*5* モブのゲームオーバーラインとは。


 本日は“四月二十五日“。めっきり春の陽気になって、柔らかな葉を茂らせ始めた木々に日の光が眩しい。


 二年に上がってから以前よりも格段にぼっちの私にとって、昼休みの一時間は唯一放課後以外で心穏やかに過ごせる貴重な時間だ。最近ではもう学園内のカフェテリアに向かうことすらせずに、朝の時間に女子寮のおばさんに頼み込んで作ってもらったサンドイッチを持参している。


 まったくもって女子寮のおばさん達には頭が上がらない。おばさん達曰く“田舎から出てきた子をホームシックから守るのも仕事”とのことで、もう職業倫理が素晴らしいというか……控え目に言っても女神だと思う。


 昼間の学園内はまだ学生の目が至る所にあるので、迂闊に温室でお昼を食べるような真似をすることも出来ない。だから目下困っていることといえば、人気がなくてゆっくりと一人で食事を楽しめる場所だ。


 それも学園指定の鞄を持ち歩いて不自然がられない場所。この鞄の中には私のもう一つの心臓が入っているので、教室で留守番させるわけにはいかない。ホラー映画の定番としては人間が一番怖いのだ。平民のような下級貴族と同じクラスであることを面白く思わない人間は多いからね……。


 しかし学園内は広いので移動時間のことを考えると、あまり教室のある校舎から離れすぎずに緑の多い場所というのはやはりどこも人の気配がある。だが、そんな中で私は二日前ついに安息の地を発見した。


 その場所というのは何ということはない、同好会を始める以前は毎日足繁く通った図書館の裏だ。ここならサクッと昼食を済ませれば、そのまま図書館で読書まで出来てしまう。


 食事の時間にして大体十分。前世の職場環境ですっかり早食いの癖がついている私にしてはこれでもゆっくりめなのだけれど、領地ではこの癖のせいですっかり食いしん坊認定を下されている。


 この癖も卒業後のお見合いまでに直さないとなぁ。しかし今はまだ自由な学生だ。そういう先のことは追々考えることにして、最後の一切れを口にした私は、サンドイッチの入っていた箱をお手製の刺し子を施した布で包み直して立ち上がった。


 教室からここまで走って五分。往復十分。食事に十分。


「よーし、取りあえず残り時間は四十分!!」


 先々の色々な問題は数あれど、まずは推しメンの幸せな未来のために調べ物が先決かな、と。



***



 この二日で気になっていた調べ物をしているのだけれど、元がなかなかどこに記載されていたのか分からないあやふやな記憶なのだ。ここ二日で闇雲に探している図書館西側の一角の本棚はもう少しで全滅する。


 一度読み終えた本の内容はうっすらとでも前後を憶えているものだから、再度物を探すときは一度目の半分の時間ですむ。ここにいるからには探し物は勿論星座に関する物。それもあの天体観測の夜に推しメンが一瞬声を落とした、彼の星――カヒノプルス。


 【星詠師】にとって自分の戴く星は何よりも尊いとされるものなのに、あの夜の推しメンの声には、まるでどこかに痛みを感じているような……そんな寂しげなものだった。


 ああっ、でもっ――あの夜の刺繍へのお礼のスマートさと言ったらなかった! 思わず不謹慎にも“物凄く乙女ゲームな世界観をこのようなモブに下さって、ありがとう”と心の中で感極まっていたくらいだ。


 いやぁ……昔からよく“星が流れる時は誰かが死んだ時”だなどという迷信があったけれど、あの夜は私もあの流れ星の一群に加わってしまうところだったね。もうあんなに喜んでもらえるなら、こっちにいられる間にあと三十枚は作っても良い。


 あの夜の彼は本当にそれくらい儚げで、私の拗らせた庇護欲をそそるものがあった。流れ星よ、千金の価値があるスチルをありがとう!


 いや、だけど四日前の口紅騒動の推しメンも良かったなぁ。必死に抵抗してはいたけれど、あっさりラシードとカーサに捕まった彼が如何に文系なのかが分かる……というのは流石に酷か。あれはたぶんラシードとカーサが規格外なのだ。


 ――と、ゲームの進行上そんなことを言っている場合ではない。


 だってもう二年生なのだ。だというのにここに至るまで大きなイベントを二つしかこなしていない。このままではうっかり普通の学生生活を送るだけの、何とも盛り上がりに欠ける乙女ゲームになってしまう。


 思わず内なる自分から“それただの日常系ゆるふわ学園四コマや”という突っ込みが聞こえてきそうである。一年もかけて何をやっているんだ私は。


「げ……嘘でしょ、もう最後の一冊なのかよぉ……」


 指先に引っかけた背表紙は人差し指の幅くらいしかない薄さの物で、とてもではないけれど望み薄な分厚さだ。せめて最後の一冊なら指先二本分の分厚さは欲しかったんだけどなぁ……。とはいえ無い物ねだりはしない主義だ。


 本棚から引き抜いたそれは、濃紺の地に金色の筋が一本だけ走った表紙の児童書。もしもこの一冊に望む答えがなかったら、私の探し物は振り出しに戻る。星詠みの授業を受け持つ担当の教員に訊いても良いのだけれど、何となく訊いてはいけない気がしなくもない。


 あの一瞬の声の揺れが推しメンの心の揺れなのだとしたら、易々とそれを他人の私が暴いて良い道理はないのだから。しかし昼間なのに薄暗い西側の一角は、暗い場所が苦手な私でも不思議と安心する。


 それというのも推しメンのくれたこの首飾りと、ここでパニックに陥っていた私を見つけてくれたことが関係してのことなのだと思うと、より一層推しメンのことを“親友”として慕う気持ちがこみ上げてくる。勝手に親友と思われている推しメンにはとんだ災難だと思うけれどね?


「頼むから何か手がかりが載っておいてくれよ~……」


 そう祈りながら濃紺の表紙に触れた直後――……無情にも外から昼休み終了五分前の予鈴が鳴り響く音が聴こえた。こんなペラペラっと読めそうな物を残して中途半端なところで時間切れか。


 仕方なく一瞬本棚に戻しかけたものの、考えてみればこの薄い本のために放課後ここへ寄ってから温室に行くのは時間の無駄だ。皆といられる時間は一日の中でも特に貴重なのであまり削りたくないし……などと悩んでいる場合ではない!


 流石に教室まで五分の壁を縮める脚力は持ち合わせていない私は、いけないことだと自覚はしつつも、手にした濃紺の本を鞄の中にねじ込んで図書館の入口の司書のおばさんに涼しい顔で「また明日来ますね」と声をかければ、おばさんも「午後の授業も頑張るのよ」と、とてもにこやかに送り出してくれた。


 ――あああ……ごめんなさい、司書さん……! 明日のお昼休みには絶対にこの本を返しに来ますから!!


 そんな万引き初体験のようなスリルを味わいながら無事に図書館の外に出た私は、残り四分と数十秒の壁をどうにか切り抜けるべく、死ぬ気で教室までの道のりを爆走しようとした――のに……。


「コラ、そこの女子生徒。鞄の中にある本を出しなさい」


 そう背後から聞き覚えのある柔らかなテノールがかった声がかけられる。その声に恐る恐る振り向けば、そこにはやはり見知った顔の人物が少し困ったような表情で立っていた。


 彼ときちんと話をしたのは去年の夏休みだけれど、心なしか最後にあった時よりも巨峰色の星のエフェクトが濃くなっている気がして一抹の不安を感じる。


「リンクスさん、何だか随分久し振りだな」


「……お、お久し振りですホーンスさん……」


 怒ると言うよりは困ったようにしかめられた表情に一瞬シラを切ろうかと悩んだが、状況がそれによってさらに拗れる可能性も充分に考えられるので、ここは大人しくしておいた方がまだマシか。


「顔見知りの初犯なら見逃してあげたいところだが……目撃してしまった以上そうもいかない。その鞄の中にある本を出すんだ」


 ああ、まさかこんな日常パートなところにゲームオーバーが転がっているだなんて……いや、それとも所詮モブの最後なんてこんなものか。きっとこの後は職員室に連れて行かれて実家に連絡が行くのだろう。


 学園にある物はどれもうちの領地で購入するには値がはりすぎるから、初犯といえども窃盗罪として退学処分を免れなさそうだ。


 そんな絶望的な予想しか出来ない数分後の未来予測に目眩を感じながら、私は鞄の中から濃紺色の薄い本を取り出した。


 それを震える手でホーンスさんに差し出しながら、病弱な良家の子女みたいに貧血でも起こして倒れられたら良いのにと思いつつ、そもそも良家の子女は古い児童書なんて盗まないよなと自嘲気味に嗤ってしまう。


 ホーンスさんは私の手から本を受け取ると「成程……」と呟いて、そのまま少し考え込むような素振りを見せた。私に与える罪状でも考えているのだろうかとぼんやり考える遥か頭上から、授業開始の本鈴が鳴り響く。


 悔やんでも悔やみきれない自分の失敗に、強く噛みしめた唇から滲んだ血の味が口内に広がる。泣くものか。諦めないで言い逃れの機会を探れば、まだ逃げきれるかもしれない。


 そう浅ましい考えを巡らせていた私の耳に「君さえ良ければだが……どうだろう、自分の講義を受けてみる気はないか?」と。


 この状況でそんな蜘蛛の糸のような希望が目の前にスルリと現れたなら、掴んだ瞬間切れるとしても掴まない手はないんじゃないの?

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