と、皆それぞれ生まれ月がばらけているせいで、カレンダーは随分賑やかだ。


 勿論祭壇には推しメンコーナーだけでなく、ちゃんとラシードに選んでもらった基礎化粧品と整髪クリームに、カーサにもらった赤い小花の付いたヘアピンとお揃いのマニキュアが飾ってある。


 マニキュアはもらったその日に付けようと言う話になったのだけど、ラシードが『綺麗なんだけど色が派手だから、全部の爪に塗ったら教師に怒られそうねぇ』と言うのでカーサと二人で困っていたら『だったら、両手の爪に一枚ずつ塗ったらどうだ。それくらいでは教師も何も言わないだろう』と推しメンが代案を提示してくれた。


 そこで私とカーサはラシード監修の元、爪にマニキュアを塗ろうとして『やだ、トップコートを買ってないじゃない。これだとせっかく塗っても凸凹になるわよ』と怒られた。結局二人揃ってラシードに爪を磨いてもらい、両手の薬指の爪にマニキュアを塗ってもらったんだよね。流石はオネエさん。今までサボってきた女二人では太刀打ち出来ない女子力。


 ベッドにうつ伏せに寝転がり、三日経っても鮮やかさを失わないマニキュアの色を見て、不意にラシードの星と……というか、髪の色に似ていると感じてしまったのは偶然だろうか。


 何となく女の勘が死にかけている私でも、カーサが最近急に綺麗になっていることに関連している気がしないでもないような――? いやいや、でもまだカーサから何の相談もないうちから気を回しすぎるのは早計か。ただの“可愛い教”崇拝者かもしれないのに、変な勘ぐりをするものじゃない。


 世の女の子達が“恋バナ”なるものに夢中になるのは、きっと一人ではこの感情を持て余してしまうからだったんだね……。前世でサボってきた分、余計にそうに感じるのかもしれないけど、女の子って大変だぁ。



***



 本日は“五月二十日”。ポカポカと気持ちの良い気候と、いつもは大好きなこの晴れ渡った空が今は恨めしい。


 というのも自分の中に急に出現したドロドロとした感情に、ここ一週間近く振り回されっぱなしで、深夜の星詠みでもろくに推しメンと会話が出来ていないのだ。ゆえに今の私は自業自得な推しメン成分切れ。


 推しメン・エンプティーの状態である。


 前世で特定の人物だけ特別に見えたりするような、乙女ゲーム的な経験をしたことがない私にとって、そんな都市伝説みたいな状況になってしまった現在どんな対処をすれば不自然ではないのかすら分からないのだ。もう推しメンの周辺だけ酸素が薄い気さえする重症ぶり。


 深夜の星詠みで話しかけられないなら明るい時間にと意気込んだのに、いざ校内で姿を見つけたら隠れたり、そのくせ姿を見たくて現れそうな場所をウロウロする、生き物としての矛盾を感じる行動をとっていた。


 だがここでいつものようにあっさりと接触をはかるのは危険だ。このままだと私は高確率で高望み系モブとして、この乙女ゲームの黒歴史になってしまう。


「アンタねぇ……あそこまでお膳立てしたのに、何でこの一週間で前より悪化してるのよ。推しメンの情報欄ならお望み通り埋まったでしょう? なのにアンタがことあるごとに不自然にスティルマンを避けるから、彼ちょっと傷付いてたわよ」


 昼休みの図書館裏。並んで昼食をとるラシードはそう呆れた声で言うと、怪しい色のドレッシングがかかったサラダを食べる手を止めた。水色のドレッシングって初めて見たなぁ……。何で色を付けてるんだろうか。


 そんな味覚以外は常識人のラシードに向かって「ごめん」と謝れば「アタシに謝ったって駄目でしょう。このお馬鹿」と額をつつかれた。


 その剣を振るって堅くなっている指先が、額の右上にある傷痕に触れる。化粧で隠してあるとはいえ、触ればボコボコとした傷痕がすぐにわかるんだけど、痛みはもう全くない。むしろ傷痕が残ったことを私よりも気にしているのは、ラシードと推しメンの二人だ。


「それにしても……女の子が大事な身体にこーんな傷痕残してまで、相手の恋を成就させようなんて、ホントお馬鹿」


「別にこれは私がドジ踏んで落ちただけだし、恋の手助けだって私が好きでやり始めたことだから良いんですぅ」


「ふぅん? その割にはこの一週間大人しいじゃない。以前のアンタだったらもっとガツガツ余計なことしてたわよ?」


「ガツガツ余計なって……オネエ様、言い方が酷うございます」


 図星を刺されたので誤魔化すために“よよよ”と泣き真似をしてみたら、額にデコピンが放たれた。威力こそ大したものじゃなかったから良いけど、これ、相手がカーサだったら絶対しなさそうだ。いつも凛として自分を持っている彼女が泣く時は、きっと本気で悲しい時だと思うから。


 だからもしカーサを泣かせるクズが現れたら、今度こそトレイが割れる気合いで相手を殴るつもりだ。彼女には幸せな結婚をしてもらいた……ん?


「そういえばさラシード。急に話を変えちゃって申し訳ないんだけど、上級貴族が婚約破棄になった場合ってその後どうなるの? 特に女子は何となく悪い噂とか付きそうなんだけど」


 私の思いついたまま話す癖に慣れているラシードは「ホント急ねぇ」と呆れながらも、私が誰のことをさしているのかお見通しなようで「良い子ね」と頭を撫でてくれた。


「別に相手側に契約不履行があった場合は普通にもみ消されるわね。カーサの場合は向こう側の過失が百だから心配いらないわ。それにカーサのお家は騎士階級なわけだし、男余りの環境だからあの子くらい綺麗な子をお嫁さんに迎えたい野郎なんていくらでもいるわよ」


 さらにくしゃっと小さい子をあやすように髪を撫でられて、私はしばし目を細める。こんな風に頭を撫でられるのは恥ずかしいものの、前世で勝ち組のレールから脱線してからは、二度と味わうことがなかったから抗い難い魅力がある。


 領地ではそのせいで領民の皆からも、両親からも、大きくなっても甘え癖の抜けない緩い子だと思われていたけど、全然良いのだ。


 しかしよくよく考えてみれば、一学年上なだけのラシードに撫でられるのはちょっと違うような気もしないでもない。


 そこでやんわりと頭を撫でてくれるラシードの手をどけて、今度は私が代わりにラシードの頭を撫でてみる。……あー、分かってはいたけど、イケメンは髪までサラフワなのか。その思いもよらない触り心地の良さに、いつの間にか結構熱心に撫でていたら、急に手首をガッと掴まれた。


「あ、ごめん。ラシードの髪質が猫のお腹の毛をモフッている感覚に似てて、つい夢中になっちゃった」


「もう、そんなことだろうと思ったわ。撫でるにしたって考えて撫でなさいよね。せっかくスタイリングしたのにぐしゃぐしゃになったじゃないの」


 文句を言いながら髪を整え直しているラシードに向かって「いつも撫でてくれるお返しにと思って」と笑えば「その調子でアンタらしくスティルマンに構ってやりなさいよ」と言われてしまった。


 空になったランチボックスを横に置き、膝を抱えてその上に額を乗せる。制服がスカートだからといって、体育座りを恥じることはない。何故なら隣にいるのはオネエさんのラシードだからね! きっと内心でははしたないと思っていても、見て見ぬフリをしてくれるだろう。


「うーん、だからその“らしく”が難しいんだってば。なんて言うのかさ、前までどうやって構ってたんだか忘れたみたいな感じなの。あーあ、前の私は一体どうやって遊んでたんだか……」


 いつの間にかせっかく逸らした話題が元の道筋に戻っているのを感じながらも、私は抱えた膝に顔を埋め、相手は聞き上手なラシードなんだから仕方がないと開き直って素直にそう答えた。


 ――しかし――。


「いくら親しい間柄でも、子女が異性の前でスカートのままその体勢を取るのは拙いと思うが?」


 そう、聞き馴染んだやや神経質な声が耳に届いて……私は次の瞬間勢い良く顔を上げて、自分の真横に立っている人影を見上げた。次いで今までラシードが座っていた場所を見るけれど、そこにはすでにあのオネエさんの姿はなく、代わりに“一度ちゃんと腹を割って話しなさいな”と書かれたメモ用紙が一枚小石の下で閃いている。


 ……やられたっ! と思って校舎に続く渡り廊下に視線をやれば、ラシードの派手なエフェクトが校舎の中に消えていくところだった。あの野郎オネエめぇぇぇぇぇ!?


 怖くて振り返れない私の後ろで、推しメンが腰を下ろす気配がした。それだけでこの辺りの空間が真空パックにされたような気分になって、呼吸が苦しくなる。心拍数が爆上がりだ。


 内心の焦りと緊張で振り向けない私の背にかけられたのは「悩みがあるなら訊かせてくれ」という、推しメンらしい、不器用で飾り気のない気遣いの言葉だった。

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