*6* こんなところでコレを見ようとは。


『今日のところはその本を預かろう。確か二年生は明日の五限に星詠みの授業枠があったはずだ。君の担当の教員には自分から説明しておくから、その授業枠にこの本の内容を講義させてくれると嬉しい』


 そうホーンスさんに言われてビクつきながらも、午後の授業に遅れた理由に“講師の講習準備の手伝いの為”と走り書きしたメモを手渡され、急いで教室に戻ればまさかの自習。


 さらに落ち込んだ気分のまま放課後の温室に顔を出せば、心細い今日のような日に限って誰も現れず。もうね、厄日かよと。一応次の遅刻の時に使えそうなメモは手帳に挟んでおいたけど。


 こうなったら深夜の星詠みに賭けようと思い、日課の深夜十二時に温室で推しメンを一人待つ。


 ただ悪いことは重なるというから、今夜はあまり期待せずに大人しく水晶を磨いて待つことにした。ホロホロと胸元で淡く輝く星火石の首飾り以外の光源は、それこそ真上に輝く月と星以外にありはしない。


「うーん……もしかして早まったのかなぁ……」


 久し振りに一日中同好会のメンバーに会えずに一人になったせいで、心が弱っていたのだろう。ポツリとそんな弱音が口をついて出た。もしも今日私の身に起こったこの一連の“災難イベント”が、推しメンのルートを換えようとしていることへ対しての、このゲーム世界からの圧力だとしたら――?


 ここまでして、結局推しメンの星のことさえ何も分かっていない。それが私の不安をより高める。


 せめて唯一の特技である星詠みに集中しようと磨き終えた水晶を空に翳したその時、温室のドアが開いて「ルシア、まだいるのか?」という声と共に、星火石ランプの柔らかい灯りを纏った推しメンが入ってきた。


「すまん、寮でクラスメイトに捕まって遅れた」


「……あ、うん」


「今日……もう昨日だな。温室に顔を出さなかったのもそうだが、最近クラスメイト達とも少しずつ喋るようになっていてな。ただ昨日と今夜はそれが仇になった。さっきも寮の談話室で毎晩遅くにどこへ行くのかと探られて、言い逃れるのに時間がかかった」


「……うん、そっか」


 そう苦笑しながらクラスメイトについて語る推しメンの顔には、以前までとは違う柔らかさがあって。そのことにホッとすると同時に、何か寂しくなる身勝手な自分がいた。


「それなら仕方がないよ。でもさ、せっかくクラスメイトと一緒にお喋りしてたなら、怪しまれてまで無理に出て来なくても良かったんじゃない?」


 掌には、傷だらけの水晶。感度が悪い水晶このこでは、広く空が開けて見える場所でなければ観測が出来ない。けれど、推しメンは違う。その掌に握り込まれた水晶なら、きっとここへ来なくてもどこでも観測が出来る。


 思わず皮肉っぽくなってしまった言葉に、推しメンが「ルシア?」と困惑して表情を堅くするのが分かった。そんな推しメンに背を向けて奥歯を噛みしめる。


 ああ……ごめん、違うんだ。そんな顔をさせたいわけじゃないのに――。


「クラスも変わっちゃったんだし、今までみたいに毎晩ここに来られなくても大丈夫だよ。新しいクラスメイトと交流を深めるのは大事だからね」


 口から零れ出る言葉の棘がチクチクと、自分と推しメンを傷付けているのが分かるのに。どうにも今夜の私は面倒くさい奴だな。


 ほら推しメン……私が背中を向けている間にさっさと寮に帰るんだ。もうこれ以上一緒の空間にいたら心が傷だらけになってしまうぞ。私は今夜その顔を一目見られただけで満足なんだか――……うん?


 不意に背中に何かがぶつかる軽い感触があって、振り向けば私の頭半分より高い位置にダークブラウンの髪が揺れていた。どういうわけだか気がつけば、いつものように私と推しメンは背中合わせに立っている。


「――帰らないで良いの?」


「帰ってルシアの機嫌がこれ以上悪くなるのは困る」


「いや、別にこんなのはちょっと虫の居所が悪いだけだから。今日の放課後にはいつもの気の良いルシアちゃんですよ。それから遊ぶ方が面倒くさくないから絶対オススメ」


 私が正直にそう言うと、推しメンは声を殺しているけれど、背中合わせでも分かるくらいに肩を震わせて笑っている。そしてその発作が一段落つくと「機嫌が良いときにだけ連むのは、友人ではないだろう」と低く穏やかな声で言った。


「――何だよそれ、格好良いかよ」


「そんな風に言うのはルシアくらいだが、もっと褒めても構わんぞ?」


 軽口に軽口で返されて、鼻の奥が、目の奥が、ジンと重くなる。くそぅ、こんなことで絶対に泣かされてなるものか。堪えろ私の涙腺!


「――ルシア」


「何だよぉ……」


 推しメンに優しく名を呼ばれて、自分でも信じられないくらい情けない声が出た。我がことながら“構ってちゃんかよ、鬱陶しい奴だな!”と毒づいていると、背中合わせの推しメンがそんな私に構わず会話を続ける。


「渡り廊下でいつも他人行儀にされると、少し傷付く」


「……Aクラスの人が何を寝惚けたこと言ってるの。付き合う相手は選ばないと、もう一年生じゃないんだから。卒業したらスティルマン君はあの人達との付き合いが主流になるんだよ?」


「――そうだな」


「そして卒業したら私は領地に帰る。たぶんラシードもカーサもそうだよね。ただスティルマン君とラシード達は家格が釣り合うから、もしかしたらその先の人生でも会うかも知れない。それでも下級も下級貴族の私とスティルマン君は、もう一生会うこともないような人生だ。そうでしょう?」


「…………」


 カーサはともかく、ラシードと家格云々の話をしたことはなかったけれど、ラシードの洗練された仕草はそれなりに良いお家の子だと思う。少なくともダンスをあそこまで完璧にこなせるのだから、私よりは良いはずだ。それなのに推しメンからは何の返事も返ってこない。


 言葉尻になるにつれて声が小さくなっていた意識はあったので、聞こえていなかったのかと思って「そうでしょう?」ともう一度訊ねる。けれど私のその問いかけに対して戻ってきた言葉は、推しメンらしくないような噛み合わないものだった。


「ラシードとカーサは名前で呼ぶのに、どうして俺のことは未だに姓で呼ぶんだ? 友人になった順で考えると不自然な気もするが」


「ええ……待った待った。何がどうなったら今そこが気になるの? 私もっと重たい話してたはずなんですが。この舵の切り方の方が不自然じゃない?」


「ちょっとした疑問だ。しかし思いついたからにはすぐに片付けたい」


「いや立派な心がけだとは思うよ。思うけど、どうなのさ?」


 思わず振り返って“そういうキャラでしたっけ?”と言いたくなる。なるけれど……実は名前で呼んでみたくないわけではない。他の二人と違って出会い方が予期せぬ感じだったので、ずっと呼び損ねていただけだ。呼んでも良いと言うのであれば是非とも呼びたい。


 しかし私の若干非難の色を込めた声にシレッと「生憎と他人の考えを読めるわけではないのでな」と返してくるのが腹立たしいぞ。


「別に特別な意味があったわけじゃないけどさ、カーサとかティンバースさんに対しての反応からして、あんまり名前で呼び合うような仲になるのが嫌なのかな~と思ってただけ」


「確かにそういった馴れ合いはあまり好きではないな」


「おっと、馴れ合いと来たかぁ……だったら最初から名前で呼びあうのなんて無理でしょう。何なんだこの無駄なやり取りは。天の邪鬼かよ」


 いまいち何がしたいのか分からないけれど、このおかしな問答のお陰でだいぶ緊張していた空気が緩んだのは肌で感じる。きっと不器用な推しメンなりに考えてくれてのことだったんだろう。


 お互いに水晶を掲げることもなく、ただ背中合わせに語り合うだけの温室内を流れる時間は穏やかで。明るい時間帯には出来ないようなことも、うっかり出来るのではと思わせた。だから私も一度きりの好機を逃すのも何だからと、背中合わせに「クラウス?」と呼んでみる。


 すると背中から「ああ」と穏やかに応えてくれる声が心地良くて。


 ああこれで……いつかヒロインちゃんが全部思い出して呼んでくれるようになる前に、初めて推しメンの名前を呼んだ“異性”は私だ。



***



 そして翌日“四月二十六日”の五限目。


 我ながらたった一回推しメンの名前を呼べただけで無敵気分になれるとは、省エネ設計がすぎるのではないかと思うけれど、今日は他の授業でもいつもより調子が良かったくらいだ。


 なので“今度からテスト前期間にでも呼ばせてもらえるように頼み込んでみようかなぁ?”などと暢気な気分で、本来講義をしてくれるはずだった教師に教えられたこの時間は空き教室になっている教室に向かい、勢いよくドアを開けた。


 そこにはすでに結構前から待っていたのか、ホーンスさんが今から行う講義の資料を片手に「やあ、待っていたよ」と出迎えてくれる。


「今回はこんな脅しのような誘い方をしてしまって本当にすまなかった。ただどうしても次の教員試験に通りたくてね……。今年も滑ってしまうともう後がないんだ」


 出迎えてくれた直後にその巨体を深々と折ってそう謝られては、許さない方が無理だ。というか、目上の人間にここまで深く腰を折られたことがないので恐縮してしまう。


「そんな、そこまでしてもらわなくても……もともと悪いのは時間がないからって本を鞄に入れて持ち出そうとした私ですし。学園側に報告されなかっただけでも御の字ですよ」


 覗き込むように深々と下げられた顔の横からそう声をかけると「本当にすまなかった」と重ねて謝られた。しかしいつまでもこうして謝られていては、講義の時間がなくなってしまう。


「えーと、ホーンス先生。昨日言っていた通りだと、今日はあの本の内容を教えてくれるんですよね?」


 “先生”という言葉に反応して顔を上げたホーンスさんは「そう、それだよ!」急に元気を取り戻した。


 そうして「今日は君のように、星座の成り立ちがつまらなさすぎて憶えられないという生徒にピッタリな教材を作ってきたんだ。これなんだがね――」と言いながら、さっきから握り締めていた資料を私の方へと差し出してくる。


「星座は一度分かればとても面白く憶えられる。だからこれを使って君にもこの面白さを分かってもらいたいんだ!」


 そういつもの穏やかな人格が一変、興奮気味に小冊子を渡してくるホーンスさんに何か近しい感覚を感じると思ったら……これはあれだ。どの分野にもいる“推し”を語りたがる同朋の目。だとすればこの手渡された小冊子はさながら“薄い本”か。


 律儀に濃紺の紙を使った表紙には、金字で【誤解されやすい性格の彼を正しく知りたい君へ】という“何これラノベか?”と口にしてしまいそうな長い題名が書き込まれている。


 思いのほか楽しめそうな予感のする授業に、私は「よろしくお願いしますホーンス先生!」とそのゴツい手と熱い握手を交わしたのだった。

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